私の考える潔さ

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潔さ、って

何だろう?

 

と、

時々考える。

 

きっとたくさんの

答えがあると

思うのだが、

 

私は

真の潔さを

目の当たりにすると

涙が出る。

 

感動という

言葉は

そこには当てはまらない。

 

ただ、

涙が出る。

 

きっと

魂がダイレクトに

泣いている。

 

そしてその潔さは、

そんなに特別な

ものではない。

 

日常の中で

そこかしこに

存在している。

 

例えば、

「風」。

 

道を歩いていて、

ふと

風を感じ、

 

あぁこの風、

潔いな。

 

・・・と感じると

泣く。

 

こういうこと

ない?

 

まぁ街中で涙を流す

のは恥ずかしいので、

 

泣く、というより

泣きそうになる

ということなんだけど。

 

この「潔さ」、

説明しようとすると

かなり難しい。

 

しかし私なりに

あえて言えば、

 

潔さって、

 

自分と

自分以外のもの

との

区別をつけること

 

かな。

 

自分は自分。

 

それ以外は

それ以外。

 

じゃあ、

何が自分で、

何は自分ではない存在?

 

例えば、この手は

本当に自分かな?

 

この足は?

 

この髪は?

 

この風は

本当に自分以外の

存在?

 

太陽は?

 

あの人は?

 

この人は?

 

本当は

どれが自分なのだろう?

 

これ結構、

答えが出ない。

 

でも、

きっとこうだろうな、と

ふと

答えがわかる時がある。

 

そしたら、

 

これは自分なのだから、

自分として

在ろう。

 

と、

あるがままの自分

として

そこに存在する。

 

自分以外の存在への

執着は

すべて手放す。

 

ただ、

本当に自分だと

思える存在が

 

本当に自分そのもの

として

 

ここにある。

 

こうなっている状態は

きっと

かなり、潔い。

 

あぁこの風は

潔いな。

 

・・・と感じる風は

 

あるがままの

風として

そこに生きている。

 

逆に言えば、

あるがままじゃない風は

とても多い。

 

自分とは

何か?

 

どれが

自分だろうか?

 

本当に

自分だと思えるものを

 

まずは

潔く、大事にしよう。

 

そっから

潔い人生は

始まるのだと思う。

 

つづく

 

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