理屈はいいからさ

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私はもともと

自然が好きだった。

 

昔はよく

山の中に入り、

自然と一体化した。

 

自然の中で

ただ何も考えず

佇んでいると、

 

自然の息吹きと

自分の息吹きを

感じることができた。

 

生きている実感

というヤツだが、

正確に言えば、

その佇んでいる瞬間に

それを自覚するというよりも、

 

後になって振り返ると、

あの時の私は

生きている実感を

得ていたのだな、

とわかる。

 

概して

人生とはそういう

ものだろう。

 

その時その瞬間に

すべてがわかることは

稀だ。

 

・・・・・・

 

「今の意味」を

すべてわかった上で

物事を進めようとする

傾向の人がいる。

 

特に前向きな人に

多いのだが、

 

それはやめた方が

いい。

 

もちろん、

「今の意味」はわかるに

越したことはないかも

しれないが、

 

それはわからないように

なっているのだ。

 

本当はわからないのに

わかったつもりで進む

ことは

到底、オススメできない。

 

それにより

本当の「今の意味」とは

外れた生き方に

なってしまうからだ。

 

・・・・・・

 

例えば、

何か辛いことが

あった時に、

 

「この辛さには

こんな意味があると

思うんです。

だから、こうやって私は

ここを乗り越えようと

しています」

 

という人がいる。

 

この言葉自体は

素晴らしいかも

しれないが、

 

私はこの言葉を

聴くと、

 

「そんなことはいいから」

 

と、

ついつい言ってしまう

ことが多い。

 

そんなことよりも、

 

「今の辛さを

しっかり感じ取ろう」

 

とオススメする。

 

例えば、

あまりにひどい目に

あって、

怒り心頭に達している人が

いれば、

 

「とことんまで

怒ろうよ」

 

とオススメする。

 

もちろんその怒りを

そのまま相手や

周りにぶつけるわけでは

ない。

 

それよりも

「怒っている自分」

をあるがままに

自分自身が

感じ取ることが大切だ。

 

それができて初めて、

本当の「今の意味」を

実践していることに

なるからだ。

 

「意味」を自覚するのは

後でいい。

 

それよりも

「今を感じ、今に集中し

今を生きる」

ことだ。

 

それは

「自分の心を素直に

感じ取る」

ことが出発点となる。

 

そこに

理屈はいらない。

 

・・・・・・

 

逆に言えば、

それができる人は

 

「今ここの幸せ」

 

素直に感じることも

できるようになる。

 

人生は

幸せに溢れている。

 

ほんの些細なこと

かもしれないが、

 

例えば、

青空を見上げた時、

 

道端の花を見つけた時、

 

電車の中で

他の人のちょっとした

素敵な振る舞いを見かけた時、

 

テレビで

心に沁みる一言を

聴いた時、

 

人から受けた

ちょっとした気遣い、

 

あの人の

ふと見せた幸せな表情、

 

一口食べた

その料理の美味しさ、

 

お酒の美味さ、

 

好きな音楽の

一節の爽快さ、

 

仲間のちょっとした

しょーもないギャグ、

 

家族の笑顔、

 

布団に横になった瞬間の

安堵感、

 

目覚めた瞬間の

光、

 

・・・

 

そんなちょっとしたことに

心、というよりも

魂がジーンとなるような

幸せ感を得ることが

できる。

 

私達は

今を生きているのだから、

 

素直に

今を生きればいい。

 

つづく

 

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