コーチング、いいよな

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目の前に

人がいる。

 

会った瞬間、

私は彼から

あらゆるものを

受け取る。

 

要するにそれは

彼の「実在」

であるが、

 

そこには

すべてがある。

 

目の前の彼は

「現象」に

過ぎない。

 

「現象」に

過ぎないのだが、

 

しかし

それこそが

 

今ここ

 

における

彼のすべて

でもある。

 

実在のすべて

現象のすべて。

 

その両方の

「すべて」

と対峙することで

 

私のコーチングは

始まる。

 

やはり

私は

「コーチング」

が好きである。

 

「コーチング」という

一つのカタチが

好きなのだと

思う。

 

1対1で

その人の「すべて」

向き合い続ける

時間。

 

真正面から

向き合い続ける

時間。

 

その時間中、

私は彼の「すべて」を

感じ続けることが

できる。

 

それは悦びであり

苦しみであり。

 

しかし紛れもなく、

それは

「人間」

である。

 

きっと私は

「人間」が

好きなんだな、と

思う。

 

昔は

嫌いだったのにね。

 

なんでこんなんに

好きになったの

だろう?

 

いつから

好きになった

のだろう?

 

まぁそれは

ともかく、

 

「コーチング」には

時間制限が

あるのも

実にいい。

 

1時間なら1時間と、

限られた

時間を

 

「コーチング」という

カタチとして

向き合う。

 

私はその時間内は

完全に

「コーチ」という

在り方に

集中できる。

 

つまりは、

目の前のその人に

私の意識の

「すべて」を

向け続けられる。

 

100%その人の

ための

時間だ。

 

よくよく考えたら、

人生において

このようなカタチの

時間というのは

なかなか

手に入れらない

よな。

 

「コーチング」によって

その人が

本来のその人を

取り戻し、

 

本来のその人の

「行動」を

取り戻していくのは、

 

そういう意味では

当たり前と言えば

当たり前だよな。

 

その人も

私も

「実在」のすべてと

「現象」のすべてを

向き合わせながら、

 

その人だけの

ための

限られた時間。

 

いいよなぁ。

 

・・・と思う。

 

改めてふと

今日は

そう思ったよ。

 

つづく

 

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