目が眩む怒りだな

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目も眩むような

怒りがある。

 

それは

私のものでは

ない。

 

それは

「人々」のものだ。

 

人々は今

怒っている。

 

真本音の怒り

だ。

 

その中心に

あるものは、

 

自己が消滅してしまう

のではないか、

というくらいに強い

 

進化への欲求

 

だ。

 

私のことなど

どうでもいい。

 

・・・乱暴に書くと

そんな意志を

感じる。

 

しかしそれは決して

自己犠牲では

ない。

 

それは

「すべてを生かす」

ための想いであり、

 

自分の生命を

本当の意味で

燃やし活かす

ための想いだ。

 

私のことなど

どうでもいい。

 

となって初めて

覚醒する自分が

いる。

 

本来の自分が

そこにいる。

 

その

本来の自分が

怒っている。

 

自分自身に対して

怒っている。

 

なぜ、

そんなことに

こだわるのだ?

 

なぜ、

ここであえて

止まるのだ?

 

なぜ、

止まっていることを

誤魔化すのだ?

 

なぜ

そこまでして

いい格好をし続けるのだ?

 

と。

 

「本来の自分」を

そこまで怒らせて

しまった自分を

反省するといい。

 

「反省」とは、

自己評価ではない。

 

自己を評価している

場合ではない。

 

「反省」とは

悔恨の心と

向き合うことだ。

 

自分自身の

最も深いところにある

悔恨を

 

あるがままに

見つめ

対峙することだ。

 

これをせずして

あなたはあなたの

本当の気持ちを

知ることはない。

 

本当の祈りに

気づくことはない。

 

もう

誤魔化すな。

 

自分自身を。

 

つづく

 

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