直観

思考と直観の関係

 

よく私が

直観直観と

言うので、

 

じゃあ

思考はしちゃあ

いかんのか?

思われることも

あるのだが、

 

もちろん

我々は人間、

思考の生き物だ。

 

思考なしに

生きることは

できないし、

 

思考は

思いっきりしよう。

 

私がお伝え

したいのは、

 

思考すべきところで

しっかり思考し、

 

思考してはならない

ところでは

思考を止められる

ようになろう、

 

ということだ。

 

思考してはならない

ところというのは、

つまり

 

今は直観が

出る瞬間だ

 

という時だ。

 

私はよく

悩む。

 

悩む=思考し続ける

捉えていただいて

間違いない。

 

グルグルグルグル

頭で

思考が続く。

 

それは

意図的にやっている。

つまり、

「今は悩もう」

と。

 

「今は思考する時だ」

と。

 

しかし、

「決して答えは

出さないようにしよう」

とも

決めている。

 

答えはすべて

直観で決める。

 

なぜ思考するか?

 

その一つの答えは

「直観による答えを

導き出すため」

だ。

 

思考をよくする人は

直観力も高い。

 

思考することは

直観的な答えへと

導いてくれる。

 

・・・というよりも

私の感覚では、

 

思考することで

どんどん心の靄が

浮上し続け、

 

徹底的に

思考することで

浮上し続けた靄が

一気に浄化されていく。

 

それにより

心の底にあった

本当の答えが

直観として現れる。

 

・・・という感じだ。

 

実際、

よく思考する人は

直観力も高い人が

多い。

 

ただし、

直観が出る瞬間に

至ったとしても、

それでも自分の

直観を信じず、

思考で答えを出そうと

し過ぎてしまう人もいる。

 

それは

実にもったいない。

 

さて。

 

なぜ思考するか?

もう一つの答えが

ある。

 

それは、

「直観をしっかりと

言語化するため」

だ。

 

つまりそれは

自分以外の人に

きちんと伝える

ためだ。

 

直観を直観のままに

しておく人も

多い。

 

それではその答えは

「自分だけのもの」

だ。

 

直観を、他の人にも

わかりやすく

伝え、共有する。

 

特にビジネスに

おいては

とても大切なことだ。

 

このように

私達は、

思考と直観のコラボ

によって

生きている。

 

良いコラボのため

には

良い役割分担が

必要だ。

 

思考と直観の

役割分担を

しっかりする。

 

というのが

私のオススメしたい

ことだ。

 

今は、

役割分担をせず、

どちらも中途半端な

人が多いと思う。

 

中途半端な

思考(悩み方)。

 

中途半端な

直感。

 

ただの思いつき

レベルの直感しか

浮かばない人は、

 

まだ悩み方が

足りない。

 

もっと

徹底的に思考

する。

 

そのためには

自分に

問い続ける。

 

問う力のない人は

思考する力も

ない。

 

結局は

セルフコーチング力に

行き着くんだけどね。

 

つづく

 

生き方と睡眠の関係

 

私達は

眠っているときに

様々な発想を

している。

 

時々、それが

夢という形で

顕在化することもあるが、

 

それはすべての発想の

ほんの一部でしか

ない。

 

起きている時間に

発想しきれないことを

眠っている間に

一気に成し遂げている

という言い方もできる。

 

そういうことで言えば、

睡眠はとても

大事だ。

 

眠っている間に

していることを

もう少し具体的に言えば、

 

一つの発想を

それを基点として

様々に広げたり、

深めたり、

 

発想と発想を

掛け合わせたり、

紡いだり。

 

一つの発想を

そのままにしておく

ことはほとんどしない。

 

一つの発想は

次の新たな発想を

何十個も何百個も

生み出す。

 

それをやり続けて

いるのだ。

 

そして

生み出された発想は

しばらく

熟成させる。

 

すべての発想は

宝物。

しかしその宝物は

 

それを活用する

タイミング

 

が最も大事だ。

 

そのために

熟成をさせる。

 

そして、

起きている時間の

いざ、という瞬間に

 

一気にそれは

浮上する。

 

奥の方で熟成され

眠っていた発想が

 

ここぞとばかりに

顕在化する。

 

これを

「気づき」

と言う。

 

「直観」

とも言う。

 

そう考えると、

睡眠こそが

セルフコーチングの時間

とも

言える。

 

そして、

良い睡眠が取れるか

どうかは、

 

その多くは

 

その人のストレスの

状態で決まる。

 

単純に言って、

ストレスの多い人は

ちゃんと眠れない。

 

質の良い

睡眠は取れない。

 

睡眠は

量も大事だが

質も大事だ。

 

私は

睡眠時間がとても

短いときが多いのだが、

 

それでも

睡眠の質が良いので

ちゃんとセルフコーチング

できているし、

 

必要なときに

必要な発想が

ちゃんと出てきてくれる。

 

なぜなら

起きている時間、

自分の真本音に

素直に生きているからだ。

 

現実世界においては

様々なストレスが

あるが、

 

最大のストレスは

自分の望む生き方を

自分がしていない、

ことによる。

 

つまりは

自らの真本音を

大事にしない生き方を

することで

強いストレスが24時間

湧き続ける。

 

起きている時間の

生き方を

大事にすれば、

 

結果として

良い睡眠が取れ、

 

結果として

良いセルフコーチングが

でき、

 

結果として

起きているときに

良い気づきや直観が

生まれる。

 

もっと単純に言えば、

 

生き方が

睡眠の質を決め、

 

睡眠の質が

生き方に影響を

与える。

 

まずはこの

単純なサイクルを

意識しては

どうだろうか。

 

つづく

 

自分を解放できるといいね

 

「無」の中に

入る。

 

しかし入って

わかるのは、

 

本当は

「無」などない、

という事実だ。

 

そこには

「すべて」がある。

 

だから

何も観えない。

 

一見すると

「無」のように

見えるだけ。

 

そしてその

「すべて」の中から

私達は

常に何かを

「選んで」いる。

 

私達が選んだ

その何かによって

「現実」は

創られる。

 

私達は

常にそうやって

「現実」を

生み出し続けている。

 

・・・・・・

 

生み出された「現実」を

目の当たりにすると、

 

それはまるで

「自分」とは別個の

存在のように

見える。

 

それが

自分の望むもので

あるならば、

私達は喜び、

 

辛いものであるならば、

私達は

避けよう、とか

逃げよう、とする。

 

いずれにしても

自分とは別個のものが

自分に対して

降りかかってくる。

 

と、

認識する。

 

だから「自分」は

常に、

被害者になったり

加害者になったり

する。

 

被害者も

加害者も

それはそれは

辛いものだ。

 

その辛さが

人生であると

私達は思い込みながらも、

 

自分とは別個の

存在である「現実」に

振り回されて行く。

 

結果として

「現実」に反応するだけ

反射するだけの

自分となって行く。

 

しかしそれはもう

「自分」ではない。

 

そこに

本来の「自分」は

ない。

 

・・・・・・

 

すべての「現実」とは

自分が生み出している

ものである。

 

ということを

受け入れることは

それ自体が

相当に辛いことだ。

 

到底、

受け入れられること

ではない。

 

「現実」と「自分」を

分離しているからこそ、

私達は何とか

ここに立てている。

 

と、

私達は思う。

 

誰かや何かの

せいにすることで、

自分のバランスを

何とか保っている。

 

しかしそのバランスは

ほんのちょっとの

強い刺激や作用に

よって、

 

すぐに

壊れる。

 

壊される。

 

それをまた

常に恐れながらも

私達は

生きる。

 

しかしそれが

本当に

「生きる」

ということだろうか。

 

・・・・・・

 

すべての「現実」とは

自分が生み出している

ものである。

 

という到底

受け入れがたいことを

 

本当の意味で

 

飲み込むことが

できたとしたら、

 

そこで私達は

初めて

何かから

解放される。

 

言いようのない

「自由」を

手に入れる。

 

「自分」を

手に入れる。

いや、

思い出す。

 

「自分」を思い出して

初めて、

 

私達は

自分の中(内在的世界)に

おける、

 

ある一つの「境界」

 

超えることができる。

 

その「境界」の

向こう側にあるものを

見出すことが

できる。

 

その向こう側に

あるのは

 

発想の宝庫

 

だ。

 

つまり、

私達には

 

「境界」を超えなければ

得られない発想が

あるのだ。

 

その発想を

「直観」

私は呼んでいる。

 

・・・・・・

 

すべての「現実」とは

自分が生み出している

ものである。

 

ということを

理屈で自分に

飲み込ませようとしても

それは土台、

無理なことだ。

 

しかもそれは決して

器の大きな人格者に

なる、

ということではない。

 

それはそういった

こととはまったく

別次元の話だ。

 

なぜならそれは

単に、

「思い出す」ということに

他ならないから。

 

「思い出す」

だけなので、

本当は、「思い出せ」れば、

誰もがそれを

何の抵抗もなく

受け入れられる。

 

というか、

受け入れるも何も

ない。

 

すべてが自分

なのだから。

 

その「思い出す」状態に

なるための

唯一の方法は

 

自らの

真本音度合いを

高めるしかない。

 

これが私の

結論だ。

 

残念ながら

これ以外の方法は

 

ない。

 

だから私は

どのような状況に

なろうとも、

 

昨日も今日も明日も

 

そのためのサポートを

粛々と

やり続けるのだ。

 

つづく

 

アイデアを実行に移すな

 

これは良いアイデアだ!

 

というものが

もし浮かんだら、

 

次に私が行なうのは、

それを

捨てることだ。

 

頭の中から、

心の中から、

完全に捨て去る。

 

良いと思った

度合いが高ければ

高いほど、

それをしっかりやる。

 

当然、

良いと思った

度合いが高ければ、

捨て去るのには

時間がかかる。

 

それでも

やる。

 

そのアイデアへの

執着を

なくすためだ。

 

アイデアを

捨て去ることができると、

心の中と頭の中は

空っぽになる。

 

その状態で

待っている。

 

すると、

奥の方から

「直観」が

浮かび上がってくる。

 

それは

「良いアイデアだ!」

というレベルのもの

ではない。

 

まるで

過去を思い出すかの

ように、

「あぁそうだったな。

私はこれをするのだったな」

かなりニュートラルに

そして

当然のように

 

まるでそれが

最初から真理で

あったかのように

 

最初からずっとそこに

存在していたかのような

感覚で

浮かび上がってくる。

 

一言で言えば

「未来を思い出す」

ような感じ。

 

そうなったら

私はそれを実行に

移す。

 

いや、

実行に移そう、

などと考える間もなく、

勝手に体が動いてしまう。

 

面白いことに、

 

この、実行に移した発想は

最初のアイデアと

結果的に全く同じこともある。

 

それはそれでいい。

 

ただ、

最初のただのアイデアレベル

における実行と、

未来を思い出すレベル

における実行では、

 

その「実行」の質が

根本的に違ってくる。

 

その「違い」こそが

重要であり、

 

道が開くかどうかは

すべてここに掛かっている

と、私は思うのだ。

 

これが本来の

「直観」である。

 

いつも言うことだが、

この直観の力は

誰もがもともと持っている。

 

この「直観」に基づいて

動く人がどれだけ増えるか?

 

そういう人を

どれだけ育成し、

どれだけサポートできるか?

 

これによって

ここからの時代の明暗が

決まると

私は思っている。

 

つづく

 

静かな場所から来る

 

私達は現実世界の

中で

生きている。

 

だから

いろんなことが

降りかかってくる。

 

楽しいことばかり

ではない、当然。

 

嵐のようなことが

降りかかることも

ある。

 

現実世界から

嵐が降りかかれば、

心の中も

荒れる。

 

私の言葉で言えば、

 

反応本音が

大揺れになる

 

ということに

なるが、

 

そういうことは

ほぼ毎日のように

ある。

 

しかし。

 

私達の中には、

現実が

どれだけ荒れようが、

心も

どれだけ揺れようが、

 

決して

揺れない場所

がある。

 

何が起ころうとも

いつも

静か

な場所がある。

 

それが

体の中のどこかに

ある。

 

その場所を

見つけよう。

 

それが

真本音の場所

だ。

 

・・・・・・

 

そこはいつも

静かで

落ち着いている。

 

「落ち着こう」

という意思を持って

落ち着いた状態を保っている

のではなく、

 

何の努力も

何の意図もなく、

ただ最初から

静かで落ち着いている。

 

その場所を

見つけることができたら、

そこに

入ってみよう。

 

自分の意識を

そこに入れ込んで

みよう。

 

するとそこには

何があるだろうか?

 

私の場合は、

そこには

「海」

がある。

 

気持ちよく

スーッと遠くまで

広がる

水面がある。

 

海なのに

波は一つもない。

 

まるで

鏡のような

冴え渡った海。

 

そこに

舟が浮かんでおり、

私はその舟に

乗っている。

 

時には、

舟にも乗らず、

その水面や水中に

自分自身の全身を

浸している。

 

その「景色」の中に

いると、

スッと私は

「もとの自分」

「もともとの自分」

に戻ることができる。

 

・・・・・・

 

「直観」

とは、

 

ここから来る。

 

この、

静かな世界から

来るものだ。

 

私の場合で言えば

その「海」は

 

「答え」の

宝庫だ。

 

「海」は

すでにもう

すべてをわかっているし、

すべてを知っている。

 

過去も今も未来も

全部、

「そこ」にある。

 

だから、

今自分が何をすれば

よいか?

ありありとわかる。

 

その「答え」が

「直観」である。

 

真本音の発想

という

やつだね。

 

つづく

 

本当は、できて当たり前

 

今、

これをすれば

よいのだ。

 

という確信は、

本来は、

 

体と心と魂

 

が、

完全に一致した時に

現れる。

 

言葉として

表現すればそれは

どうしても

「確信」

ということになってしまう

のだが、

 

実は、それほど

大層なものではない。

 

よく言うことだが、

それは何かを

「思い出す」

感覚に非常に近い。

 

過去の出来事を

思い出す感覚だ。

 

「あぁあの時は

そうだったな」

と。

 

もしくは、

何か探し物の在処を

思い出すようなもの。

 

「あっそうだ、

あそこに置いたんだった」

と。

 

本当に

それくらいの

感覚だ。

 

ただしそれはもう

「過去」の

出来事。

 

つまりは、

事実として既に

揺るぎのないもの。

 

それであることが

当然であるもの。

 

寸分違わずに、

他の答えが入り込む

余地を

まったく与えないもの。

 

それくらいの

明確さで、

 

未来のことと、

今、自分が

すべきことが

 

「わかる」

のだ。

 

だからもう

寸分違わず、

他の答えはまったくもって

存在の余地なく、

 

「今、これを

しよう」

 

思えるのだ。

 

これが本来の

「直観」

だ。

 

そしてこの「直観」は、

人生において

数えるほどしか

現れないような

特別で神秘的なものでも

なく、

 

それは

日常生活において、

朝起きてから

夜寝るまで、

ずっと

現れ続けられるものだ。

 

なんなら、

24時間の自分の行動の

すべてを

この「直観」のみで

決めることすらも

可能だ。

 

それくらい

「普通」

のことだ。

 

むしろ、

「直観」によって

自分の行動を決めない、

ということの方が

「普通ではない」

気がするし、

「無理をしている」

とか

「不自然な生き方」

な気もする。

 

私達にとっては

やって当たり前の

もの。

 

それができていないのが

不自然なので、

その不自然さを

治さねばならない、

 

というのが

今の世の中の状態だ、

私は観ている。

 

本当は、

何も難しいことは

ない。

 

難しくしているのは

私達自身だ。

 

複雑にしているのは

私達自身だ。

 

それこそを

「思い出す」

必要が、

今の私達には

あるんだな。

 

つづく

 

現象は現象だ

 

今の世の中は、

 

今の私達は、

 

「現象」に

揺らされ過ぎだな。

 

ちょっと何かが

起こると、

大きく

右に揺れたり

左に揺れたり

上に揺れたり

下に揺れたり

 

いつも

騒がしい。

 

ポンっと

ちょっと肩を

叩かれたくらいで、

 

飛び跳ねるように

驚く。

 

常に何かに

ビクビクしている。

 

過剰反応。

 

その連続の

ような生き方と

行き方。

 

脆弱だな、

と思う。

 

「現象」に

振り回され、

「現象」が

すべてであると

思い込んでいる。

 

すべての「現象」には

本質があり、

その本質のことを

「実在」と言うが、

 

もう少しみんなが

「実在」を

感じ取れるようになれば、

 

世の中はもっと

平和であり

調和するのになぁ、

 

私達の生活の

一歩一歩は、

 

日常の

一挙手一投足は、

 

もっと

地に足のついた

安定したものに

なるのになぁ、と

よく思う。

 

右往左往して

何も見えなくなるよりも、

 

しっかりじっくり

物事の展開を

見つめ(観察し)、

 

本当に

「こうしよう」と

迷いなく思える事柄

のみを

行動に移す。

 

その連続で、

すべてが

調和するのになぁ。

 

「現象」に

捕らわれるということは、

 

目を瞑ったままで

走るのに等しい。

 

それは

危険だ。

すぐに転ぶし、

すぐに何かに

ぶつかるよ。

 

物事の

「実在」を、

本質を感じ取れば、

 

私達は常に

ちゃんと目を開いた

状態で、

 

今、

何をすればよいかが

しっかりわかる。

 

何をすれば

よいか。

 

何をしては

ならないか。

 

それはすべて

「直観」として

わかる。

 

答えはすべて

私達の中に

ある。

 

外の情報は、

その答えに行き着く

ための

きっかけに過ぎない。

 

もっと

落ち着いて

生きよう。

 

「直観」とは

落ち着いた人から

発せられるものだし、

 

「直観」に基づき

生きることで、

その人は

落ち着いて進むことに

なる。

 

思いつきと

直観は違う。

 

右往左往するのは

単なる思いつき。

 

直観はもっと

静かな

ものだ。

 

静かで

とてもエネルギーが

高く、

 

あたたかく

安らぐ

ものだ。

 

つづく

 

1万人の答え

 

以下はあくまでも

私が現場で実感している

話なのだが、

 

決して大袈裟な

表現ではない。

 

私達の心の中には

1万人の「自分」が

存在している、

と考えてほしい。

 

様々な個性を持った

「自分」だ。

 

前向きな自分も

いれば、

後ろ向きな自分も

いる。

 

自信満々の自分も

いれば、

気弱な自分も

いる。

 

親切な自分も

いれば、

わがままな自分も

いる。

 

様々な個性や

考え方を持った

「自分」

が、

1万人いる。

 

決して大袈裟な

表現ではない。

 

もちろんそのほとんどの

「自分」を

自分は知らない。

 

1%の「自分」も

知らないだろう。

 

そして、

 

その1万人の「自分達」が

常に、

話し合いを続けている。

 

発想をし合っている。

 

ブレーンストーミングを

続けている、

考えてみてほしい。

 

例えば、

顕在意識のレベルで

一つの問いが

浮かんだとする。

 

するとその問いに

ついて、

1万人が議論し合うのだ。

 

当然、

宝物のような価値ある

「答え」は

そこかしこに生まれる。

 

珠玉の「答え」は

そこかしこに

生まれる。

 

しかしそのほとんどを

私達は

顕在化していない。

 

珠玉の答えが

たくさん生まれているのに、

それを顕在化

できないのだ。

 

もったいない!

 

しかしそれが

現実。

 

しかし、

時々ではあるが、

 

珠玉の答えの一つが、

何かの拍子に

フッと

顕在化することがある。

 

それがいわゆる

「直観」

だ。

 

だから、

 

直観とは

一つの答えが生まれて、

それがそのまま顕在化する

ということではない。

 

数え切れないくらいに

たくさんある答えの

内のたったの一つが

浮上する、

だけのことなのだ。

 

では、

 

直観力が高まる、

とは

どういうことか?

 

それは、

数え切れないくらいの

答えが、

同時に無数に

顕在化することだろうか?

 

・・・それはそれで

大変面白いかも

しれないが、

 

残念ながら

そうではない。

 

やはり顕在化する答えの

数そのものは

それほど変わらない。

(もちろん、増えるが。)

 

それよりも、

 

本当に今の自分にとって

最高・最善と思える答えを

きちんと選び出して

顕在化することが

できる。

 

・・・というのが

直観力が高まる

ということだ。

 

しかも、それを

 

「答えが欲しい

タイミングで」

 

行なえるように

なることだ。

 

一番欲しい時、

欲しいタイミングで、

一番欲しい答えが

浮上する。

その度合いが高まることが

「直観力が高まる」

ということだ。

 

そして、

それをするのが

「真本音」

の役割だ。

 

真本音とは、

1万人いる「自分」の中の

リーダーだと

思ってもらうとよい。

 

しかもそれは、

1万人すべての「自分」が

心から信頼し

尊敬するリーダーだ。

 

そのリーダーは

1万人の「自分」達が

総力を結集して出した

様々な発想や答えを

すべてチェックし、

 

その中の

最高・最善だと思われる

答えを

選び出す。

 

「今回は

これでいこう!」

と。

 

皆が尊敬するリーダーが

選ぶのだから、

皆、それに従う。

 

「リーダーがそう言うなら

それで行きましょう!」

全会一致となる。

 

その結果として、

1万人の「自分」達は

総力をあげて

その「答え」の方向に

動き出そうとする。

 

「本来の直観」が

発生すると、

自然に体が動いてしまう

のは、

その理由による。

 

だから。

 

真本音度合いを

高めることは、

直観力を高めることに

直結する。

 

真本音度合いが高い人は、

一日の行動のほぼすべてを

直観で決めるようになる。

 

それにより、

ほぼすべての行動が

調和につながっていく。

 

何度も言うが、

大袈裟な話ではない。

 

むしろ

普通の話だ。

 

「直観」については、

今後も度々、

様々な角度から

書かせていただくことにする。

 

つづく

 

参考 →【直観について書こうかな】

 

直観について書こうかな

 

「直観」が

出てしまうことが

ある。

 

それが出ると、

思わず

その通りに

行動してしまう。

 

自分を

その方向に

動かしてしまう。

 

それに抗うことは

ほぼ不可能だと

思わせる。

 

かと言ってそれは

自分が自暴自棄に

なったり、

混乱に陥ったり、

制御不能になっている

訳ではない。

 

むしろ全く逆で、

 

自分の頭は

その瞬間、

晴れ渡り、

冴え渡り、

 

感覚として

「すべてがわかった」

という

実に清々しい状態

であり、

 

かつ、

非常に理性的な

落ち着いた

 

地に足がついた

 

状態だ。

 

その状態において

「これをするしかない」

確信している。

 

そのような

安定感と力を

持ち合わせているのが、

 

本来の「直観」

である。

 

それが浮上すると、

私達はもう

その方向に

動いてしまう。

 

「意味」は

後からついてくる

場合が多い。

 

その時その瞬間は

確信はあるのに、

 

なぜ自分が

それをしようとしているのか

わからない

 

ことが多い。

 

でも

確かに確信はあるし、

 

その確信を

抑える必要性も

感じない。

 

そして実際に

そのような方向の行動を

起こすと、

 

驚くような展開で

「調和」が

始まる。

 

むしろ頭がついて

くるのは、

その段階だ。

 

あぁそういうこと

だったか。

 

と、

自分の行動の後に

起こる結果の数々を

体験しながら、

ようやくにして

意味がわかる。

 

そして多くの場合、

その「意味」とは

実に楽しく、

感動的だ。

 

私は、

この「直観力」こそが、

自らの人生や

使命や経営や

人間関係や

・・・あらゆることの

可能性を広げ、

道を拓く原動力になると

思っている。

 

私達の欲しい

「答え」のほとんどは、

直観によって

もたらされる。

 

しかしその直観とは、

自分以外の何者か

が、

自分にもたらしている

ものではなく、

 

それは

私達自身の

「本当の意思」

に他ならない。

 

私達は

私達自身に「答え」を

もたらす。

 

それが

「直観」という形として

現れる。

 

それだけの

ことだ。

 

これまで私は

「直観」について

随分と語ってきたが、

 

もう少し丁寧に

このブログにおいても

書かせていただいた方が

良いかな、と

思い始めている。

 

なぜなら、

「直観」を単なる「思いつき」

と混合してしまう人が

いるようだから。

 

「直観を大事にしよう」

と言うと、

「ではもう、考えなくて

いいんですね!」

という反応すら

時々見受けられるから。

 

自分の「直観」を言い訳に

現実逃避の方向に

走っている人すら

いるから。

(それは本当は

直観でも何でもないのだが。)

 

直観もどきではなく、

本当の直観で生きる

ためには

私達は何をどうすれば

よいのか?

 

直観を阻害するもの

とは何か?

 

など、

様々な視点から

書かせていただきたいな

と考えている。

 

つづく

 

もっととことん考えよう

 

真の発想は

すべての発想を

出し切った後に

 

初めて

現れる。

 

これ以上、

もう発想は

出ません。

 

・・・と

あきらめたところ

からが、

真の発想を掘り起こす

スタートだ。

 

自分自身が

空っぽに

なってしまった後、

 

空虚に

なってしまった後、

 

無力感を

本当に感じてしまった

その後に、

 

真の発想は

浮上し始める。

 

だから、

 

変な言い方だが、

 

あきらめるところ

まで

あきらめずに

がんばろう。

 

もちろん

あきらめたふり

ではダメだ。

 

本気で

もうダメ、と

あきらめないと

いけない。

 

そこまで

徹底的に

考えるんだ。

 

徹底的にね。

 

・・・・・・

 

ちなみに、

こういった

徹底的な発想を

繰り返すと、

 

ある力を

手に入れられる。

 

それは、

 

意図的に

そして瞬時に、

真の発想を

掘り起こすことの

できる力だ。

 

一言で言えば、

直観力。

 

単なる思いつきレベル

のひらめきではなく、

100%の確信を

もたらしてくれる

直観力だ。

 

私の推奨する

セルフコーチングとは、

 

この力を

発揮できるようにすることが、

一つの目的だ。

 

しかしそのためには、

最初の段階として、

 

あきらめるところまで

あきらめずに

考え抜く、

 

ということを

がんばってやって

ほしいんだ。

 

ちなみに、

 

経営者の多くは、

会社経営を通じて

もう、

常にこれをやり続けている。

 

だからこそ、

私がセルフコーチングの

手法をお伝えすると、

 

あっという間に

真の答えを掘り起こす

力が漲る。

 

やっぱり、

現実と向き合い

続けている人は、

底力が違うね。

 

つづく

 

直観を楽しもう

 

直観を大事に

しよう。

 

と私はよく

言うのだが、

 

どうしてもそこに

自信の持てない人は

多いようだ。

 

直観か思考か?

 

となったら、

いつもの思考による答えを

選択してしまう。

 

以前も書いたが、

思考が悪いわけでは

ない。

 

むしろ、

思考をしっかりする人ほど

直観は生まれやすい。

 

しかし、

思考をしっかりする人ほど

直観のその根拠のなさと

奇抜さに

どうしてもついて

いけなくなってしまうのだ。

 

自分自身の発想

なのに。

 

・・・・・・

 

そこでお勧めなのが、

 

できることから

直観で動いてみる

 

ということだ。

 

大層なことで

なくていい。

 

例えば、

 

今日のお昼は

何を食べようか?

 

とか、

 

これから乗る電車は

何両目にしようか?

 

とか。

 

そのくらいの身近な

ところで、

まずは直観の通りに

動いてみよう。

 

そして

思考して出した選択と

直観による選択の

 

行動した時の違いを

体験するのだ。

 

体験してもし

ちょっとでも面白かったら、

もう少し冒険的なことで

直観に素直になってみる。

 

そうやって

直観で動く頻度を

徐々に上げていくとよい。

 

ただし。

 

思考をするのを

やめてください、

ということではないので

ご注意を。

 

何度も書くが、

しっかり思考する人ほど

直観は生まれやすい。

 

だから、

しっかり思考すれば

いい。

 

でも、

決めるときは

直観で決める。

 

そんなメリハリを

つければいい。

 

・・・・・・

 

これを続けると、

 

直観の出やすい時と

出にくい時の

違いがわかるように

なるだろう。

 

どんな時に

出やすく、

どんな時に

出にくいか?

 

その原因が

徐々にわかってくる

はずだ。

 

原因がわかれば

対策が打てる。

 

できるだけいつも

直観が生まれやすい

状態であるために

何をすればよいか?

 

その対策を

習慣化する。

 

これがお勧めだ。

 

・・・・・・

 

自分という人間の

神秘さ。

 

自分という人間の

深さ。

 

そして

自分という人間の

面白さ。

 

それらの片鱗は

直観と共に生きる

ことによって

現れる。

 

これは人生の面白さ

にも直結する。

 

同じ人生、

 

同じ時間、

 

同じ環境、

 

にいるのなら、

少しでもそれらを

楽しんでみたいと

思わないかい?

 

つづく

 

今が進むときだ

 

よし、

進めるか。

 

・・・と

淀みゼロ、

何の迷いもなく

そう思える

瞬間がある。

 

その時こそ、

進む

チャンスだ。

 

私はこの「感覚」を

とてつもなく

大事にしている。

 

逆に言えば、

この感覚が

なければ、

進まない。

 

もしくは、

ゆっくりしか

進まない、

ことにしている。

 

私の特技は

何か?

問われたら、

 

ひょっとすると

「待つ」

ことかも

しれない。

 

私は

ほぼほぼ

待っている。

 

「その時」

が来るのを。

 

待てるかどうか?

 

その後の展開を

大きく左右することを

いやというほど

体験したからだ。

 

「待つ」

ことと

「進む」

こと。

 

この二つの

メリハリを

つける。

 

中途半端は

極力

排除することに

している。

 

・・・・・・

 

結局、

 

待つか進むか?

 

の判断力が

一気に

高まるのだと

思う。

「真本音度合いを

高める」

ということは。

 

真本音度合いが

高まれば、

自らの

真本音からの

メッセージが

 

「直観」

 

という形で

届く。

 

真本音は、

つながっている。

 

自分の

真本音と、

他者の

真本音。

 

深い次元では

つながっている。

 

その「つながり」

からの

直観が来る。

 

その直観によって

「今だ」

「今、進む時だ」

わかれば、

 

あらゆる調和の

中で

進むことが

できる。

 

そして

その際には

自分の中では

 

一切の

迷いがなくなっている。

 

そして、

「現実」すらも

よーく

観えて来る。

 

・・・・・・

 

今、

進む時だ。

 

直観する人が

ここから

一気に増えると

 

私は

直観している。

 

ここから

脱皮し、

 

そこから

一気に

進む。

 

そんな人が

たくさんいる。

 

ぜひ、

自らの

その意志と

 

直観に、

 

素直に

動いてほしい。

 

つづく

 

それは単なる思いつきだ

 

昨日、このブログで

直観について

書かせていただいたが、

 

直観のお話をすると

よく勘違いされてしまうのが、

 

「そうか、じゃあ

あまり考えなくて

いいんだ。」

 

という誤解だ。

 

いやいやいや、

もっとちゃんと

考えようよ!

 

と言いたくなる。

 

私のクライアントさんは

経営者の方々が

多い。

 

経営者は

しょっちゅう会社の

ことばかりを

考えている。

 

24時間、

考え続けている

人が多い。

 

そういう人にこそ

私は言うのだ。

 

「直観を

大切にしましょう!」

 

と。

 

それだけ

真剣に考えている

人にこそ、

本来の直観は

働く。

 

考えもしないで、

「直観で行けば

いいんだ」

とやっている人の

多くは、

 

・直観

・単なる思いつき

区別がついて

いない。

 

だから結構、

思いつきのままに

行動して

大変な目に合う。

 

思いつきとは、

反応本音レベル

の発想だ。

 

それは直観に

似てはいるが、

実に浅い。

 

しかもその多くは

自分本位の発想、

自己満足の発想、

だ。

 

そういう人が

いれば、

私は

 

「まずはしっかりと

考えよ」

 

と「指導」する。

 

人生を

仕事を

安直に考え過ぎ

だ。

 

困ったことに、

そういう人ほど、

「真本音が、真本音が」

言う傾向がある。

 

「お前が言うな。

それよりもっと

ちゃんとしっかり

考えろ!」

 

私は言う。

 

まずは、

 

自分で考え、

自分で決め、

自分で行動し、

自分で成果を出す。

 

これがやはり

自律の基本だ。

 

これを

やり続けながら、

試行錯誤を経ながら、

人は初めて

真本音とか

直観とかを

知っていく。

 

それもせずに、

真本音とか

直観とか

語らないでほしい。

 

なんか今日は

文句のような

文章になっているが、

 

残念ながら

今は、

グングン最高速で

進む人が

増えている一方で、

 

まるでその反動の

ように、

止まってしまう人も

増えている。

 

そして

実に残念だが、

 

止まっている人

ほど、

自分が止まっている

という自覚がない。

 

自分はちゃんと

やっている。

 

自分は

真本音で進んでいる。

 

思い込んでいる。

 

でも、

現実をよく

観てほしい。

 

本当に自分の

望む現実が

できているか?

 

「もうすぐできる

はずだ」

 

ではダメ。

 

ちゃんと日々、

望む現実が

生まれ続けて

いるか?

 

進んでいる

実感は

本当にあるか?

 

よ〜く

客観的に

自分を振り返って

ほしい。

 

自分を

大切にできるのは

まずは

自分自身なのだから。

 

「大切にする」

第一歩は、

 

「あるがまま」を

「現実」を

自覚する

ことだから。

 

つづく

 

意図的に直観は起こせるか?

 

心がざわめいて

いる時は、

 

私は一切の

決断をやめる。

 

止まる。

 

何もしない。

 

決めている。

 

何もしない、

というのは

現状のまま行く、

ということだ。

 

何も変えない。

 

と同義語だ。

 

極端に言えば、

惰性のままでも

いい、

ということだ。

 

私達は

特に重要な決断の

前では、

 

あーだこーだ、と

考えてしまう。

 

当たり前だ。

 

考えること自体は

良いことだし、

しっかりじっくり

考え尽くさねば

ならないが、

 

考えの中から答えを出す、

ということを

私は

一切、しない。

 

考えの中から答えを出す、

というのは、

根拠を求めて、

最も点数の高い根拠に

基づいた答えを出す、

ということに

なってしまうからだ。

 

企業でもビジネスでも

そういったやり方を

している人は

多いだろう。

 

しかし私は

それをしない。

 

何故ならば、

そこに最善の答えは

ない。

 

からだ。

 

ちょっと極端に

聴こえるかもしれないが、

実は、

そんなに極端なことは

言っていない。

 

私は、

すべての考えを

自分が

手放せるくらいまで

考えて考えて

考え尽くす。

 

人間、面白いもので、

そこまで考え続けると、

途中で

どうでもよくなる

瞬間が来る。

 

ある意味、

答えが出ないことへの

あきらめでもある。

 

開き直り、

とも言える。

 

本当にそうなると、

そこまで続けた

あらゆる思考を

私達は手放してしまう。

 

するとその直後に

やすらぎ

静寂

が来る。

 

その状態に

入って初めて、

 

「直観」

 

が来る。

 

その直観こそが

最善の答えを

運んできてくれる。

 

その多くは、

根拠のない答え

だ。

 

が、

根拠のない自信

付与されている。

 

つまりそれこそが

 

「確信」

 

というものだ。

 

多くの場合、

確信には最初

根拠がない。

 

根拠はだいたい

後付けだ。

人に説明するために。

 

根拠のない確信を

人に説明し

納得していただくために

思考を働かす。

 

そこでこそ、

考える

という行為は

本当に生きて来るのでは

ないかと

私は思っている。

 

それはともかく、

そういった確信は

私達に

パワーとエネルギーと

モチベーションを

与えてくれる。

 

そうしたら

それに素直に

動くといい。

 

だから私は

確信に基づいた

決断しかしない。

 

・・・・・・

 

以前は、

この過程に

随分と時間をかけて

いた。

 

例えば、

一つの答えを出すのに

1週間も2週間も

考え続けた。

 

長い時間をかけて

直観を待った。

 

しかし残念ながら

直観は

意図的に起こすことは

極めて難しかった。

 

しかし。

 

今は私はこれを

数分単位、

時には

数秒単位で

意図的に行なうことが

できる。

 

つまりは、

意図的に

直観を呼び起こすことが

できる。

 

私のコーチングは

すべてこれを

主体としている。

 

では、

それは私だけの力か?

と言うと

とんでもない。

 

これこそ、

私達人間の

誰もが持っている力

の一つだ。

 

その本来の力を

呼び起こすための

最短の道が

 

セルフコーチング

 

である。

 

正しく自分と

向き合い続け、

 

自分の心の中にある

ものを

あるがままに

見つめることが

できるようになると、

 

直観も確信も

 

毎日のように

浮上する。

 

むしろそれが

当たり前と

なる。

 

しかしそれが

ゴールでは

ない。

 

そんな自分になれて

初めて、

 

私達は

人生の目的にも

気づけるし、

 

そこに向かう

道を見出すことも

できる。

 

本来の人生が

スタートするのだ。

 

直観なくして

道はなし。

 

ただし、

直観と言っても

ただの思いつきでは

ない。

 

ただの思いつきと

直観を

区別できるように

なる必要もある。

 

そのためにも

セルフコーチング力が

必要だ。

 

つづく

 

思いつきと直観は違うんだ

 

人生は

やみくもに進む

よりも

しっかりと

見極めて進んだ方が

よい。

 

・・・という

言い方をすると、

 

いつも

「直観、直観・・・」

と言っている

私の言葉とは

矛盾しているように

聞こえるだろうか?

 

実は

矛盾しているようで

まったくそうでは

ないのであるが、

 

その理由は

後で書くとして、

 

人生に

「戦略」は

とても大事である。

 

いや、

人生だけではない。

 

あらゆることに

「戦略」は

必要だ。

 

例えば、

私は今後、

 

「人材育成戦略コンサルタント」

 

という肩書きも

自分につけようかな、

と考えている。

 

人材育成にも

組織開発にも

すべてに

「戦略」は必要だからだ。

 

しかし、

「戦略」を考えない

どころか、

その視点すらない

人や組織が

圧倒的に多い。

 

一般的に

言われることだが、

 

「戦略」とは、

戦いを略す

こと。

 

つまりは、

最も楽な道を

見出すこと

である。

 

それをしっかりと

考えることは

あらゆる物事において

必須のことだと

私は思うのだ。

 

・・・・・・

 

コーチングにおいても

まったく同じことが

言える。

 

私はいつも

徹底的に

クライアントさんの

コーチングの戦略を

練る。

 

どの道に

進むことが、

そのクライアントさんの

道が

最も開きやすいか?

 

そのためには

どのようなコーチングを

すればよいか?

 

を考える。

 

これはコーチとして

当たり前のことだと

思う。

 

組織コーチング

(チームコーチング)

の場合も

同様である。

 

ただし、

戦略を

練って練って練って、

その上で

クライアントさんの

前に実際に出て、

コーチングを始めた

瞬間に、

 

私はすべてを

白紙にする。

 

白紙、というよりも

頭の中から

外して、

横に置くことに

している。

 

その状態で

ただ「あるがまま」に

クライアントさんと

向き合えば、

 

そこで

最善の「直観」が

湧くのである。

 

充分に

戦略を練って

準備をしたからこそ、

直観が

働くのである。

 

つまりは、

 

戦略とは

充分に練るもの。

 

と同時に、

 

その上で

横に置き、

直観を促すもの。

 

である。

 

というのが

私が現場で身につけた

感覚だ。

 

・・・・・・

 

どうすれば

直観力を

養えますか?

 

というご質問を

よくいただく。

 

もちろん

その土台となるのは、

 

「日々、

真本音で生きること」

 

だ。

 

それは

最低条件。

 

その上で、

 

「しっかり考えること」

 

が大事だ。

 

直観というと、

考えることとは

対極にあるイメージ

だが、

そうではない。

 

よ〜く物事を

考える人ほど、

良い直観が生まれる。

 

ただし、

自分の考えに

固執していては

ダメ。

 

よ〜く考えた上で、

それに

囚われないこと。

 

その考えを

横に置いたり、

手放したりする

柔軟性、

 

もしくは

遊び心、

 

が必要だ。

 

・・・・・・

 

私は直観型の

人間ですから、

物事をあまり

つべこべ考えないように

しているんです。

 

という人と

時々出会うが、

 

それは

違う。

 

それは

自己満足だ。

 

本当の直観とは、

自分も

人も

すべてを

幸せに導いてくれる

ものだ。

 

自己満足の

わがままな

直観は、

 

直観ではなく、

 

単なる

思いつきに過ぎない。

 

思いつきの

人生は

やめよう。

 

思いつきで

進むくらいなら、

 

しっかり考えて

悩み続けた方が

まだマシな

人生になる。

 

つづく

 

圧倒的な答えを見つけよう

心の中にモヤモヤが

現れると私はいつも

チャンスだ!

と思います。

 

そしてそのモヤモヤが

最大化したその瞬間に

モヤモヤと

向かい合います。

 

それは時には

かなりの「苦しみ」を

伴っていることも

あります。

 

しかし

「苦しみ」が大きければ

大きいほど、

より強く

チャンスだ!

と思えます。

 

心の中の

苦しみ。

 

それは

逃げれば逃げるほど

辛いものとなります。

 

向き合えば

向き合うほど

それは開放され

楽になります。

 

楽になりながらも

その「苦しみ」や

「モヤモヤ」の中身が

観えて来ます。

もしくは、

聴こえて来ます。

 

私の場合、

それらは実は

私自身のものでは

なかった

というケースが

ほとんどです。

 

つまりは、

今日向かい合った

クライアントさんや

お客様から

受け取った「苦しみ」や

「モヤモヤ」である

場合が多いのです。

 

もちろんその「苦しみ」の

具体的な中身までは

わかりません。

 

しかし、

その人がどのような傾向の

「苦しみ」や「モヤモヤ」を

今、現在

抱えているのかを

理解することはできます。

 

そして

私はそれらと

100%向かい合い、

全身で感じ続けます。

 

100%それができると、

それらの「苦しみ」や

「モヤモヤ」は

きれいに浄化されます。

 

浄化の後に

残るのは

「答え」

です。

 

その「答え」とは

多くの場合、

その次の一歩として

その人が

何をすれば良いか?

もしくは、

私自身がその人に

どのようなサポートの

一手を行なえばよいか?

の答えです。

 

「苦しみ」と「モヤモヤ」が

大きければ大きいほど、

その「答え」も

圧倒的なものと

なります。

 

それを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

心の中に

「モヤモヤ」を見つけた時、

そこには必ず、

「直観」が

潜んでいます。

 

ですから私は

チャンスだ!

と思うのです。

 

・・・・・・

 

「直観」とは

圧倒的な発想

であり、

圧倒的な答え

です。

 

それを私達が

得たとき、

私達は

突き動かされます。

 

理由づけや

理屈や理論は

そこには

ありません。

 

必要

ありません。

 

ただただ、

その答えの通りに

動きたくなります。

 

いえ、

考える間もなく

勝手に体が

動いてしまいます。

 

そこには

一切の迷いが

ないからです。

 

100%の答え

だからです。

 

私は、

「直観」と「直感」を

いつも区別して

表現しています。

 

一般的に書かれる

「直感」

とは、幅広いひらめきや

気づきを

表しています。

 

もちろんそれらは

宝物のように

大事なものです。

 

が、

100%でない答えも

含まれています。

 

ですから、

「直感」がどれだけ

働いても、

その通りに動くかどうか?

は、

時と場合ですし、

特にビジネスの世界では

「直感」に対して

その理由づけをしっかりと

した上で、

実行に移していく

というケースがほとんどです。

 

しかし

「直観」は

それとはちょっと

次元が異なります。

 

もう、

理由づけも根拠も

必要ないのです。

 

「答え」を得た瞬間に

動いてしまう。

 

その動きに

迷いは一切

ありません。

 

つまり一言で言えば、

「確信」。

 

根拠のない確信。

 

いえ。

 

本来、確信とは

根拠の必要ないもの

なのだと思います。

 

そういった

圧倒的かつ確信の

答え。

 

これを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

・・・・・・

 

大きなモヤモヤの

その向こうには

「直観」

が待っています。

 

ということは

その「モヤモヤ」や

「苦しみ」に

向かい合わないことが

いかに

もったいないことか。

 

ところが実際には

そこに真正面から

向かい合おうとする人は

ごくわずかです。

 

どうしても人は

「モヤモヤ」から

逃げようとしてしまいます。

 

もしくは、

「モヤモヤ」を

上手く解消しようと

します。

 

その場合、

解消と言ってもそれは

本当の解消ではなく、

モヤモヤに

フタをしたり

麻痺をさせたりする

類のものです。

 

本当の意味で

向かい合い、

本当の意味で

浄化・解消し、

本当の意味での

直観の答えを

導き出す。

 

それができれば、

人はもっと

自由になれます。

 

自分らしく

なれます。

 

そして

望む人生を

自ら拓くことが

できます。

 

私はそれを

セルフコーチング力と

呼んでおり、

今、まさにこれが

世の中に必要な力であると、

それこそ確信に

至りました。

 

直観の答えを

見つけ出す

セルフコーチング法。

 

それをこれから

徐々にご紹介して

行きますし、

 

セルフコーチング法を

指導できるコーチを

育成したい、

とも思っています。

 

そのためのアクションを

今月から

始めます。

 

つづく

 

人生を変えるかもしれない発想

私がここ最近、

とても強く感じることなのですが、

真本音で生きる

という実にシンプルな生き方を

するために、

多くの方に足りないものが

あります。

 

それは、

 

「自分の最初の発想を

信じるという意志」

 

です。

 

最初の発想を

もっと信じて

進んでみればいいのに。

 

・・・と、

最近、頻繁に思いました。

 

最初の発想、

つまりは、

一番初めに浮かんできた

発想。

 

一番に初めに

顕在化した発想です。

 

私達の真本音は、

時々、

まったく関係のない

発想を顕在化します。

 

それは、

前回の記事で

書かせていただいた通りです。

(→前回記事)

 

AかBか?

で迷っているのに、

まったく関係のない

Cという発想が浮かんだりします。

 

その場合、

多くの人がその発想を

「つまらないもの」

「関係のないもの」

「意味のないもの」

として、浮かんだその瞬間に

捨ててしまいます。

 

しかも、

それを無意識にしている人も

多いです。

 

ですからコーチングの場では

私はよく、次のように

クライアントさんに言うのです。

 

「今、何か

発想が浮かびませんでした?」

・・・と。

 

すると、最初は

「いえ、何も・・・。」

と返ってきます。

 

でも、

「いやいや、今何か

考えましたでしょ?」

と問うと、

初めて、

 

「すみません。

まったく関係ないことが

一瞬よぎりまして。」

と返ってくるのです。

 

「それそれ、それですよ!

どんな発想がよぎったんですか?」

 

と言って、半ば強引に

それを教えていただくのですが、

その発想がきっかけとなり、

コーチングが思わぬ

すごい展開になることは

日常茶飯事なのです。

 

例えば私の場合、以前に

次のようなことがありました。

 

ある年末の話ですが、

私は、クライアント Aさんの

コーチングをしていました。

 

Aさんは若い経営者で、

次年度の方針を

明確化する内容だったのですが、

それが出来上がり、

スッキリと完了感も覚え、

コーチングを終えようとしました。

 

で、

席を立とうとした瞬間、

Aさんが私に

「たまには今から忘年会でも

いかがですか?」

と言われたのです。

 

「おぉ、いいですねぇ」

と私は答えようとしたのですが、

その時、ふと一つの言葉が

頭をよぎったのです。

 

私はそれを

そのまま口に出しました。

 

「Aさんって、

子供好きですよね。」

 

Aさんは、キョトンと

されました。

 

それはそうです。

 

「忘年会いかがですか?」

と問うたら、

「子供好きですよね」

と返ってきたんです。

 

しばらくAさんは

目を白黒されていましたが、

「ええ、好きです。

なんでわかるんですか?」

と返してきました。

 

実はAさんは独身です。

もちろんお子さんも

いません。

私もなぜそんな一言を

Aさんに言ったのか

自分でもわかりません。

 

私は答えました。

 

「いえ、なんとなく、

子供が好きかな?と

思って。

Aさんにお子さんができたら

きっとすごく個性的な子に

なりそうですね。」

 

と私が笑ったら、

 

「たけうちさん、

やっぱり忘年会は

後日でもいいですか?」

 

とAさんが言うのです。

 

「もちろん、いいですよ。

では、今日は帰りましょうか」

ということで、

私達は別れました。

 

そして、年明け。

 

私はAさんから

驚くべき報告を聴きました。

 

実はAさん、

お付き合いしていた彼女さんが

いました。

その彼女さんに

プロポーズしようと

決めていたそうです。

で、婚約指輪も密かに

購入されていたそうです。

 

Aさんは私から

「子供が好きですよね」

と言われた瞬間に、

無性にその彼女さんに

会いたくなったそうです。

 

で、Aさん、

プロポーズするなら今日だ!

と直観したそうなのです。

 

あの日、

Aさんは私と別れた後、

すぐに彼女さんを呼び出し、

プロポーズされたそうです。

 

もちろん結果はOK。

 

「最高の正月でした」

とAさん。

 

しかも、

「年末年始で彼女と一緒に

旅行をしました。

二人で今後の家族計画の

話をしてたんです。

その時、気づいたんです。

私は、もっと私のやりたい

経営の仕方があるんじゃないか?

って。

で、たけうちさんには申し訳

ないのですが、

年末に決めた計画を

もう一度根底から考え直しました。

その結果、凄い発想が

出てきましたよ。」

 

そう言われながらも

Aさんは発想された内容を

私に教えてくださいました。

 

それはかなり

ぶっ飛んだ内容でしたが、

とてもとても魅力的でした。

 

もともとAさんは

ぶっ飛んだところがありましたから、

Aさんらしいな、

と思えました。

もちろん、

すべてAさんの真本音でした。

 

そこで私はわかったのです。

 

プロポーズすることで、

Aさんは

ご自分の次元を一つ

上がったのだな、と。

 

そして、

次元の上がった意識で

経営計画を立て直したのだな、

と。

 

そう考えると、

あの時、私が発した

「子供好きですよね」

の一言が

いかに重要だったか。

 

あれで、ある意味、

Aさんの人生が変わりました。

 

しかしこれは

私がAさんの人生を変えた

わけではありません。

 

私はただ、

Aさんと真本音コミュニケーション

しただけのこと。

つまり、

Aさんの真本音をキャッチし、

Aさんが言ってほしい一言を

その時お伝えしただけの

ことなのです。

 

Aさんの真本音は

私を活用して、

自分の人生を進めたのです。

 

面白いでしょ?

 

実はこういったことが

本当に日常茶飯事で

起きています。

 

ですから私は思うのです。

 

まったく関係のない発想でも、

何かの問いを受けて、

最初に浮かんだ答えは

宝物かもしれない、と。

 

真本音度合いの

高い人であればあるほど、

それを大切にしてほしい、と。

 

本当に、

人のコミュニケーションというのは

面白いですね。

 

つづく

 

あなたは本当は孤独ですか?

私には、

私のことを真に

理解してくれて、

私にとっての真の

仲間であると

思える人が

何人いるだろうか?

 

こんな問いを自分自身に

投げたことはありますか?

 

随分前の私は、

この問いへの答えは

「0人」

でした。

 

『真本音』と出会う前の

時代の私です。

 

もちろんそれまでに

親友と言える友人とも

随分と出会ってきました。

その当時には

すでに妻も子供も

いました。

 

共に必死になって仕事をする

職場の仲間もいました。

 

師匠だっていました。

 

しかし、

私のことを本当の意味で

理解してくれているかどうか?

と問うと、

 

あぁ、そんな人は

一人もいないんだ。

 

という事実に気がついて

愕然としました。

 

そしてこう思いました。

 

それが人間なんだ、と。

 

それが

人生というものだ、と。

 

所詮、我々は

孤独なのだと。

 

自分のことを本当に

理解できるのは

自分だけなのだ、と。

 

みんな、

そうなのだ、と。

 

・・・もちろんそれは、

その当時の私の

単なる思い込みです。

 

なぜなら、

今の私には

真の仲間と言える人、

真に私のことを理解して

くれている人、

が本当にたくさん

いるからです。

 

下手をすると、

出会ったその瞬間、

目と目が合った

その瞬間にもう

そう思える時も

何度もあります。

 

それこそ、

思い込みではないか?

と言われそうですが、

いいえ、

それは真実です。

 

なぜなら今の私は

『実在』

を感じ取ることが

できるからです。

 

今、こうしてこの文章を

書いている私は、

自宅の書斎に一人で

います。

 

今、深夜の3時です。

 

ところが、

目を閉じると、

実に多くの人達の

「気配」

を感じます。

 

これも

思い込みでは

ありません。

 

「実在」です。

 

つまり、

実際にここに存在する

ものです。

 

ちなみにこれは

霊感とは違います。

 

私には

霊感はありません。

 

ただ私は

「実在」を

感じ取ることができるように

なったのです。

 

ですので、

常に私は仲間達と

こうして共にいることが

できます。

 

現象(現実)のレベルでは、

(3次元のレベルでは)

遠く離れていても、

実在のレベルでは

距離も時間の差異も

ありません。

 

だから常に

一緒にいるのです。

 

共に

同じ願いを持ち、

同じ方向を向き、

同じ試行錯誤を

している仲間達。

 

この「実在」を感じ取る

という力は、

もちろん私だけに特有の

ものではありません。

 

誰もが普通に

感じ取れるものです。

 

つまりこれも

「普通の生き方」の

一つです。

 

えぇ?

そんなの普通じゃないよ。

と言われそうですが、

いえいえ、

これこそが私達人間誰もが

もともと持っている

コミュニケーションの力の

一つです。

 

『実在コミュニケーション』

 

・・・とも私は呼んでおり、

これは「真本音コミュニケーション」

の形の一つです。

 

真本音で生きることで

こうした力を開花することが

誰もができます。

 

実在コミュニケーションが

できるようになれば、

「直観力を高めよう」どころの

話ではなくなります。

 

「直観」が

通常の思考と同じか

それ以上に普通の状態に

なります。

 

もう本当に

迷わなくなります。

いえ、

正確には迷うことはありますし、

迷うこと自体に

生きる上での大きな意味が

ありますが、

迷いそのものを

本当に楽しめるようになります。

 

心の調子が良いとか

悪いとか、

関係なくなります。

 

心の調子が悪い時は

人間である以上

私にもあります。

 

特に毎日、多くの方達の

ストレスを受け続けていますので、

その影響もあり

ストレスの塊みたいなものに

心が閉ざされてしまうことも

しょっちゅうです。

 

絶望感。

倦怠感。

孤独感。

怒り。

憎しみ。

時には、狂気。

・・・

 

様々な反応本音達に

心が閉ざされることは

この仕事をしていれば

本当に毎日です。

 

でも

それが一体、

何だと言うのでしょうか。

 

心の状態が

絶望的に悪くなったとしても

ただ、

それだけのことじゃん。

 

・・・というように

心の状態の良い悪いに

捕らわれない

自分になれるのです。

 

どんな心になっても

おおらかな気持ちで

それを楽しみながら

観察できる自分。

 

真本音という大地に

立てていることによって

そうなれるのですが、

私が本当に

そうなれたのは、

実在コミュニケーションが

できるようになってからかも

しれません。

 

ですのでこれも

すべての人に

できるようになってほしいな、と

私は願うのです。

 

「実在」のことを書くのは

ある意味勇気の要ることですし、

恐らく誤解も生じるでしょうが、

でもそれでもこのブログでは

そこに挑戦したいな、と

思っている私が

ここにいます。

 

さて、明日から

どんな文章を

私は書くのでしょうね?

 

つづく

 

みんな、真本音で生きようよ

どのような心があろうとも、

それらをただ

あるがままに

観察することのできる

自分。

 

なんの操作もなく、

なんの評価もなく、

なんの解釈もなく。

 

ただその存在を

存在のままに

承認できる自分。

 

そんな自分になれた時、

それができているその「自分」とは

いったい何者でしょうか?

 

当然、

今ものを考えたり

ものを見ているこの自分は

私達自身の

顕在意識です。

 

しかし、

顕在意識そのものは

非常に不安定な

存在です。

 

すぐに揺らぐし、

すぐに不安になるし、

すぐに自信をなくします。

 

なのに

この安定感は

どうしたことでしょう?

 

すべての自分と

あるがままに向き合う

自分になることにより、

私達のこの

もともと不安定だった顕在意識は

とてつもない

安定感を得ます。

 

まるで、

永久不滅の

大地に立っているようです。

 

この

大地は何でしょう?

 

この

安定感は何でしょう?

 

この

安心感は何でしょう?

 

この

満たされた感覚は?

 

この

自然に溢れる確信は?

 

・・・これが、

私の言うところの

『真本音』

です。

 

最も醜い自分自身と

完全に向き合える人のみが

初めて実感できる

心の大地です。

 

心の大地とはつまり、

「魂」そのものです。

 

もしこの

真本音という大地を

実感できるようになりましたら、

ぜひ

自分自身に問うてみてください。

 

自分の真本音に問う、

最初の質問です。

 

『私は今この瞬間、

どんな生き方を

したいのだろうか?』

 

・・・と。

 

それは極めて

シンプルな答えとして

返ってくるでしょう。

 

もし理由づけや

説明の必要な

複雑な言葉であれば、

残念ながらそれはまだ

真本音ではありません。

 

その一言を

つぶやくだけで、

身も心もすべてが

スッとする、

説明不要の

納得の一言が返ってこれば、

それは紛れもなく

真本音の答えです。

 

その「生き方」が

真本音で生きるための

最初のキーワードと

なります。

 

これを私は

 

『人生理念』

 

と呼んでいます。

 

人生理念は、

日常のあらゆる場面で

その一言をつぶやけば、

「本来の自分」

を思い出させてくれるでしょう。

 

私は本当は

どんな生き方を

今ここで実践したい

人間であるか?

 

・・・を思い出させてくれます。

 

いつもそれを

つぶやきながら

今この瞬間を大切に

自分の行動や振る舞いを

決めていくことが、

真本音で生きる

ファーストステップです。

 

これができている状態が

人としての「普通の生き方」

です。

 

そして、

これができていることで

私達の魂と心の

一貫性が取れ、

心から淀みが消えていきます。

 

淀みが消えることで

自然に浮上するのが、

『直観』

です。

 

次に自分が何をすればよいか?

をありありと教えてくれる

確信の答えです。

 

あとはその確信に

従って動く

だけのことです。

 

思えば・・・。

 

私達人間は、

この、

真本音と反応本音の区別が

つかなくなったところから

「普通の生き方」が

できなくなったのだと思います。

 

本当は、

「区別をつける」などという

言葉そのものが不自然なくらい、

その二つは

あまりにも違います。

 

目と鼻の区別をつけるのと

同じくらいに

それは簡単なことだった

はずです。

 

しかし私達人間は、

自分の真本音のことを

あまりにも忘れて

しまいました。

 

あまりにも

無視し続けて

しまいました。

 

だから、

人としての「普通の生き方」も

人としての「本来の幸せ」を

感じることも、

できなくなってしまいました。

 

もう一度、私達は

人間としての

原点に戻る必要があると

私は思います。

 

自分を理解する。

 

反応本音達を理解し、

真本音を理解する。

 

そこから始めるのが

最も大切なことだと

私は思うのです。

 

つづく

 

自己理解の第一歩は、心の声理解である

「自分の心に意識を向ける」

そのファーストステップは、

「今、自分が感じていること」に

意識を向けるということです。

(→前回記事)

 

「感じていること」とは、

自分の「感情」が生まれる

一歩手前の段階です。

 

私達は、

①何かを感じる

ことによって

②感情が生まれる

のです。

 

①がなければ

②はありません。

 

①も②も両方理解することが

自分を理解する

最も基本となります。

 

どんな①が来れば、

どんな②になるのか?

・・・自分はそこに

どのようなパターンを

持っているのか?

 

それが自己理解の

基本だからです。

 

さて。

 

①に目を向けるようになると、

私達は実に様々なことを

一日の中で感じ取っていることに

驚くでしょう。

 

ほんの些細なことで

私達の心は

まるで風を受けた風船のように

揺れに揺れます。

 

私達の心は

揺れるようにできているのです。

 

それを

揺れていないふりをしたり、

揺れていることに麻痺したり

するのはまったくの

無意味です。

 

揺れをそのまま感じ取ること

こそが健康であり、

自分の心を強くする

一歩にもなります。

 

揺れている自分を

あるがままに見つめる

自分になることで、

直観力も大きく増します。

 

そのためにも、

①に敏感になれたら次は、

②に目を向けましょう。

 

つまり自分の感情と

向き合うのです。

 

ただしその感情とは、

激しいものばかりでは

ありません。

 

激しい感情は

わかりやすいです。

 

ものすごく怒りを感じたら、

誰もが自分は腹が立っている

とわかるでしょう。

 

そういった激しいものだけでなく、

ほんの些細な、

フッと現れては消えていくような

わずかな感情の動きにも

目を向けます。

 

その際に一つ、

重要なポイントがあります。

 

それは

『心の声』

です。

 

私達の感情には必ず

「心の声」が

セットでついてきます。

 

例えば、

Aさんの一言でムッとした場合、

怒りの感情と共に、

必ず何らかの「心の声」を

私達はつぶやいているはずです。

 

「なんてひどいことを言うんだ」

とか

「きつ過ぎる」

とか

「それを言わないでくれーーっ!」

とか。

 

時と場合でまったく異なる

「心の声」が発生するでしょう。

 

しかもその「心の声」は

さらに次の「心の声」を

呼び起こします。

 

例えば、

「Aの馬鹿野郎!」

とか

「こいつは大っ嫌いだ!」

とか

「殴ってやりたい!」

とか。

 

そしてさらに別の

「心の声」も続くかもしれません。

 

このように、

感情を理解するとは、

同時に、

「心の声」を理解することでも

あるのです。

 

逆に言えば、

自分の「心の声」に

意識を向けておけば、

自分の感情を理解することに

つながるケースも多いです。

 

私はよくコーチングの場で

「その時、どのような心の声を

つぶやいていましたか?」

という問いを投げます。

 

それを続けると、クライアントさんは

私がその問いを投げなくても

自分から「心の声」を

口にするようになります。

 

それができるということは

それだけ自分を客観的に

観れるようになってきた

ということでもありますし、

自己理解も進みます。

 

するとさらに私は

次のようなことも

クライアントさんにお勧めします。

 

それは、意図的に

自分で「心の声」をつぶやき、

「心の声」通りに行動する

ということです。

 

実はこれはいつも私達が

無意識にやっていることなのですが、

それを意図的に行なうと、

自己コントロール力が

格段に増すのです。

 

今日もたまたま

それを実践したクライアントさんの

コーチングだったのですが、

その方はそれをやってみて、

 

「すべての行動はこうやって

自分で決めていたんだということが

本当にわかりました。

私はすぐに人のせいにしたり、

辛いことがあると逃げようと

思っていましたが、

なんだ、すべて自分で決めて

行動していたんだ、という

当たり前のことに気づきました」

 

・・・という感想を

言われていました。

 

無意識に行なっていることを

意識化するというのは、

自律性や主体性の一歩にも

なります。

 

では、・・・

 

ここまでのお話を

少しまとめます。

 

『直観力を高めるには』

というテーマで、

ここまで書かせていただいています。

 

直観力を高めるためには、

人間として普通の生き方をすることが大事。

普通の生き方とは、

まずは自分の心に意識を向けること。

意識を向けるとは、観る(観察する)、ということ。

まずは何を観ればよいかと言うと、

それは

・自分が今、感じていること

・それにより引き起こされる感情と心の声

である。

 

・・・ということになります。

 

実はこれは私の言うところの

「セルフコーチング」の基本でもあります。

 

そしてこの基本を実践するだけでも

直観力はアップし始めます。

 

しかし、本題は

まだまだこれからです。

ここまでは序章にしか

すぎません。

 

つづく

私達は人間であることを見失っていないか

「直観」とはまるで、

過去の出来事を思い出す

かのような感覚で

現れます。

・・・ということを、

前回の記事で書きました。

(→前回記事)

 

なぜなら「直観」とは

高い次元の自分自身からの

メッセージでもあるからです。

 

今、どうすれば良いか?

次の一歩は何が最善か?

 

その答えはもう

私達自身がよくわかっているのです。

正確には、

高い次元の私達自身が

知っているのです。

 

それを思い出すような感覚で

浮かび上がらせながら進むのが、

直観で生きる、ということで、

それは何も特別なことでは

ありません。

 

それが私は

「人が普通に生きている状態」

であると思います。

もしそれができていないのであれば、

今の状態が「普通ではない」

ということです。

 

そういった意味では

私達は

「普通」に戻らねばなりません。

 

「普通の生き方」

に戻すのです。

 

実は、「直観力を高める」ための

方策を一言で表現すれば

そうなるのです。

 

『普通の生き方に戻す』

もしくは、もっと端的に

『普通に生きる』

ということです。

 

では、

現在の私達は

何が「普通ではない」のでしょうか?

 

そのまず根本的な一つは、

「自分のことを

あまりにも見ていない」

「自分のことを

あまりにも知らない」

「自分の心に

あまりに目を向けていない」

「自分とあまりに

向き合っていない」

・・・ということになります。

 

日々のお仕事や生活のために

「すべきことをこなす」

ことにのみに私達は時間と意識を

使っているのではないでしょうか。

 

自分を見つめるよりも

ネットを見たり、テレビを見たり、

人の様子を伺ったり、

人の評価を気にしたり。

 

自分以外の何かに

意識を向け過ぎです。

 

いえ、外の世界に意識を向けることは

大事なのですが、

後々の記事で書きますが、

外の世界に意識を向けているように

見えて実は、それもできていない、

というのが今の私達の状態です。

 

上手く表現できませんが、

「外の世界も見ていないのに、

自分の心にも意識を向けていない」

という状態です。

 

つまりは、

「何も見ていない」

状態と言ってもよいでしょう。

 

これが、

現代人の特徴の一つだと

私は日々、実感しています。

 

私達現代人は、

「何も見ないまま」に

毎日を過ごしているのです。

 

「何も見ないまま」に

ただ、自分自身で勝手な解釈をし、

その解釈が事実であると誤解し、

その解釈に揺らされ

その解釈に脅され

ながら生きています。

 

要するにそれは

「生きている」

とは言えない状態だと

私は思います。

 

どう見ても、

「普通」ではありません。

 

かなりドギツい言い方を

していますが、

決して大袈裟ではないと

思います。

 

何も見ずに解釈のみで生きる

というのは

本当に辛いし苦しい生き方だと

思います。

 

その状態で

「直観」など出ようはずが

ありません。

 

高い次元の自分と

つながれるはずも

ありません。

 

さらにドギツく言えば、

なんか、人間ではない、ような

気さえするのです。

 

人間ではない生き方を

まるでそれが人間の生き方で

あるかのように思い込み

日々を過ごしている。

 

そんな状態。

 

ここを私達は

抜け出さねばなりません。

 

早急に。

 

残念ですが、

これまで様々な組織を

拝見してきましたが、

そのほとんどの組織が

そういった状態でした。

 

そこを「普通」の状態に

戻すのが

私の役割であると

いつも認識していました。

 

私の中では、

「すごい組織を創ろう」

というのとは違い、

「普通の組織になろう」

という感覚です、いつも。

 

普通の人間として、

普通に生きて、

普通にみんなでチームを創り、

普通に共に幸せになっていく。

 

そんな当たり前のことが

できるようになればよいなと

思います。

 

そんな組織が増えることで、

社会全体が

「普通」に戻っていくのではないかと

私は思っています。

 

では、

「普通の生き方」に戻すには

どうすればいいか?

 

次回はそこから

始めます。

 

つづく

 

直観と直感の感覚には、大きな違いがあります

前回記事から

「直観」と「直感」の違いについて

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

直観力の高め方について

これから書かせていただく予定ですが、

その前にもう一つ重要なことを

お伝えしたいと思います。

 

それは、

「直観の感覚」

についてです。

つまりは、

「直観と直感の感覚の違い」

についてです。

 

直観と言うと、

ひらめき、とか、気づき、の

イメージがありますので、

ハッとして、

「あっそうか! こうすればいいんだ!」

と、まるで目が覚めるような

ことが起こるのだろう、

と思われるかもしれません。

 

もちろん、ある意味においては

そうなのですが、

実は、

ハッと気づくような感じ、

というのは、それほどのパワーは

持っていません。

 

その瞬間のパワーは強く、

その瞬間は本当にそれが

正解であるかのような気持ちになるし、

目の前が開ける感じもするのですが、

しかしそれがずっと

長続きするとは限らないのです。

 

例えば、一日経てば

やっぱりそれほどの発想ではないなぁ、

となったりもします。

 

そういった

ハッとした感覚というのは、

どちらかと言えば、

「直感」の方に近いです。

 

では、

「直観」の感覚とは

どのようなものでしょうか。

 

それを一言で表現すれば、

 

『思い出す感覚』

 

に非常に似ています。

 

「あぁそうだった。

こうするんだった」

と、

これからの未来のことだと言うのに、

まるで過去を思い出すかのような

感覚なのです。

 

なぜなら「直観」とは、

高い次元の自分の意識からの

メッセージだからです。

 

高い次元においては、

過去も今も未来も

「一つ」です。

分離していません。

 

その次元からの発想なので、

喩えて言えば、

「もうそれを成した後の未来の自分が

これまでやってきた自分の道のりを

思い出している」

ような感覚として

私達の心に浮かび上がってくるのです。

 

ですから、

そこにはそれほどの

感動はありません。

 

答えを見つけた感動というよりも、

あぁそう言えばそうだったな、

という安堵感のようなもの。

忘れていたことを

思い出したような

ちょっとほのぼのとした感覚、

それが起こります。

 

ですから実に

淡々としています。

 

さらに喩えて言えば、

学校のテストをして、

テストの後で、

答え合わせをしているような感覚

とも言えます。

 

あっそうだった。

この問題の答えはこうだった。

なんでこんなことを

思い出せなかったのかな。

こんな簡単なことだったのに。

 

・・・みたいな感じです。

 

それが直観の感覚。

 

真本音度合いが高まり、

高い次元の意識が活性化すると、

こういった発想が、

毎日のように、・・・というよりも

いついかなる時にも

今この瞬間に

起こり続けます。

 

それが当たり前の状態であり、

普通の状態なのです。

 

しかもこういった直観が

最も多く働きやすいのが、

人と向き合っている瞬間

なのです。

 

本当の意味で人と向き合い、

語り合っているその瞬間に

私達は様々なことを

「思い出す」のです。

 

あぁ、こうすればよかったんだ、

と。

 

そういった意味で、

コミュニケーションというのは

私達人間が持つ

大いなる力の最も代表的な一つ

であり、

組織やチームというものが

私達人間にとってなくてはならないもの

である最大の理由の一つです。

 

人は人と向き合うことで

直観が働き、

未来に向けての最善の道を見出す

答え合わせのようなことが

できるのです。

 

ですから、

直観力を高める方法は

大きく分けて二つになります。

 

一つは、

一人で直観力を高める方法。

 

もう一つは、

人と向き合いながら

直観力を高める方法です。

 

これからは

この二つの視点から

お話しをします。

 

二つを同時に行ない続けることで、

効果は何倍にもなります。

 

直観力を高め合うチームになる。

・・・これが私が組織をサポート

させていただく理由の

一つでもあるのです。

 

つづく

 

直観と言っても、二つあるんです

「自分の直観を

どうしても信じられないのです。」

 

・・・そんな方と出会いました。

 

実は、結構そういった方は

いらっしゃいます。

 

その多くの場合は、

「直観」と「直感」の区別が

ついていないのです。

 

「直感」とは

広い意味でのひらめき。

単なる思いつき程度のものも含めた

広い意味での気づきです。

 

もちろん、こういったものも

必要です。

 

しかし直感の多くは、

反応本音レベルのものや、

低い次元の意識から発生するものも

あります。

その場合は、

それほどの力強さはありません。

 

ですので、

ひらめいたのだけれども、

あくまでただ、ひらめいただけで、

自分の行動を変えるほどの

パワーを持っているわけでは

ありません。

 

それに対して、

「直観」とは

真本音から発生するものであり、

高い次元の自分の意識からの

メッセージです。

 

多くの場合、

そこには強いパワーが内包

されており、

直観を得ることで、私達は

動きたくてしょうがなくなります。

 

根拠のない自信、

という言葉がありますが、

どうしてそう思うのか?という理由を

本人もよくわからないのに、

でもどうしてもそれをしたい!

それをすれば必ず道が開く!

という強い気持ちが湧き上がります。

 

私のクライアントさんで、

ある商品を開発し、大ヒットを生み、

日本全国で一つのブームを起こした人が

います。

 

その人がその新商品を

社内に提案した時、

社内ではその人以外全員が

反対したそうです。

 

でもその人は、

絶対これを世の中に出す!

という根拠のない自信が湧き、

その自分の直観を信じて、

強引にその商品のプロジェクトを

推進したそうです。

 

マーケティングリサーチなどをしたり、

理論的にその商品が売れる根拠を

社内に示したりしたそうですが、

「実はそれはすべて、

まずは私の直観ありき。

それに合わせた理論づけでした」

と、その人は舌を出してニッコリ。

 

で、いざ商品を世に出し、

宣伝を始めた途端に

爆発的に売れ、

その人自身の当初の予定の

何倍もの利益を出すことが

できたそうです。

 

その後、その会社は

いくつものヒット商品を生み出すことに

なるのですが、

理論的に答えを導き出そう

というよりも、

まずは人間としての直観に

素直になろう、

という社内文化がそうさせたのだと

その人は言います。

 

そういった意味で、

「直観」とは、「確信」と

言い換えることもできます。

 

よくよく考えますと、

高い次元の意識というのは、

すべては一つ、

というところからの意識です。

すべてがつながっています。

 

その意識からの直観であれば、

皆が喜ぶのは当然です。

 

ただし、

「皆が喜ぶ」と言っても、

低い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあれば、

高い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあります。

 

世の中には

両方のヒット商品がありますが、

今後は

高い次元の皆の意識が喜ぶ

商品やサービスが

求められていく度合いが

高まるでしょう。

 

つまり、

低い次元の皆の意識調査をすることで

生み出される商品・サービスよりも

高い次元の皆の意識を

高い次元の自分の意識として

直観的に感じ取ることで

生み出される商品・サービスが

世の中に浸透していく時代に

なっていくでしょう。

 

そういった「直観力」が

これからはますます求められます。

 

では、「直観力」を高めるには

どうすればよいでしょうか?

 

次回からはそんなテーマで

記事を書かせていただきます。

 

つづく

 

意図から自由になるために、とことん意図する

自分自身の思考レベルでの

思惑や意図に捕らわれ、

それを達成するために

必死になって策謀を重ね、

焦りながらも結果を出そうとする。

 

・・・そんな疲れる人生から

私達は自分を解放することが

できるのです。

 

前回の記事で

私は上記のように書かせて

いただきました。

(→前回記事)

 

今回は、この件について、

もう少ししっかりと

書かせていただきますね。

 

「意図を持たずに生きる」

という言い方をしますと

誤解をされることが多いです。

 

そっか、意図を持たなくていいんだ。

何も考えずに行けばいいんだ。

・・・という誤解です。

 

逆です。

 

自分の意図に執着せずに、

自分の意図から自由になるためには、

とことんまで

意図を考えることが重要なのです。

 

意図から自由になるためには

意図をしっかり考える。

 

一見、矛盾しているようですが、

そうではありません。

 

例えば、

肩に力が入っている場合、

肩の力を抜く最も簡単な方法は、

「肩の力を抜こう」

とすることではなく、

「思いっきり肩の力を入れてしまう」

というやり方です。

 

とことんまで

肩の力を入れると、

フッと、力が抜けます。

 

その要領と

同じことなのです。

 

例えば、明日

大事な営業があるとします。

 

どうしても受注を

しなければならない。

 

果たして良いクロージングが

できるだろうか?

 

不安に苛まれていると

します。

 

そんな時に、

「不安になるな、不安になるな」

「気楽に行け、気楽に行け」

と、どれだけ自分に言い聞かせても、

余計にガチガチになる

だけでしょう。

 

そんな時は、

とことんまでクロージングの

イメージをするのです。

 

思いっきり自分の意図を

明確にし、

意図に基づいて、

「こうしたい」「こうなりたい」

「こんな展開になれたらいい」

という自分の思惑を

しっかりとイメージ化するのです。

 

イメージしてイメージして

イメージし尽くせば、

ある瞬間に、

フッと楽になります。

 

まぁこれだけイメージしたのだから

何とかなるだろう、

と自分の中で「完了感」が

生まれるのです。

 

そして次の日に、

実際にお客様にお会いする直前にも

前日のイメージをしっかりと

思い出します。

 

まぁこれだけイメージしたのだから、

やるだけのことはやったな。

 

そんな気持ちを持ちながら

お客様の前に出ます。

 

そして「今ここ」に意識を向ければ、

自分がイメージしてイメージして

明確にし尽くした「意図」が

どうでもよくなります。

 

意図やイメージを

ポンっと手放すことが

できるようになるのです。

 

するとどうなるか?

 

「今ここ」に

完全に集中することが

できます。

 

そして、

次にどんな一言をお客様に

投げれば良いか?など、

直観がどんどん働くように

なります。

 

その直観こそが、

真本音の意思です。

 

その真本音の意思に

委ねれば良いのです。

 

直観のままに

直観に素直に

行動をするのです。

 

それが

「自分に委ねている」

状態です。

 

私達人間には

考える力があります。

 

考えることを放棄するのは

単なる怠慢です。

 

怠慢な人には残念ながら

直観は生まれません。

 

考え尽くすからこそ

直観は生まれます。

 

思考とは

直観の呼び水なのです。

 

ただし、

上記のように、

よく考え、よく意図を持ち、

その上で意図を手放し、

直観に委ねる、

ということを続けていますと、

考えたりイメージをするのに要する時間は

どんどん少なくなります。

 

考えなくても

直観のみが、

次々に湧き起こる状態に

なっていきます。

 

そうなると本当に

楽ですね。

 

しかしその境地まで行くには、

よく考える、

ということが必須なのです。

 

つづく

 

すべては、自問自答から始まる

自問自答。

 

私達現代人にとって

今最も必要なのは、これかもしれないと

最近、私は強く思います。

 

「自問自答」とは、

「思考」とは異なります。

 

まず、「自問」とは

自らに問いかけることです。

 

まるで自分自身を他人のような感覚で

自らに問いを投げます。

 

それが難しいようであれば、

鏡を見ながら、鏡の中の自分に

問いかけるとよいでしょう。

 

そして、「自答」とは、

問いを受けた自分の中から

自然に湧き上がってくる答えを

「待つこと」です。

 

決して、

頭で答えを形作ってははいけません。

 

私達の本当の答え、

つまり、真本音の答えは、

頭の中にはありません。

 

とは言え、

思考は大事です。

 

私は、思考とは

「思考を超えた答えを見つけ出すための

有効な手段である」

と思っています。

 

懸命に思考することで、

思考を超えた答えが見つかります。

 

思考をしながら、

思考の範疇の答えを見つけ出しても

私達人間は本当の意味では

納得できません。

 

確信を伴った直観的な答えに

たどり着いた時に、

初めて納得します。

 

確信とは、

迷いのない答え。

淀みがゼロの答えです。

 

それは、

思考の範疇からは決して

出て来ません。

 

しかし、とことん思考をすることで

思考以外のところからやって来ます。

 

そういった意味で、

思考は大事ですが、

思考に捕らわれてはいけません。

 

そして、

自問自答を毎日のように繰り返すことで、

その、思考そのものもいつしか

必要なくなります。

いえ、正確に言えば、

思考はするのですが、

最低限の思考だけで大丈夫になります。

 

要するに、

確信的な直観を

意図的に引き起こすことができるように

なります。

 

直観力とは、

物事をよく考えない(思考しない)人からは

生まれません。

 

しかし、とことん思考をする人は

思考をそれほどしなくてもよいくらいの

直観力が養われます。

 

そしてそのためには、

自問自答を繰り返すのが

最適・最速です。

 

これまで、頭の中でグルグルと

考えていたことがあれば、

自分をまるでクライアントのように捉え、

自分自身に問いを投げてみましょう。

 

今の自分には

どのような問いを投げることが最善か?

を考えてみましょう。

 

すると、

問いを投げることがいかに重要か?

そして、

最適な問いを見つけることがいかに重要か?

をお分かりいただけると思います。

 

コーチングとは、

その、問いの部分をサポートすることですが、

コーチングを受けることで

自問自答力を増すこともできます。

 

それはつまり、

直観力を増すことです。

 

自らの進化のための自問自答。

 

自らの真本音の答えを

見つけ出す自問自答。

 

そういった力を養うことが

私のコーチングの目的の一つです。

 

そして、

自問自答力のついた人達が集まり、

お互いに問いを投げ合うことで

一人一人の自問自答の範疇を超えた

発想を掘り起こし合う。

これが、チームコーチングの本質です。

 

つまり、

自問自答できるチーム(組織)を創る。

 

これが私が大切にしている

組織サポートの本質です。

 

まずは。

 

答えがすぐに見つからなくてもよいので、

自分自身に問いを投げること。

 

投げ続けること。

 

そのためには、

どのような問いを投げることが

今は最善なのか?を

それこそ、必死に考えること、ですね。

 

つづく

 

直観とは、準備があってこそのもの

私は木村さんからの依頼で、

新規事業プロジェクトチームに

もう一歩深く関わることになりました。

 

そして弓江さんとの面談によって

弓江さんという社内コーチを育成しながら

チームに関わる、という方向性を

見出しました。

(→前回記事)

 

目的は、

チームの「脱皮」を果たすことで、

当初の売上目標の1.5倍を達成する

こと。

それを、木村さんと弓江さん中心に

推進するサポートをすること。

 

そのために私は

具体的に何をすればよいでしょうか?

 

私は、組織(チーム)を活性化したり

育成する上で、必ず

戦略を立てます。

 

戦略とは、

最も楽な道を見出す

ことであると私は考えています。

 

つまり、

目的を果たすための

最も楽で効果的なサポートの道筋は何か?

を、私はあらかじめ見出します。

 

私はそれを、

「組織(チーム)活性化戦略」とか

「組織(チーム)育成戦略」

と呼んでいます。

 

それを基本的な道筋として実行に移しますが、

もちろん戦略通りに物事が進むかどうかは

わかりません。

しかし、

物事に柔軟に対応するためには、

その基本線となる道筋が必要です。

 

基本があるからこそ、

応用が効き、

柔軟性が発揮できるのです。

 

それは一回一回のコーチングにおいても

言えることです。

 

私は仕事柄、

私以外のコーチやコンサルタントの方に

お会いする機会がありますが、

彼らのあまりの準備の少なさに

びっくりすることが、正直あります。

 

彼らは「その場のアドリブや臨機応変さが

大事である」と言うのですが、

本質的なアドリブとか、臨機応変さと言うのは

しっかりとした準備があってこそのものであると

私は思います。

 

最も楽な道は何か?

その答えを、自分の中で確信を持てるまで

準備をする。

その上で、現場に入る。

だからこそ、現場では

自由になれる。

直観も大いに働く。

・・・それは、当たり前のことであると

私は思っています。

 

私は、

木村さんの新規事業プロジェクトチームの

活性化戦略を自分なりに明確にしたかったので、

再び、木村さんと弓江さんの

二人コーチングをすることにしました。

 

正確に言えば、

木村さんと弓江さんが

もう一歩、「脱皮」することが、

真の活性化戦略を立てる上では、

重要だと思ったのです。

 

言葉を換えれば、

もう一歩「脱皮」した木村さんと弓江さんと共に

活性化戦略を見出したいと

思ったのです。

 

これ自体も、

活性化戦略の一端と言えますが。

 

木村さんと弓江さんの

真本音レベルの相性は

実にいい。

一人一人を個別でコーチングするよりも

二人同時にコーチングした方が

恐らく数倍の効果が上がるでしょう。

 

お二人もそれを自覚されていたようで、

なかなかに凄い気合いで、

二人とも私の前に現れました。

 

つづく

 

悩まない人は、自由になれない

私は、

「自由になる」

とは、

「直観に素直になる」

ということだと思っています。

 

もちろん、

「思考」を否定しているわけでは

ありません。

 

しかし「思考」とは

「直観力」を高めるための

一つの手段である、

と思っています。

 

何も「思考」しない人からは

「直観」は生まれません。

 

なぜなら私達の真本音は

「試行錯誤」を非常に

重要視しているからです。

 

結果のみならず、

結果に至るまでの過程(プロセス)の

一歩一歩を大切にしています。

 

ただ単に望む結果を出すのではなく、

その道のりの中で得られるものこそを

大切にしています。

 

そこで必要なのが、

「思考」すること。

言葉を換えれば、

「悩む」こと。

そして、

「迷う」ことです。

 

悩むべきことに

100%しっかりと悩み、

迷うべきことに、

100%しっかりと迷い、

考えるべきことを

100%しっかりと考えることで、

初めて、本当の「直観」は

働くようになります。

 

そしてそこで得られた

「経験」は、

次の似たような傾向の「経験」や

応用的な「経験」において

力を発揮するようになります。

つまりは、

「悩まなくても一瞬で決断ができる」

状態となるのです。

 

私が企業現場でいつも実感するのは、

本来悩むべきことから

逃げている人が実に多い、

という事実です。

 

悩みから逃げるからこそ、

直観が働かなくなります。

そしていつまで経っても

その悩みを解決できない、という

悪循環に陥ります。

 

人生が、仕事が、

ストップしてしまうのです。

 

それは、

進化のストップ、ということでもあります。

 

冒頭の言葉に戻りますと、

「自由になる」とは

「直観に素直になる」ということ。

そのためには、

悩みや迷いから逃げないことです。

 

きちんと「直観」の働く状態に

自分を持っていくということです。

 

さて。

 

木村さん、弓江さんの二人コーチングの

場面に戻ります。

 

二人が「直観的」に決めた

チーム員のペアの組み合わせは、

思考レベルで考えると、

とても納得のいくものではありませんでした。

(→前回記事)

 

「直観」ではOK。

「思考」ではNG。

 

こうした場合、

私はコーチとしてあえて

「断定」することにしています。

 

一般的に、コーチは

クライアントの意見を尊重して、

自分からは答えは言ってはならない

というのが原則だそうです。

しかし、私は時と場合で、

思いっきり結論を言いますし、

断定もします。

時には、「指示」に近いこともします。

 

クライアントが

「直観」か「思考」かで迷った場合、

多くの場合、私は断定します。

 

「ここは直観で行ってください」

と。

 

有無を言わせない空気感を

出します。わざと。

 

それでも抵抗するようなら、逆に

直観に従うことは

やめた方がよいでしょう。

 

しかし、木村さんと弓江さんは

私のその断定を聴いて、

とてもホッとした表情をされました。

 

「わかりました。

これでやってみます」と

木村さんは言いました。

 

そこに、理由や理屈はありません。

それを探してもしょうがない、

という場面です。

 

それをまた木村さんと弓江さんは

直観的に悟ったようです。

 

今から思えば、

この時の二人コーチングが

本当に運命の分かれ道でした。

 

つづく

 

思考を信じる? 直観を信じる?

「直観」というのは

本当に馬鹿になりません。

 

ちなみに、私は

「直感」と「直観」

を区別しています。

 

「直感」とは、広い意味でのひらめきです。

浅いひらめきから深いひらめきまで

すべてを含んでいます。

ですので、単なる思いつきレベルのひらめき

も含みます。

要するに、反応本音レベルのひらめきも

含みます。

 

それに対して「直観」とは、

真本音レベルのひらめきです。

それは思いつきレベルのものではなく、

「こうすればいいんだ!」という確信に

満ちています。

 

真本音度合いが高まるということは、

単純に、

この「直観力」が高まるということでも

あります。

 

ただ、どれだけ「直観」が出たとしても

自らその発想を捨ててしまう人も

多いです。

 

どうしても、これまでの経験則や

一般常識に捕らわれた

「思考的」「理論的」な発想の方を

優先してしまうのです。

 

「思考」ではなく「直観」に素直に

動いてみる。

 

それを私はお勧めします。

 

ただし、あくまでもそれは

真本音度合いが高まっている人に

対してのみ言えることです。

 

真本音度合いが低い状態では、

単なる思いつきレベルの「直感」が出やすく、

それに素直になることで

酷い目に遭うこともあるでしょう。

 

クライアントさんのその発想が、

「直感」か「直観」か?

その区別がつくのも、

コーチの必要な力の一つです。

 

「富士山が噴火する」イメージを

共有した木村さんと弓江さん。

 

二人がそのイメージを大切にしながら

直観的に発想した

チーム員のペア分けを、

私はまさしく「直観」であると

感じ取りました。

 

ところが、そのペアの組み合わせは、

通常では考えられないものと

なったのです。

(→前回記事)

 

まず第一に、

「バランスが悪いですねぇ」

と木村さん。

 

各ペアによって能力の差が著しく、

明らかに活躍できるペアと、

そうでないペアが

明確にわかるそうです。

 

能力の偏りが激しい、ということです。

 

そして第二に、

「明らかに相性の悪いペアがあります」

と弓江さん。

 

どう見ても、その二人が上手くいくはずがない

というペアがあるそうです。

 

さらに第三に、

「チームリーダーである私との

調和性の低そうなペアもあります」

と木村さん。

 

以上のような悪い印象が出てくる場合、

本当はやめておいた方が良いでしょう。

しかしその一方で、

「どうしてもこの組み合わせが

ベストである」

という確信に満ちたような感覚も

二人の中にはあり続けました。

 

「思考」ではNO。

「直観」ではYES。

 

・・・という状態です。

 

こういった場合、

どうすれば良いか?

 

私の答えは明確です。

 

先ほど書きました通り、

「直観」に従うのです。

 

つづく

 

あえて思考ゼロのまま、発想を進めてみる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

脱皮時の原理原則に則り、

新規事業プロジェクトチームのペアの組み合わせを

改めて考え直そう、ということになりました。

 

では、どのような基準で

ペアを組み直すか?

 

その私の問いに対して、木村さんは

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

・・・と答えました。

 

そのイメージは恐らく、

木村さんの真本音発想がカタチとなって

現れたもの。

であれば、それを

大切にすべきだと私は直観しました。

(→前回記事)

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

私はその木村さんの質問には

直接答えず、逆に弓江さんに

訊きました。

 

「弓江さんは、

木村さんのそのイメージ、

共感できますか?」

 

「はい。

私も意味はよくわからないのですが、

すごく共感できます。」

 

「では、弓江さんの心の中で

富士山が噴火しているイメージを

描くことはできます?」

 

「はい。

さっきからもうイメージが

私の中で出来上がっています。」

 

「では、お二人とも

そのイメージをしっかりと今、

心の中に浮かべてみてください。」

 

二人がそうしているのを

私は二人同時に観察しました。

 

これは私の「感覚」になってしまうのですが、

二人同時に観察すると、

二人がまるで「一つ」のように

深い絆で繋がっているような

そんな「感覚」を覚えました。

 

「ありがとうございます。

これは大丈夫ですね。

では、そのイメージを使いながら

ペアの組み合わせを発想してみましょうか。」

 

ここで私は付箋を用意していただき、

一枚一枚の付箋に、一人ずつ

新規事業プロジェクトメンバーの名前を

書き込んでもらいました。

 

「ではまずは弓江さんから

いきましょうか。

弓江さん、先ほどの富士山の噴火のイメージを

しっかりとしながら、

この付箋を使って直観で

二人一組のペアを作ってください。」

 

最初、弓江さんは「えぇ〜?」と

戸惑っていましたが、

ふと、「あっ、なんかわかりました!」と

言いながら、

あっという間に付箋を並べ替え、

ペアを決めてしまいました。

1分もかかりませんでした。

 

「では、木村さん、

富士山の噴火のイメージをしながら、

今、弓江さんに作っていただいたペアを

ご覧ください。

どこか、違和感のあるペアはありますか?」

 

「・・・あぁ、ないですね。

これでOKだと思えます。」

 

と木村さんは言いながらも、

 

「いや、でも、・・・これ、本当に

良いのでしょうか?」

 

・・・と戸惑いの表情。

 

弓江さん自身も

やはり戸惑いの表情。

 

そこには、普通で考えれば

あり得ない組み合わせが

並んでいたからです。

 

つづく

 

今、生まれ変わろうとしている人が、実に多いのです

人生には節目があります。

 

生まれ変わる、という言葉がありますが、

実は私達の人生には、何度も

その「生まれ変わり」の瞬間が訪れます。

 

一度、これまでの自分をすべて「リセット」し、

まったく新たな自分として、

人生を再スタートさせる。

 

そのように、自分自身の真本音が決めている

瞬間であり、

それは人生において、何度もあることではないのですが、

何度かは、必ず訪れます。

 

その節目において、

しっかりと、生まれ変わることができるかどうか?

 

つまりは、

これまでの自分を一度、リセットできるかどうか?

 

それがその後の人生の展開を

大きく左右します。

 

ただしリセットと言っても、

それは現象レベル(現実レベル)の話では

ありません。

 

今の職を辞めなさいとか、

離婚しなさいとか、

友達付き合いを変えなさいとか、

そういった現実レベルのことではありません。

 

あくまでも、心の問題です。

私の言葉で言えば、

「心の中の実在を変える」

ということです。

 

ところが、この生まれ変わる瞬間を

逃してしまう人が多いのです。

 

これまでの自分に執着してしまうのです。

 

これまでの私はこうだった。

このようにすれば上手くいった。

だから、これからもその通りでいたい。

・・・と。

 

せっかく、生まれ変わるチャンスが来ているのに、

それを自覚しないどころか、

執着をすることで、何も変わらない、

という人が多いのです。

 

そうなると、どうなるか?

 

人生の「苦しみ」の度合いが

一気に深まります。

 

そしてそれが、現象化(現実化)します。

 

これまで、何となく上手くいっていたことが、

突然、上手くいかなくなった。

 

これまで、誤魔化し誤魔化しできたことが

まったく通用しなくなった。

 

これまで、後回し後回しにしてきたことが

どうにも逃げ道がなくなった。

 

そのような現実が目の前に現れる場合は、

自分がこれまでの自分に執着してしまい、

生まれ変わりのチャンスを逸しようとしている

わかりやすい合図です。

 

もしそういった現実が目の前に

あるのであれば、

今からでも遅くはありません。

「生まれ変わろう」と決めることが

とても重要です。

 

なぜこのようなことを書くかと言いますと、

今その「生まれ変わり」のチャンスに

恵まれている人が、

かつて私が経験したことのないくらいに

多いからです。

 

みんなが同時に生まれ変わろうとしているのかな、

と強く実感します。

 

恐らくですが、

この2017年の内に生まれ変わり、

2018年から、新たな自分として再出発しようと

真本音レベルで決めている人が

多いのではないでしょうか。

 

ですから、ここのところの私のコーチングは、

生まれ変わろうとしている人が、

きちんとこれまでの自分を手放せるように

サポートすることが主になっています。

 

これまでの自分を

手放すのです。

 

これまでの自分のパターンを

手放すということです。

 

心の中で強く

決めるだけでも良いのです。

 

「私は生まれ変わる」と。

 

そして、

これまでの自分の経験やパターンに捕らわれず、

ただただ、目の前に展開する「現実」に

ありのままに向かい合ってみてください。

 

自分の思考によって

物事の判断をすれば、これまでの自分に

捕らわれてしまいます。

 

そうではなく、

「現実」と向かい合おうと決めた上で、

自分の中から生まれる直観を大事にしてください。

 

その直観は、

「え〜っ? そんなことできないよ」

と思われるものかもしれません。

 

これまでの自分のパターンからは

考えられない行動の取り方かもしれません。

 

でも、その直観に素直に

なってください。

 

それが、生まれ変わる、ということです。

 

今回はちょっと

木村さん、弓江さんの二人コーチングのお話は

お休みです。

 

どうしても今、書かねばと思いましたので、

生まれ変わりについて

書かせていただきました。

 

明日からまた、

木村さんストーリーに戻ります。

 

つづく