「進む人」と「進まない人」。
今、私達人間の傾向は、
この二つにクッキリと分かれています。
どれだけ意識の次元が高くても、
進まなくなってしまった人がいます。
逆に、どれだけ意識の次元が低く未熟でも
前に進もうとする人もいます。
今の自分がどのレベルにいるか?
ではなく、
進むか? 進まないか?
それこそが、とてつもなく重要であると
私は最近、強く実感しています。
人は、進む生き物です。
「進む」ということを一つの形として
現したものが、人であるとも言えます。
逆に言えば、
進まなくなった人は、もう人ではない、
人としての本質を捨ててしまっている、
と言っても、本当は言い過ぎではありません。
それを最もよく理解しているのが
私達の「本能」です。
私達の「本能」は、進むために存在しています。
ところが、
進むことを放棄してしまうことで、
私達は、本能的に、自分自身のことを
嫌います。
自分のことを嫌うことで
大量発生するのが
エンティティです。
「進む」と言ってもそれは
苦しいことではありません。
私達人間は、
川の流れに身を委ねているような
存在です。
流れに身を委ねれば、
自然に進んで行くのです。
むしろ、進むのを放棄するということは、
川の流れに逆らいながら、
その場に必死に留まろうとする行為です。
その方が間違いなく不自然ですし、
苦しいのです。
しかし、にも関わらず
止まってしまう人がいます。
本当は、進むことこそが気持ちが良いのに、
今の自分に執着しすぎてしまっているのです。
流れに逆らうことによって
大量発生するのが
エンティティです。
エンティティを大量発生させてしまった人は
そのエンティティが気持ち悪く、
エンティティを消そうとします。
自らのエンティティと戦うのです。
しかしエンティティとは、
消そうとしたり、戦おうとすることで
逆に反発するかのように増大します。
その負の循環から
抜け出せなくなります。
西畑さんはその状態にあり、
その西畑さんのエンティティを
木村さんは受け取ってしまっていました。
エンティティから解放されるための手段は
ただ一つ。
そのエンティティを、愛することです。
それにより、
エンティティは浄化されます。
以前にこのブログでも書かせていただきましたが、
「愛」とは行為ではありません。
「愛」とは、エネルギーそのものです。
分離しているものが、
一つになろうとするときに自然発生する
エネルギーです。
そのエネルギーは誰もが
持ち合わせています。
しかしそのエネルギーを実際に
発揮できるかどうかは、
その人が「進む」かどうか?によります。
進むのを放棄している人からは
愛というエネルギーは発せられません。
進む人は、それだけで
愛のエネルギーは出ます。
そして、
次元を高めれば高めるほど、
そのパワーは2次曲線的に増大します。
私は木村さんに、
「木村さん、
その西畑さんのエンティティを
愛せますか?」
と問いました。
恐らく、二人コーチングの開始直後の木村さんなら
嫌がっていたでしょう。
しかし、弓江さんとの二人コーチングの時間を
過ごすことにより、
木村さんの真本音度合いは一気に
高まっていました。
ですから木村さんは何の躊躇もなく
言われました。
「愛せますよ」と。
であれば、あとは簡単です。
「木村さん、
木村さんの愛は、どこから出やすいと
思いますか?」
「・・・そうですね。
右手かな?」
「であれば、右手を背中か肩か、
最も苦しい部分に当てることはできますか?」
木村さんは左肩の辺りに右手を
当てました。
「ここだと思います。」
「では、右手から
愛のエネルギーをエンティティに
注いであげてください。」
「はい。」
ほんの20秒くらいでしょうか、
ふっと、木村さんの全身が軽くなった感覚が
私に伝わって来ました。
と同時に、
「もう終わった気がします」
と木村さん。
これでもう、エンティティは
浄化されました。
「木村さん、
気分はいかがですか?」
「なんか、
すごく全身が軽くなりました。
自由になれた感じがします。」
これにより、
木村さんの真本音度合いは
さらにアップしました。
つづく
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