落ち着く

落ち着かん

 

落ち着け、

落ち着け、

何度自分に

言い聞かせても

 

落ち着けない

時がある。

 

そんな時

私は、

次の二つのどちらだろうか?

と区別する。

 

本当に

落ち着きたいのに

落ち着けないだけの

悪い心の状態に

なってしまって

いるのか?

 

それとも

 

実はこの

落ち着かない状態

こそを

今の私は真本音で

望んでいるのか?

 

・・・の

どちらだろうか、と。

 

前者であれば、

私はいったん

自分のやろうとしている

ことを

すべてストップして、

 

「何もしない」

時間を創る。

 

これこそが

最優先だ。

 

これをして

本当にクリアに

物事が観えるように

なってから、

もう一度

歩みを始める。

 

落ち着かないまま

進めば進むほど、

結果的には

あらゆる混乱が起き、

すべてが遅延する。

 

それなら

いったん止まって

ちゃんと進み直した

方がいい。

 

後者の場合、

 

私は思いっきり

落ち着かない状態

のまま

進む。

 

闇雲に

進んでしまう。

 

なぜならその

「闇雲さ」こそを

私は真本音で

望んでいるからだ。

 

もちろん

そんなことをすれば

いろんなことに

ゴツゴツと

ぶつかるだろう。

 

痛いだろう。

 

しかしその痛みを

経験を

真本音で望んでいる

わけだ。

 

なら、

ちゃんと痛いことを

やる。

 

今この痛みを

味わっておかないと、

きっと

未来の自分が

本当に困るから。

 

いずれにしても

最初にする

区別が重要だ。

 

似て非なるもの。

 

表面的には

同じ落ち着きなさも

本質は

随分と違うものだ。

 

つづく

 

落ち着けばわかる

 

一見、答えが

絶対にわからないような

ことでも、

 

落ち着けば

わかる。

 

落ち着いていないから

わからないだけだ。

 

落ち着けばいい。

 

ただしそれは

表面上の落ち着きでは

意味がない。

 

中心の

落ち着きだ。

 

まぁ、

自分の中心がわかる

だけでも

その時点でもう随分と

落ち着いている

ということになるけどね。

 

中心がわからない

場合は、

少し時間はかかるが、

 

落ち着かない心を

一つずつ

見つめていくしかない。

 

自分の中で

暴れたり、縮こまったり

している

落ち着かない心達は

皆、

 

「自分のことを

理解してほしい」

 

と思っている。

 

その気持ちを

満たすことだ。

 

一つずつ丁寧に

自分の心の声やつぶやきを

拾い上げて、

 

ただ、見つめる。

 

見つめるだけで

いい。

 

その気持ちを

何とかしてなだめよう

とか

肯定してあげよう

とか

 

まったくしなくていい。

 

ただ、

少しあたたかい眼差しで

見つめること。

 

本当は

こういったことが

日頃からできていると、

 

毎日簡単に

落ち着くことが

できるんだけどね。

 

でも定期的に

ちゃんとこのようにして

自分の心を

見つめることだ。

 

一つずつちゃんと

やっていれば、

 

ある瞬間に

スッと

落ち着ける。

 

心の座り心地が

変わるのだ。

 

お尻の下に

いろんな余分なものが

挟まっていたような

居心地の悪さが

フッと抜け、

 

普通に

シャンと座れるような

感覚だ。

 

あ、落ち着けたな。

 

とすぐに

わかるだろう。

 

そうしたら

自分の中心はどこだろう?

意識を向けてみよう。

 

中心軸

でもいい。

 

つまりは自分の中の

ブレない部分だ。

 

その存在を

感じ取れて、

かつ

心の座りが良くなったら、

 

その落ち着いた状態で

ようやく

 

今、迷っていること

今、悩んでいること

考えよう。

 

案外、

一瞬で答えが

出るかもよ。

 

つづく

 

なんですぐに怒るの?

私達人間の心のパワーというのは

二つのタイプに分けることができます。

 

一つは、外発的なパワー。

もう一つは、内発的なパワーです。

(→前回記事)

 

外発的なパワーとは、

外(外部環境など)からの影響によって、

発生するパワーです。

 

例えば、とても嬉しいことがあった、とか。

誰かから褒められた、とか。

好きな仕事に就くことができた、とか。

要するに、

私達の日常の中で、起こる様々な物事(現象)によって

その反応として生まれるパワーです。

 

それに対して、内発的パワーとは、

外部環境によってもたらされるものではなく、

自分の内側から常に湧き上がるもの。

少し極端な表現を使えば、

自分の外部環境(状況・現象など)が

どのような状態であったとしても、

変わらずに湧き続けるもの、とも言えます。

 

単純に言えば、

自らの真本音に素直に生きる度合いが高まれば、

この内発的パワーも自然に高まります。

 

しかし、真本音度合いが低くなれば、

内発的パワーは下がり、

結果として、外発的パワーのみに頼る生き方になります。

例えば、

何か良いことが起きないと元気が出ない、

好きな人と一緒にいないと元気が出ない、

好きなことをしていないと元気が出ない、

みんなから認めてもらわないとやる気が出ない、

給料が高くないとやる気が出ない、

人間関係が良くないとやる気が出ない、

・・・などなど。

自分以外の何かの影響によって振り回される人生

となります。

 

ということは、逆に言えば、

内発的パワーが高まれば、

自ら、外部環境(状況・現象など)に働きかけ、

自ら、外部環境を変えられる可能性も高まるわけです。

 

私はいつもコーチングをする場合、

内発的パワーの高い人かどうか?

という視点を大切にします。

 

そして私のコーチングは、

内発的パワーと高めることをすべての基本

としています。

 

ただし念のために申し上げておきますが、

内発的パワーの高い人、というのは、

表面的に元気とか、勢いがあるとか、声が大きいとか、

そういったこととは無関係です。

 

むしろ(あくまで基本的な)傾向としては、

内発的パワーが高まれば高まるほど、

人は「静か」になります。

「落ち着く」といった方がよいでしょうか。

「安定感」が出るのです。

「自然体」と言ってもよいです。

 

そういった人は、

あぁこの人は、いざという時に凄いパワーが出るな、

という印象を感覚として得ることができ、

それがその人への本質的な信頼感につながります。

 

「この人は、なんか信頼できるな」

という印象は、そういった空気感によって

決まります。

 

あくまでも人の個性によって変わりますが、

全体的な傾向としては、

普段からギャンギャンと叫んでいるようなタイプの人は

内発的パワーの低さを、

大声を張り上げながら誤魔化している、

とも言えます。

 

自分の不安定さを、

元気なふりをして、誤魔化しているのですね。

そういった場合、

本人が、誤魔化していること自体に気づいていません。

自分は常に元気だ、と思い込んでいます。

 

私はコーチングをする際、

そういった人ほど、注意をします。

根底は、とても不安定だからです。

 

しかしどのような人であったとしても、

真本音度合いを高めることで、

内発的パワーは高まります。

ギャンギャン言っていた人も、

「あれ?最近あの人、静かだね」と

言われるようになります。

 

話を平井さんに戻しますが、

平井さんは、まさにそういったタイプでした。

 

平井さんに対して、

「私はあなたのことが嫌いでした」と宣言された

生田さんに私は訊いてみました。

 

「平井さんの、どんな行動が最も嫌いでした?」

 

「何考えているかわからないくせに、

すぐに怒るんです。

多分、自分が社長に叱られるのが嫌で

怒っていたと思うんですけど、

とにかく彼に怒られる時間は最悪でした。」

 

「今はどうですか?」

 

「怒る、ということはほとんどなくなりました。

怒られる場合も、以前は怒鳴られるのに近い感じでしたが、

今は、トツトツと納得するまで語り合うような感じです。

まぁある意味、今の方が数倍怖いですが。笑」

 

なぜあの人はすぐに怒るのか?

 

単純です。

その人の内発的パワーが枯渇しているから。

 

・・・という見方をすることも、

一つの視点としては面白いかもしれませんね。

 

つづく