放っておけば
新しいものは
次々に
生まれ育つ。
でも、
放っておかない
から
おかしくなる。
子は
育つ。
なのに、
親が
それを
阻害する。
それは、
今も昔も
ずっと続く
我々人類
の
課題だ。
・・・・・・
自分に
ツノが生えて
いない
からといって、
子どもにも
生えてはならない
という
決まりはない。
自分に
理解できない
ことを
私達は
止める。
とりあえずは、
止めようと
してしまう。
ひどい場合は
せっかく
生えたツノを
切り落とす。
あぁよかった、
これで
正常だ、
と
大人は
思うが、
ツノを切られた
その子は
本来のその子
と
言えるだろうか。
・・・・・・
これは、
自分自身に
対しても
言えることだ。
自分には
理解できない
何かが
自分の中に
芽生えたとして、
多くの人が
それを
止めてしまう。
が、
それこそが
創造性
や
進化の機会を
奪う。
理解できない
ものを
拒絶し過ぎだ。
私達は。
・・・・・・
理解とは
何か?
知る
ことだ。
わからない
もの、
受け入れられ
ないものが
目の前に
現れた時、
まず
すべきは、
知ろうとする
ことでは
ないか。
そこで
拒絶するから
余分な
戦いが始まる。
自分に対して
寛容になれば、
人に対しても
そうなれる。
この
単純なことを
人類は
何千年かけて
学ぼうと
言うのか。
もう
わかってる
くせに。
・・・・・・
人類という
言い方を
あえてしたが、
一人目の
人類は
「私」
だ。
「私自身」
だ。
自分自身に
対して
もっと
寛容であろう。
自分のことを
もっと
知ろう。
理解を
深めよう。
・・・・・・
全方位。
自分の
周り全てに
意識を
向けよう。
世界全体に
意識を
向け続けて
みよう。
そこに
「私」
は
現れる。
内観も
大事。
が、
「私」は
外に
現れる。
例えば、
目の前の
その人の
表情が
「私」
そのもの
なんだ。
つづく