鏡を見つめよう

 

誰だって

溺れたくない。

 

でも、

人生の海に

溺れてしまう。

 

気がつけば、

足のつかない

深い場所にいて、

 

高い波が

押し寄せて来て、

 

必死にもがく

だけの状態に

なっている。

 

もがくのは

苦しくて、

エネルギーが

必要で、

周りが見えなく

なって、

 

ある意味、

一刻一刻の時間を

過ごすことだけで、

生きることだけで、

精一杯になってしまう。

 

あれ?

私はいったい

何をしにここまで

来たんだっけ?

 

という問い

すらも

忘れてしまう。

 

もがくだけ。

 

生きるだけ

の存在。

 

それが

「自分」

となる。

 

・・・・・・

 

海から出る

唯一の方法は、

 

海から出よう

 

しないことだ。

 

まずは、

ここは海なんだ、

認識すること。

 

深い海にいて

今の自分は

溺れていて、

 

ただただ日々、

必死にもがいている

のだという

自覚をすることだ。

 

そして、

ただただ

もがくだけの自分を

許すこと。

 

もがくのは

ダメだ!

とやってしまうと

ますます

深みにはまることになる。

 

時々、

 

「私は海から

出ることができました」

 

と言う人がいるが、

それはただ

海から出たという

幻想、妄想の

中にいるだけだ。

 

本当は

溺れているのに、

溺れていることを

認めず、

その事実にも

目を伏せ、

 

とてつもない

妄想力を

働かせている。

 

そして、

「こうすれば

海から出られますよ」

と、

他の人にも

妄想を勧める。

 

だから世の中には

妄想魔が

増えてしまった。

 

妄想は、

本人は気持ちいい

かもしれないが、

周りには

とても迷惑だ。

 

しかも

本人の気持ち良さも

ある時に

限界を迎える。

 

妄想から

覚めた時の

その人の絶望ぶりは

半端ではない。

 

・・・・・・

 

あなたは今、

溺れていますよ。

 

ということを

私はこれまで

いったいどれだけ多くの

人達に、

コーチとして

伝えて来ただろう。

 

ほとんどの人は

最初はそれを

認めたがらなかった。

 

何を言おう、

私自身も

昔はそうだったから、

その気持ちは

よくわかる。

 

私は

自分が溺れていることに

気づいた時は、

本当に

人生のすべてが

終わったと

感じた。

 

自分のすべてを

否定した。

 

やはり、

そうなってしまうことを

誰もが恐れるので、

溺れている事実を

認めるのは

難しいのだろう。

 

だからこそ

私は

淀みなく、

100%の純粋さを

持って

伝えることにしている。

 

あなたは今、

溺れているんですよ。

 

と。

 

こちらが

100%の純粋さを持って

伝えることで初めて、

その人には

ちょっとだけ

伝わる。

 

でもその「ちょっと」

こそが大切で、

あとはその人が

自ら

事実に気づいていく。

 

妄想している人に

とって

私はとても怖い存在の

ようで、

妄想を続けようとする

人は、

皆、私の前から

逃げていく。

 

こちらは

何もしていないのに、

ただただ

理由をつけて

逃げていく。

 

それは、

自分の人生から

逃げていくのと

同じことだ。

 

もっと

自分を大切に

してほしい、と

心から思う。

 

私は

何もしない。

 

ただ、

鏡として

一人一人と

向き合うだけ。

 

人は

鏡が怖いのかも

しれない。

 

でも、

今の世の中に

鏡は絶対的に

必要だ。

 

自分の人生から

逃げずに、

そして

鏡としての役割を

担おうと

本気で思う人との出会いを

私は望む。

 

そういったコーチを

私は

育成したいからだ。

 

つづく

 

邪悪な自分が溢れてくる

それは強烈な一言でした。

 

「平井さんのこれまでの人生はすべて、

“自己愛”です。」

 

私がそう伝えたとき、

平井さんの全身の力が抜けるのが

明らかにわかりました。

(→前回記事)

 

しばらく彼は、茫然自失、

フリーズしている状態でした。

 

数分の間、・・・いえ、もっと長い時間だったかも

知れません。

彼はずっと無言のままでした。

 

私はただそこにいました。

私も何もしません。

 

後になって、彼にこの時のことを聴いたことが

あります。

まず、彼は自分が茫然自失状態のまま

ずっと無言だったことを覚えていませんでした。

 

そして、

「実は、たけうちさんのあの言葉を聴いたとき、

私はあの場から逃げ出そうと思いました」

と。

しかし、逃げようにも

体が上手く動かなかったと。

 

正確には、

心が上手く動かなかったのでしょう。

 

これは端から見れば、

コーチである私が強烈な言葉を浴びせた

外圧的なコミュニケーションでしょう。

しかし、

本質はまったく異なります。

 

「自己愛」の一言は、

本来、平井さんの真本音が平井さん自身に

与えたかったメッセージです。

しかし上手くそれが顕在化できなかったために

代わりに私がそれをキャッチして

伝えただけなのです。

 

つまりその時の私は平井さんの

「鏡」

でした。

 

しかしその「鏡」は強烈な鏡です。

そこに映っていたのは、

できることなら顕在意識の平井さんにとって

決して見たくない自分自身の姿だったでしょう。

 

平井さんは、私という「鏡」を通じて

自己対話をしました。

真本音の自分との自己対話です。

 

これこそが

『真本音コミュニケーション』の本質です。

 

「自己愛」とは何なのか?

それはどのような意味なのか?

という、そういった説明は何も必要ありません。

なぜならその一言は、

平井さん自身だからです。

これまでの平井さん自身です。

 

その日のコーチングはそれで終わりでした。

 

私は平井さんに

「何かあったらすぐに私にご連絡ください。

決して遠慮せずに、すぐにその場でご連絡ください」

とお伝えしました。

 

その日の夜中。

 

確か、もう12時をまわっていたと思います。

平井さんから私の携帯にお電話が入りました。

 

私はそれを予測していました。

 

「私は、おかしくなってしまったのでしょうか。

私の中に邪悪な心がたくさん生まれています。

どうすればよいでしょうか?」

 

「平井さん、

それは今、生まれた心ではありませんよ。

もともと平井さんの心の中にあり続けていたものです。

平井さんがずっとフタをしてきた気持ち達です。

ここからちょっと大変ですが、

その気持ち達としっかりと向き合ってください。

方法は今からお伝えします。」

 

平井さんの「一撃必殺」は

効果があったということです。

 

平井さんはついに

自分を壊しにかかりました。

 

ただしそれは非常によいことです。

自分を壊すといっても、

「これまでの自分」を壊すということであり、

平井さん自身の真本音を阻害していた自分を壊す

ということですから。

 

しかしここからが本当の勝負でした。

ここでしっかりと自分と向き合い切れるかどうか。

 

一撃必殺コーチングの本当のサポートは

ここからです。

 

つづく