それは言い訳だ

LINEで送る
Pocket

 

人生に

言い訳は要らない。

 

ところが

言い訳ばかりを

している人は多い。

 

誰に対して?

 

自分に

対して、だ。

 

心の中は

言い訳の宝庫。

 

常に

自分で自分を

納得させようと

言い訳を続ける。

 

それにより

大切な一日が

過ぎていく。

 

・・・・・・

 

言い訳であることを

最も知っているのは

もちろん

自分自身だ。

 

だから

言い訳を続ける自分を

責める自分が

発生する。

 

すると、

責める自分に対して

さらなる言い訳が

始まる。

 

それに対して

さらに責める自分。

 

言い訳のループ。

 

その結果、

自己分裂が激しくなり、

自分同士の戦いが

始まる。

 

その戦いにより、

人生を開拓するエネルギーの

大半は失われる。

 

残念ながら、

その状態で

自分の真本音の願いを

実現する人生を

創り上げるのは

不可能だ。

 

第一、

自分の願いそのものが

わからなくなる。

 

・・・・・・

 

ここから抜け出す

唯一の道は、

 

言い訳なくす、

ことではない。

 

言い訳をする自分を

愛する、

ことだ。

 

言い訳。

 

・・・人として

出るのは当たり前だろう。

 

言い訳の出ない自分になろう

などとは

思わない方がいい。

 

だって無理だから。

 

だって

人間なんだから。

 

私達の心には

様々な「自分」が

発生しては

消えていく。

 

そのように

私達の心は

できている。

 

だからこそ、

進化する。

 

心のない人間に

進化はない。

 

心がある、ということは

様々な「自分」が

発生する

ということだ。

 

それら

「すべての自分」

を、

愛することができるか

どうか、だ。

 

愛とは、

肯定することでは

ない。

 

肯定か、否定か、

という次元に

愛はない。

 

愛とは、

 

そこに在るものを

ただ

「そこに在るんだな」

認めることだ。

 

その「あるがまま」を

見つめることだ。

 

たった

これだけのことで

私達の中には

エネルギーが満ちてくる。

 

そのエネルギーこそが

愛の本質だ。

 

このエネルギーは

私達が自らの身を削って

創り出しているものでは

ない。

 

大自然に

もともと存在する

エネルギーが

「すべての存在を

あるがままに

見つめる」

という姿勢(生き方)に対して

 

引き寄せられて

くるのだ。

 

つまり、

私達の「今ここでの生き方」

こそが

私達自身に

エネルギーをもたらして

くれる。

 

そして

その愛のエネルギーに

満ちた者は、

 

自分だけでなく、

周りのあらゆるものへ、

そのエネルギーを

自然照射できるようになる。

 

だから

その人には人が集まり、

さらにエネルギーが集まり、

その人の人生は

満たされたものへと

好転していく。

 

・・・・・・

 

だから。

 

今この瞬間の

自分自身の「生き方」が

すべてを決定する。

 

その「生き方」の

基本は、

 

自分と

どう向き合うか?

だ。

 

自分のすべてを

あるがままに

見つめることができれば、

 

現実のすべてを

あるがままに

見つめることができる。

 

これを

「真摯」

と私は呼んでいる。

 

真摯な生き方を

しよう。

 

それは

今この瞬間から

すぐにでも

誰にでも

できることだ。

 

つづく

 

コメントを残す

*