ただ、いる

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自分を

見失いそうに

なったら、

 

意識を

外へ外へ

 

大きく広げて

みるといい。

 

自分という

「個体」に

執着せず、

 

「個体」を

離れて、

 

ただ、

感覚として

 

意識を

大きく大きく

広げていく。

 

これをすると

「自分」が

完全になくなって

しまうような

気がする。

 

それでいい。

 

自分が

わからなくなったら

自分を

完全になくして

しまえばいい。

 

無限に

意識を広げ

続けると、

 

「自分」ではなく

単なる

「場」

になる。

 

「自分」ではなく

「世界」

そのものになる。

 

「宇宙」

そのものになる。

 

その感覚が

大事だ。

 

下手をすると

そのまま

眠っちゃうかもね。

 

世界や宇宙

そのものに

なったままで

いると、

 

個体である

自分の中に

あった

モヤモヤ達が

 

いつの間にか

抜けていく。

 

個体という

檻の中に

閉じ込まれていた

それらのモヤモヤは、

 

まるで

籠から飛び出した

鳥のように

自由になって

 

どこかに

飛んでいって

しまう。

 

モヤモヤは

消え、

自分も

消える。

 

ということは、

モヤモヤを

自分である、と

思い込んで

いたのだろうか。

 

そんなことも

ちょっと

頭をよぎるが、

 

その思考自体も

消えていく。

 

自分が完全に

消えていく。

 

と、

 

・・・ふと、

 

・・・スッと、

 

いつの間にか

自分は

「ここ」にいる。

 

「ここ」に

戻ってきている。

 

・・・ことに気づく。

 

「世界」の中に

消えてしまった

ように思ったのだが、

 

その「世界」

そのものが

「ここ」にいて、

 

それが

「自分」であった、

 

ということに

気づく。

 

でもそれは

特別なことでは

なく、

 

あぁそうか、

そうだったな、

と。

 

私はただ、

ここにいる。

 

ただ

あるがまま

として

ここにいる。

 

こうして

自分は自分を

取り戻すんだ。

 

つづく

 

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