やはりコーチが必要だ

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自分自身のことを

深く憤っている人が

増えている。

 

そのストレスたるや

半端ない。

 

それはある意味、

真本音レベルの

憤りだ。

 

「なぜ私は、

私の望んでいる通りに

動かないのだ」

 

「なぜ私は、

本当はやればできるのに

やろうとしないのだ」

 

「なぜ私は、

本当の想いに目を向けず、

どうでもいいことばかりに

意識を向けるのだ」

 

「なぜ私は、

本当に向き合うべき人から

逃げ続け、

自己満足だけで人と

関わるのだ」

 

「なぜ私は

根拠のない不安ばかりに

意識を向け、

進まない理由に

し続けるのだ」

 

・・・

 

あえて言葉にすれば

そういったことに

なる。

 

一言で言えば、

 

「本来の道に

進もうとしない自分」

 

を、心の底から

憤っている。

 

そのストレスは、

「ストレス」の臨界を

越え、

「エンティティ」という

実体となっている。

 

それは「生き霊」とも

言える念の塊

だ。

 

そういった人と

向き合うと、

エンティティ達が

ワッとこちらに

襲いかかってくる。

 

あまりにひどい場合は、

それは「殺意」の

ようにも感じられる。

 

自分への憤りの

度が過ぎて、

自分自身への殺意に

すらなっているのだ。

 

しかもそのことを

本人(の顕在意識)は

知らない。

 

自覚して

いないのだ。

 

苦しみも

限界を越えると

麻痺するからだ。

 

・・・・・・

 

世の中全体の

真本音度合いは

間違いなく

高まっている。

 

特にこの1〜2年の

上昇率は

これまでになかった

ものだ。

 

だからが故

なのだろう。

 

人々の真本音が

浮上しやすくなった。

 

真本音が浮上する

ということは、

これまで決して

気づかなかった

自分の本当の願いに

気づきやすくなった

ということ。

 

これまでは

願いに向かわなくとも

自分で自分を

ごまかし続ける

ことができた。

 

しかし今はもう、

たとえ無意識で

あろうとも、

何となく皆、

わかっているのだ。

 

自分の本当の

願いを。

 

自分の人生の

願いを。

 

だからこそ、

そこに向かおうとしない

自分自身をもまた

よくわかっている。

 

だからこその

憤りの大きさ

だ。

 

・・・・・・

 

時代は

変わった。

 

私が

「真本音の時代」

と呼んでいる時代には

6年前には

入っていたのだが、

 

ようやく世の中は

その自覚を

し始めている。

 

自分の本当の

願いに向かい

生きる、

のは

人として当たり前の

ことだ。

 

自然な

ことだ。

 

しかしその

当たり前のことを

私達はしてこなかった。

 

その当たり前が

できないのが人生だ、

くらいに

思い込んで生きてきた。

 

その癖と

本当の願いとの

せめぎ合いが

今、だ。

 

ごまかしてきた

ことが

ごまかせなくなる。

 

その傾向は

今後ますます

強まっていくだろう。

 

だから

自分の癖に

執着している場合

ではない。

 

早く、

自分自身に

素直になってほしい。

 

しかしそれは

とても怖い

ことなのだろう。

 

だからこそ

そのサポートをする

人が必要だ。

 

「コーチ」が

必要な時代だ。

 

真本音で生きる

ことを

ちゃんとサポート

できる

「コーチ」が必要だが、

 

今はその数が

あまりにも

少ない。

 

でもその素養を

持った人は

確かに

たくさんいる。

 

特に

若い人達には

多い。

 

もう私も

51歳だ。

 

私が最前線でやり続ける

べきではない。

 

早く私は

多くの若い人達に、

本物の「コーチ」の力を

伝授したい。

 

「伝授」と言うと

おこがましいが、

 

でもあえて

言う。

 

ちゃんと

伝授したい。

 

丁寧に

伝授したい。

 

つづく

 

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