エネルギー

どう流れてる?

 

自分自身の

エネルギーの流れを

意識することは

できるかな?

 

人は誰しもが

エネルギーを循環

させている。

 

外からエネルギーを

取り入れ、

 

自分自身も

エネルギーを発し、

 

それらのエネルギーを

様々な方向や角度で

流し続けている。

 

いや、

 

健康であれば

流し続ける状態が

持続するのだが、

 

不健康になれば

一部や全体が

滞ったり、

流れが途切れたりする。

 

私はコーチングを

させていただく時、

必ず

その人のエネルギーの

流れを感じ取る。

 

流れが良くない場合は

流れが良くなるための

やりとりをする。

 

当然と言えば

当然だが、

 

その人が

自らの真本音を思い出したり、

発見することで、

流れは急激に良くなる。

 

さて。

 

皆さんのエネルギーの

流れは今、

どんな感じだろう?

 

例えば私の場合、

 

今の私は

とてつもなく大きな

循環を創り出している

ようだ。

 

一見すると、

「循環」とはわからないほど

の巨大さなので、

 

地面から空に向かって

垂直に

エネルギーが昇り続けている

ように観える。

 

巨大な滝が

下から上に

昇り続けているようだ。

 

私の場合、面白いことに

このように

エネルギーが下から上に

流れることもあるし、

逆に、上から下に

流れることもある。

 

下から上に流れている

時には、

心は高揚するだろうと

思いきや、そうでもなく、

 

むしろ、

通常よりもさらに

心は鎮まってくる。

 

そして

観察力が高まる

ようだ。

 

何かを待っている時に

こうなることが多い。

 

そう。

 

私は今、

待っている。

 

タイミングを

計っている。

 

絶妙のタイミングを

見極めることで、

その後の展開が

大きく変わる「何か」を

始めようと

している。

 

ヒリヒリするような

緊張感がある。

 

その緊張を

エネルギーを下から上に

流しながら、

大きな大きな循環を

描くことで、

 

自らを鎮めて

いるのだ。

 

私はこの時を

待っていた。

 

と言えるような

何かが

始まるのだな。

 

つづく

 

場と共鳴しよう

 

大地というものは

面白いもので、

 

魂を込めて

しっかりと

耕せば耕すほど、

 

エネルギーは

高まっていく。

 

真本音度合いが

高まっていくのだ。

 

ちなみに、

真本音度合いというのは

あらゆるものに

反映する。

 

すべては人の意識の

反映だからだ。

 

すべての「物」に

真本音度合いはあり、

それはエネルギーの

高低に直結する。

 

そして

そういった影響を

最も受けやすいものの

一つに

 

「場」

 

というものがある。

 

例えば、

家族という場。

企業という場。

仲間の場。

 

それだけではなく、

その土地そのものも

影響を受ける。

 

私はいつも、

企業サポートを

させていただく時、

 

個人個人の真本音度合いの

高まりを把握するのと同時に、

 

その会社の

場としての真本音度合い

にも意識を向ける。

 

すると、

「人」と「場」は

密接に共鳴し合っている

ことがわかる。

 

人が場に

エネルギーを与え、

 

場が人に

エネルギーを与える。

 

そんな

プラスのエネルギー循環が

始まり、持続するようになると、

私のサポートの大半は

完了できたのではないか

とさえ

思うのだ。

 

もちろんその「場」というのは、

日本全体

という場もあるし、

地球全体

という場もある。

 

私は常に

そんな視点からも

「場」に意識を向ける。

 

・・・・・・

 

あなたは今、

どんな「場」で

一日の多くを

過ごしているだろうか?

 

まずは

自分にとっての

気持ち良い場を

選択することが

とても重要だ。

 

そしてそれができたら、

次には、

その「場」の

エネルギー度合いを

高めることを

考えるといい。

 

具体的には、

その「場」を

自分にとってより

気持ち良い状態にする。

 

例えば、

整理整頓するとか、

素敵な花や小物を

飾るとか。

そんなちょっとしたこと

でもいい。

 

そして、

その「場」において、

できるだけ

「集中」をすること。

 

「集中」というのは、

根を詰める、という

ことではない。

 

「一つを決めて

一つを行なう」

 

ということだ。

 

つまりは、

「今はここでこれをしよう」

しっかりとやることを一つ

決め、

 

その一つを

迷いなく行なうこと。

 

よそ事に意識を

向けたりとか、

こんなことをしていていいのかな、

という迷いの気持ちで

それを行なうとか、

そういったことを

やめるのだ。

 

例えば、

今はここでダラダラしよう、

と思うのなら、

きちんとそう決めて、

ちゃんとしっかり迷いなく

ダラダラするのだ。

 

一つ一つを丁寧に

決めて

それを行動に移せば、

 

自分自身の心の状態が

良くなり、

それが場にエネルギーを

与える。

 

するとそのうちに、

場が自分に

エネルギーを与えてくれる

ようになる。

 

エネルギーの循環が

始まるのだ。

 

そんな時間の使い方、

場の使い方を

してほしい。

 

つづく

 

あーだこーだ言わせてくれ

 

ドドドドドッと、

まるで大滝が

下から上に噴出するように

 

凄いエネルギーの

流れが

止まらない。

 

これはいったい

何事か?

戸惑うばかりだ。

 

エネルギーが高いのは

とても良いことだが、

 

しかしエネルギーとは

きちんとコントロール

できて初めて

意味を成す。

 

このエネルギーを

これからどのように

制御していくのか?

と、

私は茫然自失と

している。

 

・・・・・・

 

今の私にできる

最大のことは、

 

唯一わかる

ことは、

 

すべての意図を

手放す必要がある

ということだ。

 

もはやこのエネルギーは

私の範疇を

超えており、

 

私のあらゆる意図を

超えるものだ。

 

私が意図を持つ

ということは

その分だけこのエネルギーを

矮小化させる

だけだろう。

 

すべてを

委ねれば

よいのか?

 

でも委ねてしまったら

エネルギーに

埋没するだけでは

ないのか?

 

かなり

不安である。

 

でも

どうしようもない。

 

湧いてくるものは

どうしようもない

のだ。

 

・・・・・・

 

もともと人は

無尽蔵のエネルギーと

つながることが

できる。

 

しかし

つながるためには

条件がある。

 

そのエネルギーを

コントロールできる

自分になることだ。

 

もう自分は

大丈夫。

 

・・・と、

自分自身にOKを出すことで

そこにつながる。

 

私は私に

OKを出したの

だろうか?

 

いや、多分

出したんだろうな、

とっくに。

 

それは

わかる。

 

わかるが、

顕在意識の私が

まだ

ついて行っていない。

 

ヒョ〜〜、

どうしよう。

 

・・・・・・

 

まぁでも

よくよく考えたら、

この10年くらいは

これの連続だったような。

 

でも今回のは

これまでとはちょっと

違う気もする。

 

こういう時にいつも

私は自分の

ヘナチョコぶりを

呪う。

 

とは言え、

どれだけ躊躇しても、

結局は

やっちゃうんだ。

 

委ねちゃうんだ。

 

そんなことは

よくわかっている。

 

わかっているが

その前に

あーだこーだと

言いたいのだよ。

 

・・・・・・

 

というわけで

ちょいと

委ねてみます。

 

これから

どうなるかな?

 

つづく

 

自分のエネルギー管理を

 

ある一面から言えば、

 

人生とは

自分自身の

エネルギー管理である、

 

と私は

思っている。

 

自分のエネルギーを

何に対して

どう使うか?

 

これをしっかりと

決めていくことが、

自分自身の

望む人生を創り出して

いくことだ。

 

そこでとても

大事な視点は、

 

「エネルギーとは

有限である」

 

という事実だ。

 

いやいや、

人のエネルギーは

無限ですよ、

言われる人も

いるかもしれない。

 

もちろんある面から

言えば、

そう言えることも

わかるが、

 

それでは

自分自身の

エネルギー管理は

できない。

 

太陽光発電を

イメージしてもらうと

わかりやすいと思うが、

 

太陽のエネルギーは

無限だとしても、

それを実際に活用できる

エネルギー量は

限られている。

 

つまり、

本質的には

人のエネルギーは

無限かもしれないが、

 

しかし、

今ここで

実際に使える

自分自身のエネルギー量は

限られているのだ。

 

・・・・・・

 

大量のエネルギーを

使うためには、

 

大量のエネルギーを

使えるだけの

「自分」

にならねばならない。

 

自分のあまりの

エネルギーの高さに

自分自身が呑まれ、

自分を失い、

本来望む人生とは

真逆の人生を送っている人は

実はとても多い。

 

「エネルギー」

「今の自分」

バランスが悪い

わけだ。

 

エネルギー管理が

できていない

典型的な例の

一つだ。

 

だから

エネルギーは

高ければいい、

というわけではない。

 

「今の自分」

に見合ったエネルギー量が

あり、

それをしっかりと

管理することで、

逆に、

 

徐々に自分の活用できる

エネルギー量も

増えてくる。

 

そして当然であるが、

たくさんのエネルギーを

活用できる自分に

なればなるほど、

 

人や世の中に対して

影響力の大きな

ことができるようになる。

 

もちろん、

大きな影響を与える

人生ほど素晴らしい、

というわけではない。

 

やはり

その人にはその人の

人生のミッションがあり、

人生の目的があり、

 

それを実現するための

ちょうど良いエネルギー量

がある。

 

それができている人

のことを

私は

『等身大の自分』

呼んでいるが、

 

本当の意味での

等身大の自分として

生きている人は

エネルギー管理が

ちゃんとできている

ということだ。

 

・・・・・・

 

逆も言える。

 

今、自分が

活用できるエネルギー量は

どれくらいか?

 

をしっかりと

認識することによって

 

今、できること

今、すべきこと

 

を明確にして、

それを日々、丁寧に

し続けることで、

徐々に

自身の人生の道を

見出していくこともできる。

 

私の場合は

どちらかと言えば、

こちらのパターンの人生

だったかもしれない。

 

その時その時の

自分の出せる

エネルギー量を

最大活用し続けるうちに、

 

今の仕事と出会い、

そして

今のスタイルを確立した。

 

そして、

私が本当に人生の

ミッションやビジョンを

明確にできたのは、

 

ほんの8年前だ。

 

もちろん

それまでにも方向性は

わかっていたが、

30年後のビジョン

というように

明確に目指すものが

わかったのは

つい最近だ。

 

しかしそれで

よかった。

 

というよりも

私にとっては

それが最善だった、

と思う。

 

・・・・・・

 

今、自分の出せる

エネルギー量を

ちゃんと把握できている

人は、

 

極めて

少ない。

 

大半の人は、

自分の出せる

エネルギー量を

見くびっている。

 

本当はもっと

出せるのに、

「自分の最大は

まぁ、こんなものだ」

小さく思い込んで

いる。

 

それも実に

もったいない話だ。

 

私の推奨する

セルフコーチングは、

 

この、

自分自身の

エネルギー管理の技術

とも

言えるかな。

 

つづく

 

それはあなたのエネルギーだ

 

あなたの心は今、

静かだろうか?

 

静寂だろうか?

 

そうではない、

のではないかな。

 

あなたの中には

「叫び」

があるはずだ。

 

しかしそれは

決して

悪いものではない。

 

その「叫び」は

エネルギー開放(解放)

によるもの。

 

あなたの中心からは

今、

言いようのない

エネルギーが

溢れ続けているのでは

ないかな?

 

・・・・・・

 

それは

これまでのあなたの

努力の結晶だ。

 

これまで粛々と、

一歩一歩を

誠実に生きてきた

証だ。

 

ひょっとするとあなたは、

そのエネルギーの

あまりの凄まじさに、

 

あまりの強さに

怯え、

 

それを観ないように

しているかもしれない。

 

その気持ちは

わかる。

 

でもそれは

紛れもなく

あなた自身の

エネルギーであり、

パワーだ。

 

あなたのこれまでの

生き方が

生み出している

ものだ。

 

正確に言えば、

あなたと宇宙との

共鳴による

新たな波動だ。

 

だから

恐れることなく、

それを

観ればいい。

 

存分に

浴びればいい。

 

委ねれば

いい。

 

・・・・・・

 

しばらくの間は

あなたはそのエネルギーを

制御できないかも

しれない。

 

あなた自身が

エネルギーに

呑み込まれてしまうかも

しれない。

 

それでも

いいじゃないか。

 

たまには

いいじゃないか。

 

でも何がどうあっても

そのエネルギーは

あなた自身が発している

ものであり、

あなた自身だとも

言えるのだから。

 

新たな自分

とも言える。

 

だからいっそのこと

諦めて

すべて

呑み込まれてしまっても

良いのではないか。

 

・・・・・・

 

呑み込まれても

それは

一時的なものだ。

 

すぐにそれは

コントロール可能と

なる。

 

そのエネルギーは

あなたがあなたの

人生の願いを叶える

ためのもの。

 

あなたの

味方だ。

 

そのエネルギーを放ちながら、

あなたは

これまでとは

ステージの違う

人生を始めるだろう。

 

それは

もうすぐだ。

 

楽しみだ。

 

応援するよ。

 

つづく

 

自分をコントロールできないとき

 

自分をコントロールできない

とき、

その原因は2種類ある。

 

一つは、

自分自身のエネルギーが

枯渇している場合。

 

もう一つは、

その逆で

エネルギーが高まり過ぎて

制御できていない場合。

 

・・・だ。

 

今、

後者の状態にある人が

増えている。

 

しかし面白いことに

本人は

前者だと思い込んで

いたりする。

 

もちろん

前者と後者では

対応の仕方はまったく

異なる。

 

前者だと思い込めば、

上手な対応ができず、

余計に

コントロールが利かなくなる。

 

・・・・・・

 

エネルギーが一気に

高まる原因は

 

真本音度合いが高まる

 

ところにある。

 

ところがあまりに

一気に高まり過ぎて

自分の制御力を超えてしまう。

 

実は私のクライアントさんに

多いケースだ。

 

その場合、

まずは最もシンプルな

対応の仕方をしてもらう。

 

それは何かと言うと、

 

「エネルギーの源を

自覚すること」

 

だ。

 

自分の体の中全体に

意識を向け、

自分の中の

「とてつもなく明るい部分」

まずは見つけてもらう。

 

例えば、

胸の中心がとても

明るい気がする、

わかった場合、

恐らくそこが

「エネルギーの源」だ。

 

場所がわかれば、

今度はそこに意識を

向ける。

 

場合によっては、

その明るいエネルギーの

中に

自分自身が入り込んで

しまってもいい。

 

エネルギーの源の中を

探検するような感じだ。

 

あまりに明る過ぎて

怖い、

と思われるかもしれないが、

 

いやいや、それ

あなた自身だから。

 

自分自身の内側から

発しているエネルギーだから

大丈夫。

 

思い切って

その中を探検してみよう。

 

エネルギーの光の中に

入っていくイメージで

その光の中心に

向かっていこう。

 

ここが中心かな、

と思える場所に着いたら、

さらにその

中心に入って行こう。

 

中心の中心の

またその中心に

ずっと入り込んで行く感じ。

 

すると

「もうここが本当の

中心だ」

と思える場所に

たどり着くだろう。

 

そこまで来たら

あとはその場で

じっとしていよう。

 

じっとしながら

そこに存在している

「自分自身の声」

を聴こう。

 

場合によっては

「このエネルギーは

私自身のどんな願いから

生まれている?」

問うてみてもいい。

 

そこでじっとしていると

自然にわかるはずだ。

 

あぁそうか、

このエネルギーの源は

〜〜という私の願い

だ、と。

 

人は

真本音度合いが高まる

ことで、

真本音レベルの願いが

浮上し始める。

 

それがある一定以上に

浮上すれば、

そこから強烈な

エネルギーが発せられる

ようになる。

 

エネルギーの源には

必ず、

「願い」があるのだ。

 

その「願い」を

自覚することで、

エネルギーの意味が

わかる。

 

と同時に、

「これは私のエネルギーだ」

合点がいく。

 

合点がいくことで

私達は、

「普通」になるのだ。

 

つまり、

「このエネルギーがあるのは

当たり前のことだ」

と思えるようになる。

 

するとその瞬間から

コントロールが利く

ようになる。

 

なぜならそのエネルギーを

どのように活用すればよいか?

自分自身が最初から

一番よくわかっているからだ。

 

・・・・・・

 

多くの場合、

人は

自分自身をしっかりと

理解することで

 

自分をコントロール

できるようになる。

 

自分を制御できない人は

理解が足りていない

だけだ、

 

と言っても

言い過ぎではない。

 

「自分」

とは、

恐ろしいものではない。

 

「自分」

とはどんな存在なのか?

 

を楽しくいつも

探検しよう。

 

つづく

 

限られた中でできること

 

残念ながら、

私の体は一つしかない。

 

時間も

一日24時間と

限られている。

 

もちろん、

人としての集中力も

体力も気力も

人並みに限界はある。

 

もう51歳だしね。

 

ところが、

私が一回のコーチングや

研修などで使う

エネルギー量は

年々増している。

 

それだけのエネルギーを

注いでも大丈夫な人が

増えてきたからだ。

 

だから、

今は一日が終わると、

私の生命エネルギーは

ほぼ、ゼロに近くなっている。

 

それを朝までに

復活させるのが

私の夜の仕事の一つだ。

 

残念ながら

眠るエネルギーすら

残っていない。

眠るのには

エネルギーが要るんだよ。

 

だから寝ずして

自分を復活させねば

ならない。

 

こんなことをもう

7〜8年やってるのだが、

ここにきてさらに

私は一日のエネルギー量を

大幅アップさせねばならない。

 

泣き言を言いたい

わけではない。

 

むしろここからはちょっと

傲慢なことを

書かねばならない。

 

私はこれから

お客様を

選ばせていただくことにする。

 

もちろんこれまでも

それはやってきた。

 

私は

私がお客様にしたいと

思える人のみを

お客様にさせていただいて

きた。

 

具体的に言えば、

「この人を、

たとえ無料でも

サポートしたいか?」

と自分に問い、

 

迷いなく

「したい!」

と思える人と

契約をさせていただいてきた。

 

でも残念ながら

今後はさらに

それを絞らねばならない

と思っている。

 

人間としての

私の限界を超えない

ように。

 

というよりも、

ちゃんと私が

生き続けられるように。

 

これは

冗談でも何でもない。

 

切実な問題だ。

 

だからと言って

私は病気でも何でもない。

 

実に健康なのだが、

ただ

一日に使える

エネルギーに限りがある

ということだ。

 

・・・・・・

 

正直、

こんなことをブログで

書くことになるとは

思わなかったが、

 

何となく

書いておいた方がいい

と思うので

書きますね。

 

これから私は

さらにお客様を絞らせて

いただくと思う。

 

絞り方は単純。

 

その人の

「本気度合い」

で決めることにする。

 

もちろんそれは

私の主観となって

しまう。

 

あぁこの人

本気だな。

 

と本当に思える人。

 

そんな人は

周りへの影響も

大きい。

 

そんな人を優先的に

サポートさせていただく

ことにする。

 

こうやって書いていても

傲慢だよな、俺。

・・・と思うのだが、

 

でも、もうこれをしなければ

ならないし、

それをすることが

世の中に対する

「最大の効果」

となるのも

一方ではわかる。

 

どこまで

やっていいか?

 

どこからは

やってはならないか?

 

このギリギリの

見極めの中で、

これから私は

判断をし続けていくことに

なるだろう。

 

私は本気の人を

これまで以上に

徹底的に

サポートしていくことに

なると思う。

 

つづく

 

それは言い訳だ

 

人生に

言い訳は要らない。

 

ところが

言い訳ばかりを

している人は多い。

 

誰に対して?

 

自分に

対して、だ。

 

心の中は

言い訳の宝庫。

 

常に

自分で自分を

納得させようと

言い訳を続ける。

 

それにより

大切な一日が

過ぎていく。

 

・・・・・・

 

言い訳であることを

最も知っているのは

もちろん

自分自身だ。

 

だから

言い訳を続ける自分を

責める自分が

発生する。

 

すると、

責める自分に対して

さらなる言い訳が

始まる。

 

それに対して

さらに責める自分。

 

言い訳のループ。

 

その結果、

自己分裂が激しくなり、

自分同士の戦いが

始まる。

 

その戦いにより、

人生を開拓するエネルギーの

大半は失われる。

 

残念ながら、

その状態で

自分の真本音の願いを

実現する人生を

創り上げるのは

不可能だ。

 

第一、

自分の願いそのものが

わからなくなる。

 

・・・・・・

 

ここから抜け出す

唯一の道は、

 

言い訳なくす、

ことではない。

 

言い訳をする自分を

愛する、

ことだ。

 

言い訳。

 

・・・人として

出るのは当たり前だろう。

 

言い訳の出ない自分になろう

などとは

思わない方がいい。

 

だって無理だから。

 

だって

人間なんだから。

 

私達の心には

様々な「自分」が

発生しては

消えていく。

 

そのように

私達の心は

できている。

 

だからこそ、

進化する。

 

心のない人間に

進化はない。

 

心がある、ということは

様々な「自分」が

発生する

ということだ。

 

それら

「すべての自分」

を、

愛することができるか

どうか、だ。

 

愛とは、

肯定することでは

ない。

 

肯定か、否定か、

という次元に

愛はない。

 

愛とは、

 

そこに在るものを

ただ

「そこに在るんだな」

認めることだ。

 

その「あるがまま」を

見つめることだ。

 

たった

これだけのことで

私達の中には

エネルギーが満ちてくる。

 

そのエネルギーこそが

愛の本質だ。

 

このエネルギーは

私達が自らの身を削って

創り出しているものでは

ない。

 

大自然に

もともと存在する

エネルギーが

「すべての存在を

あるがままに

見つめる」

という姿勢(生き方)に対して

 

引き寄せられて

くるのだ。

 

つまり、

私達の「今ここでの生き方」

こそが

私達自身に

エネルギーをもたらして

くれる。

 

そして

その愛のエネルギーに

満ちた者は、

 

自分だけでなく、

周りのあらゆるものへ、

そのエネルギーを

自然照射できるようになる。

 

だから

その人には人が集まり、

さらにエネルギーが集まり、

その人の人生は

満たされたものへと

好転していく。

 

・・・・・・

 

だから。

 

今この瞬間の

自分自身の「生き方」が

すべてを決定する。

 

その「生き方」の

基本は、

 

自分と

どう向き合うか?

だ。

 

自分のすべてを

あるがままに

見つめることができれば、

 

現実のすべてを

あるがままに

見つめることができる。

 

これを

「真摯」

と私は呼んでいる。

 

真摯な生き方を

しよう。

 

それは

今この瞬間から

すぐにでも

誰にでも

できることだ。

 

つづく

 

ちょっと厳しくしようかな

 

すべてのものには

エネルギーが

ある。

 

エネルギーを

発する

ということが

「存在する」

ということだ。

 

そして

すべてのエネルギー

には

それぞれの

波長があり、

強さがある。

 

もちろん

私達人間も

同様だ。

 

私の人や組織への

サポートの本質を

一言で表現すれば、

 

「エネルギーを高める」

 

ということに

なるのかもしれない。

 

ただし。

 

エネルギーが高まる

というのは

やる気が出る、

とか

気合いが入る、

とか

「うおっしゃーーーっ!」

と叫ぶように

なるとか。(笑)

 

そういう短絡的な

ことではない。

 

一般的には、

本当の意味で

エネルギーが高まれば、

 

その人は

安定し、

逆に

静かに落ち着く。

 

表面上の行動は

むしろ

穏やかになる。

 

しかし

とても

明るい。

 

明るいと言っても

明るさを

前面に出している

わけではない。

 

静かなのに、

明るいのだ。

 

「険しさ」が

なくなる、

 

という表現でも

良いかもしれない。

 

私は

どのような企業様でも

まずは

その時その時の

本質的な明るさ

を観る。

 

もしくは

感じる。

 

そして

エネルギーを高める

ための

方策を一つずつ

打っていく。

 

私がいつも

言葉にしている

「真本音度合いを

高める」

というのは、

 

エネルギーを高める

ための

最も基本的な

方策だ。

 

そして実際に

エネルギーが

高まり続けると、

 

どのような

人でも組織でも

ある「臨界点」

を超える。

 

一つの

枠が外れる

のだ。

 

すると、

まるでフタが取れた

かのように、

ワッとエネルギーが

溢れ出す。

 

眠っていた

(まだ隠されていた)

エネルギーが

まるで噴火のように

溢れるのだ。

 

そこからその

人や組織は

新たなステージに

入るのだが、

 

そのエネルギー量は、

私がいつも

拝見しているイメージで

言えば、

 

一気に10倍以上に

なる。

 

このエネルギーの

解放(開放)は、

感性の豊かな人で

あれば、

すぐに感じ取れる

はずだ。

 

・・・・・・

 

ところが。

 

本来は

エネルギーの開放は、

人にとって

非常に幸せなことで

あるにも関わらず、

 

それを

拒む人が

時々、いる。

 

エネルギーの開放は

本来の自分の

開放でも

あるのだが、

 

それを

拒む人が

いる。

 

その人達は

溢れ出すエネルギーの

放流の中で、

 

必死に

自分の身を丸くし、

固まり、

エネルギーの流れに

逆らおうとする。

 

本当は

エネルギーに

身を任せてしまえば

楽なのだが。

 

これまで私は

そういった

「拒む人達」

に対して、

随分とやさしいサポートを

してきたように

思う。

 

「大丈夫だよ」

「怖くないよ」

とゆっくりと

その人のペースに

合わせて。

 

しかし残念ながら、

どれだけそうしても

拒む人は

最後まで拒んでしまう。

 

そして結局は

まるで岩のように

その場に

張り付いてしまう。

 

そうなった時の

その人本人の

ストレスの凄さは、

 

尋常ではない。

 

もちろん

そのストレスは

周りにも波及し、

 

せっかくの

エネルギーの放流が

そこだけ大きく

歪んでしまうケースも

多い。

 

どうすれば

「拒む人」を

サポートできるか?

 

ここを随分と

試行錯誤して

きたが、

 

実は

世の中は変わった。

 

世の中全体の

真本音度合いは

随分と

高まってきた。

 

そして

エネルギーそのもの

も、

随分と高まった。

 

だから

サポートの方向性を

変えようかな、

今日、思った。

 

つまりは、

「拒む人達」

には

 

もっと

厳しくするのだ。

 

別に怒鳴ったり

むやみに

叱ったりする

わけではないのだが、

 

厳しくする。(笑)

 

今後のサポートは、

厳しさの中にこそ

「道」があるのかも

しれない、

という前提のもとで

行なおうと

思う。

 

つづく

 

あなたのエネルギーはどうだい?

 

人には皆、

エネルギーの流れ

というものがある。

 

そのエネルギーは

その人その人で

異なるもので、

それがその人の

個性の源となる。

 

人とお会いする時、

私はいつも

そのエネルギーを

感じるようにする。

 

私が感じ取るのは、

エネルギーの大小

というよりも、

 

今のその人にとって

そのエネルギーが

必要な循環を

続けているかどうか?

だ。

 

健全な循環を

感じ取れれば、

ひとまずは

安心。

 

あとはその循環が

よりスムーズに

行くように

サポートする。

 

もちろんこういった

話そのものを

することはない。

 

ただ、

コーチングをすることで

循環力(あえて言えば)

が増すようにする。

 

これが私の

コーチングサポートの

本質だ。

 

これを氣功的な

やり方ですることも

できるが、

 

あえて私は

それをしない。

 

それよりも私は

「言葉の力」

を使う。

 

言葉というのは

やはり凄いのだ。

 

その人にとって

今、最も必要な

言葉を使い、

 

その人にとって

今、最も必要な

問いを投げる。

 

そして、

その人にとって

今、最も必要な

メッセージを贈る。

 

これをすることで、

その人の

エネルギー循環は

明らかに変化する。

 

もちろん、

的確ではない言葉

を投げることで

循環が滞ることも

ある。

 

良きにつけ

悪きにつけ

言葉の威力は

大きい。

 

その人にとっての

良い言葉を選び、

それを投げ、

 

その人が

自分自身と

しっかりと向き合う

場を創ることで

 

エネルギー循環を

健全で

最善のものと

する。

 

私はこれが

コーチングの本質だと

思っている。

 

そして当然、

それは

自分で自分に対しても

行なうことは

可能だ。

 

それを私は

セルフコーチング

と呼んでいる。

 

つまり

セルフコーチング

とは、

 

自分自身の

エネルギー循環を

マネジメントすること

だ。

 

これができると

人生も仕事も

劇的に

楽になる。

 

実は先日の

10連休。

 

私は恐らく、

社会人になってから

初めてと言っても

よいくらいに、

のんびりと過ごした。

 

仕事はちょくちょく

あったのだが、

家族との時間を

充分に取ることが

できた。

 

自分自身は

充分に休息をした

と思っていたのだが、

 

10連休が終わって

いつものような

毎日が再開されて

気づいたのだ。

 

なんだ、俺、

いつも10連休のような

もんじゃんか、

と。

 

何も変わらない

のだ。

 

もちろん、

仕事をすれば

予定はどんどん入って

くるし、

緊張もするし、

疲労もする。

 

しかし、

だからと言って

エネルギー循環が

変わるわけではない。

 

私は常に

自分のエネルギー循環を

最善のものに

できている。

 

セルフコーチングを

毎日、しっかりと

行なっているからだ。

 

だから

とても楽なんだ。

 

もちろん

休日はなきゃいけない

と思っている。

 

体は休めた方が

いい。

 

仕事以外の楽しみも

あった方が

いいだろう。

人生をより豊かに

するために。

 

でも、

休日も平日も

自分のエネルギー循環は

変える必要はない。

 

いつも毎日、

最も居心地の良い

エネルギー循環に

なるように

整えておくこと。

 

これこそが、

人生を楽しむ

根幹にくるものでは

ないかと

 

最近、

特に強く思うな。

 

つづく

 

それは本当のエネルギーか?

 

人の放つエネルギー

は、

中途半端だと

キツい。

 

それは

エネルギー

というよりも、

単なる「圧」のように

感じられる。

 

せっかくの

エネルギーが

「人を圧するため」に

作用してしまう。

 

そうなると

周りの人達は

必然的に

イエスマン

になる。

 

人を圧するエネルギー

は怖い。

 

そのエネルギーからは

誰もが

逃げたくなる。

 

離れたくなる。

 

気がついたら

周りに誰も

いなくなっていた。

 

・・・イケイケどんどん

の人の多くは

そのような結末に

なりやすい。

 

すべては

中途半端なエネルギー

の作用だ。

 

・・・・・・

 

中途半端なエネルギー

は、

中途半端な志

から来る。

 

その志は

残念ながら

本当の志ではない。

 

多くは、

志のふりをした

自己顕示

であったりする。

 

もしくは、

志のふりをした

承認欲求。

 

要するに、

自己愛の形。

 

自分が可愛く、

自分のために

「まわりのため」の

ふりをしている。

 

ちょいと

言い方がキツい

かな。

 

でもあえて

事実のみを言えば

そういうことだ。

 

かつての私も

そうだったので、

よ〜くわかる。

 

・・・・・・

 

真本音の志。

 

これはみんな

持っている。

 

たとえまだそれが

明確でなかったと

しても、

 

そこに気づき

そこに向かえば、

 

その人からは

本来のエネルギーが

放たれるように

なる。

 

本来のエネルギーは

最初はまだ

微弱かもしれない。

 

しかしそれは

「中途半端」

ではない。

 

中途半端とは、

量のことでは

ない。

 

エネルギーの

質のことだ。

 

純粋な

エネルギーかどうか?

だ。

 

本来のエネルギー、

純粋なエネルギーは

 

もちろん時には

それが明る過ぎて

一見すると

人を圧してしまうかも

しれないが、

 

それはあくまで

表面的なこと。

 

本来のエネルギーとは

愛そのものでも

ある。

 

それは

実在のレベルでは

人をあたたかく

包み込む。

 

そんなエネルギーを

放つ人と

向き合うと、

 

私は一瞬で

その人とつながる感覚を

得ることができる。

 

もちろん最初から

そういったエネルギーを

発している人は

稀だ。

 

しかし

ある時ある瞬間に

突然、

中途半端なエネルギー

本来のエネルギー

へと

変換される。

 

それは

予測できない場合が

多い。

 

突如として

変質するのだ。

 

もちろんその

理由の大本は

真本音で生きる

ことだ。

 

・・・・・・

 

私が、組織において

「要(かなめ)」

と呼ぶ人達は、

 

そういった

本来のエネルギーへの

変質が

起こりやすい人の

ことだ。

 

そういった人は

どの組織にも

必ずいる。

 

社長が

「いや、ウチには

いないよ、絶対」

と言われても、

これまでいなかった

試しがない。

 

そういった

「要」になる人を

見つけるのが

「コーチ」である私の

役割だ。

 

今日、

ある会社の

思わぬ人が

「要」として

浮上した。

 

急浮上。

 

それがとても

嬉しかった。

 

人は

変わるものだ。

 

つづく

 

やはりここが原点だな

 

嬉しいことが

あると、

 

悦びのあまり、

内側から

凄いエネルギーが

湧いてくるが、

 

最近の私の

それは、

ちょっと尋常ではなく、

 

自分を

見失いそうに

なる。

 

今日も

嬉しい日だったのだが、

少しの時間、

私の顕在意識は

私自身の

エネルギーの中に

埋没してしまった。

 

注意せねば。

 

エネルギーが

出ること自体は

良いことなのだが、

 

そのエネルギーを

自らコントロール

するのではなく、

 

エネルギーの

放流に

呑まれてしまうと、

気がつけば

単なる

イケイケどんどん

になってしまう。

 

イケイケどんどん

のまま

行動すれば、

その時は

気持ち良いのだが、

 

あとで必ず

その反動が来る。

 

これは恐らく

私だけのことでは

なく、

すべての人が

そうなのだと思う。

 

気持ちが良い時

ほど、

自分のコントロールが

効かなくなる。

 

ここを

乗り越えることも

我々人間の

テーマの一つだ。

 

エネルギーが

高まれば

ガンガン進み、

 

エネルギーが

静まれば

止まってしまう。

 

その不安定さから

抜け出ることが

人生に調和を

もたらすし、

 

そこを私達の

真本音は

望んでいる。

 

・・・・・・

 

とは言え、

 

悦びは悦び

として

感じ取ろう。

 

以前にも

書いたことがあるが、

 

悦びによって

発生するエネルギー

は、

しっかりそれを

噛み締めながら、

 

自分の体の

中心に

大切に抱く

ようにしよう。

 

すると、

ずっと体の中心から

あたたかさが、

 

トツトツと

全身に

行き渡り続ける。

 

そのあたたかさは

私達を

安定させてくれる。

 

実は

この状態にするまでが

今日の私は

とても苦労したのだが、

今は

落ち着いている。

 

私の悦びの

多くは、

 

人の進化を

感じたときだ。

 

特に、

その人の進化が

具体的な形となって

現れたときだ。

 

それが今日、

あったものだから、

とても

嬉しかった。

 

・・・・・・

 

悦びのエネルギー

自分の中心に

抱いたら、

 

そんな時こそ、

自分の「願い」

について

思いを巡らせよう。

 

今、

改めて私は

「コーチ」を

増やしたいと

思う。

 

本物の

「コーチ」を。

 

ただし

私の言う「コーチ」

とは、

 

別に「コーチ」と

名乗らなくても

いい。

 

プロが増えれば

増えるだけいい、

とは思うが、

 

プロになるかどうか、

にこだわらなくても

いい。

 

ただ、

人や組織の

「人生」を

「進化」を

「道」を

本質的にしっかりと

サポートできる

「コーチ」を

発掘し、

育成したい。

 

日本にとどまらず、

世界中で。

 

エネルギーが

高まれば高まる

ほど、

 

やはりその原点に

戻るのだな、

思う。

 

つづく

 

エネルギーに呑まれるな

 

時々、私は

自分でも怖くなる

くらいに

モチベーションが

高まる時が

ある。

 

最近は特に

その頻度が上がって

いるが、

 

実はそういう時ほど

慎重になる。

 

自分の内側から

エネルギーが

大量に溢れ続けると、

 

ある意味、

 

何も

観えなくなる。

 

エネルギー量が

凄くて、

視界が真っ白に

なる。

 

しかもそれは

とても気持ちの良い

状態であるし、

 

何でもできてしまう

感覚にもなる。

 

要するに、

「何も怖くない」

という

状態だ。

 

この状態のまま

私は

「絶対に」

人に

会わないことに

している。

 

なぜなら

自分のエネルギーに

そのままほだされて、

イケイケどんどん

のまま

突っ走ってしまう

からだ。

 

そしてそういう時ほど、

目の前の人を

置いてけぼり

にしてしまうか、

 

もしくは

知らぬ間に

傷つけてしまう。

 

イケイケどんどん

の気分になること

自体は悪くはないが、

そのまま現実を

進めるのは

大抵、

後でおかしなことに

なる。

 

だから

自分の中から

あまりにも大量な

エネルギーが湧いて

来た時は、

 

私は必ずまず、

自分の足元を

見つめる。

 

ちゃんと、

自分の足が

観えるか?

 

ちゃんと

大地に立てているか?

 

を確認する。

 

足元が観えない

場合は、

そのエネルギーの

放出を

止める。

 

と言っても

なかなか止まって

くれないのだが、

 

自分の体の

中心に、

そのエネルギーを

大事に大事に

抱くようにする。

 

そして

「我に返る」

ことにしている。

 

・・・・・・

 

エネルギーは

大事。

 

モチベーションアップ

も大事。

 

しかし、

何も観えない状態で

進むことは

本当に

やめた方がいい。

 

私が特に

企業経営者の

コーチングで

気をつけているのも

ここだ。

 

社長が単なる

イケイケどんどんで

進まないこと。

 

ちゃんと、

あらゆる現実を

見つめて、

観察して、

見極めて

進むこと。

 

エネルギーを

放出しなければ

進めない、

のであれば

それは

その人のエネルギーが

まだ少ない証拠だ。

 

エネルギーの

少ない人は

自分を鼓舞しなければ

進めないから。

 

本当に

エネルギーの高い

人は

静かだ。

 

肩の力を抜き、

静かに

微笑んでいる。

 

力を入れずとも

淡々と

自然体のまま

決めたことをすべて

やれる。

 

つまりは、

持っているエネルギーを

「落ち着いて」

発揮できる。

 

どこに

エネルギーを

集中させて、

どこで

エネルギーを

あえて分散させて、

どこで

エネルギーを

あえて鎮めるか?

ちゃんと

わかりながら

進むことができる。

 

その状態に

常に

「戻る」

ために、

私のコーチングは

あるのかもしれない。

 

人にはもともと

内包されたエネルギーが

必ずある。

 

それが発揮されるように

なるのは

当たり前。

 

ちゃんと真本音で

生きれば、

皆、そうなれる。

 

問題は

そこからだ。

 

開放された

エネルギーを

どのように

コントロールするか?

だ。

 

つづく

 

エネルギーが道を照らす

 

自分の中から

エネルギーが湧き出てくる

のであれば、

 

そのエネルギーの

使い途が

必ずある、

ということだ。

 

ところが、

それがわからない

という人が

多い。

 

わからないから

エネルギーを

放っておく、

という人が。

 

下手をすると

せっかく湧き出ずる

そのエネルギーに

蓋をして

なかったことにする

人さえいる。

 

実は、

若い人に

多い。

 

もし

エネルギーが

湧くならば、

 

誰よりも

自分自身が

そのエネルギーを

感じ続けること

だ。

 

そのエネルギーを

常に

観察すること。

 

そのエネルギーを

抱き続ける

こと。

 

何がなんやら

さっぱりわからなくても、

それをとにかく

大切にすれば、

 

「現実」が

その「エネルギー」に

ついてくる

ようになる。

 

「現実」が

そのエネルギーによって

徐々に

流れ始めるのだ。

 

変化を

始めるのだ。

 

するとその

変化の中で、

ふと、

エネルギーの使い途

直観する。

 

人生は

面白い。

 

自分の道が

わかることで

エネルギーが湧く

こともあれば、

 

エネルギーが

湧いてから、

そのエネルギーが

ヒントになって

道が観えてくる

こともある。

 

いずれにしても、

そのエネルギーは

自身の真本音が

もたらしている

ものだ。

 

・・・・・・

 

人生において

自分のエネルギーを

常に

100%出し続けている

人がいる。

 

これは実は、

間違っている。

 

エネルギーとは

そのように使うもの

ではない。

 

それに

常に100%出すことを

「真剣」とは

言わない。

 

それは単なる

「ガムシャラ」

である。

 

ガムシャラと

真剣は

違う。

 

もちろん

ガムシャラに生きる

ことが大事な

時もある。

 

真剣とは、

いつ、どの瞬間に、

ガムシャラになるか?

を見極めながら

生きている状態

だ。

 

力を抜くところでは

しっかりと

力を抜き、

 

そのかわり、

いざというところで

100%ではなく、

1000%の力を

出す。

 

それができる

自分でいる。

 

それができる

生き方を

する。

 

それが

真剣に生きる

ということだ。

 

つまり、

真剣に生きる

とは、

自分自身の

エネルギーマネジメント

をすることである。

 

・・・・・・

 

真本音で生きる

のと

真剣に生きる

のは

ほぼほぼ

イコールである。

 

私達の真本音は、

自分の中から

必要なだけ

エネルギーを開放し、

 

それを

必要な場所で

必要な瞬間に

必要なだけ

活用しようとする。

 

真本音に

素直に生きることで、

 

私達は

自分自身のエネルギーを

有効活用できるし、

 

今の自分の

1000%を

出せる瞬間を

生み出すし、

 

それにより、

自分の枠を超えたり、

可能性を

無限に引き伸ばす

きっかけを

創り続ける。

 

それはある意味、

とても冒険的で

刺激的で

楽しくもある。

 

・・・・・・

 

私の中にある

心の大地。

 

今日、

その大地に

小さな亀裂が入り、

そこから

新たなエネルギーの束が

溢れ始めた。

 

抑えていたものが

破れ、

まるで血しぶきのように

エネルギーが

溢れ出しているのを

今、私は

茫然と見つめている。

 

このエネルギーは

何のために

どのように使うのか?

 

それを

明日以降の私は

楽しみたいと

思っている。

 

つづく

 

もう解放してもよいのではないか

 

こんな風に書くと

変な風に聞こえるかも

しれないが、

 

私は私自身の

あまりのエネルギーの

高さに

呑まれそうになって

しまうことがある。

 

昔はこんなことは

なかったのだが、

真本音度合いが

高まってからは

時々、来る。

 

実はその

高いエネルギーを

人前で見せたことは

一度もない。

 

私自身が

呑まれるわけには

いかないからだ。

 

下手をすると

人前では

私はいつも

自分のエネルギーを

1%も見せていない

かもしれない。

 

でも、

こういう人、

今は

増えているのでは

ないか?

 

・・・・・・

 

「内発的モチベーション」

という言葉が

ある。

 

一般的にも

使われる言葉だが、

私は以下のように

定義している。

 

と、その前に

「外発的モチベーション」

との区別から

入った方がいいかな。

 

外発的モチベーション

とは、

外からの影響によって

動機付けされ、

やる気が高まること

を言う。

 

例えば、

誰々に喜ばれて

やる気が高まった、

とか。

 

お給料が上がって

やる気が高まった、

とか。

 

好きな仕事と

巡り合えて

やる気が高まった、

とか。

 

要は、

「現実」が「自分」に

影響を与え、

やる気が高まる

という状態だ。

 

通常、

「モチベーション」という

言葉を使う場合は、

ほぼほぼ、

こちらをイメージする

人が多い。

 

それに対して、

内発的モチベーション

とは、

今の「現実」がどうか?

まったく関係ない。

 

嬉しいことがあった

とか、

悲しいことがあった

とか、

「現実」とは

関係なく、

 

ただただ

自分の内側から

エネルギーが

高まってきている

状態だ。

 

通常は、

真本音度合いが

高まるだけで、

人は

内発的モチベーションが

上がる。

 

「現実」とは

関係なく、

内側からエネルギーが

湧いて来るのだ。

 

だからよく

私のコーチングを受けて

真本音度合いが上がると、

 

「状況は何も

変わっていないのに、

なぜかとても私、

毎日元気です」

 

「以前は不安に負けて

足がすくんでいましたが、

今はなぜだか、

多少の試練では

揺るがないどころか、

それを楽しんでいる

自分がいます」

 

などのお声を

いただく。

 

これは私自身も

そのような体験の

連続だったので

よくわかる。

 

ところが、

真本音度合いが

高いのが当たり前の

状態が続くと、

 

ある時ある瞬間に、

まるで何かの

殻が壊されたように、

凄まじい

というくらいの

エネルギーが

湧き始める。

 

何かの臨界点を

超えたように。

 

その状態に

入る人は、

逆に、

エネルギーマネジメントが

必要になるのだ。

 

つまりは、

省エネルギーで

進む必要が

出て来る。

 

自分のエネルギーを

自分で管理し、

 

必要な時に

必要なだけ

エネルギーを

使える状態

 

を維持できるように

するのだ。

 

・・・・・・

 

そしてこの

エネルギーマネジメント

が上手くできるように

なるのに

時間のかかる人が

多い。

 

私自身も

そうだったし、

今の私のクライアントさんは

この段階の人が

増えている。

 

ただ、・・・

 

その状態にある人

に、

あえてここで

お伝えしたいのは、

 

もう、

あなたのその

エネルギー、

一気に

解放してしまっても

よいのではないか。

 

・・・ということ

である。

 

私自身に対しても

言える。

 

これまで

1%未満に抑えていた、

そのエネルギーを、

 

もうちょい

解放しても

よいのではないか、

と。

 

それだけ、

世の中が整って

きたのだと思う。

 

「実在」のレベルでは、

世の中の

真本音度合いが

上がってきているし、

 

多くの人々の

「準備」も

あなた自身の

「準備」も

整ってきているのでは

ないだろうか。

 

これまで

無意識に躊躇してきた

その「躊躇」を、

もう少し

緩めてもよいのでは

なかろうか。

 

そういった意味で

2019年は

解放の年

なのかもしれないね。

 

つづく

 

いつもエネルギーが溢れている

 

どれだけ

疲労・疲弊

しても、

 

どれだけ

身や心が

ズダボロに

なっても、

 

それでも

自分の内側から

溢れ出る

エネルギーが

ある。

 

その光の

強烈さ。

 

心地良さ。

 

あたたかさ。

 

それらを

常に感じ取れる

感受性を

持ってほしい。

 

それが

真本音のエネルギー

であり

魂の放つエネルギー

だ。

 

その光が

わかったら、

光の中に

入るといい。

 

そして、

光の中心を

目指すといい。

 

中心を目指せば、

その光が

どれだけ深いものか、

よくわかる。

 

光の世界は

無限に

どこまでも深く

深く

続いていく。

 

そして

ようやくたどり着いた

その中心。

 

そこには

いったい

何がある?

 

そこには

何が

観える?

 

何を

感じる?

 

そして、

何が

聴こえる?

 

その中心に

あるものこそが、

あなたの

本質だ。

 

そして、

その本質からの

今のあなたへの

メッセージ

だ。

 

ぜひその

本質を、

あなた自身が

理解してほしい。

 

そして

光の中心から

放たれる

そのメッセージを

素直に

受け止めてほしい。

 

素直に

動いてほしい。

 

それが

生きる基本

であると

私は思う。

 

つづく

 

滞りを見つけよう

 

あなたの全身に

意識を向けてください。

 

そして

あなた自身の

エネルギーを

感じてみてください。

 

体の中に充満し、

そして

循環を続ける

エネルギーを

感じてみてください。

 

そのエネルギーは

今、

高まりつつある

感覚がありますか?

 

それとも逆に

弱まりつつある

感覚がありますか?

 

どちらにしても、

そのエネルギーの循環が

滞りやすそうな

体の箇所を

見つけてみてください。

 

それは誰にでも

必ずあるものです。

 

例えばもし

エネルギーを

「光」として捉えた場合、

その「光」が少なく、

ちょっとした「影」とか

「暗闇」のように感じる

体の部分が

あるはずです。

 

そこを

特定します。

 

特定できたら、

そこに手を

当ててください。

 

手を当てながら、

手から

あなたのエネルギーが

集中的に注がれる

イメージをしてください。

 

「影」や「暗闇」が

なくなり、

他の体の部分と同様に

「光」となれば、

完了です。

 

・・・・・・

 

滞りは

誰にもあります。

 

体の滞り。

 

心の滞り。

 

恐らく、

滞った箇所に

手を当てて

エネルギーを注いで

いると、

 

何となくですが、

その「滞り」が

どのような原因で

生じているのか?

わかってくるのでは

ありませんか。

 

その「原因」は

あなたの心の中の

問題かもしれませんし、

 

現実的な問題かも

しれません。

 

いずれにしても

その「原因」を

解消するために

何らかの行動を

起こしましょう。

 

・・・・・・

 

エネルギーの循環が

100%ではなく、

ほんの一部の滞りに

よって

99%になってしまったと

します。

 

すると実際に

日常生活の中で出せる

あなたのエネルギーは

半減してしまうのです。

 

1%の滞りが

エネルギー出力を

半分以下にして

しまうのです。

 

これは実は

「個人」だけでなく

「組織」も

同じ。

 

「ちょっとした原因」

だと思っているもの

こそに、

実はエネルギーの大半を

奪われている可能性は

大いにあります。

 

その「原因」や

「滞り」を

見つけることが、

大いなる飛躍のための

大切な一歩に

なるでしょう。

 

つづく

 

場に支配されてませんか?

『場』・・・。

 

私達の生きる

様々なシチュエーションで

「場」

はあります。

 

例えば、

家族との場。

 

友達との場。

 

職場。

 

私達はそれらの

「場」に入ると、

その「場」からの

影響を受けます。

 

「場」とは、

人が集まる場所。

 

人が集まれば、

「場」

そのものに

力が宿ります。

 

そこに

どのような人達が

集まっているかによって

「場」のエネルギーは

変わります。

 

そして、

「場」のエネルギーは

そこに在り続け、

「場」のエネルギーと

そこに集う

「人」のエネルギーとの

相乗効果によって

また

その「場」が

形成されます。

 

「人」が「場」を

創りますが、

「場」そのものが

まるで生き物の

ようです。

 

・・・・・・

 

様々な企業様を

初めて訪問させて

いただくとき、

私はまずは

必ず、「場」を

観ます。

 

そして

感じます。

 

ここにいらっしゃる

社員の皆さんは

どのような「場」を

形成しているか?

 

そして、

社員の皆さんは

「場」から

どのような影響を

受けているか?

 

そこは、

「人」が「場」を

左右する場なのか?

 

それとも、

「場」が「人」を

支配する場なのか?

 

つまりは、

「人」と「場」の

力関係を観て、

感じます。

 

その力関係によって、

私のサポートの仕方は

根本的に

変わります。

 

私は

「人」と向き合うのと

同時に、

「場」とも

向き合うのです。

 

・・・・・・

 

これは

職場だけでななく、

あらゆる場所においても

共通することです。

 

例えば、

電車の駅。

 

例えば、

レストランや

カフェ。

 

例えば、

公園やレジャー施設。

 

例えば、

神社やお寺。

 

街全体。

 

ちょっとした

道端。

 

あらゆるところに

「場」があり、

それぞれの

エネルギーが

あります。

 

そしてやはり

あらゆる「場」で

「人」と「場」の

力関係は

変わります。

 

・・・・・・

 

「場」が

プラスのエネルギーを

持っていれば

問題はありません。

 

しかし

マイナスのエネルギーを

持っている場合は、

気をつける

必要があります。

 

真本音度合いの

高い人は

どこの「場」に行っても

支配されることは

ありません。

 

その人自身が

「場」に影響を

与えます。

 

よく、

パワースポット

という言い方がありますが、

真本音度合いの

高い人は、

その人自身が

パワースポットと

なります。

 

歩くパワースポット

と言ってもよいです。

 

そういった人は

どこに言っても

「場」のエネルギーを

プラスに変換します。

 

時々、

真本音度合いの高い

人が、

「パワースポット巡りを

して、自分を元気に

しています」

と言われるのですが、

いつも私は

笑ってしまいます。

 

「いやいやいや、

あなた自身が

パワースポット

なんですよ」

とお伝えすることも

あります。

 

真本音度合いが高い人は

どこの「場」よりも

エネルギーが

高いのです。

 

そして逆に、

真本音度合いの

低い人は、

どこに行っても

「場」の影響を

受けやすくなります。

 

「場」に

パワー負けして

しまうのです。

 

プラスのエネルギーの

「場」に行けば、

元気になりますし、

マイナスエネルギーの

「場」に行けば、

元気を失います。

 

真本音度合いが

低いということは、

外部環境によって

右往左往しながら

生きることになり、

とても疲れます。

 

・・・・・・

 

私が企業様に

入らせていただき、

「人」と「場」の

関係を拝見し、

もし

「場」の方が

影響力の強い場合は、

まず、

「場」を変えます。

 

「場」そのものの

エネルギーを

プラスに変えて

しまいます。

 

そんなことが

できるの?

と言われそうですが、

簡単にできます。

 

しかもそれは、

私特有の力ではなく、

人は誰もが

できることです。

ただし、

真本音度合いが高いことが

必須です。

 

そのやり方も

そのうちにこのブログで

ご紹介してもよいかな

とも思っています。

 

例えば、

初めて研修を

させていただく場合などは、

まずは研修を行なう

「場」に行き、

そこのエネルギーを

プラスに変えてしまいます。

 

そして

そこに「人」が入って

来ますと、

入ったその瞬間に

もう

皆さんにプラスの作用が

始まります。

 

すると研修そのものも

非常にやりやすく

なります。

 

そのように

「場」を整えた上で、

今度は皆さん、

つまりは「人」を

整えることをします。

 

ただしそれは

私が皆さんを整える

のではなく、

皆さんが皆さん自身を

整える術を

私がお伝えする

ということです。

 

その術のことを

「セルフコーチング法」

と、私は

呼んでいます。

 

セルフコーチング法を

知っている人は、

自分自身の

真本音度合いを高め、

さらには

「場」に影響を与える

こともできるように

なります。

 

「自分と場を整える」

のが

セルフコーチング法の

基本です。

 

そしてその上で、

「望む現実を創り出す」

ための

セルフコーチング法も

あります。

 

端的に言えば、

・整えるためのセルフコーチング法

・創り出すためのセルフコーチング法

がある

ということですね。

 

今後は、この

二つのタイプの

セルフコーチング法を

様々な方法で

ご紹介していくことに

します。

 

多くの方々に

「場に影響を与えられる自分」

になっていただけると

よいなぁと

思います。

 

つづく

 

本当は、エネルギーはいっぱいあるんだ

今、

これまでの人生を

振り返った時、

最も重要だったなと

思える出来事は

何ですか?

 

そう自分に問いかけて、

直観的に浮かぶ

出来事を

観てみましょう。

 

その時の場面を

ありありと

思い出してみてください。

 

もし可能であれば、

その場面を

イメージの中で

もう一度、

体験し直してみてください。

 

まるで今ここで

その出来事が

行われていかのるように

イメージするのです。

 

イメージの世界に

入ってしまうのです。

 

そして、

その場面の中の

自分の心に

意識を向けてみてください。

 

意識を向けるというのは

客観的に観察してみる

ということです。

 

その時の自分の心は

どのように動き、

どのように揺らぎ、

どのような刺激を受け、

どのように変化しましたか?

 

変化の前は

どのような心で、

変化の後は

どのような心ですか?

 

その変化によって

その後の日々に

どのような影響が

現れましたか?

 

もしその出来事がなくて、

自分の心が

それ以前のままだったら、

人生の展開は

どうなったでしょうか?

 

その変化によって

得られたものと

失ったものとは

何でしょうか?

 

そしてその変化は

次にどのような変化を

自分自身に

もたらしたでしょうか?

 

・・・・・・

 

時間とは、

過去から今、そして未来へと

一方向に流れていきます。

 

しかしそれは

この3次元の世界だけの

特有の摂理です。

 

一方向に流れるが故に

私達は

未来を知ることができません。

 

未来がわからない

という

言いようのない不安と

不安定感。

 

それがこの世界の

特徴の一つです。

 

未来がわからない

私達。

 

しかし、

そんな私達だからこそ

得られたものが

あります。

 

それは、

 

「エネルギーの自由奔放」

 

です。

 

未来がわかっていれば

私達はその未来に向かって

エネルギーを集約して

行けばよいでしょう。

 

しかし私達には

集約の方向がわかりません。

 

それにより

「迷う」

という状態に入ります。

 

迷うことで発生するのは

エネルギーの分散

です。

 

あっちにもこっちにも

エネルギーを分散させながら

私達は生き続け、

そのうちにエネルギーの

集約の方法すら

忘れてしまいました。

 

しかしそれにより

エネルギーは

自由奔放となりました。

 

悪い言い方をすれば

無駄なエネルギーが

飛び散っている状態。

 

でも良い言い方をすれば、

そこかしこに

エネルギーが

漂っています。

 

漂っているエネルギーを

漂ったままにしてしまうのは

もったいないことです。

 

もし漂っているエネルギーを

集めることができれば、

私達は

想定外の莫大な

エネルギーを

活用できるかも

しれません。

 

・・・・・・

 

この3次元の世界は

すべてが分離しているが

故に、

「想定外」の宝庫です。

 

本来であれば

調和すべきところで

不調和が起き、

本来は平穏に進むべきところで

混乱が起きています。

 

しかしその「想定外」こそが

この世界の魅力であり、

「意味」であり

「存在意義」でもあります。

 

「想定外」の中で

私達は何をするか?

 

何をすることで、

「想定外」だからこそ

生み出せるものを

生み出すか?

 

この世界でしか

できないことは何か?

 

これが、

私達全員に共通する

真本音のテーマです。

 

この世界に

漂っている人のエネルギー。

 

本当はそこにあるのに、

使われなくなってしまった

エネルギー。

 

それを私は発掘し、

未来に向けて活用しようと

思います。

 

私が行なっている活動とは

人のエネルギーをいかに

高めるか?

ということよりも、

そこにあるのに上手く

使われていないエネルギーを

いかに掘り起こして

活用するか?

ということなのだと

思います。

 

・・・・・・

 

さて、

最初の問いに戻ります。

 

これまでの人生を

振り返った時、

最も重要だったなと

思える出来事は

何ですか?

 

その出来事を

もう一度、イメージの中で

再体験しながら、

自分の心に

目を向けてみてください。

 

そして今度は、

心のエネルギーの変化

という視点で、

観察してみてください。

 

その体験により、

あなたの心のエネルギーは

高まりましたか?

低くなりましたか?

 

高まったエネルギーは

その後、どのように

使われましたか?

 

低くなってしまった場合は、

そこで奪われたエネルギーは

どこに放出され、

今はどこを漂っていますか?

 

そのエネルギーを

取り戻すには

どうすればよいでしょうか?

 

つづく

 

溢れ出るエネルギーほど大切にしよう

最近、増えているのですが、

急激なエネルギー上昇をする人が

います。

 

真本音の度合いが高まり、

常に高い次元の自分の意識に

基づいて

物事の決断と行動を続けることで

そうなるのですが、

その上昇度合いが

あまりに急激なのです。

 

どんな傾向の人が

そうなりやすいかと言いますと、

「これまで自分を抑え続けてきた人」

です。

 

これは、

現象レベルというよりも

実在レベル(心の中)において

ということです。

 

本当は

エネルギーが高まってきているのに、

心の中で自分を抑え続けてきた人。

 

しかし、ついには何かの拍子に

その押さえつけていた枠のようなものが

一気に取れてしまう。

それにより

エネルギーが一気に溢れ出ます。

 

それはもちろん

良いことなのですが、

あまりに急激な場合、

溢れ出るエネルギーに

その人本人が呑み込まれてしまう

ことがあります。

 

パワーが強過ぎて

制御が効かなくなるのです。

 

その結果、

そのエネルギーを何かに

ぶつけなくてはいられない状態に

なったりします。

 

それが、

喜びなどのエネルギーに変換されれば

まだ良いのですが、

人によっては、

怒り系の気持ちに結びつくことが

あります。

 

何か知らないけど、

いろんなことに腹が立つ。

・・・という状態になります。

 

真本音度合いが高まることで

発せられるエネルギーは

強大です。

 

発すれば発するほど

どんどんさらに

溢れてきます。

 

それに対して、

反応本音によって生まれる

エネルギーは

それほど強いものでは

ありません。

 

エネルギーそのものを

存在承認し、

あるがままに感じることで

すぐに消えていきます。

 

あぁこれは、

真本音レベルのエネルギーだな

と思われた場合は、

そのエネルギーを

体の中心部分に抱くように

大切にしまってください。

 

最初は

溢れるエネルギーを抑えるのは

大変かもしれませんが、

体の中心部分であれば、

そのエネルギーはすべて

収まります。

 

そして、必要な時に必要なエネルギーが

外に向かって発現されるように

なります。

 

では、

体の中心とはどこか? ですが、

単純です。

 

おへその奥のちょうど中心部分

です。

(人によって少しズレるケースも

あります。)

 

そこは

無尽蔵にエネルギーを

蓄えることができるのです。

 

そうすることで、

落ち着くことができるでしょう。

 

体の中心に

エネルギーのすべてを集約したら、

少しそこに意識を

向けてみてください。

 

何とも言えない明るさと

深さと

安堵感を

感じると思います。

 

このエネルギーこそが

私達人間が誰もが持ち合わせている

真のエネルギーです。

 

意識の次元が高まれば

高まるほど、

そのエネルギーの度合いは

2次曲線的に高まります。

 

そういったエネルギーを

常に感じることで、

自分自身が常に満たされ、

そして周りの人達を満たすことが

できるようになります。

 

一人一人がそうなれると、

すごい組織になると

思いませんか?

 

つづく

 

なぜあの人はそんなにゆとりがあるのか

どうすればもっと

ゆとりを持って生きることが

できるのでしょうか?

 

そんなご質問を

本当によくいただきます。

 

ゆとり、というと、

まず第一に思い浮かべるのは

時間です。

 

時間的なゆとりが

あるかどうか?

 

いつも仕事が溢れていて、

大忙しになればなるほど、

ゆとりはなくなります。

 

・・・と一般的には

考えられています。

 

しかし私はこれまで

本当に仕事量の凄い人で

あればあるほど、

ゆとりを持っている

という現実を

多く見てきました。

 

一番、ゆとりがないのは

中途半端に忙しい人

のような気がします。

 

中途半端に忙しい人は、

仕事をこなそうとします。

 

仕事をこなす

というのは、反応本音レベルの

行為です。

 

すると、ちょっと忙しくなると

すぐにゆとりがなくなります。

 

ゆとりがなくなれば、

視野が狭くなり、

いろんな仕事のミスが起き、

さらにゆとりがなくなります。

 

私は、ゆとりとは

時間があるかないか?

ではないと思っています。

 

ゆとりとは、

心の(もしくは魂の)エネルギーの

大小で決まると

思っています。

 

心の中にいつも

エネルギーが満ちている人は

どんな状況でも

ゆとりがあります。

 

実際に、

恐らく私は20年前の私の仕事に

比べれば、

今の仕事量は10倍くらい

多いかもしれません。

 

でも明らかに

20年前よりも今の方が

ゆとりがあります。

 

心が常に

エネルギーに満ちているから

です。

 

現実世界では

想定外のことがたくさん

起こります。

 

想定外がない、

という方が不自然でしょう。

 

例えば、想定外の

仕事が割り込んできた

とか。

 

「私の仕事は、想定外の仕事が

どんどん割り込んでくるので

ゆとりを持てないんです」

 

と言われる人が

本当に多いのですが、

それは、想定外がいけないのではなく

仕事をこなそうとしているから

ゆとりがなくなるのです。

 

しかも仕事をこなす人ほど

想定外が多くなります。

 

真本音で生きるということは

想定外が想定外では

なくなる、ということです。

 

高い次元の私達は

すべてをわかっているから

です。

 

3次元にいる私達の

顕在意識が

「うわっ、想定外だ!

まいった〜〜!」

とやっていても、

どこか根底では、

すべてを楽しんでいる自分が

います。

 

ここでこんな想定外を

私は私にもたらしたんだ、と

どこか客観的な目で

自分と現実を見つめています。

 

そこに、

その現実の意味を解釈として

考える必要はありません。

ただそれを

楽しめばよいのです。

 

高い次元の私達の意識は

それができます。

 

低い次元の自分は

オロオロとうろたえている。

でもその一方で

高い次元の自分は

そのオロオロも含めて

すべてを楽しんでいる。

 

そんな状態で生きていくのは

人間として生きることの

醍醐味の一つかも

しれません。

 

つづく

 

本当はエネルギーは枯渇しない

真本音度合いが高まると、

モチベーションが高まるのですか?

 

・・・こんなご質問も

よくいただきます。

 

もちろん、モチベーションは高まりますが、

それは一般的に言われる

モチベーションとは

少し異なるかもしれません。

 

モチベーションとは直訳すると

動機付け

となりますが、要するに

やる気とか熱意とか

そういった捉え方をすれば

わかりやすいですね。

 

一般的にはモチベーションとは、

何かの現象(現実)が起こる

結果として

高まります。

 

例えば、

何か嬉しいことがあった。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分のやりたい仕事に巡り会えた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分の夢を見つけることができた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

私の年代では、

給料が上がることで

モチベーションが高まるという

傾向がありましたが、

今の若い人達は

給料よりも、やりがいや使命感や

社会的意義などで

モチベーションが高まる、というのは

最近よく聴く話です。

 

いずれにせよ、

一般的にはモチベーションとは

何かの事象の結果として

高まるもの、

と言えます。

 

が、真本音度合いが高まることで

引き起こされるモチベーション

というのは、

そういったものとは少し異なります。

 

真本音度合いが高まることで、

ただそれだけのことで、

私達は心の中心部分から

エネルギーが湧き続けるように

なるのです。

 

心の中心部分から、

ということはつまり

魂から、

という表現でも良いです。

 

どちらかと言えば、

真本音度合いが低い場合は、

自動車と同じように、

ガソリンを入れなければ、

エネルギーは高まりません。

 

自動車はガソリンが切れれば

動けなくなります。

 

同様に私達も真本音度合いが低ければ、

何かモチベーションを高めるような

事象が起こらなければ

エネルギーは湧き起こらないのです。

 

しかし真本音度合いが高まれば、

現実的に何が起ころうが、

または、何も起こらなくても、

もっと言えば、

たとえ毎日、望まない結果が続いたとしても

私達の中心から湧き起こるエネルギーは

絶えることがありません。

 

常に内側から

まるで泉のように

エネルギーが湧き続けるのです。

 

要するに、エネルギーを

自家発電できるようになるのです。

 

ということはつまり、

今自分が置かれている環境は関係なくなる

ということです。

 

どのような環境においても

充分なエネルギーを

私達は得ることができる、

ということです。

 

実際に私達の真本音は

「環境」を選びません。

 

「環境」や「状況」には

ほとんど関知しません。

 

それよりも、

今この瞬間における自分自身の

「生き方」

を大事にします。

 

つまり、

自分が本当に望む生き方を

今、ここでできているかどうか?

を大事にします。

 

ですから極端に言えば、

夢がなくとも、

望む仕事に就いていなくとも、

好きな人と一緒にいなくとも、

私達は真本音の望む「生き方」を

実践し続けているうちは、

ずっと、心の中心から(魂から)

エネルギーが湧き続けるのです。

 

その結果として、

今ここにおける「環境」や「状況」を

自分の望むものに

変えていくことができます。

 

「環境がこうだから自分はこうなる」

のではなく、

「自分はこうだから、環境をこうすることができる」

というように、

人生のハンドルを自分自身で

握ることができるようになります。

 

「良い環境にないから、

私の人生はひどいことになった」

というのは

真本音度合いの低い人の

セリフです。

 

周りや環境のせいにしているのは

真本音度合いの低い証拠です。

 

そして、

以前にも書かせていただきましたが、

真本音度合いが高いということは

イコール、

その時点における最も高い次元の

自分の意識に基づいて生きる

ということです。

 

ということはつまり、

高い次元になればなるほど、

私達は、

「環境」や「状況」に関わらず、

自分の人生を生きることができる

ということなんですね。

 

つづく

 

的確な枠こそが、心を自由にさせる

「なぜ木村さんがコーチに向いていないか、

わかります?」

 

「はい、だって私は、

自分が主役でいたいからです。

だから、ロックバンドやってますしね。」

(→前回記事)

 

木村さんがこう答えた時、

私は実在レベルで、

木村さんの雲が完全に取り払われたのを

感じました。

 

そして、雲が取り払われたことによって

姿を見せたものがありました。

それは、

小さな一輪の花でした。

 

紫色で、とても小さく可愛らしい花ですが、

スッと一直線に茎を伸ばし、

凛として立っています。

 

イメージとして表現するとそんな感じですが、

「実在」ですので、

それは脳を使わずに感知したものです。

 

あぁ木村さんはやっと

木村さんの本来の花を咲かせ始めたんだな、

と思いました。

 

今後はその花を

大切に育てていくことです。

 

「やっと本来の木村さんらしさが

出て来ましたね。

どうですか木村さん、

自分が主役でいたい、と改めて認識されて、

今の木村さんの心は自由ですか?」

 

「はい、自由です。

なんか、急に肩の荷が降りた感じがします。

とても楽になりました。」

 

「じゃあ木村さん、

木村さんはこれからご自分のエネルギーを

何に向けたいですか?」

 

彼はニッコリ笑いながら言いました。

 

「もちろん、新規事業プロジェクトの成功です。

なんか、自分がなぜプロのコーチになりたい、と

言ったのか、まったくわからなくなって来ました。

そんなことはどうでもいい。

私はプロジェクトリーダーとして全力を尽くしたい。

そしてそれを成功させて、

平井を喜ばせたい。

あっ、たけうちさん、私は平井のためにやるんじゃないですよ。

自分のためにやりたいんです。」

 

「笑。わかってますよ。

自分のため=平井さんのため、でしょ。

平井さんを喜ばせたい、というのも木村さんの真本音です。

自分の喜び=平井さんの喜び、になってますよね。」

 

「そうなんです。

私は本当に平井のことが好きなんですねぇ。」

 

このブログをお読みの皆さんは覚えて

いらっしゃるでしょうか?

 

この木村さんとのやりとりをご紹介しているのは、もともと

「私達人間は、的確な枠(もしくは、限度・限界)を与えることで

可能性を伸ばす」

という原理をご理解いただくためでした。

(→【自分の可能性は無限? それはハッタリです】)

 

この場合の木村さんにとっての「的確な枠」とは、

新規事業プロジェクト

に他ありません。

 

つまり、今の彼は、彼自身に与えられた

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を全うすること

によって、彼自身の最大の進化を引き起こせる

ということです。

 

しかし彼は、イケイケのパターン(クセ)を出し、

その枠を外れた発想(=プロコーチになる)を始め、

エネルギーが完全に分散してしまいました。

 

実は「コーチング力を伸ばしたい」という想い自体は

彼の真本音だったのですが、

その真本音の想いを実現するためには

「新規事業プロジェクトリーダーという役割の中で

コーチング力を伸ばす」

というのがベストだったわけです。

 

そしてもうお気づきのように、

こういった「的確な枠」とは、本人にとっては

「枠である」

という認識がありません。

 

「ここでこそ、全力を注ぎたい」

とか

「今はここに集中したい」

といったように、エネルギーの焦点化を起こすような

モチベーションのもと、になります。

 

つまり、「的確な枠」をはめることで

モチベーションが高まるのです。

 

逆に言えば、

人には、最もモチベーションの高まる「枠」が

存在するということです。

 

それを見つけることも

コーチとしての大事な役割の一つです。

 

つづく