加速

何もしない瞬間を

 

今は、

「変化」

という言葉がピッタリ

くるような

世の中の潮流だ。

 

現象的にも

そうだが、

実在的にも

そう。

 

自分自身を

大きく変えたり、

 

自分のやってきた

ことを

大きく変えたり、

 

もしくは、

「超」がつくくらいの

加速をしたり。

 

様々な挑戦を

しやすい潮流だ。

 

こんな時こそ

大切にしたいのが、

 

「何もしない時間」

 

だ。

 

何もせず、

じっと自分自身と

純粋に

向き合う時間だ。

 

数分でいいので、

一日の内に

何度もそんな時間を

取り入れるといい。

 

一つの仕事が

終わるたびに

そんな時間を

とるといい。

 

自分の心を

見つめ、

 

自分の原点を

見つめる。

 

自分は

本当は、

 

本来は、

 

何のために

何にがんばろうと

しているのか?

 

自分の

「本来」を

 

思い出す時間。

 

それを

頻繁に取り入れ

ながら、

 

ちゃんと

「自分」

を持ちながら、

 

変化

加速

 

をしていこう。

 

つづく

 

全力の加速

 

さらに

加速をしてみよう。

 

たとえ

現時点で最高速を

出していたとしても。

 

さらに

加速をしてみよう。

 

それは

未知の領域だろう。

 

これまでの経験の

活かされない

領域。

 

そこに

突入してみないか。

 

自分の範疇で

成長できるのは

当たり前。

 

しかしそれだけでは

私達人間は

物足りないのだ。

 

だから

未知へ未知へ

と向かう。

 

これもまた

一つの本能。

 

その本能に

素直になって

みるのもよいよ。

 

未知の領域に

いる時の

自分は、

 

まるで自分では

ないみたいだ。

 

無我夢中なのだが、

どこか

静かにすべてを

俯瞰している。

 

その独特な

感覚は、

 

新しい自分を

発見する喜びも

伴いながら、

 

私達の全身に

行き渡る。

 

これもまた

人が手に入れられる

幸せの一つだ。

 

加速に

躊躇はいらない。

 

躊躇をすれば

逆に不安定になる。

 

手加減なしに

全力で

加速してしまおう。

 

つづく

 

進むチャンスだ

 

加速感。

 

・・・とあえて

表現しようか。

 

これ、

今、あなたは

感じているだろうか?

 

まっすぐ

前を向いて、

 

目を閉じて、

 

そして、

目の前に

自分の人生の道が

まっすぐに

伸びているイメージを

してほしい。

 

未来の方向に

目を向けた時、

 

あぁ今、自分は

この道を

確かに進んで

いるなぁ。

 

しかも今、

かなりの加速を

しているなぁ。

 

素直に感じる

だろうか。

 

こんな単純な

方法で、

今の自分が

ちゃんと進んでいるか

どうかを

確かめることができる。

 

それくらいに

今は、

前に向かう潮流と

なっている。

 

流れに

乗るといい。

 

そして

そのままの勢いで

本来の自分の

望むスピードまで

 

加速を

してしまうと

いい。

 

今は

チャンスなんだよ。

 

今後の

何十年かの未来に

影響を与えるくらいの

 

チャンスなんだよ。

 

つづく

 

すごいスピードだ

 

今は、

加速することに

躊躇しない方が

いい。

 

存分に

アクセルを踏めば

いい。

 

中途半端は

やめてしまおう。

 

スピードを出すことに

ついては

全力を出せばいい。

 

・・・・・・

 

過去最高スピードに!

などと

思う必要もない。

 

過去とは

比べることができない

くらいの、

 

次元の異なる

スピードを出せば

いい。

 

すでに準備が

整っている

あなたなら

できるはずだ。

 

そのための

準備だったのだから。

 

・・・・・・

 

あなたの加速による

波紋は

どこまでも

広がっていくだろう。

 

そんな時代に

なれたのだ。

 

周りのペースを

気にしながら

「合わせる」必要も

もはや、ない。

 

あなたの起こす

波紋を

皆、待っている。

 

胸を張って

先頭を走れば

いい。

 

・・・・・・

 

もうすぐあなたは

無我夢中に

なるだろう。

 

自分がわからなく

なってしまう

くらいに。

 

それでいい。

 

自分を見失うくらいに

前に進め。

 

加速せよ。

 

・・・と

あえて言おう。

 

きっと

新しい世界と

出会えるよ。

 

つづく

 

これまでは準備に過ぎない

 

進む人。

進まない人。

 

その差が

またさらに

顕著になった。

 

この一ヶ月での

ことだ。

 

進まない人は

本当に

止まってしまった。

 

恐らく、

テコでも動かない

つもりなのだろう。

 

進む人は

サポートがなくても

勝手に

進んで行く。

誰もが、

最大加速を

楽しんでいる。

 

進めば

楽し。

止まれば

苦し。

 

という

これ以上ない

くらいに

シンプルな原則が

あるのだが、

それが

あまりにも見事に

現れてきている。

 

・・・・・・

 

私自身も

またさらに

加速しようと

思っている。

 

今、

一年前の手帳を

見てみたのだが、

 

この一年で

随分と

加速を続けてきた。

 

一年前の自分が

とてものんびり

しているように

感じられる。

 

だが恐らく、

一年後の自分が

今の自分を

振り返ると、

 

「止まっていたのでは

ないか」

 

と思うくらいの

加速を、

これからしてみようかな

思っている。

 

・・・・・・

 

これまでの

自分は、

準備段階の

自分であった。

 

これからが

本番だ。

 

・・・と

毎年思っている

気がする。笑

 

が、

私はそれでいい

とも思う。

 

これまでは

準備段階に

過ぎなかったんだ、

と思えるくらいの

加速を

続ければいい。

 

そこにこそ、

人としての

本質的な悦び

がある。

 

人生、丸51年。

今日から、

52年目の日々が

始まる。

 

つづく

 

怖がらずに加速せよ

 

進むスピードも

ある限界を

超えると、

 

まるで

静止しているような

感覚に

なる。

 

そこには

永遠の静寂

すら

感じる。

 

実はこれが

最も

安定した

状態だ。

 

多くの人は

スピードを

出すことや、

加速することを

怖がる傾向に

ある。

 

特に、

これまで

経験したことのない

スピードや

加速感は

極度の恐怖を

呼ぶ。

 

しかしそれは

である。

 

その恐怖は

幻。

 

実在

ではない。

 

つまり

どこまでいっても

反応本音レベルの

ものでしかない。

 

私達は

本能的に

知っているのだ。

 

どこに

本当の

安定と安心が

あるか?

ということを。

 

・・・・・・

 

加速をするときは

確かに

エネルギーが

必要かもしれない。

 

しかし

一度スピードに

乗ってしまえば、

あとは

それに身を

委ねるだけだ。

 

スピードに

乗ることで、

私達は

余分な力を

抜くことができる。

 

本当に

必要な時に

必要なだけ

力を込めれば

よい。

 

それは

非常に楽チンな

状態である。

 

短絡的に

あえて言えば、

スピードに

乗ってしまえば、

こっちのもん

である。

 

・・・・・・

 

私がサポートに

入らせていただく

企業様は

ほぼ必ず、

 

次のステージに

進もう

 

という強い

意志を持つように

なる。

 

もちろん

私が強引に

そうさせている

のではない。

 

むしろ私は

私の嗅覚で、

そういった企業様に

近づいて

行っているのだと

思う。

 

そういう組織に

関わり、

真本音度合いを

高めていけば、

その組織は

ほぼ間違いなく、

 

不安定期

 

に入る。

 

しかしこれは

決して

悪いことではない。

 

急加速する

前兆だ。

 

未知の領域に

入る決意が

高まるとき、

 

人も組織も

不安定になる。

まぁ、

当たり前の

ことだ。

 

人も組織も

不安定になれば、

多くの場合、

 

止まろう

とする。

 

ここで

「慎重に物事を

進めましょう」

などという

サポートをするならば、

 

そのコーチは

害にしか

ならない。

 

そこでこそ、

 

「もっと前に!」

 

と、

後ろから

お尻を蹴飛ばす

くらいの勢いで

サポートする人こそが

本来の

「コーチ」だ。

 

それができる

人は、

残念ながら

まだまだ少ない

ようだ。

 

なぜなら、

コーチその人も

急加速や

未体験を

怖がるから。

 

しかし

それではもう、

道は

開かないのだ。

 

・・・・・・

 

未知の領域、

未知の次元、

そして

未知のステージに

進もうとしている

人と

組織が

今、

急増している。

 

それを私は

実在のレベルで

強く

実感している。

 

しかし

それを後押しする

「コーチ」が

足りない。

 

圧倒的に

足りない。

 

今のままでは

間に合わない。

 

つづく

 

さぁ、進みましょう

今は

加速すべき

時です。

 

もし

迷っている人が

いるとすれば、

私は必ず

そうアドバイス

するでしょう。

 

今はもう、

止まっている

時では

ありません。

 

準備は

整っています。

 

あとは

必要なのは

前に踏み出す

勇気のみ。

 

勇気を出せた

人は

一気に進み、

 

勇気を出せなかった

人は

ずっと止まり続ける。

 

その

わかりやすい

二者択一の

どちらを選ぶかによって

恐らく、

今後の何十年かの

人生展開が

根本的に

変わるでしょう。

 

それくらいに

今の

世の中全体の

「潮流」は

重要な時を

迎えています。

 

・・・・・・

 

私は

進むべき価値のある

人間でしょうか?

 

そのような

問いを受けることが

あります。

 

いやいやいや、

それを決めるのは

あなたでは

ありません。

 

それに、

それを決めるのは

今では

ありません。

 

むしろ、

もし自分の愚かさを

知っているので

あれば、

それはチャンス

です。

 

本当に愚かなのは、

自分の愚かさを

自覚していないこと。

 

愚かさを知る者は

ちゃんと

「観えている」

のです。

 

そして、

観えている人

こそが

加速できるのです。

 

自分の価値は

人生の最期の

瞬間くらいに、

きっと自然に

わかるでしょう。

 

・・・・・・

 

あなたの中に

夢や希望が

ありますね。

 

それは

「幻影」

ですか?

 

それとも

「実在」

ですか?

 

もしも

「実在だな」

と思えるのならば、

すぐにでも

加速を

始めてください。

 

今は

本当に

チャンスです。

 

今、始めなければ

いつ始めるの?

というくらいの

チャンスです。

 

それは

あなた自身が

本当は

最もよくわかっている

はず。

 

あなたの中に

確信は

あるはず。

 

そこに素直に

進んでください。

 

勇気とは

今のこの時の

ために

あるのです。

 

つづく

 

もう妥協の自由から抜けませんか

私達はなぜそこまでして

『超加速』を望むのか?

(→前回記事)

 

そのもう一つの答えは、

私達は「自由」になりたいからです。

 

真の「自由」を手に入れたいのです。

 

しかし、

真の「自由」とは何か?

をわかるようでわかっていないのが

現在の私達かも知れません。

 

「自由」とは何か?

これも私の30年来の探究テーマですが、

でもよくよく考えると、

このテーマは、人類共通かも知れません。

 

「自由」を実現しよう、とすることが

人類の根本欲求の一つであり、

そしてそれは「進化」を望むことと

恐らくイコールです。

 

「自由」については、

様々な視点からいろんな議論ができると

思いますが、

ただ、ここで私が確信を持って

お伝えできることが一つあります。

 

それは、

真の「自由」とは

進む者しか手に入れることはできない

ということです。

 

しかもその進むスピードとは、

私達の真本音が望むスピードです。

 

つまり、

真本音の望むスピードで進むことにより、

私達は真の「自由」を実感できる、

ということです。

 

私達は、

どれだけ現象レベル(現実レベル)で

「自由」を得ても、

本当の意味で満足することは

ありません。

 

環境的な自由を手に入れても、

必ず私達の心は何かによって

縛られるのです。

 

現象レベル(現実レベル)では、

どれだけ「自由」を求めても、

求めれば求めるだけ、

「自由」は遠のきます。

 

しかしその中で、

妥協してしまう人がいます。

「まぁこれだけ自由だからいいじゃないか」

と自分を納得させます。

 

それは、「妥協の自由」です。

 

真の「自由」とは、

私達の魂も心も満たされるものです。

 

そしてそこには、「スピード」が

必須要因なのです。

 

「スピード」とは、

人生を進めるスピードであり、

進化するスピードです。

 

真本音で

「今、こうしよう」と思ったことは、

今、行動に移すのです。

 

それを一瞬でも後回しにしたら、

その時点で、真の「自由」からは遠のきます。

 

しかし本当に

決めたことを決めた通りに

決めたタイミングで行なうことができれば、

その瞬間、私達は真の「自由」を得ます。

 

その連続が、

「自由な人生」となります。

 

それをし続ける人は、

本人が意図せずとも自然に

「超加速」をしているでしょう。

 

つまり「超加速」とは、

しなければならないもの、ではなく、

自然にしているもの、であり、

それができている状態が「自由」です。

 

本人は極めて「幸せ」であり

「自由」なのです。

 

そしてそれは私達人間が最も

「安定」を感じている時でもあります。

 

「超加速」とは

それをする前の私達にとってみれば

とても怖いことかも知れません。

 

しかし、いざ「超加速」してみれば、

それが最も安定であり安心なのです。

 

私達の真本音は

そういった、最も安定で安心の道を

行こうとしているのです。

 

つづく

 

その空虚感はどこから来るのか

『超加速』

・・・それは、新たな自分との出会いです。

 

しかし「新たな自分」と言っても

別物の自分になるわけではありません。

 

「本来の自分」を取り戻す、

ということです。

(→前回記事)

 

ではなぜ私達は、

そこまでして、「超加速」をしようと

するのか?

 

なぜそこまでして

「本来の自分」を取り戻そうと

するのか?

 

まず最も単純な答えは、

それこそが、幸せだからです。

 

私達は、「本来の自分」を取り戻すために

生まれてきた、と言っても過言ではありません。

 

そのためにわざわざ、

「本来ではない自分」として

ここにいます。

 

わざと「本来ではない自分」として現れ、

「本来の自分」に戻っていく。

それをすることで、

「本来の自分」を進化させることが

できるのです。

 

その「進化」こそが、

私達の根本的な欲求であり、

本能の中心に位置するものです。

 

「人間は進化のために存在する」

と言い切っても良いのではないか、と

私は多くの方々と徹底的に向き合う中で、

そして自分自身と徹底的に向き合うことで

知ることができました。

 

「進化の過程にいる」という実感を得ることで、

私達は「根本的な幸せ」を

感じることができます。

 

何かが足りない。

どうしても空虚感が拭えない。

どれだけ現実が幸せな状態になっても

満たされない。

・・・それらはすべて

「進化」の実感がないからです。

 

「進化」の実感がないことで、

私達は生きる意味を見失いなす。

虚脱感や虚しさに

苛まれるのです。

 

単純なことなのです。

 

ですから、2018年以降は、

皆が一気に「本来の自分」を取り戻し、

進化を遂げ、

進化した自分としてさらに先に進もう、

・・・そう考えています。

そしてそのために、

今、何をすれば良いか?

の答えが、私達の真本音の意思です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

その問いを常に、

自分自身に投げ続けることです。

 

「思考する」のではなく、

「自問自答する」のです。

 

つまり、

頭の中で理論的な答えを無理に

見つけるのではなく、

・自分に問いを投げ続け、

・自然に浮かぶ答えに

・素直に動く

のです。

 

さて、

私達はなぜ、「超加速」しようと

しているのか?

その答えは、

他にもあります。

 

つづく

 

これまでの延長線上から逸脱しよう

『超加速』についてのお話を

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

「超加速」を

少し別の視点から表現しますと、

私達は、これまで自身が現してきた

「最高の自分」を

大きく超えようとしている

という言い方もできます。

 

これまで自分自身が

発することのできた最高の輝き。

最高の魅力。

最高の力。

 

それらを大きく

逸脱しようとしています。

 

これまでとは次元の異なる

自分自身を

この世に発現しようとしています。

 

ですので「超加速」とは、

これまでの延長線上のお話では

ありません。

 

喩えて言うならば、

これまで地上を走り回っていた私達が

「超加速」をすることで、

空を飛べるようになる、とか。

 

これまで地球上を飛び回っていた私達が

「超加速」をすることで、

大気圏を突破し、ついには宇宙に

出てしまう、とか。

 

これまでの「世界」を完全に

逸脱するのが「超加速」です。

 

そのため、加速の仕方は、

過去の私達の経験則の中には

存在しません。

 

「これまではこのようにやってきたから」

という過去のやり方を参考にしているようでは、

「超加速」は決してできません。

 

「これが私だから」という

これまでの自分に固執しているようでは、

「超加速」はできません。

 

まったく新しいやり方、

まったく新しい在り方、

まったく新しい行き方、

それらを実践する者こそが

「超加速」をします。

 

そのためには、

私達は私達自身の真本音に

委ねるしかありません。

 

すべての答えは、

私達の真本音がわかっていますから。

 

とはいえ、

真本音というのは、もちろん

「私以外の何か」ではありません。

例えば神様のような存在が

私達を導いてくれるわけではありません。

 

真本音とは、

本来の私、です。

 

本来の自分自身の意思に

耳を傾けるということです。

 

つまりは、

「超加速」とは

本来の自分自身の望む生き方を実践する

ことにより成されます。

 

そのための最も基本的な問いが

あります。

 

それは単純です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

・・・です。

 

本当の自分の意思をキャッチしてください。

そして今この瞬間、

その意思に素直に動いてください。

 

動かなければ、

何の意味もありません。

 

想いだけをどれだけ持っていても

行動に移さなければ

何もないのと同じです。

 

その、行動に移せるかどうか、こそが

「超加速」できるかどうか、の

境目です。

 

あぁ今、私はこれをしようと思っている、

とわかったその瞬間に

行動に移すことです。

 

ほんのわずか、遅れるだけで

もうそれは「超加速」とは

言えません。

瞬発力が

大事なのです。

 

ではなぜ、

そこまでして「超加速」を

しなければならないのか?

 

その答えは

明確です。

 

つづく

 

加速を超えた『超加速』をしようとする人がいる

焦りは禁物。

・・・こんな言葉があります。

 

確かにそうです。

 

焦ることで逆に、

物事の進展は著しく遅くなります。

 

しかしその一方で、

私達は「加速」をしなければ

なりません。

 

「しなければなりません」と書くと、

しなければならない義務という

受け取り方になるかも知れませんが、

そうではなく、

今、多くの人達の真本音が

「加速」を強く望んでいます。

 

真本音の望みを叶えるためにも、

真本音の望み通りに進まなければ

ならないのです。

 

「加速」と言うと、

ちょっと怖い気がしますか?

 

実際にその多くは、

怖さが伴います。

 

今は、自分自身が経験したことのないような

激しい「加速」を望む人が多いですから、

それは、挑戦です。

 

まるで未開の大地に入るようです。

 

あまりに凄い加速なので、あえて

『超加速』

と呼んでもよいでしょう。

 

実は、2017年は、

その「超加速」に挑戦しながらも、

あまりの怖さのために反対に

止まってしまった人が多かったのです。

 

止まった人達は皆、一様に

激しく後悔しています。

 

一度、止まってしまうと、

再び進み始めるのには相当の

時間とエネルギーが必要だからです。

 

もう一度始めからやり直しのような

事態になり、

止まってしまった自分を責めながらも

しょうがないので、

本当にゆっくりゆっくりと進み始めています。

 

私達はこれまでの人生を辿りながら、

今、私達の真本音の望む「超加速」を

するための準備をしてきました。

 

2017年は、

何割かの人達が「超加速」に

挑戦しましたが、

それはまだ全体で言えば、

ほんのわずかな人数です。

 

2018年は、

一気に多くの人達が

「超加速」に挑戦します。

 

それをサポートするのが、

私の役割であり、2018年のテーマでも

あります。

 

この文章をお読みいただき、

あぁその「超加速」をする人というのは、

私のことかも知れないな、

と、

ほんのわずかでも思ったとしたら、

ほぼそれは、間違いありません。

 

そういう方々に

私はまずは、お伝えします。

 

焦りは禁物です。

 

「超加速」をするからこそ、

リラックスをしましょう。

 

顕在意識のレベルで、

気負ったり、変な気合いを入れてしまうと、

逆に心も体も固くなります。

 

大切なのは、

自分自身に委ねるように

することです。

 

私達の発想と行動は、

私達自身の真本音が

導いてくれます。

それに

委ねるのです。

 

そして、

えっ? なんで私はそんな行動を

とろうとしているのだろうか?

と、

これまでの自分のパターンとは

まったく異なる選択を

自分がしようとしているときは、

それを客観的に楽しんでください。

 

心はリラックスしながら、

一つ一つを楽しむ。

 

それをし続ける人こそが、

「超加速」に乗れる人です。

 

そうなんです。

「超加速」とは、

とてつもなく、楽しいものなのです。

 

つづく

 

実は、タイミングがすべてかも

物事には最善のペースがあります。

 

ゆっくり進む方が良い時と、

一気に加速した方が良い時と。

 

ゆっくり進む方が良い時は、

「待つ」ことが必要となります。

どれだけ気が焦っても、

そこで待てるかどうか。

 

逆に、一気に加速した方が良い時は

多少強引でも、多少人の気持ちを無視してでも

スパートすることが必要です。

 

例えば、仕事の場合、必ず期限があります。

期限が一週間後に迫っていた場合でも、

あえてゆっくりと待った方が良いこともあります。

(もちろん期限は守ります。)

 

期限に余裕があったとしても、

今はスパートすべき、ということもあります。

 

「今、どのくらいのペースで

物事を進めれば良いか?」

 

実は、真本音度合いが高まると、

このペース配分に対する直観力が

極めて高くなります。

 

真本音というのは、決して理想論のことでは

ありません。

 

理想的な「想い」は真本音で、

現実は現実として、それとは別に進みましょう、

ということは一切ありません。

 

自分自身の真本音を大切にするということは

実に「現実的」な判断を、

今この瞬間に最善のスピードで下し続けることが

可能になります。

 

なぜなら、私達の真本音は「現実」を

大切にしているからです。

 

「現実に生きる」ことを大切にしているからです。

 

そして、「現実」とは「今」です。

 

自分の揺るがない「想い」と

今ここにある「現実」を

完全に繋ごうとするのが、

私達の真本音の最も大切にすることの一つです。

 

ですので、

真本音度合いを高めることによって私達は

「今この瞬間における最善の決断」を

し続けることができます。

 

それが、「物事の最善のペース」を

自然に創るのです。

 

この辺りの感性が、平井さんは素晴らしかった。

 

「今、動くべき」と感じた時の彼の瞬発力は

抜群でした。

 

少し前に、「今でしょ」という言葉が流行りましたが、

平井さんこそ、「今でしょ」の人です。

 

ただし念のために申しますが、

「今ではないな」と直観した時には、

平井さんは逆に、テコでも動きません。

そのメリハリが、実に真本音的で清々しいのです。

 

社長と平井さんの真本音を

社員の皆さんにぶつけよう。

(→前回記事)

 

そう決めた平井さんは、すぐに全社員さんを

集めました。

次の日に。

 

通常はあり得ない話です。

 

平井さんの会社の社員さんは、当時約50名。

そのほとんどの方が、現場に出ています。

今日の明日で、全員が集まるということは

普通では無理です。

しかも社長も忙しい人なのです。

 

しかしここが真本音の直観の面白いところ。

 

「今でしょ」の平井さんが、

「明日やる」と決めて動いたら、

すぐに「明日の夕方であれば、全員参加が可能」

ということがわかりました。

 

後から考えると、

本当に、あのタイミングしかなかった。

 

あれを外していたら、

恐らく、その後の展開は大きく変わっていたでしょう。

 

平井さんの組織活性化が成功した

一番のキーポイントは何ですか?と

今問われたとしたら、私は

「あの時、あのタイミングで、社員さん全員に

社長と平井さんの真本音の想いをぶつけることが

できたからです」

と答えるでしょう。

 

本当にあの日しかなかった。

一日変われば、もうこの流れは起きなかったかも

しれない、とさえ私は思います。

 

しかしこういったことは

会社経営においては実は、

日常茶飯事だと思います。

 

こういった「今でしょ」のチャンスを

ひょっとすると多く逃しながら経営をしている

可能性が、どこの企業にもあります。

 

真本音度合いを高めるということは、

そういったチャンスに、実に敏感になれる、

ということでもあるのです。

 

次の日の夕方。

平井さんの会社の一番広い会議室に

全社員さん達が集まりました。

 

社員さん達の前に、

社長と平井さんと私の3人が並んで

椅子に座りました。

 

皆さんの前で、

私が社長と平井さんのコーチングを

するのです。

 

そうです。

お二人の真本音のぶつける、とは

お二人が社員さんに向かってメッセージをする

のではありません。

いつも行なってきたお二人へのコーチングを

社員さんの前でそのまま行なうのです。

 

つまりは、

公開型のコーチングです。

 

つづく