- ホーム /
- 2018年 9月
真本音度合いが
高まると、
「出会いの感覚」
にすごく敏感に
なれます。
例えば私の場合、
知り合いの経営者から
ある社長さんを
ご紹介いただいたと
します。
その社長さんと
初めてお会いした
その瞬間に、
「あっ、この人の会社には
私の出会うべき人が
いるな」
と直観します。
すると、
もう一歩その社長さんに
近づきたいな、
とか、
もう一歩その社長さんの
会社のことを知りたいな
とか、
そんな気持ちに
自然になります。
で、その通りに
していると、
気がつくとその会社の
サポートに入らせて
いただく展開となります。
そしてそこで
本当に「出会い」が
起こります。
よく
「赤い糸で繋がっている」
という言い方をしますが、
実在のレベルでは
それは本当に
あります。
その「赤い糸」に
敏感になるには、
自分自身の真本音に
素直に生きることです。
・・・・・・
出会うべき人とは
出会った瞬間に、
「あっ、この人だ!」
とわかるケースが
ほとんどですが、
時々、
わかるまでに
時間のかかることも
あります。
その場合は
自分自身の真本音が
わざとそのように
しています。
恋愛に喩えれば、
会った瞬間に
一目惚れするケースと、
じっくり時間をかけて
関係を育て、
その結果
「この人のことが大好きだ」
と実感できるケースが
あるのと同様です。
どちらが良い悪い
ではなく、
どちらも必然です。
そういったプロセスを
楽しむことが
大切です。
でもいずれにしても
その大切な人とは
出会わなければ
何も始まりません。
・・・・・・
時々、
人との出会いを求めて
生きている人が
いますが、
残念ながら
出会いを目的にしている
うちは、
本当に出会うべき人とは
出会えません。
赤い糸の人とは
出会えないのです。
まずは、
自分自身の人生を
しっかりと
生きること。
自分の真本音の道を
進むこと。
その道の途上に
必然的に
出会いは起こります。
その道を行かずに
出会いばかりを
求めれば、
本来の道から
外れてしまいます。
外れれば
一生出会えなく
なります。
出会いを求めるのは
その時点で
依存です。
自らの人生は
自ら創り上げていく
という自立心と
自律心を持った人に
出会いは起こります。
・・・・・・
私はおかげさまで、
本当にわかり合える
人達が
周りにたくさんいます。
いつの間に、
こんなにも
満たされた人生に
なれたのだろう?と
びっくりします。
以前の私は
ずっと孤独でした。
私のことを
本当に理解してくれる人は
世の中には一人もいない、
と信じていました。
人間なんて
わかり合えないのが
当たり前。
わかり合うなんて
ことを求めること自体が
間違いだと
ずっと信じていました。
それが本当に
どうしたことだろう、と
心の底から
びっくりです。
こういった状態を
創りたい、と
求めたわけでは
ありません。
自分の真本音に
素直に、
一日一日を、
そして
一刻一刻の時間を
過ごすようになった
だけのことです。
以前は
敵ばかりでした。
でも今は、
本当に仲間に
恵まれています。
理解者が常に
一緒にいてくれます。
みんな
そうなるといいな、
と思います。
新たに
企業様のサポートに
入ると、
孤独な人がそこには
たくさんいます。
皆、
自ら孤独の中に
入り込んでいます。
以前の私と
一緒です。
勿体ないなぁ、と
本当に思います。
私がその孤独を
癒してあげよう、
などと
おこがましいことは
思いません。
私にできることは
丁寧に
一歩一歩、
そういった人達と
真本音で関わる
ことだけですね。
つづく
進もうとする人。
進もうとしない人。
この二極化が
激しくなって久しい
ですが、
恐らく10月からは
さらに激しく
なるでしょう。
進もうとしない人は
進もうとする人の
足を引っ張る度合いを
高めるでしょう。
進もうとする人は、
これまで以上に
パワーを高め、
足を引っ張られても
ますます平気に
なっていくでしょう。
すると、
進もうとしない人は
ますますクサってしまい、
心を閉ざして
しまうでしょう。
ますます
進まなくなり、
孤独になって
いくでしょう。
そういった人達が
一人もいなくなってほしい
と私は願いますが、
現実はなかなか
そうはいきません。
・・・・・・
進もうとしない人を
進むようにサポート
することは
極めて困難です。
なぜなら
進むかどうかは、
最後は本人が
決めることですから。
刺激やきっかけを
他者が与えることは
できても、
最後は本人が
決めます。
本人が
「進まない」と
決めたならば、
その人は頑として
動きません。
超能力を使っても
無理でしょう。
人間は
そのようにできています。
ただ・・・、
本人に進む意志が
あるにも関わらず、
進めない人も多いです。
本当は
ほとんどがこの
パターンです。
今は進んでいなくとも、
本人に
本当の意志があるならば、
何とかなります。
そういった人には
他者からのサポートも
効きます。
時間はかかるかも
しれませんが。
・・・・・・
組織のサポートにおいては、
この
①進もうとして進む人
②進もうと思っても進めない人
③進もうとしない人
の3つの区別をつけることが
重要です。
そしてまずは、
①の人を徹底的にサポート
します。
一般的には
①にはもうサポートは
必要ない、と
思われがちですが、
まったく逆です。
①の人にこそ
サポートが必要です。
特にこれからの時代は。
①の人達が
これまで以上に凄いパワーを
持ち、
これまで以上の加速を
始めることで、
組織全体には大きな
インパクトが起こります。
それにより
組織そのものが
パワーを高めます。
それにより、
②の人達が自然に
進めるようになったり
するのです。
全員ではありませんが。
ひょっとすると、
③の人が②に変化する
可能性も出てきます。
これが
組織サポートの
基本です。
・・・・・・
私はまずは
①の人達に、
徹底的に
セルフコーチングの力と
真本音コミュニケーションの
力を
身につけてもらいたいです。
すると、
その人自身はもとより、
組織全体の次元が
高まり始めます。
①の人が次々に
増え始め、
その人数が全体の
1割を超えると、組織は
脱皮を繰り返すようになり、
変質します。
その状態を
引き起こすのが
私の役割です。
そしてこれは
組織だけでなく、
社会においても
同様のことが言える
のではないかと
私は思っています。
そういった意味で
私は
私と同じことのできる
コーチを
増やしたい。
そう強く
願います。
それは
「人」だけでなく、
「組織」にも影響を
与えられる
コーチです。
そんなコーチ育成の
動きを、
再びとっていこうかなと
考えています。
つづく
誰の心の中にも、
「私が今ここにいる意味」
が必ずあります。
よく、
「私はここにいる意味がない!」
と、
自分の存在意義が
見えなくなるケースも
ありますが、
それでも、
「ここ」にいるということは
必ず、
「ここ」だからこその
意味があります。
それがわからないのは、
その環境がいけない
のではなく、
自分自身の
「ここ」での生き方
が、何かずれて
いるのです。
これは、
会社ということでも
言えますし、
「人生」そのものに
おいても
言えることです。
・・・・・・
今ここで
私は、
ここでこそすべき
生き方を
実践できている
だろうか?
という問いは
とてつもなく
重要です。
この問いの答えを
知るための
最も良い方法は、
自分の
魂が悦んでいるか?
を確認することです。
私達の(「心」ではなく)
「魂」は、
自分の望む生き方
と
自分の実際の行動
が
一致するほど
悦びます。
一致しないほど
苦しみます。
その苦しみは
私達が想像している
以上に大きなもの
です。
今、自分の「魂」が
悦んでいるかどうか?
をチェックすることは
人生においても
仕事においても
必須のことであると
私は思っています。
チェックの方法は
慣れれば簡単です。
・・・・・・
自分のおへその奥の
体の中心と、
頭のてっぺんの
中心を
一本の線で結ぶ
イメージをします。
それが体の
中心軸
になります。
その中心軸を
さらに頭のてっぺんから
上の方に上の方に
伸ばしていく
イメージをしてください。
ずっとずっと上に
伸びて、
空とか宇宙までに
到達するくらいに
伸ばします。
まずはこれが
簡単にできるかどうか?
です。
もちろん
慣れているかどうかも
ありますが、
何度やっても
これが上手くいかない
場合は、
その人の魂は
悦んでいません、
ということになります。
魂の元気さが
なくなっているのです。
そして
そのイメージが
上手くできた場合は、
今度は、
空まで伸びている
中心軸そのものを
しっかりと意識しながら
感じ取ってください。
例えば、
その太さとか、
輝き度合いとか、
まっすぐ度合い
とか。
中心軸を
じーっとしばらく
感じ取った時に、
感じ取れば
感じ取るほど
自分が
居心地よくなるかどうか?
をチェックします。
中心軸を感じていると、
すごく安心する。
心が安定する。
心がやすらぎ、
何となく
心が毅然と
してくる。
・・・というように
思えるならば、
その人の魂は
悦んでいます。
居心地が
悪くなったり、
不安になったり、
不安定になったり、
途中でだんだん
中心軸が消えてしまったり、
する場合は
その人の魂は
悦んでいません。
いずれにしても
中心軸を感じながら、
ゆっくりと
自分自身に問うて
ください。
私が、
ここでこそすべき
生き方とは
何だろうか?
私は
生き方を
修正した方が
よいだろうか?
修正するとしたら、
何をどのように
変化させると
よいのだろうか?
など。
自分の望む
生き方と、
自分の実際の
行動や振る舞いを
一つ一つ
丁寧に
一致させていく。
これこそが、
私達が本質的に
元気になれる
最も自然な方法
です。
そして、
魂が悦ぶことで、
私達は自然に
「私が今ここにいる意味」
を知ることが
できるのです。
つづく
人が
人として
最も魅力的なのは、
「進もうとする意志」
に素直に生きている
時なんだな、
と、
やはり私は
つくづく思います。
現時点での
自分のレベルが
どうであるか?
よりも、
今、どれだけ自分が
進化に対して
真剣か?
やはりここに
尽きるのだと
私は思います。
本日、
『ザ・セルフ』
という新しい講座が
始まりました。
始まりというのは、
やはり
いいですね。
これまで
進んで来たけれでも、
さらに加速して
進みたい人。
これまで
進もうとして来たけれど、
それが叶わず、
自分がどの方向に
進めば良いか?が
わからない、
しかし、
それをとにかく見つけて、
進みたい!と
願う人。
いずれにしても
進化に対して
とても真剣です。
そういった人達と
共に過ごす場は、
やはり
とてつもなく
私は幸せです。
『ザ・セルフ』は
恐らく、
私のライフワークに
なると思います。
本当にまだ
始まったばかりで、
これからが
試行錯誤の繰り返し
でしょうけども、
この講座自体が
様々なカタチに進化
しながら、
広がり深まって
行くのだと思います。
赤ん坊が
生まれた感覚。
この赤ん坊を
これから皆さんと共に、
ゆっくりじっくりと
育てて行くつもりです。
・・・・・・
今年は私は
株式会社真本音を
立ち上げました。
そして今回、
新たな講座も
始まりました。
さらに、
新しいクライアント企業様での
サポートも
何社か始まっています。
今の私のテーマは、
「始めよう」
なのだと思います。
ですから、
さらにこの後も
様々なことを
始めます。
実は、
最近、一つ新たな夢が
できました。
もちろん、本当は
その夢は
私の中に最初から
存在していのだと
思いますが、
それがほんの
数日前に
顕在化しました。
その夢は
私のもともとの
人生ビジョンと
直結するものです。
夢が顕在化
したことで、
新たな理念も
言語化できました。
新たな私として
日々が
始まっています。
こういった
毎日は、
本当にヒリヒリするくらいに
楽しいですね。
つづく
人や組織のサポートを
させていただく時に、
私がいつも
最も気をつけている
ことは、
私自身の意図を
まったく持たない、
ということです。
これは本当に、
まったく
持たないです。
私が意図を持ったら、
その時点で、
あらゆるサポートが
意味を成さなく
なるでしょう。
もちろん私は
クライアント企業の社長から
「こうしてほしい」
というご要望を
たくさんいただきます。
例えば、
「売上の上がらない
管理職を
売上を上げられる状態に
してほしい」
など。
当然のことですが、
「結果」を
求められます。
そして私も当然ですが、
「結果」を
とても大切にします。
「結果」が出なければ
意味がない
とすら思っています。
しかし、
だからこそ、
私は、私自身の「意図」を
すべて手放します。
・・・・・・
ご要望は
すべて受け取ります。
私自身に
しっかりと
インプットします。
ご要望そのものと
「一体化」
します。
その上で、
私は「意図」を
手放します。
「意図」を手放すことで
私は完全に
「自由」
となります。
その状態で私は
すべての方々と
向き合います。
すると、
私が向き合う方々も
徐々にですが
「自由」となっていきます。
「自由」とは、
「真本音が自由となっている」
状態を言います。
私は
皆さんの真本音を
「自由」な状態に
したいのです。
そのために、
まずは私自身が
「自由」になります。
すると「自由」は
目の前の人に伝播し、
その人の真本音も
「自由」となります。
・・・・・・
私の「自由」と
目の前の人の「自由」。
自由と自由が
向き合う状態。
この状態を
創り上げるのが、
まずは私の目指す
ところです。
人は
本当に自由になると、
二つの面白いことを
起こします。
一つは、
「自分のすべきことを
しっかりしよう」
となるのです。
迷いなく、
淀みなく。
そして
もう一つは、
「目の前のこの自由な人を
私は活用しよう」
となります。
その瞬間から、
「たけうちがその人を
コーチングする」
という場が
本質的に変化し、
「その人が
たけうちを活用する」
という場になります。
そうなったらもう
あとは、
その人の真本音に
委ねるだけ
です。
そうなるとその人は、
自分自身の真本音に
基づいて、
現実と向き合い、
現実に対して
必要な行動を起こし、
自分が望み、かつ
周りも望む結果を
自ら生み出すようになります。
私がどうこう
引っ張る必要は
まったくありません。
勝手にその人が
現実を創っていくのです。
ということはつまり、
私は私の「意図」を
挟む余地が
どこにもないのです。
私が何かの思惑を持ち、
その方向に
引っ張る必要は
まったくないし、
それをすればするほど、
それは
「その人自身の場」ではなく
「たけうちコーチの場」
になってしまいます。
そして当然ですが、
もしそうなってしまった場合、
望む結果は
出るはずがありません。
・・・・・・
中途半端な自由は
ただのわがままに
なります。
それは
反応本音レベルの
自由です。
それは実は
本当は自由ではなく、
わがままという名の
束縛でしかありません。
人は
本当に自由になれば、
そして
本当に真本音で生きれば、
自分が
すべきこと、
周りから求められていること、
に対して、
本気で応えようとします。
束縛されて
そうしようとするのではなく、
自由な状態で
本気でそうしようと
思うのです。
なぜなら私達人間は、
「自分だけの幸せ」
よりも、
「自分も周りも幸せになる」
ことに
本質的な悦びを感じますし、
「自分が起点となって
周りが幸せになっていく」
ことに
無上の悦びを
得るからです。
それが
人の本質。
私はその本質を
どこまでも
大切にしたサポートを
したいのです。
つづく
あぁ、私は
もう、すべてを
知っているんだなぁ・・・。
しみじみと
そのように実感
することは
ありませんか?
すべての答えは
自分の中にあるし、
自分の人生において
どのようなタイミングで
何を始めれば
よいのか?
そして、
何を終えれば
よいのか?
何を手放せば
よいのか?
どこで
加速すれば
よいのか?
どこでいったん
止まれば
よいのか?
誰と出会えば
よいのか?
誰と離れなければ
ならないのか?
何を目指し、
どのような
試行錯誤をし、
どのような学びを
次に活かせば
よいのか?
・・・そういった
様々な
自分にしかわからない
人生の選択の
答えは、
やはり
自分の中に
明確に存在するのだなぁ、
と、
しみじみと
自覚する瞬間。
その瞬間、私達は
自分の中に
確かに存在する
始めから
存在する
「覚悟」のようなものを
感じ取ることも
できます。
その覚悟とは、
自分自身との
「約束」を果たす
覚悟です。
・・・・・・
今、
私がしようとしている
この選択は、
私自身との
「約束」を
果たすことに
繋がるのだろうか?
という問いを
常に自分自身に
投げ続けることは
とても有用です。
思えば、日々、
私がやり続けている
自分への問いは、
極端に言えば、
要するにこの問いに
集約されるのかも
しれません。
それくらいに
重要な問いです。
ただし、
やはりここでも
念のために申しますが、
約束を果たす、
というと
実に窮屈な感じが
するかもしれません。
しかしそれは
まったく逆です。
あぁ自分は今、
自分自身との約束を
果たし続けているなぁ、
と思える
安堵感。
そして
安心感。
そして
充実感と
満たされ感は、
他のあらゆる喜び
よりも
勝るものでしょう。
さらには、
約束を果たしていると
実感できる毎日は、
イコール
「調和の毎日」
でもあります。
あらゆる物事が
必要な時に
必要な形で
起こるようになります。
出会いや別れ、
試行錯誤や気づき、
達成や未達成。
それらすべてが
最も良い形として
現れます。
・・・・・・
よく、
「自分のために生きる」
という言葉が
使われますが、
私は、
「自分のために生きる」
とは、
「自分との約束を
果たすために生きる」
ことであると
思っています。
そのためには、
自分との約束を
思い出さなければ
なりませんね。
真本音で生きる
とは、
約束を思い出す
生き方にシフトする、
ということでも
あるんですよ。
つづく
人は一気に
「花開く」
ことがあります。
これまでのその「花」は
閉じていたのですから、
「花」が開けば、
その人はまるで
別人に生まれ変わった
かのように
周りからは見えます。
もちろんそれは、
ただその人の中に
眠っていたものが
開いただけのこと
ですから、
その人は
その人のままです。
別の存在に
なるわけでは
ありません。
しかも当の本人は
自分が大きく変化した
という自覚を
まったく持たないケースさえ
あります。
昨日までの自分と
今日の自分は
何も変わらない。
と本人は
思っているのに、
周りからは
「あの人、生まれ変わった」
と見られるのです。
人の面白さと
人間関係の面白さは
こんなところにも
あります。
・・・・・・
「私、花開きたい!」
と本人が意図している
うちは、
残念ながら
本当の意味で「花開く」
ことはありません。
よく
「私はこんなところが
変わりました!」
と喜び勇んで
報告してくる人がいますが、
残念ながらその多くは、
自己アピールの域を
出ません。
とはいえそれが
いけないことであると
私は思っていません。
自己アピール自体は
全然OK。
ただ、
自己アピールに余念の
ない人が、
肝心の「花開く」チャンスを
自己アピールのために
逸してしまっている場面も
多く拝見しました。
そうならないといいな、
とは思います。
・・・・・・
人が本当の成長(進化)を
遂げているときは、
その人の意識は
「自分」には
向いていません。
その人の意識は
内側へは向いていません。
常に
「外」に向かっています。
「社会」に
向かっています。
この世の中で
自分がすべきことや
本当にしたいことに
集中しています。
しかしこういった書き方を
すると
次のような誤解も
生まれやすいです。
「ということは、
自分とは向き合わない
方がいいのか」
「周りのことだけを
考えればいいのか」
というような誤解です。
これについては
まったく逆です。
自分自身と
向き合い続ける人ほど、
社会とも現実とも
向き合えるのです。
本当に
自分と向き合っている
人は、
自分の素敵な部分も
自分の素敵ではない部分も
すべてを
「あるがまま」に
捉えることができます。
それが本当にできると
実に面白いことが
起こります。
つまりは、
そこまで自分と向き合うと、
「自分のことなど
どうでもよくなる」
のです。
成長しようが、
しまいが。
プラス指向だろうが、
マイナス指向だろうが。
元気があろうが、
疲れていようが。
「どちらでもいいや」
となるのです。
そして、
「それよりも
自分のやるべきこと
やりたいこと
を粛々と進めよう」
となるのです。
この状態こそが、
意識が外に向いている
状態です。
逆に、
自分自身と
中途半端にしか
向き合っていない人は、
多くの場合、
自分の都合の良い
部分にしか
目を向けなくなります。
ということは、
自分の見たくないものには
フタをします。
そして
フタをしている自分を
本当はよくわかりながらも
それを
誤魔化そうとします。
誰に対して誤魔化すかと
言えば、
自分自身に対して
誤魔化そうとします。
その結果、
「私はこんなところが
成長できた!」
という自己アピールに
なったり、
「私はこんな
社会貢献をしている!」
という、
これも自己アピールに
過ぎない状態と
なったりします。
つまりこれは、
意識が内側に
向かっている状態です。
内側を誤魔化すために
外に向かう
フリをしているのです。
当然ですが、
本当に意識が
外に向かっている人は
外(現実)がよく
観えていますから、
結果として「調和」が
次々に起こります。
そして、
外に向かっているフリ
をしている人は、
きちんと外(現実」が
観えていませんから、
「不調和」が
起き続けます。
似て非なるもの。
この違いは
大きいですね。
・・・・・・
意識を外に向ける
ためには、
まずは徹底的に
自分自身と向き合う
こと。
私が
セルフコーチングを
推奨する理由は
ここにあります。
自分と向き合う
とは
現実と向き合う
と
同義語なのですね。
それができる人こそが
自然に花開きます。
そんな人を私は
増やしたいのです。
つづく
私達の人生は、
長くてもせいぜい
100年程度のものです。
ですからどうしても、
私達には
100年以上のスパンの
時間感覚や
視野の広さを
持つことができにくいです。
未来を考えると言っても、
2〜30年先というのは
遥か先のように思えますし、
日常における長期の視点
と言えば、
3年とか5年くらい
ではないでしょうか。
ましてや今は
時代の流れが速く、
変化も激しいですので、
来年の今頃の世の中を
イメージすることすら
困難になっています。
目先のことに
精一杯になる
私達。
目先のことに
精一杯になる
社会。
予測のつかない
人生。
予測のつかない
時代。
であるが故に
あえて、
1000年という
時間の流れを
感じてみませんか?
・・・・・・
1000年後の世の中を
イメージするのは
ほぼ、無理です。
もちろん
ファンタジーであれば
描けるかもしれませんが。
ですから無理に
描く必要はありません。
そうではなく、
「1000年の時」
そのものを
感じてみるのです。
・・・・・・
目を閉じて
ください。
そして自分が
どんどん巨大化する
イメージをしながら、
巨大化する
「感覚」を得てみて
ください。
どんどん巨大化
します。
大気圏を突破して
宇宙にまで
はみ出てもよいです。
地球よりも
大きくなっても
よいです。
太陽系よりも
銀河系よりも
大きくなっても
よいです。
宇宙そのものよりも
大きくなっても
よいです。
とにかく
巨大化する
「感覚」を楽しみます。
そして、
自分にとって
最も居心地の良い
大きさになれたら
そこでストップします。
無理に大きく
なり過ぎる必要も
なく、
「居心地の良い」大きさ
であれば、
どれくらいでも結構です。
その大きさのまま
今度は
目を閉じたままの状態で、
時間を
急速に未来に進めて
ください。
もちろん
そういったイメージを
すればよいのですが、
ただしやはり、
時間がどんどん進む
「感覚」を得ます。
3倍速、5倍速、10倍速
100倍速、1000倍速・・・
というように
どんどん時間の流れを
速くします。
そして
100年、200年、・・・
と時間を進めてください。
何度も申しますが、
「感覚」が大事です。
そして
「あっ今、
1000年先まで来たな」
と思えたら、
そこでストップします。
そこが、
1000年後の
未来です。
もちろん、
「感覚的に」ですが。
1000年後の未来が
どうなっているかは
考える必要は
ありません。
ただ、
1000年後のその
「感覚」だけを
しっかり味わってみて
ください。
もちろん今の自分が
1000年後も生きている
わけではありません。
ですから、
これを感じている
自分は何者か?
などを考える必要も
ありません。
ただただ、
1000年後の「感覚」
のみをしっかりと
感じ続けます。
しばらくそれを
していると、
その「感覚」が自分に
馴染んで来ます。
その「感覚」が
普通になって来ます。
そうなれたら今度は、
1000年前の自分に
想いを馳せます。
つまりは、
今現在の自分に
想いを馳せるのです。
1000年後の未来から
今の自分を想った時、
あなたは
今の自分を
どのように感じ取る
でしょうか?
そして、
今の自分に対して
どのようなメッセージを
伝えたくなるでしょうか?
・・・・・・
上記の方法を
「感覚」を大事に
何度かやってみて
ください。
すると「感覚」が
研ぎ澄まされて
来ます。
私がよく言う
「実在」
とは、
まずは「感覚」で
感じ取るものです。
本当は、
「感覚」すら超えた、
つまりは
脳の感知する五感を
超えた部分で
得られるものこそが
「実在」なのですが、
そこに至るまでの
最も近道が
「感覚」を研ぎ澄ます
ということなんです。
上記の方法を
イメージではなく、
「あるがままの感覚」
として
楽しめるようになると、
結構面白い
発想が生まれます。
それは、
今の私達の
100年という人生の枠
を超えた、
超然とした自分自身
からの
メッセージです。
つまりそれは、
高い次元の自分自身の
メッセージと
イコールなのです。
つづく
あなたは今、
どこに立って
いるのだろうか?
あなたは今、
どの方向を
向いているのだろうか?
あなたは今、
何を見ているのだろうか?
あなたには
高い理想がある。
その理想への
想いは深い。
しかしそうであるが故に
あなたは今の自分に
自信を失くしている。
理想と現実の
ギャップに
言葉を失っている。
我を
失っている。
そしてあなたは、
自分を
責めている。
こんな自分は
不甲斐ない、と。
自分のあまりの
力の無さに
茫然としている。
自分のあまりの
勇気の無さに
憤っている。
こんなはずでは
なかった。
私はもっと
できるはずだった。
でも
現実を前にしたら
ビビりまくって
いる。
一歩も
足が
動かない。
こんなはずでは
なかった。
こんなに
情けない自分
だったなんて。
私は
私が
嫌だ。
・・・と。
・・・・・・
私はあえて
そんなあなたに
伝えよう。
あえて
厳しく
伝えよう。
自分を
責めるな、
と。
自分を
責めている暇が
あったら、
一歩でも
前に進め、
と。
どうすれば
次の一歩を
進めるか?
そこに意識を
集中せよ、
と。
自己卑下。
自己嫌悪。
罪悪感。
それらはみんな
自己満足だ。
自分を
どれだけ責めても
誰も
喜ばない。
自分自身も
喜ばないし、
周りの誰も
喜ばない。
そんなのは
何の生産性も
ない。
時間の
無駄だ。
命の
無駄だ。
人を
愛したい
あなたならば、
できるかどうかは
別として、
本気で
愛そうと
しなさい。
自分を責めるのは
単なる
自己愛。
そこには
真剣さのカケラも
ない。
現実逃避の
言い訳にしか
過ぎない。
だから早く、
そこから
抜け出しなさい。
あなたは
何のために
ここにいるのか?
あなたは
何のために
ここに来たのか?
あなたは
何のために
私と出会ったのか?
あなたの
人生への想いと
願いは
何だったのか?
あなたは
人に
何をもたらしたいのか?
あなたは
社会に
何をもたらしたいのか?
それらを
今一度、
しっかりと
思い出しなさい。
それらは
理想だ。
そして
この人生は
理想通りには
行かない。
そんなことは
重々に理解している
あなただったろう。
我々にできるのは、
理想を胸に
抱きながらも、
最善の一歩を
踏み出し続ける
ことではなかったか。
弱っちい自分で
いいではないか。
それでも
あなたには
足がある。
それでも
あなたには
意志がある。
であれば、
次の一歩を
踏み出せよ。
間違っても
いいから
踏み出せよ。
つづく
今の世の中、
残念ながら
「進もうとしない人達」
は、たくさんいます。
「進もうとしない」
とは、
進化の道を行こうとしない
ということです。
そういった人は
進化よりも
膨張への道を
ひた走っています。
膨張とは、
規模のみが大きくなったり
影響力のみが大きくなったり、
つまりは
中身が伴わない
成長のことを言います。
次元の上がらない
現実レベルだけの成長を
言います。
例えば、
企業で言えば、
売上や業績が上がり続けると、
「このまま行けばいい」
と思ってしまいがちです。
現実レベルで
「上手くいく」
という状態に入ると、
人は
進化を止めてしまう
可能性があるのです。
しかし、
膨張の先には必ず
「破裂」
があります。
膨張しきった上で
破裂するのです。
現実が壊れて
いくのです。
例えば、
わかりやすい例では、
売上が上がって
いい気になっていたら、
ある日を境に突然に
商品が売れなくなってしまった
とか。
業績が上がって
いい気になっていたら、
ある日、突然に
社員さんが大量離脱
してしまった、とか。
中身のない成長には
必ず
「終わり」
が来るのです。
それが、
自然の摂理です。
・・・・・・
永続的成長。
それが「進化」の
道です。
「次元を上げ続ける」
道です。
ところが、そこに本気で
進んで行く人は
現時点では
まだまだ少ないのが
今の世の中です。
本当は、
進化の道に
入った方が、
私達人間はとても
楽なんですけどね。
とても心が
満たされるし、
人としての根本的な幸せを
日々、感じ続けることが
できるのですけどね。
それがあるが故に
永続的に、そして自然に
成長できるのですけどね。
でもなかなか
そうはならない人が
多いです。
でも、一方で
一部とは言え、
進化の道を本気で
進もうとしている人も
います。
今はそういった人が
急増している状態です。
まだまだ割合的には
少ないですが。
ところが。
最近、一つ困った傾向が
現れてきています。
進化の道に入った人が、
周りの人達を見て、
皆があまりにも
進化とは真逆な方向に
進もうとしているので、
「失望」
してしまっているのです。
ガックリ
してしまっているのです。
そしてある意味、
クサってしまっているのです。
進化の道に入る人は
自然の流れとして、
周りの人達も
進化の道に入れるように
サポートを始める人が
多いです。
「共に進化して行こう!」
と思うのですね。
そして、
周りの人達に力を注ぐ
ようになるのですが、
その周りの人達が
あまりにも
進もうとしないので、
クサってしまうのですね。
気持ちは
わかります。
実は私も
何度も何度も
クサりかけました。
気持ちはわかりますが、
ここは
あきらめずに
がんばりましょう。
私達がクサってしまったら、
それで終わってしまいます。
すべてが
止まってしまいます。
まずは、
私達は私達自身を
幸せにしましょう。
周りがどうこうではなく、
まずは
私達自身が
自らの進化の道を
自ら、味わい
楽しみ尽くしましょう。
その姿が
周りの人達に与える
影響は
測り知れないです。
そして、
何が起ころうとも、
何か起きなくても、
私達は
自らの行動の一つ一つは
真本音で
決め、
真本音で
実行しましょう。
それを日々、
今この瞬間、
やり続けるだけです。
物事は、
意図したように進まない
ことばかりです。
であれば、
意図を手放して
しまいましょう。
そしてただ純粋に
今この瞬間の
自らの真本音の意志に
自分自身を
委ねてしまいましょう。
それをし続ければ、
意図通りには
進まなくても、
願いは必ず
叶うのですから。
つづく
人って
みんなそうだと
思うのですが、
自分のことを
否定されたり、
無視されたりすると
辛いですよね。
心の中には
反応本音がいっぱい
発生しますし、
否定されたら、
その人のことを
今度は自分が
否定したくなります。
そしてその通りに
争いや戦いに
入ってしまうことも
あります。
しかしそうならないように
我慢しよう
という人も多いですね。
いずれにしても
我慢しよう、
というのも反応本音ですので、
反応本音のコミュニケーション
になるのには
変わりはありません。
否定される人生は
いやですね。
無視される人生も
いやです。
・・・・・・
じゃあ、
自分が否定されないために
自分は人を肯定しよう、
という考え方も
ありますが、
実際は、
否定と肯定は
表裏一体です。
同じ次元
です。
否定か
肯定か
という場所にいる限り、
心が穏やかになることは
ありません。
自分を
肯定しよう。
人を
肯定しよう。
と、よく言われますが、
もちろんそれは
大事なことではありますが、
でもやっぱり
私は
違和感を覚えます。
だって、
肯定しよう!
って、疲れませんか?
不自然だと
思いませんか?
・・・・・・
否定をやめよう。
肯定もやめよう。
という話では
ありません。
否定と肯定は
必要です。
仕事においても、
間違った仕事の仕方を
していたら、
きちんと否定しなければ
なりませんし、
良い仕事の仕方を
していたら、
きちんと肯定することも
大事です。
しかし
本当の意味で、
あるがままに
否定し、
あるがままに
肯定する
ためには、
否定と肯定を
超えた次元に
自分自身の基点を
置くことが大切です。
否定も肯定も
超えた場所に立つ人
こそが、
純粋に
必要な否定と
必要な肯定が
できる、
ということです。
・・・・・・
我欲による
否定は
人を傷つけます。
そして、
我欲による
肯定も
実は人を
傷つけることになります。
もちろんそれは
我欲が基点ですから
そうなります。
どの意識が
基点かによって
否定も肯定も
根本的に
意味が変わってきます。
・・・・・・
否定も肯定も
超えた次元。
それは、
すべてをあるがままに
見つめる
という意識の次元です。
「見つめる」
を本当は
「観つめる」
と書きたいですね。
何の評価も判断も
解釈もせずに、
ただ、そのものを
観つめる。
その意識の次元を
「7次元」
と私は呼んでいます。
真本音度合いを
高めることで、
この7次元の意識が
芽生える人が
出てきます。
7次元意識で
物事を観れる人が
組織の中の3%を
超えると、
その組織は
劇的な変化を始めます。
まずはその状態を
創ることが、
私の組織サポートの
目的の一つです。
つづく
私達は自由です。
・・・なんて断言をすると
皆さんの心の中には
どんな気持ちが
発生しますか?
自由であるわけ
ないだろうが。
とか、
心の自由になれても
現実は自由には
なれないよ。
とか、
自由であろうとすることは
大事だけど、
実際にはそれは無理だ。
とか。
否定的な心の声が
出てくるケースが
多いのではないかな?
もちろん私の心にも
否定的な声は
発生します。
人がどれだけ
不自由か。
みんながどれだけ
不自由の中で
もがいているか。
そういったことを
いやというほど
見てきましたしね。
でも、
私達は自由です。
と一言つぶやいた時に、
心の中のほんのわずかでも
一つの部分が、
そりゃそうだよ、
当たり前だよ。
と、応えていませんか?
もしそういった部分を
感じることができたら、
そこがあなたの
真本音です。
・・・・・・
私達の真本音は
自由です。
自由であるが故に
きちんと
目の前の現実を
大切にします。
自由であるが故に
現実を尊重しながら
「現実的な一歩」
を進もうとします。
現実を尊重する
ということは
「今を尊重する」
ということです。
今を、
現実を、
尊重することは
自分を縛ることでは
ありません。
いろんな選択肢があり、
どの選択をすることも
できる、
という自分がいて、
その上で、
現実を尊重した選択を
する。
これが、
真本音で生きる
ということです。
ですから
私達の真本音は、
悪い意味での
無茶はしません。
悪い意味での無茶
とは、
本人が
「絶対無理だ」
とわかっていて進むこと
です。
真本音の道は
「絶対無理だ」と思いながら
進む道ではありません。
「ここを行くのは
当たり前」
「ここを行くのが
最も幸せ」
「ここを行くのが
私の人生」
であると、当然のように
思える道が
真本音の道です。
その道を
当然のように
進んでいると、
時々ですが、
周りからは、
「あの人、
無茶するよなぁ」
と見られたりします。笑
しかし本人は極めて
当たり前の選択を
しながら、
当たり前に進んでいる
だけなのです。
当たり前の道を
当たり前のように
進めることをまた、
自由、
と言います。
・・・・・・
どのような現実の
中にあっても、
私は自由ですよ。
と当たり前のように
言える人が増えると
いいなぁと
私は思います。
そういった人が
増えて行くと、
組織は調和しますし、
世の中も
調和していきます。
本当の「自由」と
「調和」は
同義語です。
一人一人が
「自由」になることが
社会の「調和」に
直結します。
そのために私は
今日も明日も
コーチとして
がんばります。
つづく
真のコーチとは
真のコーディネイター
でもある、と
私は思っています。
例えば、
Aさんが何かに悩んで
いたとします。
Aさんの悩みの
解決策を
見つけようとする場合、
「答えはAさんの中に
あるから」
ということで、
Aさんに様々な問いを
投げることを、
一般的にはコーチングと
言われています。
もちろん必要に応じて、
コーチが何らかの
アドバイスや提案も
するでしょう。
しかし私は
そういったことをする
以前に、
次のことがとても
重要であると思っています。
すなわち、
Aさんの悩みの
解決策は、
誰と一緒に考えれば
よいだろうか?
もしくは、
誰がAさんに
アドバイスをすると
よいだろうか?
もしくは
Aさんのその悩みを
誰にぶつけると
よいだろうか?
という視点です。
特に組織においては
これはとても大切で、
一人の悩みを
一人の中だけで
解決するのは
もったいないと
私は思うのです。
これは別に
「悩み」だけに言える
ことではなく、
例えば、
「目標」についても
同様のことが言えます。
Aさんの目標を
達成するために、
誰が関われば
よいだろうか?
ということです。
人と人との
関わり。
そして、
人と人との
相乗効果。
そして、
相乗効果の上での
一人では到底
実現できないであろう
「現実」の創造。
そういったことを
促すサポート役が
コーチであると
私は考えます。
ですから
真のコーチとは
真のコーディネイター
である必要があります。
・・・・・・
AさんとBさんが
タッグを組んだら
100のパワーが出た。
でも、
AさんとCさんが
タッグを組んだら、
10000くらいのパワーが
生まれた。
ということは、
日常茶飯事のように
あります。
ですからその意味でも、
今、このAさんと
誰が組めばよいのか?
これを見極める力は
コーチには必須です。
しかしその見極めの
力をつけるためには
かなりの経験が
必要である。
・・・と、
ちょっと前までの私は
思っていました。
しかしどうやら、
そうでもないようです。
実は、
経験値の低い
若い人達の感性で、
この見極めができてしまう
という場面に
最近、多く遭遇しました。
最近の若い人達の
感性は凄い、
です。
しかしそれは
「若い」から凄い
のではありません。
次元の高い人達が
どうやら、
今の若い人達には
多いようなのです。
誰と誰を
組み合わせれば
よいか?
を見極める力は、この
次元の高さが
直接影響します。
・・・・・・
今の若い人達、
つまりは
10代や20代、そして
30代前半くらいまで
でしょうか、
これらの人達には
次元の高い人が
多いようです。
しかしもちろん
そういったことを
彼らは自覚していません。
天然で
やっています。
そういった彼らに
対して、
彼らをどのように
育成するか?
ということについては、
これまで私達の世代が
培ったやり方では
まったく通用しません。
次元の高低によって
育成の仕方は
根本的に変わるからです。
そういったことも踏まえ、
そろそろ私は
「次元」について
真剣に語らねばならないかな
と思い始めています。
物事には
「区別」が必要です。
区別すべきをしっかりと
区別することによって
次の一歩が
初めて観えてきます。
人の成長という視点では
最も基本的な区別は
「真本音と反応本音」
でした。
そして、次の区別が
「次元」
なのだと思います。
ですから「次元」について
多くの方々が
知る必要のある
時代になったのだな、と
今、強く思います。
このブログでも
いよいよ「次元」について
ダイレクトに
切り込んで行こうかな、と
思っています。
つづく
未知の世界
というものに対して、
不安や恐れの気持ちが
出るのが普通ですが、
それらはすべて
反応本音です。
私達の真本音は
未知の世界に向かう
ことに対して
至福の悦びを
得ます。
それが
人間の本質だから
です。
では、
反応本音というのは
真本音を阻害する
存在なのでしょうか?
いえ、
違います。
反応本音があるからこそ
私達の真本音は
より的確な
次への一歩を
選択することができるのです。
なぜなら
もともと反応本音とは
真本音が生み出した
ものだから。
現実と
より的確に向き合い、
より誠実に
関わり合うために
生み出したものだから。
つまり、
私達の心の中には
本当は
余分なものなど
一つもないのです。
私はよく
「手放す」という
表現を使います。
「余分なものを
手放すことで
本来の自分に戻っていく」
という
言い方もします。
しかし本当は
それすらも
「余分なもの」では
ありません。
それは、
「手放されるもの」
であり、
「手放されるという
役割を担うもの」
という
存在だからです。
そういった意味で
余分であるという
役割を演じる
必要なもの
なのです。
・・・・・・
先日、
私のあるクライアント企業様の
社員さんの一人が、
お仕事で大きなミスを犯して
泣いていました。
全力で仕事をしたのに、
お客様にまったく
認められないだけでなく、
ミスまで犯したと。
「私はこの仕事を
辞めようとまで
思いました」
と言いながら、
涙を流しました。
「でも、
そんな自分ではいけない
ことはわかっています。
辞めたいなどと考える
弱い自分ではいけないことを。
それではプロでは
ありませんから。
私はもっと強くあらねば
なりません」
と、その人は
言われました。
そして、
平静を装おうと
していました。
いやいやいや・・・、
私はそれを
止めました。
「あなたは健康ですよ。
何の問題もありません。
お仕事で失敗
したのでしょ?
全力を尽くしたのに
認められなかった
のでしょ?
ミスまでしたんでしょ?
泣きたくなるのは
当たり前じゃないですか。
私でも泣きますよ。
そして、
辞めたくなるのも
当たり前じゃないですか。
くじけるのも
当たり前。
そういった反応本音が
わっと出て来ている
のだから、
まったくもって健康です。
ですから、
もっと、きちんと
落ち込んでくださいよ。
中途半端に
浮上しようなんて
思わないでください。
ダメですよ。
前向きになっちゃ。
せっかくひどい心の状態に
なってるんだから、
そのままひどい状態で
あり続けてください。
しっかりと
超マイナス思考になって
とことんまで
落ち込んでください。」
そんなことを
申し上げました。
必要な現実が
目の前に来て、
必要な反応本音が
湧き起こっているのです。
ちゃんとこの経験を
「経験しきる」
ことこそが大切です。
それを私達の真本音は
望んでいます。
そして
この経験をしきることで、
必ず真本音は
発動します。
次へのパワーは
必ず湧き出します。
そして、
自分の進化のために
次に自分が
何をすればよいか?
が
必ず観えて来ます。
・・・・・・
私達は
私達の真本音を
もっと信じた方が
いい。
私達の真本音は
未知の世界に
突き進もうとしています。
そのために
自分にとって
最も必要な経験を
プレゼントし続けます。
何が起きても
自分自身の
真本音を信じ、
あらゆる現実と
真正面から
向かい合い続ける。
その生き方(行き方)を
する覚悟を持てば、
流れは
あっという間に
始まるのです。
つづく
ある一つの視点から
観たとき、
私は
人の成長には
二つの段階があると
思っています。
一つは、
「本来の自分を
取り戻す」
段階です。
もう一つは、
それを成し遂げた上で、
「本来の自分を
さらに進化させる」
段階です。
現時点では、
私がサポートさせて
いただいている
ほとんどのケースは
前者です。
そして
本当に数えるほどの
ケースとして
後者に入っている段階の
人がいらっしゃいます。
・・・・・・
「本来の自分を
取り戻す」
段階で大切なことは、
自分の中の
余分なものを
手放し続ける
ことです。
私達はともすると、
成長とは
どんどん新しい服を
重ね着していくこと
であると
勘違いします。
しかしそれは
まったくの逆。
本来の自分を
取り戻すためには
着ている服を
どんどん
脱ぎ捨てていくことです。
変な表現ですが、
ある意味
素っ裸に近づいて
いくこと。
するとその人は
とても自然体になり、
本当に自分を
取り戻します。
そして、
なんで私は
あんなことに
悩んでいたのだろう?
何をそんなに
こだわっていたのだろう?
もっと
大切なことがあったのに。
同じ悩むのであれば、
もっと私の人生にとって
充実した悩みが
あったのに。
・・・と、
ふと我に返る
感覚となります。
そして本当は、
我に返ってからが
スタートラインです。
ここから
本来の人生が
スタートします。
ですので現時点では
多くの方々が
まだ、
人生のスタートラインにも
立っていません。
極端な表現ですが。
・・・・・・
本来の人生とは
一本道です。
自分で決めている
道があるのです。
真本音の道です。
我に返ると
その道が
ありありと
観えてきます。
と同時に、
こんなにもはっきりとした
太くてまっすぐな
一本道があるのに、
自分がわざわざ
その道を外れ、
まるで獣道のように
心もとない脇道ばかりに
入っては戻り、
入っては迷い、
していたことを
自覚します。
進んでいるようで
肝心な方向には
ちっとも進んでいなかった、
そんな自分を
認識します。
ただし、
そんな自分が
ダメだ、
と思う必要はありませんし、
そう思う感情も
湧いてきません。
あっそっか、
ああやって脇道に
入り続けてきたからこそ、
本当の一本道を
見つけることができたのだな、
と自然に思えます。
・・・・・・
一本道を進むことは
とてつもなく充実し
楽しいことです。
もちろん課題や問題は
たくさん来ますが、
それらに取り組むこと
そのものが
幸せです。
“進んでいる感”
が半端ないからです。
やはり私達は
進むべき方向に
進んでいる時が
最も幸せなんです。
それこそ人間。
そして。
その一本道を
ズンズンと進むと、
一つの「ライン」が
観えて来ます。
その「ライン」まで来て
ようやく悟るのです。
あぁそうか、
ここでようやく私は
「本来の自分」に
戻れたのだな、と。
そしてこの
ラインから先は
未知の領域
なのだな、と。
この、
未知の領域こそが、
そこを進むことこそが、
恐らく、
私達の人間としての本能が
最も悦ぶ段階です。
「本来の自分を
さらに進化させる」
段階。
早く、
多くの人達が
そこまで来れるといいなぁと
願っています。
つづく
こういったお仕事を
続けていますと、
いやでも
「私って何だろう?」
ということを
考えますね。
毎日毎日、
人と向き合い続けて
いますと、
ある時は、
人の心なのか、
自分の心なのか、
区別がつかなくなって
しまうこともあるんです。
自分の中に
強烈な悲しみが
芽生えて、
人生の道を進む気力が
なくなってしまう。
いったいどうしたことだろう?
と思いながらも
必死に自分と向き合って
いると、
その悲しみは
その日にコーチングさせて
いただいたAさんのもの
であることがわかったり。
コーチングやっている
最中も、
自分がAさんなのか
自分なのかが
わからなくなる時も
あります。
以前に、
一度に数十人規模の
研修を、
それも、真本音出し研修を
20日間くらい連続で
行なったことがあります。
確か20日間ほぼすべてが
別々の企業様だったと
思います。
ですので、毎日
新しい方々と向き合いました。
当時の真本音出し研修は
朝から晩まで
かけてやっていましたし、
今ほどの実在の力も
私にはまだありませんでしたので、
毎日が
無我夢中。
本当に夢の中に
いるみたいになりました。
「私を生きる」
という実感が
まるでなくなった状態。
自分の体はここに
あるけど、
自分はどこにも
いない、
という感覚。
そしてある時、
新幹線に乗っての移動中、
ウトウトと眠りかけて、
ハッと目を覚まし、
目を開けました。
ところが、
目を開けても
そこには
何もなかったのです。
ほんの一瞬、
恐らく
0.0001秒くらいの一瞬
でしたが、
確かにそこには
何もなかった。
しかし直後に
普通の新幹線の中の
光景に戻りました。
しかしそれが
何だったのか?は
今の私にはわかります。
それは何もない
状態ではなく、
「すべてがある」
状態でした。
それを私のこの
3次元の目で
一瞬でも見ることが
できたのは、
大変に意義深いこと
でした。
その時に、
強烈に
何かがわかったのです。
自分の知りたかった
ことを
言葉ではなく、
一つの明確な答えとして
知り得たのです。
「私って何だろう?」
の答えです。
今ではそれを
言葉にすることも
やろうと思えば
できますが、
でもそれはやめて
おきましょう。
言葉で説明する
ものではないからです。
・・・・・・
時々こうやって
わけのわからない文章を
書きたくなります。
しかしそれも、
どなたかが
わけのわからない文章を
読みたがっている
からでしょう。
私達は
つながっています。
私は
幸いでした。
数多くの方々と
毎日次々に向き合い続ける
という環境に
身を置くことが
できたから。
おかげで
いやでも
人について
自分について
考えさせられました。
人は
つながっているので、
そのつながりの中で
想像を超えた影響を
お互いに与え合っています。
その影響の与え合いを
できるだけそのまま
顕在化すれば、
この現実世界でも
つながり合える
社会になれるのですけどね。
それをまずは
企業という組織で
実現するのが
私の目標です。
つづく
似て非なるもの。
という言葉が
ありますね。
一見すると
同じように見えて、
実は本質は
まったく異なるもの。
真逆なもの。
そういったものが
世の中には
たくさんあります。
例えば、
将来への
「ビジョン」。
ビジョンとは
未来に対する願いを
描いたものですが、
本当に真本音の願いの
もとに描かれたビジョン
もあれば、
ただの夢想で
あったり、
現実逃避をするために
未来に意識を向けた
結果であったり、
そんなビジョンも
あります。
同じ「ビジョン」でも
本質は
まったく異なります。
当然ですが、
後者のビジョンは
私達自身の真本音が
とても嫌がります。
ですから
そのようなビジョンを
描いたり、
未来にばかり目を
向けている人には
私は、
「今ここに集中しなさい」
とか、
「今すべきことを
しっかりしなさい」
とお伝えします。
逆に、
真本音のビジョンを
描いている人には、
「徹底的にそのビジョンを
大切にするといいですね」
とか
「もっともっと自由に
そこに向かいましょう」
とご提案します。
ビジョンは
描けばいい、
というものでは
決してありません。
同じビジョンでも
真本音から外れた
ビジョンは
人生の足を引っ張ります。
・・・・・・
似て非なるもの、
の真逆もあります。
一見すると
全然違うのに、
実は本質は同じだった、
というものです。
例えば、
私のあるクライアント企業様の
営業部長さん。
彼は、
「我社には新商品は
必要ない。
既存の商品をいかに
売るか、が最重要だ」
と、
いつも言われていました。
その一方で、
同じ企業様の
経営戦略室の部長さん。
彼は、
「我社に今、最も必要
なのは、
新しい商品だ」
と、
いつも言われていました。
で、二人は
いつもぶつかって
いました。
俗にいう
「犬猿の仲」
というやつです。
そのため、
その会社では
二人を「会わせないようにする」
ということが
行われていました。
二人が顔を合わせれば、
間違いなく
ぶつかり、会議にならないからです。
そして、
経営戦略部長さんが
新商品をせっかく開発しても、
営業部隊のトップである
営業部長さんが
それを真面目に売ろうと
しない。
そんな状態が
何年も続いていたようです。
二人を何とか
できないか?
という社長からのご依頼で、
私はその企業様の
サポートに入りました。
詳細は省きますが、
私はお二人の部長さんと
一人ずつお話をし、
「なんだ、
似た者同士じゃん」
とすぐにわかりました。
「同じ真本音の想いを
持っているじゃないか」
と。
あえて言葉にすれば、
お二人の真本音の
共通の想いというのは、
「お客様の期待を
超える仕事をしたい」
ということでした。
それがお二人の
本質。
しかし、
お客様の期待を超える
ためには、
「自己満足の商品開発
など要らない。
それよりも、お客様の
声に耳を傾け、
できる最大のサービスを
行なうことが大切」
というのが、
営業部長さんの考え。
それに対して、
戦略部長さんは、
「既存の商品に
捕らわれているようでは
お客様の本当のご期待
以上のことはできない。
もっともっと新たなものを
生み出せる私達で
あるべきだ」
というお考え。
これ、
どう見ても、
相乗効果を起こすでしょ。
でもお二人は
恐らく、ずっとお互いを
否定し合ってきたのでしょう。
反応本音レベルの
拒絶感がすごく、
最初は大変でした。
でも、
真本音の想いは同じ
です。
結局、今ではお二人は
「同志」
となっています。
「社内で最も
理解し合える仲」
なんだそうです。笑
そりゃそうです。
真本音の想いは
同じなのですから。
・・・・・・
似て非なるもの。
まったく似ていないように
見えて、
実は同じもの。
そういったものが
世の中には
溢れています。
表面上だけで
判断するのは
やめたいですね、
もったいないから。
本当は
どうなんだろう?
本質は
何だろう?
という視点が
もっともっと
必要ですね。
つづく
広い広い大地の上に
ポツンと一人で
立っている自分を
イメージしてください。
大地は、
前にも後ろにも
右にも左にも
延々と果てしなく
続いています。
遮るものは
何もありません。
あなたの他には
誰もいません。
あなたは
一人です。
たった一人で
立っています。
そして、
風を感じています。
しばらく、
できれば3分くらい、
その状態を
味わってみてください。
・・・・・・
3分ほどイメージすることで、
あなたは
どんな気分になりましたか?
楽しい気分ですか?
寂しいですか?
孤独を感じましたか?
不安がありましたか?
それとも、
満たされた感覚でしたか?
大地に
立っている感覚は、
時間と共に
より強くなりましたか?
時間と共に
安定度は増して
いきましたか?
それとも、
時間が経つと、
大地が崩れたり、
足元が揺らいだり、
大地の存在が
なくなってしまったり
しましたか?
要するに
あなたにとって
その「世界」は
居心地の良いものでしたか?
あなたにとって
その「世界」は
地に足が生えたような
安定感がありましたか?
あなたにtとって
その「世界」は
充実した素敵なもの
でしたか?
・・・・・・
その「世界」が
自分にとって
「いいなぁ」と思えるもので
あったり、
安定度の増すもので
あったならば、
今のあなたの毎日は
しっかりと自分の足で
立ち、
自分の意志と意思で
前に進むもので
あるはずです。
これを、
「自立」であり
「自律」であると
私は表現します。
一見孤独に見える
その「世界」も
実は、自分自身の選んだ
「世界」であり、
自分自身の望んだ
「世界」であると
自然に思えるからです。
もしかすると
人によっては、
その「世界」が
自分そのものに同化した
かもしれませんね。
もしそうであれば、
その人はかなり
次元の高い毎日を
送っています。
しかしもし反対に、
その「世界」に
強い孤独を感じたり、
不安定さや
逃げ出したくなる気持ちに
なった場合は、
残念ながら
あなたは「自立」「自律」とは
言えない日々を
送っているのだと思います。
何かに依存したり、
自分以外の誰かから
何かを与えてもらって
初めて、
自分で動くという
受け身の生き方や、
他の何者かに人生の
ハンドルを預けてしまって
いる可能性があります。
・・・・・・
私達人間に
依存はつきものです。
というか、
私達は必ず何かに
依存しながら生きています。
しかし本当の依存とは、
自分が「自立」「自律」
できた状態で、
行なうものです。
自立している人、
自律している人は、
自分の役割を
よくわかっています。
わからないまでも
わかろうとし続けます。
その結果、
自分が何に依存すれば
良いか?が
よくわかります。
それによって
生じる「依存」は
調和と相乗効果を
生み出します。
・・・・・・
経済的な自立は
別として、
精神的な自立も自律も
特別なことでは
ありません。
例えば、
4歳や5歳の子供でも
自立・自律してるなぁ
と感じることがあります。
経験を積まなければ
自立・自律できない
というものでは
ありません。
私達の真本音は
当然ですが、
自立・自律した自分の
生き方(行き方)を
望んでいます。
自立・自律している人は
あらゆる「世界」が
味方につくのです。
つづく
未来がわからない
というのは
素敵なことです。
1秒後に
何が起こるかわからない
というのは
素敵なことです。
私達は
3次元という世界に
生きていますが、
いつも申し上げることですが、
3次元世界独特の魅力の
大半が
この、未来がわからない
ということです。
最近、
ちょっと極端な言い回し
ばかりをしているような
気がしますが、
今回もまた、ちょっと
極端に言いますね。
未来を予測するなんて
まったく意味がない。
と私は思ってるんです。
だって、
せっかく未来がわからない
という魅力的な世界に
いるのに、
予測してどうすんの?
・・・と。
これは私の体験上の
ことですが、
未来を予測すればするほど、
反応本音が
たくさん発生します。
そして
肝心なことが、
観えなくなってしまいます。
肝心なことの
代表的なものが、
「次の一歩」
です。
自分が本当は
どのような「次の一歩」を
踏み出そうとしているのか。
それが
わからなくなって
しまうのです。
未来とは、
予測するものでは
ありません。
・・・・・・
しかし、
未来に意識を向けることは
とても大事です。
「未来に向かって
いきましょう!」
というメッセージは
すべての方々に
お伝えしたいことです。
なぜなら私達は
紛れもなく、
未来に向かって生きて
いるからです。
未来とは、
予測するものではなく、
願うものです。
心から、
というよりも
魂から願うものです。
そして
その願いに向かって
未来とは
自ら創り上げるものです。
予測をして
それに合わせて、
自分の道を決める。
小賢しい!
と、私は思います。
・・・はい、
かなり極端な言い回しです。
すみません。
でも、
そこから自由になれると
その人は本当に
毅然と
「今」
に集中できるんです。
最も大切なのは
「今」
に生きることです。
「今」
に集中することです。
未来の予測は
そこを阻害します。
「今」
には、
「すべて」
があります。
本当は、
「今」
には
「過去」も「未来」も
すべてが
融合されています。
私達の高い次元では、
過去も今も未来も
すべてが「一つ」です。
これを
3次元的な表現で言えば、
高い次元の私達は
未来をわかっています。
未来を
知っています。
すべてを
知っています。
その、
高い次元の私達の意識が
発動する唯一の条件が
「今」に
集中することなんです。
「今」に生きる
ことなんです。
ですからそこに
淀みが起こることは、
自分が本来創り上げる
未来を
創り上げられなくなる
ということにつながります。
3次元の世界に住む
私達にとって
最も大切な生き方が
「今」に生きる
ことです。
・・・・・・
素直な気持ちで
「未来」を
願いましょう。
できるかどうか?
実現できそうかどうか?
ではなく、
自らの純粋な想いが
大切です。
その願いをいつもいつも
大切にしながら、
「今」に
向かいましょう。
「今」に向かうとは、
「今、何をするか?」
をとことん大切にする
ということです。
淀みのない
「今の行動」を
決めるということです。
その「淀み」が
いつも完全になくなっている
状態を
真本音度合い100%と
私は呼んでいます。
この状態には
本当は
すべての人が
なれるのです。
私の願いは、
そういった人が
一人、また一人と
増えること。
そして世の中の
1割以上の人が
そうなれること。
1割の人がそうなれば、
世界は間違いなく
変わります。
それが私の
未来への願い
です。
つづく
私は常に
人や組織の「成長」というものを
・進化
・膨張
という二つに区別しています。
かなり極端な言い方で
書きますと、
私は
「膨張」では
まったく意味がない
と思っています。
そして、
膨張のためのサポートは
頼まれてもやらないと
決めています。
まぁ本当は
私の中では全然、極端では
ないのですが。
「進化」とは
次元を高めていくことを
言います。
面白いことに
このブログでは、
次元を高めることを
幾度となくテーマとしながらも、
これまでに一度も、
次元そのものについては
詳しくご説明していません。
ちょっと、かじる程度の
説明はしてるんですけどね。
恐らく近々
きちんと説明させて
いただくと思います。
取り急ぎここでは
「進化」とは
次元を高めること
だとしておきます。
そして、
「膨張」とは
次元は一切高まっていない
状態です。
同じ次元、
同じ場所にずっと
います。
その状態で、
規模が大きくなったり、
能力のみが高まったり、
経験のみが積み重なったり
する、という
そんな状態です。
つまりはですね。
規模のみが大きくなること、
能力のみが高まること、
経験のみが積み重なることに
私は
何の価値も置いて
いません。
ごめんなさい。
本当に極端な
言い回しです。
でも、私の中では
本当にそう思って
いるのです。
・・・・・・
これもよく書かせて
いただくことですが、
私達人間の本能の中心
(もしくは、根底)
にあるのは、
進化への欲求です。
もちろんそれが
顕在化している人も
いれば、
していない人も
います。
しかし根底には
必ず、これがあります。
そして
私達の真本音は
「いかにしたら、私は
進化できるか?」
という視点からの
発想と行動を望みます。
つまり、
真本音度合いを高め、
真本音に素直に
日々を過ごすことで、
自然に私達は
進化を続けます。
真本音度合いを高める
とは、
進化度合いを高める
こととイコールです。
ですから、
先ほどの私の考え方を
別の言い方で表しますと、
どれだけ規模が大きくなっても
どれだけ能力が高まっても
どれだけ経験を積んでも、
真本音度合いが
高まらなければ意味がない、
ということになります。
・・・・・・
これも、いつも私が
書かせていただくことですが、
真本音度合いが高まる
ということは、
調和性も高まる
ということです。
人との調和。
現実との調和。
それらが
高まります。
ですから、
真本音度合いの低い
人達同士が集まれば、
戦いや争いや
足の引っ張り合いや
自己主張のし合いが
多くなります。
まったく同じメンバーでも
真本音度合いが高まれば、
共に向き合い、
共に新たな何かを
創り出せるようになります。
一般的に
協調性が高まるという
状態ですが、
それは表面的なものではなく、
本質的なものですので、
ただの仲良しこよしでは
ありません。
共に、刺激をし合い、
良い意味での
競争をし合い、
共に相乗効果を発揮し合う
ようになります。
それが、
調和性が高まる
ということ。
一人一人が
自分自身の真本音に
素直に生きれば生きるほど、
そういった現象が
起こります。
・・・・・・
つまり、
何が言いたいかと
言いますと、
真本音度合いが高まり
進化度合いが高まる
ことで、
調和は起きやすくなり、
それが組織であれば、
結果的に
成果につながりやすくなる
ということです。
逆に言えば、
真本音度合いを高めず、
進化もせず、
成果のみを上げ続ける
というのは
至難の業です。
難易度が
高いのです、
こちらの方が。
ですからもう、
難易度の高いことは
やめましょう。
・・・・・・
人も組織も
「変えよう」
なんて、傲慢なことは
私は思いません。
というか、
思えません。
ただ、
その人の「本来」が
そのまま表に出る。
その組織の「本来」が
そのまま表に出る。
そんな状態を
目指して
私はサポートを続けます。
つづく
難しいな、
と思うことは
世の中にたくさん
ありますね。
人生のいろんな
場面で
遭遇します。
しかし、
難しい、と感じるものにも
タイプがあります。
本当に難しい
ものと、
それにあえて
立ち向かうために
「難しい」と
感じるもの、
の二つです。
後者の場合、
それに立ち向かう覚悟を
持ち、
実際に立ち向かうことで
それは一気に
「なんだ、こんなに
簡単で、楽しいものだったか」
に変貌します。
この見極めをすることが
人生ではとても重要で、
それができる唯一の存在が、
自分自身の真本音
です。
・・・・・・
真本音度合いが
高くないことで、
なぜ自分の望む人生から
遠のいてしまうか?
その最も多い理由が
ここにあります。
つまり、
本当は難しくないのに、
「難しい」と感じるものから
逃げてしまうのです。
それにより、
望む道とは異なる道に
入ってしまいます。
でも実は、
こういった人生の分岐は
私達が想像する以上に
多いようです。
逆に言えば、
私達の真本音は
わざとこういったことを
しながら
自分自身を
試します。
「難しい」と感じながらも、
「でも、なんか気になるな」
と思い続け、
「気になるから、
とても嫌だけどちょっと
挑戦してみよう」
と思えるかどうか?
そこでそう思えて、
実際にその選択が
できたとしたら、
それは
「準備完了」
の合図なのです。
それができない
ということは、
まだまだ心の中に
様々な「余分なもの」が
あり、
その「余分なもの」を
取り除くまでは
本当に望む道には
進まないぞ、という
これは
真本音の意図
なのです。
・・・・・・
私はよく、
「楽な道を行きましょう」
という表現を
使います。
しかしそれは決して
「難しい道を避けましょう」
という意味では
ありません。
「難しい」と「楽」は
対義語では
ありません。
私がお伝えしたいのは、
難しい道でも
難しくない道でも
どんな状況にも関わらず
楽に進めますよ、
ということなんです。
「真本音で生きる」
とは、
状況に左右されない
生き方です。
こんな状況だから
こうした。
こんな状況だから
こうするしか
なかった。
こんな状況だから
この道を
選択した。
・・・ということは
「状況」がまずありき
の人生です。
「状況」に左右される
人生です。
私はそこから
「自由」になることを
ずっとオススメ
しています。
状況に左右される
のではなく、
本当に自分の望む
道を常に
選び続けること。
それが本当の
「自由」だと
私は思っています。
そんな生き方なんて
無理でしょ、
という認識が
今のところ一般的です。
しかし、
真本音で生きることを
日々、続ければ、
自然にその束縛からは
抜け出せます。
私は、
すべての人がそうなれると
いいな、と
願っていますが、
まずは目標としては、
全体の1割の人が
そうなれること。
それにより、
社会も組織も
大きく変わっていけると
思っています。
つづく
あなたの
心のどこかに、
ほんのわずかで
いいのですが、
心のどこかの
ちょっとの部分に
掻きむしりたいくらいの
ジレンマは
ありませんか?
心の全体から見れば、
0.0001%以下かも
しれない。
でも、
そこだけに焦点を
当てると、
ウオーーーーッ!!
と、
叫び続けている
自分がいませんか?
こんな私じゃ
いやだ。
こんな人生じゃ
いやだ。
こんな毎日じゃ
いやだ。
私にはもっと
何か
できることがあるはずだ。
私にはもっと
別の人生が
あるはずだ。
私には本当は
もっとすべきことが
あるはずだ。
私には
人生の目的があり、
そこに向かうはず
だったのに、
全然、向かって
いない。
こんな私では
ダメなんだ。
こんな私では
我慢ならないのだ。
今の私は
いやだ。
いやだ。
いやだ。
・・・そんなジレンマ。
そんな葛藤。
そんな、
言いようのない
魂の叫び。
ほんのわずか
0.0001%以下かも
しれませんが、
そういった
掻きむしりたくなる
自分は
あなたの中には
いませんか?
もし、
そんな自分が
いるような気が
するのであれば、
ちょっと勇気を持って
その自分と
しっかり
向き合うことを
お勧めします。
そこにこそ、
あなたの本当の
幸せの原点が
隠されている可能性は
大いにあります。
思えば、
これまでの私は
そういった自分を
お持ちの皆さんを
サポートし続けてきた
のだと思います。
そしてこれからも
そういった方々を見つけ、
全力でサポートしたいと
思っているのです。
なぜなら
そういった人には
必ず、
その人ならではの
人生の目的と、
自ら決めた
「使命」
があるからです。
それは、
誰かから与えられた
使命では
ありません。
自分が自分自身に対して
「約束」した
使命です。
自分自身との
約束。
それを思い出し、
その推進をサポート
するのが、
私の本来の役割の
一つであると
私は認識しています。
0.0001%の中にこそ
あなたの
真実があるのかも
しれません。
つづく
どうでもいいじゃん。
なるように
なっていくから。
私が守りたい
そのこだわりの
ために、
今ここにある
流れを止めることは
もうやめよう。
私の全身に
広がっている
この
恐れの気持ちの
正体は何だろう?
私は何のために、
こんなにも
全身を強張らせ、
こんなにも
踏ん張って
いるのだろうか?
それほどまでして
私が守りたいもの
とは何だろう?
それほどまでして
私が抗いたいもの
とは何だろう?
それほどまでして
私はどのような
人生を創り上げたいと
思っているのだろうか?
我を張る。
頑張る。
意固地になる。
私は
何のために
何に
こだわってるのだろう?
私は
何者?
本当は、
何者?
・・・どうでも
いいじゃん。
なるように
なっていくから。
この踏ん張りを
やめて、
力を抜いて、
もっとお気楽に
進んでみないか?
ここに今、
流れがあるのならば、
川底から
足を放し、
流るるままに
自分の身を
預けてみないか?
川の先には
必ず
海がある。
海まで一度、
出てみないか?
すべてを深く
包み込んで
くれる、
あの海まで。
海は広いし、
大きいな。
本当は、
あの海が
私自身では
ないのか?
本来のところに
戻るだけでは
ないのか?
私は、
「願い」であり、
「祈り」そのものでは
なかったか?
私は、
「流れ」
そのものでは
なかったか?
つづく
人はそれぞれ
唯一の存在である。
と、言われますよね。
本当にそうだと
思います。
多くの方々と
向き合えば向き合うほど
そう実感します。
本当にそうなのに、
どうしてみんな
自分を消そうと
するのでしょうね?
どうして
周りばかりに合わせ、
「画一」の中に
入ろうとするのでしょうか?
いや、
その理由はもちろん
わかります。
自分の「唯一」を
出しづらい世の中で
あることも、
「唯一」を出すことに
皆がリスクを感じて
しまうことも
よくわかります。
自分が
「唯一」を出せば、
調和が崩れてしまう、
と
考えることも
わかります。
だから皆、
「画一」の中に
入ろうとするのですが、
しかし本当は
「画一」を目指せば目指すほど
不調和が
生じてしまいます。
なぜなら
私達の真本音は
誰も「画一」を
望んでいないから。
「調和」は望みますが、
「画一」と「調和」は
真逆の行為です。
本当の、
そして、本来の
「唯一」が交わることで
初めて
「調和」は生まれるのです。
・・・・・・
自分の想いは
100%、表明すると
よいです。
と、私が言うと、
ほとんどの人が
え〜、それは無理ですよ、
と言われます。
私が自分の想いを
言ってしまえば、
メチャクチャになりますよ、
と。
それに、
キリがありませんよ、
と。
それは
わかりますし、
それは
そうです。
なぜならそれは
反応本音の想い
だからです。
確かに
反応本音レベルの想いは
キリがありませんし、
それを表明することで、
混乱や争いが
起こるかもしれません。
私もそれは
オススメできません。
私がオススメするのは、
真本音の想いを
100%表明する
ということです。
私はそれを
毎日、しています。
そして
それをすればするほど、
物事がびっくりするほど
スムーズに
抵抗なく進みます。
なぜなら真本音は
皆、つながっている
からです。
ただし、
100%伝える、とは
言いたいことをすべて
その場で言い尽くす
という意味では
ありません。
言いたい瞬間に
言いたいことを
言う、
という意味です。
「言いたい瞬間に」
というのが
ミソです。
つまり、
タイミングです。
真本音の想いを
100%表明しようと
決めると、
この「タイミング」に
とても敏感になれます。
今は、
本当に言いたいな。
今は、
まだ言いたくないな。
というのが
よ〜くわかるように
なるのです。
そして、
今、言いたい!
と思えた瞬間に、
それを言う。
・・・という実に
単純明快なことをするのが、
100%表明する
ということなのです。
これをすることで、
あらゆる「現実」が
調和を始めます。
もし、チームで
すべての人がこれが
できるようになれば、
そのチームは
完全調和します。
私はいつも、
その状態創りを
目指しています。
・・・・・・
そうなるための
必須条件があります。
言うまでもないこと
ですが、
それは
その人の真本音度合いを
高めることです。
その人自身に
真本音の想いが
顕在化しなければ
それは絶対にできません。
真本音の想いが
顕在化することと、
そしてできれば、
その人自身が
自らの
真本音と反応本音の
区別をつけられること。
これができれば
よいのです。
しかし、
組織やチームが
実に面白いのは、
全員がそうならなくても
何とかなるという
ことなんです。
私の現場経験で
言いますと、
組織やチームの中の
1割以上の人が
真本音度合いが
ある一定以上に高まれば、
その組織(チーム)は
調和を始めます。
これが
チームの面白さであり、
人と人の
関係の面白さですね。
・・・・・・
まずは、
1割の人が
真本音の想いを
自ら知り、
自ら表明できるように
なること。
あなたも
その一人に
なりませんか?
つづく
<ご案内>
真本音度合いを高め、
調和を起こす人になる
ための
セルフコーチング法。
動画の無料配信は
今日までです。
ご興味ありましたら、
ぜひどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私は、
人の美しさ、って
どこに感じるか?
と言いますと、
その人の一貫性
に感じます。
つまり、
その人の本当の想い
があって、
その想いが
そのまま普段の行動や
振る舞いに現れていて、
さらにその想いが
何らかの結果として
カタチとして
結実している。
そんな人を見ると、
格好いいなぁ、
と感じるのと同時に
美しいなぁ、
と思うのです。
実際、
そういった人の空気感は
とても居心地がよく、
一緒にいるだけで
幸せな気分になります。
真本音度合いが高まる
とは、
言葉を変えれば
一貫性度合いが高まる
とも言えるのです。
・・・・・・
逆に言えば、
どれだけ想いが強くても、
それが想いだけで、
普段の行動に現れず
カタチになっていないまま
そのままを放置している人
を見ると、
私は美しさを感じません。
むしろ
想いが強い分、
そのギャップに対して
気持ち悪さを感じます。
その気持ち悪さは
本当は
本人もよく感じていて、
それがエンティティに
なったりします。
ちなみにエンティティとは、
ストレスがある一定以上の
濃度になり、
実体化したものです。
日本語に訳すと
「生き霊」となります。
ちょっと怖いですが、
これは人間であるならば
ほぼ全員の人が常に
持っています。
エンティティの強い人は
それをまるで風邪のウィルスのように
周りに伝染、伝播させます。
すると周りの人達は
そのエンティティを受け取り、
みんな、心の調子が
悪くなります。
私は組織活性化の
ご支援に入る場合、
まずはこういったエンティティ対策を
します。
まぁ、この辺りのお話は
別記事で書かせていただきますね。
とにかく、
人は自分自身の一貫性を
大切にしており、
一貫性のない自分を
感じると、
かなり大量のエンティティを
発生させます。
私はまずは
お一人お一人の
一貫性の度合いを
高めることを
人や組織のサポートの
ファーストステップと
しています。
・・・・・・
要するに、
想いだけでは
ダメなんです。
想いだけで
何もやらない人のことを
悪い意味での評論家と
言います。
組織において
悪い意味での評論家が
増えれば、
その組織は間違いなく
落ちて行きます。
ですので、
①まずはその人の
真本音の想いを
明確にすること。
これが大事ですが、
次に必須なのが、
②その想いを
カタチにすること。
が超重要です。
そしてもし、
お一人お一人が
②ができるようになれば、
ある意味、
自然に組織は調和を
始めます。
そして
③その調和を助長して
さらなる相乗効果を起こす。
のが、組織活性化の
次のステップとなります。
・・・・・・
さて。
②に関しては、
私はいつも結構、
かなり厳しいと思います。
厳しい、というのは、
私が厳しくなる
という意味です。
想いがあるのに
それをやらない人に
対して、
私は厳しいです。
厳しくなければならない
と思っています。
真本音の想いに
気づく前の人に
厳しくすることは
できません。
なぜなら、
その人の心はまだ
脆弱だから。
自分自身の真本音と
出会っていない人の
心は、
脆弱です。
弱い人に厳しくしても
潰れてしまいます。
しかし、
自身の真本音の想いや
願いに気づいた人は
まるで「大地」に
ガッシリと立ったかのような
安定感と強さを
得ます。
そうした人には
厳しくできるのです。
その厳しさが
具体的にはどのような
ものか?については
今回は触れませんが、
(もちろん、怒鳴ったり
するような類のものでは
ありません。)
その人の真本音が
求めている厳しさ
というものが
必ずありますので、
私はそこに素直に
お応えするのですね。
もちろん、
そういった厳しさは
本来私が行なうことではなく、
その組織を構成している
人達同士ができるように
なると本当に素晴らしいです。
そんな状態にすることが
私のサポートの
目的の一つですね。
美しい人が増え、
美しい人達が
さらに美しい人達を
育成していける。
そんな組織にするのが、
私のサポートの
基本です。
つづく
ちょっと極端なことを
書きますよ。
よく、
「プロとは、
自分のできないことを
できない、と
きちんと言える人のこと」
と言われますよね。
そうだよな、とは
思うのですが、
しかし一方で
私は、いつも
こう思っているんです。
「あぁ、もうダメだ。
私の手に負えない」
と思ったところからが
本当のプロの仕事の
スタートだ、
と。
逆に言えば、
「もう自分の手に負えない」
と思っていない
ということであれば、
それは
その時点では、
まだ私はプロとしての
仕事をしていないのだ、と
ちょっと極端かも
しれませんが、
そう思うのです。
だって、
プロって、
その道では
誰よりも「進化」を続ける
存在だと思うから。
プロというのは
能力があるのは
当たり前。
期待に応えるのも
当たり前。
100%がんばるのも
もちろん
当たり前。
結果を出すのも
当たり前。
そういった当たり前の
さらにプラスアルファを
し続ける存在。
そして、
そのプラスアルファとは
これまでのやり方や
これまで培ったものを
すべて壊すくらいの
もの。
前と同じやり方を
しました。
・・・なんてのは
その時点で私は
プロではない、と。
前の仕事よりも
今の仕事の方が
明らかにレベルアップしている
こと。
進化を
続けていること。
誰よりも
進化の度合いが
高いこと。
速いこと。
そうなれている時に
初めて私は
「その道のプロである」
と言えると
思ってるんです。
極端?
いやでもこれって
当たり前ですよね。
・・・・・・
私は企業様のサポートに
入らせていただいた場合、
そこにいらっしゃる社員さんの
どなたよりも
私自身が成長(進化)しよう
と思っています。
公開講座をやる場合も
同じです。
参加されるいかなる受講生さん
よりも
自分の方が進化度合いが
高い、
ということを
私自身の存在意義の
必須項目として
決めています。
それが実際に
できているかどうかは
わかりませんが、
この本気の意欲がなくなったら、
その時点で私は
この仕事をプロして
辞めようと
いつも思っています。
私は、
少なくとも
人の心や人の成長に
関わる仕事をしている人間は
これが当たり前だと
思っています。
厳しすぎる?
いやぁ、やっぱり
当たり前のことでしょ。
だって、
これがなければ
毅然と皆さんに
何も伝えられないからねぇ。
私が毅然と
していられるのは
私の能力云々ではなく、
私は自分の進化意欲の高さを
知っているからだと
思うのです。
現時点の自分が
どうなのか?
よりも、
どれだけ今、
進化し続けようと
しているか?
実際に進化が
できているか?
これこそが大事だと
思うのです。
そしてそれは
決して辛いことでは
なく、
そう思いながらお仕事が
できるのは、
とてつもない幸せです。
なぜなら、
人の本能の根底は
この「進化意欲」
ですから。
・・・・・・
真本音度合いが
高まることで、
どのような変化が
起きるか?と言いますと、
それは
いろいろありますが、
私がいつも感動するのは、
真本音度合いが
高まることで、
その人の「進化意欲」が
目を覚ます瞬間です。
もっと成長したい。
もっと進化したい。
今のままの自分では
もの足りない。
もっと挑戦して
まだ知らない自分を
発掘したい。
そういった自分の欲求に
素直になり始めるのです。
それがグングン高まる
様子を拝見していますと、
本当に感動します。
で、
私もそうあろうと
余計に思えます。
そして、
自分の進化意欲に
素直になっている時、
人は本当に
心も魂も穏やかになり
安定し、
安寧を得るのです。
つづく
自己犠牲は
決して
美しいとは
思いません。
でも、
どのような時にも、
誠実に
人と向き合い、
自分がどのような
状態であっても、
ただ、
目の前の人に
すべてのパワーを
注いでいく。
そんな潔さを
私は
美しいな、と
思います。
一日を終え、
すべてのパワーを
使い切り、
ボロボロの状態で
倒れ込むその姿は、
決して格好いいものでは
ないけれど、
でもその生き方に
私は
美しさを感じます。
自己犠牲では
ここまでのことは
できません。
自己犠牲とは
自己満足だから。
人は、
どこかで自分自身の
ことを
とてもよく
わかっています。
自分が本当に
潔く生きているか、
そうではないか。
潔く生きている人は
自分自身を
毅然と見つめることが
できます。
人を毅然と
見つめることが
できます。
そして、人を
毅然と助ける
ことができます。
人を助ける、とは
本来
自己犠牲ではなく、
自分自身をも
助けることに
なります。
人に対する
救いの手は、
自分自身に対する
救いの手でも
あるのです。
だから、
救う時は
全力で救う。
救ってはならない時は
決して
救わない。
その判断を
毅然と下すその
生き方が、
私は美しいと
思います。
やはり、・・・
人は美しく
あってほしいと、
私は願います。
あなたの
ように、ね。
つづく
明日の今頃は、
私は
どんな気持ちで
いるのだろうか?
と考えたことは
ありますか?
私はよく
あります。
特に、
「明日」にとても大きな
お仕事が入っている場合は、
ちょっとした緊張感と共に
そんなことを
考えたりします。
しかし、
そこに「不安」は
ありません。
いえ、
正確に言えば、
反応本音レベルの不安は
たくさんあります。
それは人間ですから
当たり前です。
しかし、
その不安をじっと
見つめると、
本当にそこには何もない
ことが瞬時にして
わかります。
私は昔は
かなりの不安症でしたので、
そのクセが
出ているだけなのですね。
不安感を出すという
反応本音のクセ。
そこがそこにあるだけで、
そこを見つめると、
あれ?
不安、どこ行った?
どこにある?
となり、
どこをどう探しても
見つからなくなります。
そしてふっと
力を抜くと、
そこには
「確信」
しかないのです。
・・・・・・
少なくとも私は
2012年からは
真本音100%の人生を
送っています。
もちろんそれは
何ら特別なことではなく
「普通」のことです。
やっと「普通」の自分に
戻れたな、
という感覚です。
真本音100%と言っても、
反応本音がなくなる
ことはありません。
なぜなら、
反応本音とは
真本音がこの世で
生きやすく(行きやすく)する
ために
発生させるものだからです。
つまりは、
真本音と反応本音は
コラボするために
存在しているのです、
本来は。
ですから、
真本音100%になるということは
その時その時に
最も必要な反応本音が
きちんと発生する
という状態になります。
それは極めて
「自分らしい」
状態です。
「自然体」
です。
何の力みも無理も
そこには
ありません。
そして当然のことですが、
真本音100%になった
からと言って、
未来が予測できるようには
なりません。
むしろ、
ますます予測できなく
なりますし、
ますます思惑通りには
進まなくなります。
なぜなら、
私達の真本音は
「未来がわからないこと
こそが大切なこと」
であると決めて
いるからです。
これがこの
3次元の世界の
ルールであり
摂理であり、
そして
面白味の真髄です。
そして、
未来がわからなく
なるからこそ
「確信」
が湧くようになります。
面白いことですが、
未来を予測すれば
するほど、
「確信」は
遠のきます。
未来は
まったくわからない。
わからないからこそ
面白い。
わからないことを
楽しもう。
となれた時に、
「確信」が
湧き始めるのです。
何が「確信」の根拠
なのかは
わかりません。
根拠のない確信。
しかしこれほど
強いものはありません。
根拠ありの確信は
根拠がもしなくなれば、
もうそれは確信では
なくなります。
しかしそれを本当の
確信とは言いません。
確信とは本来。
根拠のないものです。
・・・・・・
とはいえ、本当は
根拠はあります。
(どっちなんだよ。笑)
私達の高い次元では
「すべては一つ」
ですから。
そこでは、
過去も今も未来も
一つです。
確信とはそこから
来るものですから、
そういった意味では
根拠はあります。
でもそれは
この3次元の世界に
生きている私達の頭では
理解不能な領域です。
・・・・・・
真本音に素直に
生き(行き)、
真本音の度合いを
高めれば、
そういった意味での
確信は
毎日、当たり前のように
湧き続けます。
2012年から今日に
至るまで、
もちろん私にとっては
「成功」ばかりでは
ありません。
その時点だけで見れば、
望まない結果は
出ますし、
想定外の出来事や
辛いことも、
もちろんあります。
でも、
例えば、それらをすべて
経験した後の今の私が
タイムマシンに乗って
2012年に戻ったとして、
今のこの記憶のままに
戻ったとしても、
それでも私は
まったく同じ歩みを
するでしょう。
同じ選択を
するでしょう。
それくらいに
後悔はありません。
悔いはありませんし、
本当に最善の
一日一日だったな、と
思えますし、
あの日は
あれ以上の一日は
ないな、
とも思えるのです。
そんな人生、
素敵だと思いませんか?
で、
なんでこんな
自慢話のようなことを
しているかと言いますと、
こういった日々は、
そして
真本音100%の状態は、
すべての人が
可能だからです。
なぜなら、
先ほども書きました通り、
真本音度合い100%こそが
「普通の状態」であり、
「本来の自分に戻れたな」
と実感できる
状態だからです。
みんながそこに
戻れるといいな、と
本当に強く思うのです。
私のクライアントさん達は
次々に
真本音100%になって
います。
そんな方々は
本当に自然体ですし、
実に魅力的です。
こういった人を
一人、また一人と
増やしていきたいです。
とはいえ、
それをするのは
ご本人です。
私はそのための
やり方を
お伝えするだけ
なんですけどね。
つづく
<ご案内>
真本音度合い100%を
目指しませんか?
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私達人間は
何か新たなものを
生み出すことに
無上の悦びを得ます。
しかし
新たな何かとは
たった一人では
決して生み出せないように
なっています。
人と人が
関わり合い、
先人の知恵と
今の知恵と
様々な経験と
未来への希望と、
本当にいろんなものが
ブレンドされて
「一つ」になれたときに、
まるで突然変異のように
これまでの延長線上からは
逸脱した
まったくステージの異なる
新たな何かが
生まれます。
それを
成し得たときの
私達の心、
・・・というよりも、魂の
悦びというのは
尋常ではありません。
その瞬間を
いつも夢みて
日々を進んでいるのが
私達の共通の
想いの一つです。
・・・・・・
私達は
進化を望む生き物
ですが、
その進化とは
カタチに現さなければ
意味がない、
とも
全員が思っています。
進化をしたい
という想いは、
カタチになってこそ
果たされます。
この
「想いをカタチにする」
ことを私は
「経営」
と呼んでいます。
「人生経営」
という言葉がありますが、
自分の人生を
自らが「経営者」となって
創り上げていく。
そういった意志を
持ちながら
日々を歩んでいく。
そんな状態に、
すべての人がなれると
いいな、と
私は願っています。
・・・・・・
今日(9月1日)、
私は、
実在のレベルにおいて
何かとてつもなく
大きくて、
新しくて、
これまでに観たこともない
「何か」が
生まれた感覚を得ました。
これまで
体験したことがないような
感覚。
ちょっと極端な表現をすれば、
これまで
人類が体験したことのない
くらいの何か、が
生まれた感覚があります。
恐らく私達は
何かとてつもないことを
成し遂げました。
ただし、
あくまでも実在レベルの
話です。
実在はタイムラグを経て、
徐々に現象化されます。
何が具体的に
現象化されるか?は
現時点ではわかりませんが、
恐らくこの現象化は、
この3〜4年のスパンで
行われるのではないか、と
思われます。
あくまで私の
感覚ですが。
・・・・・・
はっきりと明確なことは
まだわかりませんが、
なんか、
とっても
打上げをしたい
気分です。
みんなで何かを
祝福し合いたい。
そんな気持ちばかりが
湧き上がります。
この、
実在の感覚は
今後、私自身が最も
大切にすべきものだと
自覚しています。
この感覚のする
方向へ、
進んで行けばいいのだな、
とわかります。
そういった意味で
大事な指針を
得ることができました。
私達は
どうやら、
本気で変わろうと
しています。
真本音でそのように
決めているようです。
この、
私達の想いを
まずは私自身が
誰よりも大切にしようと
決意した、
そんな今日でした。
つづく
<ご案内>
もっと多くの人達が
「実在」を
キャッチできるようになると
いいな、と
私は本当に思います。
そうすれば、
自分の次の一歩が
迷うことなく
常に明確に観えてきます。
後悔も
なくなります。
この世の現実は
予測不能なことばかり
ですし、
自分の思惑通りに
進むことなど滅多に
ありません。
しかしそうだからこそ
面白いのです。
・・・なんて、
自然に思えるように
なるには、
実在をキャッチする力が
必要です。
現象(現実)の大本に
なるもの、
それが「実在」です。
これが理解できれば、
今のあらゆる現実を
そのまま受け止め、
毅然と進むことが
できるようになります。
実在キャッチ力を
高める。
これも、私の提唱する
真本音セルフコーチングの
目的の一つです。
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
よく、
人のせいにしては
ダメだ。
環境のせいにしては
ダメだ。
と言われます。
その通りです。
自分以外の何かの
せいにして、
自分の次の振る舞いや
自分の次の選択を
決めている人は
どこに行っても、
どの環境に入っても、
自分以外の何かの
せいにする人生を
続けるでしょう。
それは
「依存」の人生
です。
自立した人。
自律した人。
人生の覚悟を
もっている人は、
もちろんそういったことは
しません。
・・・ということを
重々に承知した上で、
今日はあえて
申したいのです。
「もっと
人のせいにしたら
どうですか?」
「もっと
環境のせいにしたら
どうですか?」
と。
・・・・・・
もちろん、
すべての人に
そうお伝えするつもりは
毛頭ありません。
私がお伝えしたいのは、
自分のケツは
自分で拭く、
という覚悟を持った
人に対してです。
私のクライアントさんは
そういった方々が多く、
とても
気持ちの良い皆さん
ばかりです。
そういった人は
人生やお仕事で起こる
あらゆる「現実」に対して、
自分自身の責任である
と捉えます。
もちろんそれは
とても潔いことなのですが、
でも、時々ですが、
自分のせいにし過ぎる
人もいるのです。
すると今度は逆に
物事の本質が
観えなくなってしまうことが
あります。
私はよく
組織のサポートをする時に、
その組織に何らかの問題が
起きている場合、
「誰のせいか?」
を明確にします。
もちろんその人のことを
責めるためでは
ありません。
原因の本質を
あるがままに見極める
ためです。
誰がいけないのか?
何がいけないのか?
その事実を
そのままに見つめることこそ
物事の展開を大きく変える
起点となります。
・・・・・・
このような問題が
このように起きたのは、
まずは、
私のここがまずかった。
私のここが原因だった。
と同時に、
あの人のそこも
まずかった。
あの人のあそこが
原因だった。
・・・というように、
自分とか他人とか環境とか
そういった垣根を
取り払った
ニュートラルな視点から
すべてを俯瞰することが
実に大切です。
それができた時点で、
私達は
次元を一つ上がって
います。
誰が悪いんだ?
俺のせいか?
お前のせいか?
ではなく、
すべてを全部俯瞰して、
どこにどのような
問題があったのか?
をそのまま受け止める
ということですね。
これができる人は
自分にも他人にも
厳しくなりますが、
しかし、
自分にも他人にも
本当の意味で
やさしくなれますね。
・・・・・・
もともと私達の
高い次元の意識では、
すべてが一つ
です。
それはつまり、
私はあなたであり、
あなたは私
なのです。
この本質を思い出せば、
「自分がすべて悪い」
ということは、
あり得なくなります。
なぜなら、
物事はすべて
人と人の関わりと
影響のし合いで
成り立っているからです。
それが
この世の中です。
・・・・・・
世の中は
私である。
私は
世の中である。
すべては
私である。
私は
すべてである。
低い次元で
このように捉えると
それはただの
傲慢ですが、
高い次元では
これが本質であり、
普通であり
当たり前のことなのです。
ですから、
人生の覚悟を持った人、
自立・自律している人にこそ
私は問うのです。
「誰が問題ですか?」
「誰のせいですか?」
と。
つづく
<ご案内>
おかげさまで、
当初私が予想していたよりも
ずっと多くの皆様に
電子書籍と動画を
ご覧いただいたようです。
ありがとうございます。
まだお申込みが
続いているようですので、
配信期間をもう少し
延長しようかと思います。
良いセルフコーチングは、
自分の中にすでに
存在している
高い次元の意識を
思い出すきっかけとも
なります。
もちろん、
高い次元が良くて
低い次元が悪くて、
という単純なものではなく、
私達人間は
高い次元から低い次元まで
あらゆる次元の意識を
内包し、
コラボしているからこそ
素晴らしい存在なのだと
私は思います。
ですからこそ逆に、
多くの皆様に
高い次元の自分自身と
もっともっと出会って
ほしいな、と思うのです。
私達の心の中は
宇宙と同じように
広くて深いです。
心の宇宙の探検を
楽しくしていただくことは、
人生の冒険を楽しむ上では
必須です。
自分としっかり
向き合える人こそが、
現実とも
しっかり向き合え、
人生と
あるがままに向き合えます。
そんなきっかけになると
いいな、と思い、
配信させていただいています。
ご興味ありましたら、
ぜひどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』