手放す

一気に変化を

 

私達は

昨日とは同じ場所

にはいない。

 

私達は

流れ続けている。

 

私達は

進み続けている。

 

その事実を

自覚しないままに

生きることは

本当は

不自然なんだ。

 

人は皆、

変化を恐れる

ものだが、

 

変化は

誰が何と言おうが

自然に起きてしまう。

 

変化するのが

人間だし、

変化するのが

現実なのだから、

 

良い変化をしよう!

 

と思うのは

自然なことだ。

 

良い変化を

しよう、本当に!

 

さて。

 

変化にも

いろいろある。

 

単純に言えば、

緩やかな変化と

激しい変化がある。

 

あなたは

どっちがいい?

 

実は、

 

顕在意識では

どう考えるかは

別として、

 

本質部分では

激しい変化を

望んでいる人が

今、急増している。

 

激しい、

と言っても

環境を変えるとか

転職するとか

そういったことでは

なく、

 

自分自身を

一気に変化させようと

しているようだ。

 

だからあえて

次の問いを

自分に投げてみよう。

 

「私が今、

最もこだわりたいことは

何だろう?」

 

そして、

 

その答えを

手放してしまおう。

 

つまりは、

 

今、最もこだわって

いることを

手放してしまおう。

 

勇気を持って。

 

勢いつけて。

 

一気に。

 

今は、

やる価値あるよ。

 

私は

やるよ。

 

あなたもぜひ。

 

つづく

 

どっちでもよくなったら

 

こうしたい!

 

とか

 

こうなりたい!

 

とか。

 

自分の夢とか

ビジョンとか。

 

目標でも

使命でもいい。

 

とにかく、

 

自分が強く

願っていたこと

が、

 

ある日を境に

突然、

 

あれっ?

どっちでもいいかな・・・。

 

思うようになること

がある。

 

あれだけ強く

願っていたのに、

 

ずっと

実現のために

頑張ってきたのに、

 

実現しても

しなくても

どっちでもいいかな・・・、

 

と。

 

もしそうなったら、

 

それらの願いは

手放してしまうと

いい。

 

ついさっきまでの

自分は、

その願いのために

生きてきた。

 

でもこれからの

自分は

ちょっと違うのかも、

 

・・・というところに

素直になればいい。

 

その代わり、

手放すなら

本当にしっかりと

手放すといい。

 

中途半端に

願うなら

 

ゼロにする

 

のだ。

 

自分を

空っぽにする

のだ。

 

すると、

その空っぽの奥から

 

新たな

願いが浮上を始める。

 

つまり、

どっちでもいいかな、

思うようになった

ということは、

 

自分の願いが

「進化」「深化」

する兆しだ。

 

ひょっとすると

これまでのその願いを

手放すことは、

 

自分自身の人生や

 

自分自身そのものを

手放してしまうくらいに

 

インパクトがあったり、

怖かったりするかも

しれない。

 

しかしそうであっても

私は

オススメする。

 

中途半端な願い

なら

ゼロにしちゃえ!

 

と。

 

空っぽの自分

として

もう一度、今日から

生きてみよう。

 

きっと何か

脱皮できるよ。

 

つづく

 

調和を決めるもの

 

本当に大事なもの

が何か?

 

がわかると、

 

これまで

大事にしてきてものが

どうでもよくなる。

 

であれば、

手放せばいい。

 

どうでもよいものは

手放せばいい。

 

ちょっと

極端な言い方だが。

 

いつも言うことだが、

手放すとは、

捨てることではない。

 

距離を離す

ことだ。

 

今よりも

遠くに置く

ことだ。

 

この世の中の

調和は、

 

時間と距離

 

で決まる。

 

最善のタイミングで

最善の行動を

起こす。

 

これが

時間による調和

だ。

 

と同時に、

 

最善の距離で

最善の関わりを

する。

 

これが

距離による調和

だ。

 

この二つを

大事にし続ける人は

(もしくは、組織は)

 

あらゆることが

調和し始める。

 

具体的に

何をするか?

 

何を選択

するか?

 

よりも、

 

どのタイミングで

するか?

 

どの距離感で

するか?

 

の方が

実は

大事なんだ。

 

真本音度合いが

高まるということは、

 

この二つを

見極める力が高まる

ということと

イコールだ。

 

つまり

真本音度合いが

高まると

 

手放すべきものを

手放せるように

なる。

 

だから、

 

自分が

本当に大事にしている

ものが何か?

わかればわかるほど、

 

「今、私は

何を手放すか?」

 

という問いを

大事にするといい。

 

私はこの問いを

毎日毎日

自分に問うている。

 

答えがわからなくても

問い続けることが

また大事なんだ。

 

つづく

 

断つ

 

今日も

つくづく思った

のだが、

 

人生も

経営も

 

手放すべきものを

手放すべきタイミングで

ちゃんと

手放せるかどうか?

 

決まるな、と。

 

恐らく、

私達の人生において

必要となる

様々な勇気の中で、

 

手放す勇気

 

というのは

最難関の一つだろう。

 

愛着のある

ものであれば

なおさら。

 

大切に育てて

きた存在であれば

なおさら。

 

しかしそれでも

手放さなければ

ならない時が

ある。

 

必ず

ある。

 

思えば、

「決断」という行為

も、

手放す行為だ。

 

一つを決め、

他の選択肢を

断つ。

 

これがきちんと

できる時は

「道」ができる。

 

「道」が

続く。

 

これが

中途半端にしか

できない時は

 

残念ながら

道は潰える。

 

そういう風に

できているのが

どうやら

自然の摂理だ。

 

手放すべきものを

手放すべきタイミングで

ちゃんと

手放す。

 

私達の

進化はここに

掛かっている。

 

つづく

 

早く捨てないと

 

やめてもいい、

やめた方がいい、

思うことは、

 

どんどん

やめてしまおう。

 

シンプルに

なるんだ。

 

身軽に

なるんだ。

 

手放せない、

とか

捨てられない、

というのは、

 

この3次元の世界を

生きていく上では

最大の阻害要因に

なる。

 

自分も他人も

すべてを含めて、

誰のプラスにも

ならない。

 

・・・と認識しよう。

 

「私、捨てられないから」

などと

のん気に言っている

場合ではない。

 

そんなこと言っている間に、

人生の最大の展開を

逃してしまっているケースは

とても多い。

 

この人は

真剣だな、

 

と私が思えるのは、

手放せる人

だ。

 

良い意味で

捨てる人

だ。

 

これのできない人は

覚悟がない。

 

自分の人生を

全うする覚悟が

ない。

 

そう断言することが

今はとても

大事だと思っている。

 

何をするか?

 

よりも

 

何をやめるか?

 

が、

今は大事。

 

それをしなければ、

次の「発想」すら

生まれないように

私達はできているんだよ。

 

つづく

 

あなたは美しく昇っていく

 

白い龍が

空を

駆け昇っていく。

 

まっすぐに

上のみを

見つめ。

 

龍は、

あらゆるものを

手放した。

 

手放さなければ

昇れない

からだ。

 

その龍の勢いを

見れば、

人は

「いいなぁ」

思うだろう。

 

自分もあんな風に

上昇したい、

と。

 

あんな風に

潔く

いろんなものを

手放せたら

いいのに、

と。

 

でもきっと

あの龍は

特別なんだ。

凡人の

自分とは違う、

と。

 

しかし実は

まったく

事実は

そうではない。

 

龍ほど

人の苦しみを

狂うほどに

感じた者は

いない。

 

あまりの

苦しさに

何度も

自身を失った

者はいない。

 

龍ほど

悩み続けた

者はいない。

 

あらゆる痛みを

限界を

超えるまで

受け続けた。

 

ずっと

ずっと

誰よりも

ずっと。

 

絶望もしたし、

諦めもしたし、

自らを

殺そうとも

した。

 

龍は

苦悩と共に

あった。

 

自分の

苦悩。

 

そして、

自分以外の

人達の

苦悩。

 

すべてを

味わった。

 

自分だけの

苦悩であれば、

どれだけ

楽だったろうか。

 

他のみんなの

苦悩まで

感じてしまう

その辛さ。

 

見えなくても

よいものまで

見えてしまう

その辛さ。

 

どれだけ

自分自身を

呪ったことだろう。

 

そういった

あらゆるものを

龍は

すべて

引き受けた。

 

本当は

引き受けたという

よりも、単に

諦めただけなのだが、

本当に

諦めたら、

気がついたら

すべてを

引き受けていた。

 

そうしたら

同時に

すべてを

手放していた。

 

すべてを

手放したら、

信じられないことに

すべてが

輝き出した。

 

手放すとは

見捨てることだと

ずっと

思い込んで

いたのだが、

そうでは

なかった。

 

手放すことで

すべては

生きるのだ。

 

活きるのだ。

 

本当に

手放して

初めて

それがわかった。

 

わかった途端に、

気がついたら、

垂直上昇を

始めていた。

 

それまでは

龍なんかでは

なかったのだが、

 

気がついたら

白い龍に

なっていた。

 

そんな自分の

姿に

自分で驚き

ながらも、

 

龍は

天を

垂直に

昇っていく。

 

恐らく

この先には

一つの

「臨界」

があるのだろう。

 

そして

さらにその先

には、

 

新たな世界

待っているのだろう。

 

つづく

 

完了感、出ましたね

 

完了感が

出るということは、

 

次のステージ

への

スタートを

意味する。

 

完了感が

出るということは、

 

何かを一つ

手放さなければ

ならない。

 

それは

寂しいことなのだが、

 

でも

そこに留まれば、

どれだけの

不調和がその後に

発生するかを

 

私はこれまで

いやというほど

経験してきた。

 

一つを

終えたら、

一つを

手放す。

 

一つを

手放したら、

一つを

始める。

 

新たに始める

その一歩は

これまでより

ちょっと次元が

高まっている

はずだ。

 

それは

勇気を伴う

ことが多いが、

 

勇気さえ出せば、

新しく軽やかで

清々しい

風を受けながら、

調和の道を

進むことができる。

 

そういった

単純明快な

進み方のできる

仲間を

私は丁寧に

増やしていきたい。

 

そんな仲間達と

語り合い、

笑い合っていたい。

 

つづく

 

手放すのは面白い

 

ある一つの物事を

考えている時、

 

特に

迷ったり悩んだり

している時、

 

私は心の中から

浮き上がってくる

あらゆる

 

「こうしたら

良いのではないか」

 

という発想を、

次々と

手放すことを

する。

 

「これはなかなか

良い発想だな」

 

と思っても、

思いついた瞬間に

手放している。

 

それをしていると、

ある瞬間から

まるでダムが

決壊したかのように、

 

心の奥底から

発想の波が

溢れるようになる。

 

しかし、

それすらも

一つ一つすべて

手放し続ける。

 

なぜそんなことを

するかと言うと、

 

これだけ徹底的に

発想を手放すと、

 

それでも最後に

一つだけ

必ず残る

発想があるからだ。

 

それは、

手放そうと思っても

手放せない。

 

いや、

正確に言えば、

手放そうと思う前に

もう、

 

「あっ、これが答えだ」

 

と、

まるで「思い出す」かの

ように

わかるからだ。

 

そこに

迷いとか、

決めるための覚悟とか、

何もない。

 

ただ、

 

「あぁこれが答え

だったな」

 

と、

まるで宇宙の真理に

たどり着いたかのような

確信と安堵感が

ある。

 

ちょっと

大袈裟な表現かも

しれないが。

 

そして私は

その答えの通りに

動くのだ。

 

これをすれば、

人生において

後悔する

ということは

完全になくなる。

 

その答えの通りに

動いたからと

言って、

自分の意図した通りの

結果が出るとは

限らない。

 

しかし間違いなく、

道は

できる。

 

そして

間違いなく、

願いも祈りも

実現する。

結果的には。

 

だから私は

いつも思う。

 

「手放す」力が

必要だと。

 

極端に言えば、

「手放す」ことが

できないが故に、

皆、

止まってしまうのでは

ないか、とも

思う。

 

手放すのは、

つらいかな?

 

手放すのは、

もったいない気が

するかな?

 

いや。

 

手放すからこそ

手に入るものが

ある。

 

いや。

 

そういうもの

ばかりだ。

 

だからあえて

言うんだけど、

 

手放さないと

もったいないよ。

 

つづく

 

手放さないから進めない

 

やめるべきことは

やめた方がいい、

きっぱりと。

 

やめるべきことを

やめずに

ずっと続けることは、

10トンの重りを

足につけながら

全力疾走をし続ける

よりももっと

物事の効率も

現実の展開も

悪くなります。

 

手放すべきを

手放す。

 

これが

人生のとても重要な

原理原則。

 

3次元世界の

掟です。

 

マネジメントにしても

リーダシップにしても、

 

何をやらないか?

 

そして

 

何をやめるか?

 

これを明確にすることが

ファーストステップ

です。

 

このファーストステップを

きちんと経ずして

良いマネジメントも

良いリーダーシップも

あり得ません。

 

やめるべき、

手放すべき、

そのままにして

前に進もうとすることは

傲慢の極みです。

 

・・・・・・

 

と、

かなり断定的に

書きましたが、

でもやはりこれは

決して大袈裟な表現では

ありません。

 

人生が思うように

進まない。

 

いつも何かしら

妨害や障害ばかりが

自分に降りかかる。

 

こういった場合の

ほとんどは、

ここに原因が

あります。

 

自分が人生において

何をするか?

 

何が人生の目的か?

 

といった重要な答えも、

手放すべきことを

手放さなければ、

一生、見つかりません。

 

これは、

私達の真本音が

決めていることです。

 

私達の真本音は

私達の進化の度合いを

 

手放せるか?

手放せないか?

 

で測ります。

 

何ができるか?

 

では、

測らないのです。

 

「できることが

増えていく」

というのは実は、

単なる「膨張」です。

 

「進化」とは

余分なものをどんどん

脱ぎ捨てていくこと

だからです。

 

ある一定以上の何かを

脱ぎ捨てたり

手放すことで、

私達の真本音は

私達自身の

「準備が整ったな」

と判断します。

 

そして、

次のステージに

進もうとします。

 

それがステージアップに

つながります。

 

・・・・・・

 

手放すべきものから

目を逸らしていては

何も始まりません。

 

手放すには

勇気が必要ですが、

手放すこと自体は

とても簡単です。

 

勇気をもって

しっかりと

手放すべきものを

見つめましょう。

 

しっかりと

見つめながら、

毅然と

手放しましょう。

 

あなたにはもう

それができる

はずです。

 

つづく

 

本当の人生の始まりの時

あなたの

「人生の始まりの地点」

は、どこだと

思いますか?

 

それは、

あなたにとっての

「本当の人生」の始まり

の地点です。

 

今振り返って、

「ここから私の

本当の人生が

始まったんだな」

と思える瞬間です。

 

そこでは

どのような出来事、

どのような体験が

ありましたか?

 

その瞬間のことを

ありありと

思い出してみて

ください。

 

そして

もう一度、

イメージの中で

その瞬間を

体験し直してみて

ください。

 

あなたはその時、

何かを手放した

はずです。

 

そして、

その時に

何か大切なものを

見つけたはずです。

 

その時その瞬間の

あなたには

その自覚はなかった

でしょう。

 

でも、

今、改めてありありと

その瞬間を思い出す

ことで、

それが何か?を

自覚することが

できるはずです。

 

あなたはその時、

何かを手放し、

何かを見つけた。

 

その、

見つけたものは

多くの場合、

とてつもなく強い

「願い」

だったはずです。

 

それが、

「真本音の願い」

です。

 

・・・・・・・

 

私は18歳の時、

初めて縦走登山を

始めました。

 

大学の部活動です。

 

一人50kg以上の

ザックを背負い、

3週間近くも山に入り、

山を縦走します。

 

「夏合宿」と

呼んでいました。

 

私の初の夏合宿は

北アルプスという

場所でした。

 

1日目は、

14時間登りづくめで

体力のすべてを

使い果たしました。

 

2日目は、

3000m近い稜線の上で

台風のような

暴風雨に遭いました。

 

テントが50mくらい

吹き飛ばされ、

みんなで必死にテントに

しがみつき、

雨にびしょ濡れになりながらも

自分達の生活の場を

守り続けました。

 

そして3日目。

常念岳という、

日本百名山の一つを

越えました。

 

その山はとても

急峻でした。

 

実はこの時まで

入山以来、一度も

晴れていなく、

ずっと真っ白なガスの中の

苦しみの登山

だったのですが、

 

常念岳の山頂まで

あと少しというところで

突然、ガス(雲)が晴れ、

青空が見え、

そして、

北アルプスの山々が

目に飛び込んで

きたのです。

 

突然、目の前に

現れた

槍・穂高岳連邦。

 

そのあまりの迫力と

素晴らしさに

私は50kgを背負ったまま

茫然自失と

立ち尽くしました。

 

その瞬間です。

 

私の場合はその時、

はっきりと

自覚しました。

 

今、この瞬間に

私の本当の人生が

始まったのだな、

と。

 

その時、私が

手放したものは、

「私は、誰よりも

劣っていなければ

ならない」

という、

とてつもなく強い

自分への

「リミッター」

でした。

 

そして、私が

得たものは、

「私にはこの人生で

果たすべき何かがある」

という確信と、

「その何かを

35歳までに見つけなければ

ならない」

という使命感にも似た

願いでした。

 

ですから私は

それ以降、

「人生を上手く進める」

ことをやめました。

 

多少ダメージを受けても

よいから、

いろんなものに

ぶつかりながら、

濃密な人生を生きると

決めたんです。

 

35歳までに

人生の目的を

見つけるために。

 

そしておかげさまで

その通りに

なりました。

 

35歳なりたての時、

私は、

「真本音」

と出会うことになります。

 

と同時に、

自分がすべきことを

はっきりと

自覚できました。

 

・・・・・・

 

さて。

 

以上は私の話

です。

 

あなたは

いかがですか?

 

つづく

 

大事なものほど手放してみよう

「自由」と「手放す」

というのは、

ある意味、

同義語かもしれません。

 

もちろん

イコールではありません。

 

しかし、

本当に自由な人には

執着がありません。

 

手放すべきものを

手放すべきタイミングで

すぐに手放すことが

できます。

 

逆に、

そういう人は、

何を手放してはならないか?

について

とても冷静です。

 

手放すべきものと

手放してはならないものを

常に落ち着いて判断し、

その通りに実行することが

できます。

 

そういう人は概して、

とてもあたたかい雰囲気を

持っています。

 

そして、いい意味で

無邪気です。

 

一緒にいて、

癒されます。

 

なぜそうなれるか?と

言いますと、

そういった人は

実在レベルでは

すべてに満たされている

からです。

 

実在レベルでは

すべては一つである

という感覚が

大きいのです。

 

現象レベルで

何かを手放しても、

それはただ距離を離すという

だけのことで、

実在レベルでは

一つであるし、もしくは

共に在るのです。

ということを

感覚としてよくわかって

いるのです。

 

むしろ、

距離を調整することこそが

実在レベルでのあらゆるものの

存在感を

より高め合うことができる

ということも

よくわかっています。

 

「もうあなたと会うことは

やめにします」

「もうあなたと一緒に

仕事をすることはやめます」

「もう離れて暮らしましょう」

 

・・・というようなことを

言いながらも、

それをすることで

お互いのつながりや存在や

そして愛が

さらに深くなることを

知っているのです。

 

・・・・・・

 

私達が手放せるものの中で、

ある意味

最大のものは、

「人生」

かもしれません。

 

「人生を手放す」

 

もちろんそれは

自殺ということでは

ありません。

 

自分の人生を一度、

完全に手放して

しまうのです。

まずは

実在レベルで。

 

つまりは、

心の中で。

 

私は私の人生を

完全に手放せたな。

 

・・・と100%思えることで

初めて観えてくることが

あります。

 

例えば、

自分は自分の人生に

いかに執着していたか?

とか。

 

実は私はこれまで

何度もこれを

しています。

 

私の場合

そこで発見したのは、

人生の願いやビジョン、

そして、

使命に対して

依存している自分自身でした。

 

自分の真本音に

依存している自分であり、

自分の真本音に

執着している自分

でした。

 

もうその時点で

真本音

ではなくなってるんですけどね。

 

もちろん私達は

人間ですから、

執着があるのは当たり前です。

 

執着をゼロにすることは

難しいでしょう。

 

しかし、

執着が執着であることを

知ることが大事であり、

それが執着であるという

自覚のないまま進むことは

できれば避けたいですね。

 

・・・・・・

 

今、あなたにとって

最も大事だと思える人を

一人選んでください。

 

その人を

手放してみてください。

 

もちろん、

心の中だけで結構です。

 

でも、

完全に手放してみて

ください。

 

できます?

 

できないですよね。

 

そりゃ簡単には

いきません。

 

でも、

「手放せた!」

と確信できるまで

がんばって

やってみてください。

 

もちろん

心の中だけです。

 

するとそれが

ゼロリセットとなり、

その人との

新たな関係がスタート

するかもしれません。

 

その人との関係において

これまで思いもよらなかった

発想が

浮上するかもしれません。

 

同じように、

今の自分の仕事に

対しても

心の中で完全に

手放してみてください。

 

何をどう

感じますか?

 

どうしてもそれは

手放せない、

ということであれば、

それはまず間違いなく

執着です。

 

本当は私達は

自分にとって

真に大事なものであればあるほど

手放すことができるのです。

 

しかしもちろん、

その執着を無理に取り払う

必要はありません。

 

でも、

その執着がどのようなものかを

しっかり観察し、

自覚することは大事です。

 

その執着が

あなたの人生の足を

様々な場面で

引っ張っているかも

しれませんから。

 

以上は、

現実を本当に動かすわけでは

ありませんので、

「遊び」の範疇です。

 

でも、

「遊び」だからこそ得られる

発見もあります。

 

「遊び」だからこそ

一度、

真剣にやってみることを

お勧めします。

 

つづく

 

一つの節目を越えました

節目、というものが

私達の人生には

いくつもありますね。

 

年の変わる年末年始は

代表的な節目ですが、

会社で言えば、

期が変わる節目とか、

個人で言えば、

誕生日とか、

結婚記念日とか。

 

様々な節目があり、

その節目ごとに

私達は何かしら

気持ちを新たにしています。

 

それらは

現象レベルの節目

です。

 

それとはまったく別として

実在レベルの節目

というものもあります。

 

実在レベルの節目

というのは

現象レベルのように

何月何日と日付が

決まっているわけでは

ありません。

 

不定期にその節目は

訪れます。

 

実は。

 

4月18日から19日にかけて、

ここに一つの

節目がありました、

実在レベルでは。

 

・・・・・・

 

「実在」とは、

私達の心の中の世界

です。

 

私達の心は

宇宙のように広く

そして深いです。

 

そして、

すべての人の心は

つながっています。

 

集合無意識、という

言葉がありますが、

私達は無意識下で

つながっています。

 

しかもそのつながりの

深さには

階層があります。

 

表面的なつながりから

深〜いつながりまで。

 

その奥の奥の奥まで行けば、

私達は「一つ」となります。

 

「一点」に集約されます。

 

その「一点」とは

「一点」ではあるのですが、

「無限」です。

 

そこには「すべて」が

存在しています。

 

何もない状態を

「無」と言いますが、

その真逆で、

すべてが存在している状態

です。

 

それを

「空」(くう)

と言います。

 

その、「空」である中心の一点

であり

無限であるものを

アメリカでは「Source(ソース)」と

呼んでいます。

 

日本では

『源』(みなもと)

と訳されているようです。

 

名前のごとく

これがすべての源である

と捉えられているのですが、

実は、

本当は、そうではありません。

 

「源」のさらにその奥にも

さらなる「一点」が

あるのですが、

それについてはまだ

ここでは言及しません。

 

とにかく私達の心は

深いです。

そして、

すべてがつながっています。

 

その心の中に実在している

ものを私は

『実在』

と呼んでいます。

 

心の中に実在しているもの

という言い方をすると、

それは

「イメージのことか?」

と思われそうですが、

そうではありません。

 

イメージとは

単なる幻に過ぎません。

言葉は悪いですが、

妄想と同じです。

 

「実在」は

妄想ではありません。

イメージでもありません。

本当に実在しているものです。

 

心の中の世界。

 

すべてとつながっている

世界。

 

それは

『実在の世界』

と言ってよいでしょう。

 

実在の世界において

実在しているものが

心の外の世界に

反映されます。

 

つまり、

私達のいるこの現実世界に

反映されます。

 

それを

『現象』

と言います。

 

この世にある

あらゆるものは

「現象」です。

 

それは、

「実在」の反映です。

 

「実在」がなければ

決して生まれないものが

「現象」です。

 

「実在」から

「現象」は生まれます。

 

つまり、

心の中にあるものが、

現実化するのです。

 

心理学の世界で

よく喩えられるのですが、

実在とは、映画のフィルムであり、

現象とは、フィルムによって

映し出された映像

のようなものです。

 

・・・・・・

 

さて、話を

戻しましょう。

 

そんな実在の世界において

4月18日と19日の境目が

一つの節目でした。

 

どんな節目かと言いますと、

一言で表現すれば、

 

『手放す期限』

 

です。

 

私達は、

人生において

何かを手放さなければ

先に進めない

という法則のもとに

生きています。

 

真本音で

手放そうと思っていたものを

きちんと

手放せたかどうか?

 

ということは逆に、

これは手放してはならない

と真本音で決めているものを

ちゃんと大事に抱いて

いるかどうか?

 

そのチェックを

自分自身がする節目

だったのです。

 

あくまで

自分自身のチェックです。

 

他の誰かが

するわけでは

ありません。

 

自分の真本音が

自分をチェックするのです。

 

チェックの結果

真本音が満足すれば

次のステージに

その人は進みます。

自らの意志でもって。

 

チェックの結果、

真本音が

これはまだまだダメだな

と判断すれば、

次のステージには行かず、

もう一度、同じステージに

戻ります。

もしくは、

もっとずっと前のステージから

やり直しをします。

もちろん、

これも自らの意志で。

 

その分かれ道が

4月18日と19日の

節目だったのです。

 

ダメだったな

という人も

落胆する必要はありません。

 

ちゃんとやり直しを

すればいいだけのこと。

 

しかし恐らく

その人はかなりの

後悔をするでしょう。

 

その、後悔こそが

大事です。

 

後悔するからこそ

進化があります。

 

人の人生には

やり直しが効きます。

自分で自分に対して

不合格を出しても、

やり直しをすれば

よいのです。

 

自分で自分に

合格を出せた人は

本当に

よかったですね!

 

おめでとう!

とお伝えしたいです。

 

その人達は

次のステージへ出発です。

 

そこには

これまでに経験したことのない

新たな冒険が

待っています。

 

それは

ドキドキワクワクする

冒険です。

 

つづく

 

先に進む? 進まない? どっち?

子どもは

永遠に親の保護のもとに

いるわけではありません。

 

必ず

親から独り立ちする

瞬間が来ます。

 

親から離れる

時が来ます。

 

『子が育ちますように』

 

この祈りは

誰もの心の中に

いえ、

魂の中に必ず

存在するものです。

 

この祈りに基づいて

生まれるエネルギーと

そのエネルギーに基づいて

生まれるあらゆる行動や

振る舞いのことを

『慈しみ』

と言います。

 

これについては

実は

私達人間の「本能」の成立にとって

あまりにも重要なものですから、

改めて時間をとって

ゆっくり書かせていただく

つもりです。

 

慈しみには必ず、

独り立ち、巣立ち、離れ、

そして、別れ

といったものがセットで

ついて来ます。

 

きちんと別れるべき時に

別れること。

 

離れるべき時に

手放すこと。

 

それは

真の慈しみの行為に

他ありません。

 

あの人のことが嫌いになった、

だから別れる

という単なる感情による

別れとは

それは本質的に異なる

ということは

誰もがわかるでしょう。

 

感情的な別れ、とは

反応本音による別れ。

 

慈しみの結果としての別れ、

とは

真本音による別れ。

 

どちらも寂しく

悲しいものかもしれませんが、

真本音の別れには

根底に必ず不思議な

すがすがしさが

湛えられています。

 

真本音で生きるということは

別れるべき人と

次々に別れ、

出会うべき人と

次々に出会う

人生となります。

 

よく言われることですが、

何かを手放すことで

新たな何かが

入ってくるというのは

真実です。

この3次元の世界に

おいては。

 

つまり、

感情のまま、もしくは

情に流されたまま、

別れるべき人と別れないことで

出会うべき人と

出会えなくなります。

 

・・・

何でしょう?

 

こうしてこの文章を

書いていますと、

様々な人達のお顔が

浮かんで来ます。

 

ほとんどが私の

クライアントさんですが、

今、多くの人達が

人生を次のステージへと

転換されようと

しています。

 

先日、

ある人が私に

言われました。

 

「なんか、この同じ体を

持ったまま、

生まれ変わろうとしている

気分です」

と。

 

まさしく、

そんな感じ。

 

そんな状態の人が

今、とても増えています。

 

今が4月だから

ということではない気が

します。

 

来年の今頃にちょうど

平成から新たな時代に

変わりますが、

その一年前に先んじて

人生の新たな時代に

入ろうとしている人が

多いのかな。

 

皆さんがちゃんと

新たな時代に入るためには、

ちゃんと

別れるべきと

別れなければなりません。

 

手放すべきを

手放さなければ

なりません。

 

中途半端なまま

先に進むことだけは

やめましょう。

 

先には進まない、

という選択も

もちろんありです。

 

その場合に、

別れは必要ありません。

 

行くか、

行かないか。

 

100か、

ゼロか。

 

どちらかの

選択にしましょう。

 

中途半端であること

だけは

やめましょう。

 

混乱や混沌とは

多くの場合、

中途半端さから

発生するものです。

 

本当は、

「距離感」についての

具体的な事例を

今回はご紹介しようと

思ったのですが、

あまりにいろんな人の

お顔が浮かぶものですから、

あえてその人達に向けて

今日はメッセージさせて

いただきました。

 

明日は

具体的な事例を

ご紹介できるかな?

 

つづく

 

人生の展開は距離感で決まる

私達の人生において

大きな転換のきっかけと

なるものに

「出会い」

がありますが、

その一方で、

「別れ」

というものがもたらす

影響も大きいですね。

 

出会いは概して

嬉しいものですが、

別れは概して

寂しいものですし

大きな悲しみを

伴うこともあります。

 

そのため結果的に、

 

「本当は今、

別れなければならないのに、

別れられない」

 

という現実を

創り出してしまっている

人が多いのが、

今の世の中の一つの傾向です。

 

実は、

どれだけ素敵な出会いを

重ねてきても、

きちんと別れるべき人と

別れないことで、

真本音度合いを著しく

落としてしまい

人生の不調和が始まって

しまった、

という人を私は

とても多く観てきました。

 

「別れ」とは

とても大事なものです。

 

そして

いつ、誰と別れるか?

私達は自らの真本音で

決めています。

 

もちろん

AさんとBさんが別れる場合、

Aさんの真本音が決めている

別れのタイミングと、

Bさんの真本音が決めている

別れのタイミングは

完全に一致します。

 

そしてその通りに

別れることができた場合、

二人の人生は

新たなステージに進み、

次の出会いと展開が

二人ともに起こり、

二人ともが

さらに真本音度合いの高い

人生を送ることができます。

 

別れるべき時に

しっかりと

別れましょう。

 

もし相手が

反応本音のレベルで

「別れたくない」

と言ったとしても、

その「情」に流されずに

しっかりとそれを

断ち切りましょう。

 

・・・このように書くと

寂しいでしょうか。

悲しいでしょうか。

 

冷たい人間だと

思われるでしょうか。

 

「別れる」という言葉と

ほぼ同義語として、

「手放す」

という言葉もあります。

 

手放すのも

本当に大事なことです。

 

本当に必要なタイミングで

別れを自ら切り出せる人、

そして

手放すことのできる人は

愛の深い人だなぁ、

と私は思います。

 

では、

「別れる」とか「手放す」

という行為の

本質とは

何だと思いますか?

 

それは私は

「距離を離す」

ということだと

捉えています。

 

「距離」

 

とか

 

「距離感」。

 

実は私達の真本音は

これをとても

大事にしています。

 

同じAさんとBさんでも

二人の距離や距離感が

真本音で望むものと

ずれていたら、

そこには不調和が

起きてしまうのです。

 

逆に言えば、

「調和」とは

「距離(感)で決まる」

と言っても

言い過ぎではないでしょう。

 

特に私達が今いる

この「3次元」という世界は

すべてが分離している

世界です。

 

分離しているが故に

一つ一つの物事

(その中に当然、「人」が

含まれます)

との距離(感)が

あらゆるものの展開に

影響を与えます。

 

その距離(感)とは、

心の中の距離(感)と

実際の距離(感)の

両方があり、

その両方を

真本音の望むものと一致させる

ことが「調和」のためには

必須です。

 

ちょっと

わかりづらいですか?

 

もう少し詳しく

お話しした方が

良さそうですね。

事例を交えて。

 

ただ、そのためには

ちょっと文章が長くなりますので、

続きは明日に。

 

まずは今回は皆さんに

二つの問いを

残しておきます。

 

単純に

直観でお答えいただくと

よいですね。

 

以下の問いを

自分自身に向けて

投げてみてください。

 

「私の人生において、

私はあらゆるものと

適正な距離感を持つことが

できているだろうか?」

 

そして、

 

「私が今、もっと

距離を離すべきものとは

何だろうか?」

 

つづく

 

いつ決断するか? ホントに今?

私達の真本音は、

決断のタイミングを

とても大切にします。

 

いつ、決断するか?

 

同じ答えだとしても、

いつその答えを出すか?によって

その後の展開は

根本的に異なる可能性が

あるからです。

 

決めるべき瞬間に

決める。

 

決めてはならない時は

決めない。

 

後回しにすべきことは

きちんと後回しにする。

 

それが、

本当の意味での

「決断」

のポイントです。

 

決断とは、

決めて断つ

こと。

 

つまりは、

一本の道を決めて、

他の道をすべて

断つこと、

手放すことです。

 

完全に一本に

決めるからこそ

私達はそこに全パワーを

集中させることができます。

 

そして、

全パワーを集中させるからこそ、

物事は成就します。

 

逆に言えば、

99.9%のパワーでは

成就しない物事が

とても多いです。

 

私達の真本音は

100%のパワーを出すために、

いつ、どのような決断を

すればよいか?

を見極めているのです。

 

以上を少し別の視点から

表現すると、

 

「準備ができてから

決断する」

 

という言い方もできます。

 

逆に言えば、

 

「準備ができないうちは

決断しない」

 

ということです。

 

「準備」とは、

自分自身の準備もありますし、

決断することで関わることになる

あらゆる環境(人や組織や物事すべて)

の準備もあります。

 

しかも準備とは、

実在レベルの準備もあれば、

現象レベルでの準備も

あります。

 

それは到底、

私達の頭(理屈)では

捉えきれないものです。

 

そういったあらゆるものを

感知しながら、

私達の真本音は

「準備が整ったかどうか?」

を判断します。

 

準備が整う前に

勇み足で決断してしまうことを

私達の真本音は

望みません。

 

そして、

準備がすでにできているのに

それでも決断を遅らせることも

私達の真本音は

望みません。

 

では、

準備ができているかどうか?

今、

決断すべきことがあるかどうか?

はどこで

判断できるでしょうか。

 

それを言葉にするのは

実はちょっと難しいのですが、

あえて言えば、

 

「自分の内に満ちる光」

 

によって判断できます。

 

よく私は

「自分と向き合う」

という言葉を使いますが、

自分と向き合うとは、

自分を客観的に見つめる

ことでもあります。

 

今ここにいながらも、

自分の姿を

自分の少し離れたところから

見つめることは

できますか?

 

これはコーチングでは

一般的に

「デソシエイト」と呼ばれる

状態です。

 

自分から離れて

客観的に自分を観る

のです。

 

それができれば、

今自分の内側に

どれだけの光が満ちているか?

を知ることができます。

 

自分は今、

光り輝いているのかどうか?

 

その光は、

外から与えられたものか、

それとも

自ら、内側から発しているものか?

 

それを確認します。

 

そして、

「あぁ今の自分は、

自分の内側から光が

満ちているなぁ」

と素直に思えたら、

今が決断の時です。

 

それは、

準備が整っているという

証です。

 

私はどちらかと言えば、

自分がその状態になったことを

まずは察知します。

 

で、その後で、

じゃあ今何か、決断すべきことが

あるんだな、

と気づき、

何を今、私は決断しようとして

いるのだろう?

と自分に問いかけます。

 

自分で自分を

コーチングするのです。

つまり、

セルフコーチングです。

 

すると、そういう時はすぐに

答えが浮かびます。

 

あっそっか、

この件についての決断だな、

と。

 

すると次に私は、

では、答えとしての選択肢は

何と何があるのだろうか?

と選択肢を明確にします。

 

選択肢は二つの場合もありますし、

もっと多い場合もあります。

 

どの道とどの道とどの道が

あるのかな?

ということが明確になれば、

あとは簡単です。

 

では、私はその中で

どの道を選択しようか?

 

どの道を

一本道として

選ぼうか?

 

と、問いかけます。

 

するとすぐに

答えがわかります。

 

それは、

確信の答えです。

 

わかった瞬間にそれは

確信となります。

 

迷いは

一切ありません。

 

決断すべき瞬間に

これをすれば、

とてもスッキリと

決断できるのです。

 

上手く決断できない人は、

このタイミングを

外しているという可能性が

高いです。

 

決断とは、

手放すこと。

 

手放すには

確信が必要です。

 

迷いながら何かを手放す

というのは

きついですし、

執着がどうしても

生まれます。

 

決断すべきタイミングを

逃さない。

 

・・・これ、

ぜひ大切にしてみてください。

 

つづく

 

そのこだわりは執着です

私達人間は

真本音のこだわりを持つことで

進化します。

 

しかしその「こだわり」は

なぜ持つかと言うと、

「手放す」ためです。

(→前回記事)

 

真本音のこだわりは、

必ず

手放す時が来ます。

 

なぜならそれは

自分自身だからです。

 

私で言えば、

私が初めて見出せた

真本音のこだわりは

「向き合う」

でした。

 

私はそれを自分の人生理念として

大切にし続けました。

それこそ、

24時間、その言葉を

思い出し続けました。

 

特に人とコミュニケーションを

とるときは、

「向き合う」という言葉を

自分の体の中心に

貼り付けているようなイメージを

いつもしていました。

 

すると、本当に

人と向き合うことができた

からです。

 

それ以前の私は、

人と向き合うことが

至難の業でした。

 

向き合っているフリは

できましたが。

 

人生理念「向き合う」ということを

いつも意識し続けることで、

私は私にとっての至難の業だと

思っていたことを

乗り越えることができました。

 

で、ある時に

その「向き合う」という言葉が

どうでもよくなりました。

 

むしろ、

「向き合う」という言葉に

違和感を覚えるように

なりました。

 

「向き合おう」とすると

逆に力が入ってしまうような、

自然体が崩れるような

感覚となりました。

 

それはそうです。

だって、

本当は、

「向き合う」とは

私自身だったから

です。

 

たけうちなおと

という人間は、

「向き合う」が

現象化したものだった

のです。

 

向き合う=私。

私=向き合う。

 

ということです。

 

つまり、

真本音のこだわりとは

本来の自分自身を

ある一面から

表現しているに

過ぎません。

 

「向き合う」と「私」は

同じであり、

「一つ」です。

 

でも、以前の私は

もともと「一つ」であったものが、

分離してしまって

いました。

 

私は向き合うことが

できない人間だ。

 

・・・と私は思い込んで

いました。

本当はそうではないのに。

 

そこで、その分離をなくし、

本来の姿に戻るために、

私はあえて

「向き合う」という言葉を

言語化、明確化し

それを意識するように

したのです。

 

意識し続けることで、

その分離はだんだんと

修正され、

ある時ある瞬間に

「一つ」に戻ることが

できたのです。

 

その瞬間から私は、

「向き合う」ということを

わざわざ言語化すること自体に

不自然さと違和感を

覚えるようになったのです。

 

当然のことです。

 

実はこれは私だけでなく、

誰にでもよくあることです。

 

私達の多くは、

本来の自分を忘れています。

 

そして、

本来の自分を

自分から分離しながら

生きています。

 

それは非常に

不自然な状態です。

 

不自然が故に、

ストレスが生じます。

エンティティが

発生し続けます。

 

その不自然さを

修正するために必要なのが

言葉。

 

言語化することで

修正し、

修正できればもう

その言語は

必要ありません。

 

手放せば

良いのです。

 

ところが、

もうすでに

修正が完了し、

もうすでに

「一つ」に戻れているにも

関わらず、

「まだ自分はそれができていない」

と思い込み、

ずっと自分の「こだわり」に

こだわり続ける人がいます。

 

それは、

本質的なこだわりではなく、

ただの「執着」であり

「依存」です。

 

「執着」の段階に

入ってしまっているにも関わらず、

それにこだわり続ければ、

逆に、

ストレスやエンティティが

発生します。

 

だからこそ

大事なのです、

「手放す」ことが。

 

そこで、

自分自身にぜひ

問うてみてください。

 

私にとっての

最大のこだわりとは

何だろうか?

 

もうそのこだわりは、

私は

手放してもよいのではないか?

 

・・・と。

 

理屈でも何でもなく、

直観として

「そうだな。手放そうかな」

と思えたら、

その通りにすることを

お勧めします。

 

もうあなたは

それ、そのものに

戻れているのですから。

 

つづく

 

それ、手放せます?

あなたの中にある

最大の「こだわり」とは

何ですか?

 

それは、

人生に対するものでも、

仕事に対するものでも、

人間関係に対するものでも、

その他のことでも

何でもよいです。

 

「こだわり」と聴いて、

最初に思いつくことは

何ですか?

 

恐らくその「こだわり」は

人生経験を踏む中で

できあがったものだと

思います。

 

とても

大切なものでしょう。

 

でももし、

その「こだわり」を

あなた自身が手放したとしたら、

あなたは

どうなりますか?

 

あなたの人生は

どうなりますか?

 

人生展開は

どうなりますか?

 

以上の質問を受けると、

多くの場合、

その「こだわり」をなくすことで、

人生展開は

暗転するイメージを

持たれるではないでしょうか。

 

それはそうです。

 

人生を好転させるために

私達は「こだわり」を

持っているのですから。

 

私で言えば、

私の最大のこだわりは

「向き合う」

ということかもしれません。

 

これは、

私が初めて明確化した

最初の真本音キーワード

であり、

私の最初の人生理念でも

あります。

 

「向き合う」ことで

物事は好転し、

自分の真本音度合いも高まり、

良い意味での真剣さと

良い意味での「楽」を

手に入れることができる

と、私は考えています。

 

私にとっては

なくてはならないもの。

 

私から

「向き合う」ということを

取ってしまったら、

もう私ではなくなるのではないか、

と思えるほどのものです。

 

ところが・・・。

 

今回、書かせていただく内容は

 

その最大の「こだわり」を

手放しましょう。

 

・・・ということなのです。

 

つまり私で言えば、

私のこだわりである

「向き合う」

という自らのポリシーを

手放してしまおう、

ということです。

 

これを、

すぐにできる人のことを

 

『天真爛漫』

 

と言います。

 

真本音度合いが高まったり、

意識の次元が高まることで、

人は自然に

天真爛漫になっていきます。

 

ですので、

真本音度合いが高まったり、

意識の次元が高まることで、

人は自分の最大の「こだわり」を

すぐに手放すことが

できるようになります。

 

正直に言いまして、

私はですね、

最大のこだわりは

「向き合う」ということですが、

じゃあ、

「その、向き合う、というこだわりを

手放してしまってください」

と言われたら、

 

あっそっか、

それも面白そうだね、

 

・・・などと思えてしまいます。

 

いつからそうなったのかは

定かではありませんが、

少なくとも

以前の私はこうでは

ありませんでした。

 

「手放してください」

と言ったその人に対して、

以前の私であれば

食ってかかっていたでしょう。

 

「何言ってるんですか。

あなたは私が最も大事にしていることを

蔑ろにするのですか!」

とか、

「大事にしたいことを

大事にし続けることこそが

大事なことではありませんか!」

とか、

「自分の中心軸を取り除いたら

もうそれは、自分では

なくなるではありませんか!」

とか。

 

でもこれらのセリフって、

本当はちょっと

不自然だと思いませんか?

 

皆さんは

いかがですか?

 

皆さんの中の

最大のこだわりを

手放してください、と言われたら、

拒絶感が

出ますか?

 

それとも逆に

好奇心が

出ますか?

 

もし拒絶感が

出るとしたら、

残念ながらその人は、

 

「自分のこだわりに依存している」

 

ということになるのです。

 

私の場合で言えば、

「向き合う」ということに

自分は依存していた

ということになるのです。

 

実はそれは

人間本来の生き方では

ありません。

 

自然な生き方では

ありません。

 

かと言って、

こだわりを持つのを

やめましょう、

と言いたいわけでも

ありません。

 

こだわりは

大事です。

 

こだわりがあるからこそ

私達は

進化できます。

 

でも、

「こだわり」とは

何のために持つもでしょうか?

 

それは、

 

そのこだわりを

手放すために持つ

 

ものなのです。

 

このテーマについては、

明日以降も続けます。

(多分。 ・・・笑)

 

つづく

 

今、生まれ変わろうとしている人が、実に多いのです

人生には節目があります。

 

生まれ変わる、という言葉がありますが、

実は私達の人生には、何度も

その「生まれ変わり」の瞬間が訪れます。

 

一度、これまでの自分をすべて「リセット」し、

まったく新たな自分として、

人生を再スタートさせる。

 

そのように、自分自身の真本音が決めている

瞬間であり、

それは人生において、何度もあることではないのですが、

何度かは、必ず訪れます。

 

その節目において、

しっかりと、生まれ変わることができるかどうか?

 

つまりは、

これまでの自分を一度、リセットできるかどうか?

 

それがその後の人生の展開を

大きく左右します。

 

ただしリセットと言っても、

それは現象レベル(現実レベル)の話では

ありません。

 

今の職を辞めなさいとか、

離婚しなさいとか、

友達付き合いを変えなさいとか、

そういった現実レベルのことではありません。

 

あくまでも、心の問題です。

私の言葉で言えば、

「心の中の実在を変える」

ということです。

 

ところが、この生まれ変わる瞬間を

逃してしまう人が多いのです。

 

これまでの自分に執着してしまうのです。

 

これまでの私はこうだった。

このようにすれば上手くいった。

だから、これからもその通りでいたい。

・・・と。

 

せっかく、生まれ変わるチャンスが来ているのに、

それを自覚しないどころか、

執着をすることで、何も変わらない、

という人が多いのです。

 

そうなると、どうなるか?

 

人生の「苦しみ」の度合いが

一気に深まります。

 

そしてそれが、現象化(現実化)します。

 

これまで、何となく上手くいっていたことが、

突然、上手くいかなくなった。

 

これまで、誤魔化し誤魔化しできたことが

まったく通用しなくなった。

 

これまで、後回し後回しにしてきたことが

どうにも逃げ道がなくなった。

 

そのような現実が目の前に現れる場合は、

自分がこれまでの自分に執着してしまい、

生まれ変わりのチャンスを逸しようとしている

わかりやすい合図です。

 

もしそういった現実が目の前に

あるのであれば、

今からでも遅くはありません。

「生まれ変わろう」と決めることが

とても重要です。

 

なぜこのようなことを書くかと言いますと、

今その「生まれ変わり」のチャンスに

恵まれている人が、

かつて私が経験したことのないくらいに

多いからです。

 

みんなが同時に生まれ変わろうとしているのかな、

と強く実感します。

 

恐らくですが、

この2017年の内に生まれ変わり、

2018年から、新たな自分として再出発しようと

真本音レベルで決めている人が

多いのではないでしょうか。

 

ですから、ここのところの私のコーチングは、

生まれ変わろうとしている人が、

きちんとこれまでの自分を手放せるように

サポートすることが主になっています。

 

これまでの自分を

手放すのです。

 

これまでの自分のパターンを

手放すということです。

 

心の中で強く

決めるだけでも良いのです。

 

「私は生まれ変わる」と。

 

そして、

これまでの自分の経験やパターンに捕らわれず、

ただただ、目の前に展開する「現実」に

ありのままに向かい合ってみてください。

 

自分の思考によって

物事の判断をすれば、これまでの自分に

捕らわれてしまいます。

 

そうではなく、

「現実」と向かい合おうと決めた上で、

自分の中から生まれる直観を大事にしてください。

 

その直観は、

「え〜っ? そんなことできないよ」

と思われるものかもしれません。

 

これまでの自分のパターンからは

考えられない行動の取り方かもしれません。

 

でも、その直観に素直に

なってください。

 

それが、生まれ変わる、ということです。

 

今回はちょっと

木村さん、弓江さんの二人コーチングのお話は

お休みです。

 

どうしても今、書かねばと思いましたので、

生まれ変わりについて

書かせていただきました。

 

明日からまた、

木村さんストーリーに戻ります。

 

つづく