苦しんだり、喜んだり

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今日は冷たい雨が

降っていたね。

 

私は日帰りで

出張だったのだが、

 

電車を降りて

駅のホームで

少し震えながら

冷たい雨を

見ていたら、

 

今日という一日

とても愛おしくなった。

 

今日も昨日も

一昨日も、

何人もの人と会い、

向かい合ったが、

 

皆、それぞれに

辛さ

を持っていた。

 

その辛さとは

ほとんどの場合、

その人の

価値基準が

生んでいる。

 

これは

正しい。

 

これは

間違っている。

 

本当は

こうなることが

正解だと思うのに、

なんで物事は

こうなってしまうんだ!

 

という

憤りの苦しみ。

 

本当は

こうあるべきなのに

なんであの人は

わかってくれないんだ!

 

という

悲しみの苦しみ。

 

それは

物事や人に

向けられるばかり

ではなく、

 

自分自身にも

向けられる。

 

正しい。

 

間違っている。

 

ここは正しいが、

ここは違う。

 

なんで私は

こんなに

間違ったことを

してしまうんだ!

 

と自分を

責め続ける。

 

ほとんどの

人は、

自分の解釈に

よって

自分を

苦しめている。

 

それを

「幻影」と言い、

 

それは

本当の苦しみ

ではないのだが、

 

私達人間の

苦しみのほとんどは

その、幻影

である。

 

だからもう

そんな苦しみは

しなくていい、

ということを

言いたいのでは

ない。

 

そういった

私達人間の営み

そのものが

妙に

愛おしくなったのだ。

 

一日は、

解釈と共に

始まり、

 

解釈と共に

終わる。

 

人は

解釈によって

喜び、

解釈によって

苦しむ。

 

その世界

そのものを

愛おしく

思ったのだ。

 

冷たい雨だから

嫌だなぁ、

というのも

解釈。

 

雨の中

歩きたくないなぁ、

なんで

出張の日に限って

雨なんだ、

という解釈。

 

こんな日は

きっと

ひどいことが

起こるに違いない、

という解釈。

 

そう思っていたら、

素敵なことが

たくさん起こり、

逆にとても

嬉しくなった。

 

これも

解釈の成せる技。

 

人間って

面白いね。

 

正しいと

思うことは

受け入れて、

 

そう思えない

ことは

受け入れない。

 

それって

まったく

自由じゃない。

 

これをきっと

不自由

と言うのだろう。

 

本当の

自由とは、

 

正しいとか

間違っているとか

関係なく

すべてを

受け入れること。

 

受け入れる

とは

肯定する

ことではない。

 

ただ、

受け入れるだけ。

 

すべてを

受け入れて、

その上で

次の一歩を

決めること。

 

そういった人の

人生には

きっと

多くの選択肢が

観えてくるのだろう。

 

しかし

そうなれない自分が

ここにいて、

 

実際には

不自由な中で

毎日

苦しんでいる。

 

理屈では

わかっていても

どうにもならない。

 

人間って

大変だ。

 

でも、

面白い。

 

面白がるのが

受け入れる

ということかな?

 

なんか

全部ひっくるめて

愛おしくなった。

 

今日という

一日が

愛おしくなった。

 

うぅ〜、

さみぃ・・・。

 

つづく

 

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