問いだけがある

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自分自身の

電源を落とすと、

 

問い

だけが残る、

 

ことがある。

 

あとは

何もない。

 

ただ

暗い場所に

 

電源の落ちた

場所に

 

問い

だけが残る。

 

そういうのを

観ると、

 

人とは

問いだな、

 

思う。

 

問いを残し、

真の答えに

出会うまで

それは

決して消えることは

ない。

 

そういった

生き方、進み方を

するのは

やはり

人間だけだろうか。

 

いや、

 

私は時々、

場に問われる。

 

空間に問われる。

 

宇宙に問われる。

 

・・・こともある。

 

しかし、

そのように

問いを受けることが

できるのは、

 

その答えを

見つけるために

実際の試行錯誤を

するのは、

 

やはり

人間だけだろうか。

 

問うて、

 

試行錯誤し、

 

答えを見つけ出す。

 

このシンプルな

サイクル。

 

これは摂理か。

 

摂理に素直に

生きるとは、

 

「ここ」にある

問いを

素直に受け取る

ということか。

 

私は

問いであり、

 

問いを受ける

ものである。

 

・・・これはとても

しっくりくる。

 

しかし、

 

私は

答えるものである。

 

・・・というのは

しっくりこない、

というのは

どういうわけか。

 

自分自身の

電源を落とすと、

問いだけが

残る。

 

答えは

出そうにないな、

とわかれば、

 

私は

単なる

問いとして

今日を、明日を

生きるだろう。

 

簡単に

答えは

出さないよ。

 

出そうになっても

出させない。

 

なぜなら私は

問いだからさ。

 

今日も私は

皆さんに問い、

 

私自身に

問う。

 

「この場」にある

問いを

拾い出し

 

そのまま

素直に。

 

それが私だから

というよりも、

 

やはりそれが

人間だから。

 

つづく

 

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