二段跳び
のような
展開。

ここ最近、
随分と
増えた。

本当のことを
言えば、
10段飛び
くらいで
行きたいのだが、

そんなことを
したらきっと
現実が
壊れてしまう。

今は
これくらい
か。

・・・・・・

二段跳びを
するため
には、

その先に
あるものを
きちんと
観なければ
ならない。

つまり、
あらかじめ
答え
を知るという
ことだ。

全ての答え
を
知ることは
できないと
思うが、

肝心要の
答えのみでも
知り、

受け入れる
必要が
ある。

そしてその
答えの
方向に

強い後押し
をする。

もしくは、
場合によっては

強く
引っ張る。

そういうことが
できなければ
もう
コーチとは
言えない。

という
時代になって
しまった。

つまり、

コーチの在り方
や
コーチの定義
そのものが
変わってきた。

以前の
コーチングのままでは
これからは
何もかもが
通用しない。

コーチとは
答えを
知るものだ。

そして
そちらに向かい
物事を
動かしていく
者。

人を尊重
している
場合では
ない。

・・・・・・

ちょいと
極端な書き方
になったが、

それだけ
わかりやすく
表現しなければ
人や組織の
サポートは

もはや
できない。

人々の
気づきが
遅過ぎる。

そこに
ペーシングして
いたら、

間に合わなく
なる。

それくらいの
急流に
今の私達は
乗っている。

・・・・・・

見通す力
と
現実を観る力
は
ほぼほぼ
イコールだ。

見通すため
には
解釈が入っては
ならない。
意図が入っては
ならない。

つまりは
頭の思考が
入っては
澱んでしまう。

くっきりと
現実と
対峙する者
だけが

未来を
見通せる。

答えが
わかるのだ。

・・・・・・

そして、
答えがわかったら、
可能な限り
それを早く

発信する。
伝える。

指導する。

・・・ことが
必要だ。

そうなると
もう
表面上は
コーチとコンサルの
区別が
つかなくなる。

それで
いい。

ただ、
コーチは
それらを
「完全なる鏡」
として
行なうのだ。

「鏡」とは
自分を消す
ことではない。

むしろ
逆だ。

自分を完全に
開かねば
「鏡」には
なれない。

人はそのように
できている。

ただ、

「鏡」になれる人
と
なれない人が
いる。

どちらが
良い悪いでは
なく、

これは
先天的なもの。

努力で得られる
ものでは
ない。

先天的に
「鏡」になれる
素質を持った
人。

そういった
人を
見つけ出し、

しっかり
自らの意思で
「鏡」になれるよう、

「鏡」として
指導する。

それが
私のやりたい
ことであり、
やり続けている
ことだ。

今後ますます
その必要性を
感じている。

つづく