人は激しいよ

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人と向き合う

ということは、

人の反応本音と

向き合うという

ことだ。

 

反応本音は

激しい。

 

反応している本音

なのだから

当然だ。

 

しかし多くの人は

その激しさに

フタをしている。

 

自らの激しさに

フタをし、

自ら気づかないままに

生きている。

 

そして

何かの拍子に

そのフタが取れてしまう

ことがある。

 

その時に

驚くのだ。

 

自分自身の

反応の激しさ、

心の揺れの大きさ

に。

 

「コーチ」がしっかりと

向き合えば、

フタが取れてしまう前に

自分で自分の激しさを

垣間見ることが

できるし、

 

徐々にではあるが、

その激しさを

理解しながらも、

そのさらに奥に

あるものを

自ら感じられるように

なる。

 

激しければ

激しいほど、

そして、

それを感じれば

感じるほど、

 

それと

向き合えば

向き合うほど、

 

そのさらに奥にある

「静寂」と

「安定」に

人は気づくことが

できる。

 

それが

「真本音」

である。

 

・・・・・・

 

その状態に

なるためには、

まずは「コーチ」が

その人の激しさと

向き合う必要がある。

 

実は、

残念なことであるが、

この段階で

「コーチ」の厳しさを

知り、

「コーチ」という役割から

逃げてしまう人が

多い。

 

「人をサポートするのは

好きだけど、

人の激しさと

向き合うのはいや。」

 

という意識では

残念ながら

「コーチ」には

なれない。

 

もちろん

自己満足のコーチ

にはなれるだろうが、

それは

自己満足のサポート

でしかない。

 

よく私は

「人の真本音と

向き合う」

という言い方をするが、

 

その前提として

どうしても必要なのが、

「人の反応本音と

向き合い、

そのすべてを

あるがままに

受け止める」

という段階だ。

 

ここを逃げずに

やり続けることで、

初めてその「コーチ」は

目の前のその人の

「静寂」と「安定」を

感じることが

できる。

 

つまりは

「真本音」を感じとる

ことができる。

 

ここが

「コーチング」の

スタート地点である。

 

・・・・・・

 

私はこのお仕事を

させていただいて

本当によかった。

 

このお仕事のおかげで、

人間というものの

あらゆる面と

対峙することが

できた。

 

よく、

「たけうちさんは

性善説ですか?

性悪説ですか?」

初対面の人に

問われることがあるが、

 

人間とは

そんなにも単純な

ものではない。

 

あらゆるものを

包含しているのが

私達人間であり、

 

そのすべてと

対峙できるのが

「コーチ」であり、

 

ただただ

対峙するだけでなく、

 

何を観ても、

何を聴いても、

何を感じても、

 

自分自身が

毅然とそこに

立ち続けられる

必要がある。

 

だからこそ、

「コーチ」自らが

自分自身の

激しさと対峙

しなければならないし、

その奥にある

自分自身の

「静寂」と「安定」を

知っていなければ

ならない。

 

つまり。

 

「コーチ」になるために、

自分を強くしよう。

 

ではない。

 

これを言っているうちは

「コーチ」ではない。

 

「コーチ」になるために、

大事なのは、

 

あらゆる自分を

知ること。

 

特に

自分の弱さを

知ること。

 

その弱さと対峙し、

弱さを変えるのではなく、

そっくりそのまま

受け止めること。

 

自分の

あまりの弱さを

最後まで

実感し尽くすこと。

 

そしてそれを

直そうと

しないこと。

 

永遠に

その弱さの中に

いても大丈夫

という自分になる

こと。

 

それができて

初めて、

私達は

自分自身の心の大地に

しっかりと

足を踏みしめることが

できるし、

 

その状態になるからこそ、

すべての人と

向き合い、

 

すべての人の

激しさを

受け止めることができ、

 

「コーチング」を

始めることが

できるのだ。

 

厳しいお仕事だと

思うかな?

 

確かに

厳しい。

 

でも、

それを「使命」として

生まれてきた

あなたが

いるのではないか?

 

つづく

 

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