共に歩く者

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あえて、

狭く暗い部屋の中に

閉じ籠ってみる。

 

あえて、

目も閉ざし

何も見えない状態に

陥ってみる。

 

何も見えなく

なった時、

 

何もわからなく

なった時、

 

果たして自分は

何をどう判断する

だろうか?

 

そう考えた時、

 

ふと、

 

ひょっとして

今の私が

そんな状態なのでは

ないか?

 

思ったりした。

 

実は、

目を開いているようで

閉じている。

 

広い世界にいる

ようで、

狭い中にいる。

 

わかっているようで

何もわかっちゃ

いない。

 

ひょっとして、・・・

ではなく

本当にそうではないか、

よく思った。

 

そう考えた時、

 

では、

そんな私に

できることとは

何だろうか?

 

と。

 

で結局

たどり着いたのが、

 

目が見えていようが、

狭い部屋にいようが、

 

何も

わかってないとしても、

 

私は

自分の意志で

進むしかないでは

ないか、

と。

 

もし

何もわかっていない

のであれば、

 

少しでも

わずか1ミリでも

わかろうとする。

 

わからないなりに

今わかることを

信じて

進む。

 

それしかないでは

ないか、と。

 

そう考えると、

 

日々、やることは

同じだな、と。

 

自分が開く方向に

進む。

 

本当に開けるかどうか

ではなく、

 

こっちは

開く方向なのではないか、

思える方に

進む。

 

自分がたとえ

間違っていても、

 

自分の判断を

する。

 

それしかない

ではないか、と。

 

人間として

できることは。

 

と。

 

もし間違っていたら、

きっと

ゴツゴツと

何かにぶつかるだろう。

 

痛い目に

遭うのだろう。

 

もしかすると

生命の危機に

晒されることも。

 

でも

自分の判断であれば

それはそれで

しょうがないではないか。

 

見えていても

見えていなくても、

 

精一杯

やるしかないではないか。

 

だから、

 

見えないから

わからないから

という理由で

止まってしまうことだけは

やめよう。

 

間違ってもいいから

進んでみよう。

 

どんなに

怖くても。

 

できれば、

盾も鎧も脱ぎ捨て、

 

できるだけ

素っ裸で

進もう。

 

できれば、

でいいから。

 

・・・そんなこんなで

ここまでヨタヨタと

歩いてきたように

思う。

 

本当に、

痛い目ばかりの道のり

だったが、

 

昔に比べれば、

随分と

歩きやすくなったし、

 

道も広がっている

ようだ。

 

仲間も増えた。

 

「幸せだな」と

感じる瞬間も

増えている。

 

今の私は

見えているのだろうか?

 

わかっているの

だろうか?

 

と、

今でも日々、

問うている。

 

ひょっとすると、

この問いがあるうちは

大丈夫なのかも

しれないな、と、

 

ここまで歩いてきて

ようやく

思えるようになった。

 

私は

先導者でも何でも

ない。

 

私は

共に歩く者だ。

 

つづく

 

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