コーチ

あなたに炎はあるかい?

 

自分の中の

燃え盛る炎は

わかるかな?

 

常に

止めどなく

燃え続ける

炎。

 

それを

認識できたら

大したもんだ。

 

その炎は

変わんないんだ。

 

物事が

好転することで

大きくなったり、

 

上手くいかなく

なることで

小さくなったり、

 

・・・そういった炎は

本当の炎では

ない。

 

その場その場

の幻影だ。

 

そうではなく、

どんな状況でも

いつ

いかなる時でも

 

自分の中心で

燃え続ける

炎。

 

それをみんな

持っている。

 

それを

認識できるように

なれたら、

大したもんだ。

 

・・・・・・

 

もしその炎を

認識できたら、

 

その

炎そのもの

なってみよう。

 

炎と

一体化

するのだ。

 

自分=炎

となるのだ。

 

ただただ、

何の意図もなく

何の思惑もなく

燃え続ける

だけの存在。

 

そうなった時、

あなたは

何を

感じるだろうか?

 

・・・・・・

 

私は

自分の中の

その炎と

一つになると、

 

「永遠」

を感じるなぁ。

 

そして、

炎なのに

とてつもなく

「静けさ」

を感じる。

 

本来の強さ

とは、

永遠の静けさを

湛えているんだなぁ

わかる。

 

それが

人間。

 

私達

全員。

 

「コーチ」という

お仕事をしていると、

 

クライアントさん

ご本人よりも

早く、

私はその人の

炎を感じることに

なる、

のがほとんどだ。

 

自分のことよりも

他者のことの方が

よくわかるから、

人間は。

 

ご本人よりも

早く

その炎を見つけると、

 

この炎を

いかにご本人が

自覚するか?

 

が、

コーチングの最大の

テーマになる。

 

そして、

ある時ある瞬間に

ご本人が

自覚できると、

 

やっぱり

嬉しいねぇ。

 

私の

最高の幸せ

の一つだ。

 

・・・・・・

 

人というのは

やっぱ

すごいなー、って

思う。

 

突然変異を

起こすから。

 

でもそれは

その人が

何か別者に

変わるわけでは

ない。

 

本来のその人が

顔を覗かせる

だけなんだけど、

 

でもそれを

側から観ていると、

突然変異のように

感じる。

 

しかも

面白いことに、

その突然変異に

ご本人は

まったく気づいていない

ことの方が

多い。

 

ご本人にとっては

あまりにも

自然な変化

だからだ。

 

・・・・・・

 

「変化」を

もたらすのは

他者ではない。

 

あくまでも

「自分自身」

だ。

 

コーチは

単なる

「鏡」に過ぎない。

 

しかし、

本当に「鏡」に

なり切ることで、

 

初めて

突然変異は

やってくる。

 

突然変異だけど

極めて自然な

変化、

それが

やってくる。

 

もちろん

コーチに

意図はない。

 

意図を持っては

できないことだ。

 

だって

すべては

本人がやっている

ことだから。

 

人の

本来の凄さ

「炎」

を見つけ、

引き出せる、

 

意図を持たずに

引き出せる、

 

そんなコーチを

育成したいし、

増やしたい。

 

つづく

 

私達はどちらを行く?

 

きっと、

私達は今、

岐路に立っているのだと

思う。

 

人が

人としての本質を

さらに深め、

そして高めていく

道を進むのか?

 

それとも、

その道を放棄し、

これまで通りの

私達を

これまで通りに

ただ流して行く

だけなのか?

 

当然、

こういった書き方を

すれば、

「前者の方がいい」

ということに

なるだろうが、

 

しかし前者の道には、

勇気と決断が

要る。

 

もちろん私達の

真本音は、

その勇気と決断を

しようとしているが、

 

現時点では、

ほとんどの人は

後者の道を選ぶのだと

思う。

 

なぜなら

多くの人達は、

「今ここにいるまま」

を維持したいから。

 

現状維持

だ。

 

これまでと同じ

やり方で、

これからも進んで

行ければいい、

と願っている。

 

それは

「安定」を求める

私達人間の本能の

一つかもしれない。

 

しかし実は、

本当は

「現状維持」は安定では

ない、

ということを

私達は本能的に

知っている。

 

その事実に

気づいた人はむしろ、

現状維持を恐れる

のであるが、

多くの人は

その事実にすら

蓋をしている。

 

要するに、

「面倒臭い」

のだ。

 

様々な事実を

目の当たりにして、

問題が起こる前に

きちんと対処しておく、

という生き方が

面倒臭い。

 

これを私は

「怠慢」

と呼んでいる。

 

・・・・・・

 

放っておいても

いずれ、

何とかなるだろう。

 

と、

私達はどこかで

思っている。

 

これこそが

「怠慢」の

典型であるが、

それをまた

認めようとしない。

 

隣の家が

火事で燃えていても、

それはあくまでも

隣の家のことで、

何だかんだ言っても、

自分の家に

燃え移ることは

ないだろう、

タカをくくっている。

 

いや、本当は

タカをくくるどころが、

自分の家に燃え移る

ことを恐れているのだが、

しかし

その気持ちに蓋をして、

 

「大丈夫、

問題ない」

 

と言い張る。

 

常に問題を

後回しにして、

いざ、

本当に自分の家に

火が燃え移ってから

大慌てする。

 

そして

「何でこうなるんだ!」と

文句を言うか、

 

もしくは

「もっと早く対処すれば

よかった」と

後悔する。

 

本当は

自分の「怠慢さ」が

すべてを

招いている。

 

そこに皆、

気づくといい。

 

偉そうに言っているが、

私もずっと

「怠慢」だった。

 

だからよく

わかるのだ。

 

それが

どんなに酷い現実を

引き起こすか?

を。

 

そして

どれだけ

自分や他人を

傷つけるか?

を。

 

・・・・・・

 

人としての

「本質の道」を

行くか?

 

それとも

「怠慢の道」を

行くか?

 

この岐路に

今の私達は

ある。

 

もちろん私は

前者に行きたいと

思っているし、

 

多くの人が

そうなるといいな、

願っている。

 

私にできることは、

そのために

私にできる最大のことを

毎日、

し続けること。

 

私は

「コーチ」という

役割を通じて

それをしているが、

 

そういった「コーチ」を

増やすために

動くのも

私のできることの

一つだ。

 

「コーチ」を増やす

と言っても、

大量生産は

しない。

 

できるわけが

ない。

 

たとえ少人数でも、

一人一人

丁寧に私は

発掘し、

そして

指導する。

 

つづく

 

自由とは何だろうか

 

「自由」とは

何だろうか?

 

このテーマを最初に

自覚したのは、

もう16〜7年前だ。

 

当時、私は

師匠の会社の

雇われ社長をしていたが、

そこから飛び出し、

自分で一つの

会社を立ち上げた。

 

その時に

自分の中から

浮上してきたのが

このテーマだった。

 

以来、私は

このテーマをずっと

探究している。

 

・・・・・・

 

これについては

いろんな視点からの

いろんな答えが

あるだろう。

 

ただ、

私からみれば、

多くの人が

「勘違いの自由」を

欲しているように

思えてならない時が

ある。

 

それは

「状況に自由を

求める」

ということだ。

 

つまりは、

「自由な状況に

なりたい」

と思い、

その「状況」を手に入れる

ことを

「自由である」

と思い込んでいる

ことだ。

 

残念ながら

それにより私達が

本当に「自由」を

感じることは

ない。

 

いや、正確には

あるにはあるが、

それは一時的な

ものだ。

 

もうちょい、

わかりやすく

言おうか。

 

多くの人は、

 

「何でも自分の

思う通りにできる

状況にしたい」

 

と思い、

その状況を

実現できている

ことを

「自由になれた!」

と言う。

 

例えば、

「この会社では

自分は自由に

やれないから、

別の会社に行って

自由にやるんだ」

 

とか、

 

「独立をして

自分の好きなことを

やるんだ」

 

とか。

 

そしてその通りに

する人がいるし、

私はそれを

止めることもないが、

 

それでその人が

本当に「自由」を

手に入れることは

極めて稀だ。

 

なぜなら

その人の

「心が自由」

ではないからだ。

 

一つ言える

とても大事な

こと。

 

それは、

 

私達人間は、

どれだけ

「状況が自由」に

なっても、

本当の「自由」を

感じることは

ない。

 

「心の自由」

を手に入れない

限りは。

 

・・・・・・

 

「自由にできる

状況になれば、

私は自由に

なれる」

 

でも、

 

「自由にできる

状況になければ、

私は自由には

なれない」

 

というのは、

本当に「自由」

だろうか?

 

私は、

本当の「自由」とは、

 

「どのような状況でも

自由でいられる

自分でいること」

 

だと

思っている。

 

そこに必須なのが

「心の自由」

である。

 

どんな状況でも

「心が自由でいられる自分」

である人は

一生、「自由」で

いられるだろう。

 

そして、

私の表現を使えば、

 

「心が自由」

であることと、

 

「真本音に素直に

生きること」

は、

 

まったくの

イコールである。

 

私達は、

どのような状況でも

真本音に素直に

生きることが

できる。

 

「自由な状況

だから、

私は真本音で

生きることができる」

 

ということでは

ない。

 

それは

真本音ではない。

 

私達の真本音は

「状況」は

選ばないのだ。

 

この会社でも

あの会社でも

独立をしても

しなくても、

 

私達は

「今ここ」で

「いつでも」

真本音で生きる

ことができる。

 

その本質を

本当に理解できて

いる人は、

 

常に「自由」だ。

 

・・・・・・

 

以上のことを

しっかりと

理解できている人に

私は

「コーチ」に

なってもらいたい。

 

ここを理解

していないと、

「人を自由にできる」

サポートは

絶対に無理だからだ。

 

今の世の中は

残念ながら、

とても不自由だ。

 

みんな

自由を求めて

不自由に

生きている。

 

つづく

 

人は激しいよ

 

人と向き合う

ということは、

人の反応本音と

向き合うという

ことだ。

 

反応本音は

激しい。

 

反応している本音

なのだから

当然だ。

 

しかし多くの人は

その激しさに

フタをしている。

 

自らの激しさに

フタをし、

自ら気づかないままに

生きている。

 

そして

何かの拍子に

そのフタが取れてしまう

ことがある。

 

その時に

驚くのだ。

 

自分自身の

反応の激しさ、

心の揺れの大きさ

に。

 

「コーチ」がしっかりと

向き合えば、

フタが取れてしまう前に

自分で自分の激しさを

垣間見ることが

できるし、

 

徐々にではあるが、

その激しさを

理解しながらも、

そのさらに奥に

あるものを

自ら感じられるように

なる。

 

激しければ

激しいほど、

そして、

それを感じれば

感じるほど、

 

それと

向き合えば

向き合うほど、

 

そのさらに奥にある

「静寂」と

「安定」に

人は気づくことが

できる。

 

それが

「真本音」

である。

 

・・・・・・

 

その状態に

なるためには、

まずは「コーチ」が

その人の激しさと

向き合う必要がある。

 

実は、

残念なことであるが、

この段階で

「コーチ」の厳しさを

知り、

「コーチ」という役割から

逃げてしまう人が

多い。

 

「人をサポートするのは

好きだけど、

人の激しさと

向き合うのはいや。」

 

という意識では

残念ながら

「コーチ」には

なれない。

 

もちろん

自己満足のコーチ

にはなれるだろうが、

それは

自己満足のサポート

でしかない。

 

よく私は

「人の真本音と

向き合う」

という言い方をするが、

 

その前提として

どうしても必要なのが、

「人の反応本音と

向き合い、

そのすべてを

あるがままに

受け止める」

という段階だ。

 

ここを逃げずに

やり続けることで、

初めてその「コーチ」は

目の前のその人の

「静寂」と「安定」を

感じることが

できる。

 

つまりは

「真本音」を感じとる

ことができる。

 

ここが

「コーチング」の

スタート地点である。

 

・・・・・・

 

私はこのお仕事を

させていただいて

本当によかった。

 

このお仕事のおかげで、

人間というものの

あらゆる面と

対峙することが

できた。

 

よく、

「たけうちさんは

性善説ですか?

性悪説ですか?」

初対面の人に

問われることがあるが、

 

人間とは

そんなにも単純な

ものではない。

 

あらゆるものを

包含しているのが

私達人間であり、

 

そのすべてと

対峙できるのが

「コーチ」であり、

 

ただただ

対峙するだけでなく、

 

何を観ても、

何を聴いても、

何を感じても、

 

自分自身が

毅然とそこに

立ち続けられる

必要がある。

 

だからこそ、

「コーチ」自らが

自分自身の

激しさと対峙

しなければならないし、

その奥にある

自分自身の

「静寂」と「安定」を

知っていなければ

ならない。

 

つまり。

 

「コーチ」になるために、

自分を強くしよう。

 

ではない。

 

これを言っているうちは

「コーチ」ではない。

 

「コーチ」になるために、

大事なのは、

 

あらゆる自分を

知ること。

 

特に

自分の弱さを

知ること。

 

その弱さと対峙し、

弱さを変えるのではなく、

そっくりそのまま

受け止めること。

 

自分の

あまりの弱さを

最後まで

実感し尽くすこと。

 

そしてそれを

直そうと

しないこと。

 

永遠に

その弱さの中に

いても大丈夫

という自分になる

こと。

 

それができて

初めて、

私達は

自分自身の心の大地に

しっかりと

足を踏みしめることが

できるし、

 

その状態になるからこそ、

すべての人と

向き合い、

 

すべての人の

激しさを

受け止めることができ、

 

「コーチング」を

始めることが

できるのだ。

 

厳しいお仕事だと

思うかな?

 

確かに

厳しい。

 

でも、

それを「使命」として

生まれてきた

あなたが

いるのではないか?

 

つづく

 

生まれた時から揺るがない

 

セルフコーチング力を

高めていくと、

生まれた瞬間の

感覚すら

思い出すことが

できる。

 

その瞬間、

私達は

ありとあらゆる

感情の中に

いる。

 

その感情たちを

抑えることが

できずに、

全身で泣き叫びながら、

私達は

人生を始める。

 

まだ

生まれた直後には、

自分と他人の

区別すら

ついていない。

 

しかし、

母親から

離れるという

喪失感の中で、

私達は

不安の極致に

至る。

 

と同時に、

その状態にある

自分自身を

ただただ

静かに見つめる

自分が

「自分として」

発動する。

 

それが

真本音だ。

 

すべてと

つながり、

すべてと

「一つ」である

私達の意識と、

 

その一方で

「自分として」の

意識。

 

その境目に

あるのが

真本音だ。

 

だから

真本音の発想とは、

 

すべてのために、

そして

自分自身のために、

 

何をすることが

最善であるか?

 

というものと

なる。

 

そこに

一切の揺らぎは

なく、

 

その

揺るぎなさは

一生続く。

 

・・・・・・

 

真本音は常に、

自分自身に

語りかけ続ける。

 

すべてのために、

そして

自分自身のために、

今、

何をすべきか?

を。

 

その語りかけに

真摯に

耳を傾けること

こそが、

 

人生を生きる上で

なくてはならないもの

であると

私は思う。

 

真本音の願い

は、

人類の願いであり、

自分自身の

願いだ。

 

私達すべての人には

役割があり、

真本音に素直に

生きることで、

自然にその役割と

出会い、

全うし、

幸せに至る。

 

そしてそれが

そっくりそのまま

人類全体が

望んでいることに

直結する。

 

だから

当たり前のように

すべてが

調和していく。

 

何も

特別なこと

ではないし、

特別な

力が必要な

わけでもない。

 

すべての人が

そうなのだ。

人間である

限りは。

 

・・・・・・

 

私は

自らの真本音に

気づく(思い出す)

ことにより、

人生が劇的に

変わったが、

 

人生を劇的に

変えようなどとは

思っていなかった。

 

ただ、

一日一日、

真本音に素直に

行動しただけだ。

 

その一歩一歩は

とても小さいもの。

 

時には

大きなものも

あったが、

それも自然に

大きく、できた。

 

気がつけば、

何もかもが

変わっていた。

 

別に

変わることが

正しいとも

思わない。

 

成長しなければ

ならない、

と思う必要すら

ない。

極端に

言えば。

 

ただ、

真摯に

自分と向き合うこと。

 

生まれた瞬間から

発動しているはずの

自らの真本音に

耳を傾けること。

 

そして、

そのメッセージに

素直に

次の一歩を

進むこと。

 

たった

これだけの

ことなのだ。

すべきことは。

 

すべての人が

このシンプルな

生き方ができるように

サポートするのが

私の役割であるし、

「コーチ」の

役割だ。

 

こういった「コーチ」を

増やすのも

私の役割だ。

 

人が人として、

シンプルに

生きることのできる、

そんな世の中に

なればいい。

 

本来の人として

生きる世の中に。

 

これが私の

宿願である。

 

つづく

 

本当は決めていることはある

 

私には

決めていることが

ある。

 

でも

その全貌が

まだ、ほぼ

わからない。

 

でも、

ちょっとだけは

わかる。

 

だから、

そのちょっとだけ

わかっていることを

そのまま

実行する。

 

私は

意図を持たない。

 

いや、

意図を持つことは

大事だ。

 

自分の意図に

基づいて

自分で判断し、

自分で決断することは

「自律」という意味で、

とても重要だ。

 

そういった意味では

私はちゃんと

意図を持っている。

 

ただ、

その、意図の全貌が

わからない。

 

わからないことを

勝手に頭で

想像して、

頭のレベルで

(顕在意識のみのレベルで)

意図を決めることは

しない。

 

それをしても

本来の意図とは

ずれてしまうことが

よくわかるからだ。

 

そういった意味で

私は

顕在意識(頭)では

まったく自分自身のことを

理解できていない。

 

というよりも、

理解しては

ならないのだと

思っている。

 

理解せずに

ちょっとずつ

わかることだけを

そのまま素直に

実行することで、

結果的に

最短の道になること、

これもよく

わかっているからだ。

 

根拠はないのだが、

それが私の

確信だ。

 

・・・・・・

 

私が決めていること

の中で、

今、明確に

わかっていることは、

 

私はもう

一人では

進まない。

 

ということだ。

 

私はある意味

これまでずっと

一人で

やってきた。

 

例えば、

企業様にサポートに

入る場合も、

私一人で

やってきた。

 

もちろん、

ビジネスパートナーは

いるし、

一緒に営業なども

するのだが、

いざ、肝心部分のサポート

となると、

すべて一人で

やってきた。

 

だから、

お客様も含めて、

私の肝心部分の

サポートのやり方の全貌を

ご存知の方は

この世の中に今のところ

私以外に一人もいない、

のだ。

 

これはまずい、

思う。

 

このままでは

私の後継者が

育たない。

 

もちろん、

後継者と言っても、

私とまったく同じことを

する必要はない。

 

ただ、

私が普段

自分でも気づかずに

実行していることや、

私が普段

何気なく大事にしている

サポートの本質などを

ちゃんと

顕在意識のレベルで

知るというのは

とても大事なことだと

思うのだ。

 

だから私はもう、

できるだけ

一人では

やらないように

しようと決めた。

 

サポート現場に

入るのも、

私と同じ志を持つ人と

共に入ることにする。

 

現場こそが、

一番の育成の場

だと思う。

 

私は実は、

セミナーなどで勉強をした上で

今のお仕事を始めた

わけではない。

 

まったく何のノウハウも

ない状態で

私は現場に出た。

 

私のノウハウの

9割以上は

現場の中で

培ったものだ。

 

私が

一般的なセミナーなどに

受講生として参加して

勉強を始めたのは、

このお仕事を始めて、

10年近く経ってからだ。

 

しかもそれは、

私が現場で得たことの

整理のために

出たくらいで、

おかげで

現場での学びがやはり

一番であるという事実の

確認にもなった。

 

だから私は

「コーチ」の育成も

現場育成を

大事にしたい。

 

・・・・・・

 

自分自身が何を

決めているか?

 

は、誰もが

知りたいところだろう。

 

しかし

私達の真本音は

最初からその全貌を

自分自身には

教えてはくれない。

 

知るということは、

それを必ず

実行に移す

ということだ。

 

そのためには

覚悟が要る。

 

その覚悟を持てる

自分になること、

そして能力も含めて

自分自身の

準備が整うこと。

 

よし。

もう私は

先に進もう。

 

と、

真本音がOKを出す

ことで、

初めて観えてくる

のだ。

 

だから、

そのステップ自体を

楽しめばいい。

 

観えないことを

焦るよりも、

観えていることを

着実に一歩ずつ

実行に移していこう。

 

つづく

 

真のリーダーが必要だ

 

将棋の駒で

言えば、

最初は

「歩」

でいい。

 

「歩」は前に

一歩進むことしか

できないが、

しかし

前に一歩進むことは

できるのだ。

 

もし

「歩」なんて

何の役にも立たない、

と思っているのなら、

それは

大きな間違いだ。

 

「歩」で

「王」を詰むことだって

できる。

 

たった一方向に

たったの一歩しか

進めないが、

それを積み重ねれば

どれだけでも

前に進める。

 

たった一方向に

たったの一歩しか

進めないが、

いつどのタイミングで

その一歩を進むか?

によって、

その一歩は未来の

すべてを決定して

しまうくらいに

大きな影響につながる

こともある。

 

もし今、

「歩」の力しか

ないのであれば、

その力を

いかに活かすか?

である。

 

・・・・・・

 

私達は、

「在るものを活かす」

ことしか

できない。

 

であれば、

「在るものを

最大に活かそう」

「最善を尽くそう」

とすることが

生きる意味だと

私は思う。

 

そうすれば、

「在るもの」が

増えていく。

 

「在るもの」の

一つ一つが

進化・深化していく。

 

何をするにしたって

始まりは

弱っちいものだ。

 

人生の始まりが、

赤ん坊の頃の

私達が、

自分では何もできなかった

のと同様だ。

 

・・・・・・

 

「在るもの」

を活かす。

 

そして目の前に

「自分」以外の

「在るもの」があれば、

それも

活かそうとする。

 

お互いに

活かし合おうと

する。

 

それが人生の

醍醐味では

ないか。

 

しかし、

「自分」以外の

「在るもの」があれば、

それと「自分」とを

比べ、

「俺の方が凄いんだ」

と、

潰し合いの戦いをし、

勝った方のみが

生き延びていく。

 

そんな生き方を

してしまう人が

いる。

 

いや、恐らく

人類の歴史の大半は

そうだったかも

しれない。

 

しかしそれは

もったいない話だ。

 

異質なもので

あればあるほど、

「自分」以外の

「在るもの」との

活かし合いは

価値あるものに

なるだろうに。

 

・・・・・・

 

「自分」と

まったく同じ存在は

この世には

いない。

 

私達は

異質な「在るもの」との

活かし合いを

宿命づけられている。

 

いや、

それこそが

「人」の本質であり、

存在意義ではないかと

私は

このお仕事の中で

痛感している。

 

潰し合いの組織か、

活かし合いの組織か、

どちらが

人が元気になるか?

人が幸せになるか?

問うまでもない。

 

どちらを

人が望んでいるか?

問うまでもない。

 

問うまでもないのに、

真逆なことを

やり合っているのが

今の多くの

組織ではないか。

 

もちろん

そういった試練は

必要だし、

経験を通じて

学ぶこともある。

 

しかし

そういったことを

踏まえても、

あまりにも

無意味な潰し合いを

私達は

し過ぎではないか?

 

・・・・・・

 

私は数多くの

「コーチ」を育成したい

と思っているが、

 

なぜそう思うか?

の理由の一つに、

数多くの

「リーダー」

が、世の中に

輩出するとよいと

願っているからだ。

 

ただしその「リーダー」

とは、

潰し合うための

リーダーではないし、

「自分が一番だ」と

自己顕示や虚勢を張る

リーダーでもない。

 

人々と

共に向き合い、

共に新たなものを

創り出していく

リーダーだ。

 

自らの力のみで

進もうとするのではなく、

そこに「在るもの」を

活かし合いながら、

未開の大地を

切り拓いていく

リーダーだ。

 

そういった

「リーダー」の素養を

もつ人は、

特に、若者の中に

多いと

私は感じる。

 

しかし残念ながら

その素養は、

自力だけでは

なかなか伸びない。

 

まずもって、

その素養があること

自体を

本人が気づかない。

 

それが

現状だ。

 

だからこそ

「コーチ」が

必要なのだと私は

思う。

 

これからの時代に

必要な、

真の「リーダー」を

発掘し、サポートする

存在が。

 

つづく

 

一人ひとりに使命がある

 

自分のこの命を

どう使おうか?

 

ということを

私達は全員、

真本音で

決めている。

 

単純なことだ。

 

その

決めていることを

思い出し、

それに素直に

生きれば、

私達は

至福とも言える

感覚を得ながら

人生を

進めることが

できる。

 

そこから

遠のけば

遠のくほど、

道は閉ざされるし、

ストレスも

多くなる。

 

単純なこと。

 

しかし、

遠のいた道で

あるにも関わらず、

上手くいってしまう、

つまりは

成功してしまう

人も多い。

 

その人の

能力の賜物だ。

 

力があるからこそ

そこで

成功してしまう。

 

だから

この道でいい、

本人が

思い込んでしまう。

 

そして

そのままその道を

進んでしまう。

 

そういった

複雑な人が

多いのが

残念ながら今の

社会だ。

 

だから

成功している人ほど、

心が

深いダメージを

負っている

という傾向が

現れる。

 

そして

成功とは、

ダメージとか

犠牲の上に

成り立つものである、

という思い込みが

蔓延する。

 

単純なことが

複雑化し、

妙な原理原則が

世の中を

支配しているように

私には思えて

ならない。

 

・・・・・・

 

本来のその人の

持っている力は、

使命を果たすための

もの。

 

しかし

自分と向き合わず、

たまたま成功した

その道に進むことで、

その力を

宝の持ち腐れ

としている。

 

成功しているから

凄い!

ではない。

 

本来であれば、

その人は

もっともっと凄いことが

できるはずなのだ。

 

実は、

そう感じる人が

とてつもなく多い。

 

能力や力だけで

生きることは

もうやめよう。

 

能力や力とは

「手段」

である。

 

その手段を

使うための

「目的」

がある。

 

それこそが、

自分自身で決めている

「使命」

だ。

 

・・・・・・

 

「使命」と言ったって、

様々だ。

 

大きなことを

しなければならない、

ということではない。

 

実は、

規模の大きさは

あまり関係ないのだ。

実在のレベルでは。

 

規模の大小ではなく、

「使命」に基づいて

生きるという

その行為そのもの、

その一歩そのもの

によって、

実在のレベルでは

世の中に

大きな影響を

与えることになる。

 

自分の能力だけを

使い、

使命とは異なる

道において

100万人の人に

何らかの価値を

提供するよりも、

 

自分の使命として

目の前の一人の

人に、

自分が与えるべき

本来の価値を

与える方が、

それこそ

100万倍も

影響が大きくなるのだ、

実在のレベルでは。

 

今、世の中は

そのエネルギー

こそを

欲している。

 

形だけの

成功は

もはや欲して

いない。

 

それはもう

古い。

 

それはもう

時代遅れだ。

 

それよりも、

たった一つの行動に

どれだけ

魂を込めるか、

使命に向かう

真摯な意志を

込めるか、

である。

 

・・・・・・

 

「コーチ」を

使命としている

人がいる。

 

その人が

「コーチ」としての

一歩を

踏み出すことが、

どれだけ

良い影響を

生み出すかを、

私は確信している。

 

だから私は、

「コーチ」を

使命としている人を

サポートしたい。

 

「コーチ」を

使命としている人を

発掘したい。

 

それが

今の私の最大の

使命だ。

 

つづく

 

そこは決してサポートしない

 

人は誰しも

心の中に

「断崖絶壁」

を持っている。

 

それを

下から

見上げている。

 

それは目の前に

垂直に

そそり立っている。

 

その向こうには

透き通るような

青空。

 

あぁここを

登りたいなぁ。

 

でもこんな絶壁、

どうやって

登ればいいんだろう?

 

もしこの壁に

取り付けば、

怖いだろうなぁ。

 

必死に途中まで

よじ登っても、

きっとどこかで

体力の限界がきて、

落ちちゃうんだろうなぁ。

 

この絶壁の

向こうには行きたいけど、

行くのは

怖いなぁ。

 

・・・やはり

多くの人が

そう思うだろう。

 

そして残念ながら、

その絶壁に

取り付くことすら

せずに、

あきらめて

道を戻ってしまう

人もいる。

 

それはその人の

自由ではあるが、

しかしその人は

その「絶壁」を

見てしまった。

 

一度それを

見てしまうと、

脳裏に完全に

焼き付いてしまう。

 

そして

その向こうにある

新たな世界への

憧憬と、

その壁から逃げてしまった

自分自身への

罪悪感が

一生つきまとうことに

なる。

 

実はこれは

かなり

きつい。

 

一度見てしまったものを

見なかったことに

するのは

無理なのだ。

 

だから私は

いつもお勧めする。

 

その壁、

ぜひよじ登って

ください、

と。

 

それも、

真正面から

小細工なしに、

登ってください

と。

 

・・・・・・

 

実は、

心の中では

登れない「絶壁」は

ない。

 

そもそも

登れない「絶壁」は

目の前に

現れない。

 

登る準備が

整ったからこそ、

現れるのがその

「断崖絶壁」

だ。

 

つまり、

真正面から真剣に

取り組めば、

100%登ることは

できるのだ。

 

しかしそこには

怖さが

つきまとう。

 

強烈な不安が

襲ってくる。

 

でもそれは

当たり前のことだ、

断崖絶壁

なんだから。

 

「コーチ」の仕事とは、

この

「断崖絶壁」の前まで

その人を

連れてくることだ、

と私は強く

思う。

 

ただしその「絶壁」を

登るのは

その人自身であり、

その人の

自力である。

 

そこは決して

コーチは、

サポートしては

ならない。

 

そこをサポートしては、

その時点でもう

その人は

「断崖絶壁」から

逃げたことになる。

 

しかし、

ここをサポートしたり、

ヘルプしてしまう

コーチが

後を絶たないのは

どういうことか。

 

それはともかくとして、

「断崖絶壁」の前まで

来たその人を、

私は時には

冷たく突き放す。

 

これは

子どもの育成にも

通じるものだ。

 

・・・・・・

 

「断崖絶壁」を

登り切ることを

私は

「脱皮」

と呼んでいる。

 

その壁を

登ることで、

私達は様々なものを

脱ぎ捨てるのだ。

 

手放す

のだ。

 

そして

壁の上に

たどり着けば、

実に

スッキリ爽やかな

自分になっている。

 

しかも

壁の上には

実に爽やかな

世界が広がっている。

 

自力で

登るからこその

その悦び。

 

これを味わうために

人生とは

あるのではないか、

とすら

私は思うのだ。

 

この悦びを

サポートさせて

いただくのが

「コーチ」という

役割だ。

 

そしてそのためには

「コーチ」自身が

いくつもの

絶壁を

自ら乗り越え続けている

必要がある。

 

・・・・・・

 

自らの

超えるべき

断崖絶壁を

乗り越える

サポートを

する。

 

これが、

個人においても

組織においても

「コーチング」の

本質であると

私は考える。

 

そして、

あぁこの人(組織)はもう、

サポートなどなくても、

自力で次々に

「断崖絶壁」を

乗り越えて行けるだろうな。

 

と思えた時点で

私はその人(組織)から

離れて行く。

 

離れなければ

ならない。

 

この

引き際も

実に大事で

ある。

 

いや、

ちょっと極端に言えば、

引き際を

外さない人こそが、

本来の「コーチ」だと

私は

思うのだ。

 

つづく

 

本当のバランスの良さって?

 

今日のコーチングで

「バランス」

というお話が出た。

 

そういえば私、

「バランスを取ろう」

なんて考えたこと、

これまでの人生で

一度として

あったかなぁ・・・?

 

まぁ一度くらいは

あったかもしれないが、

ほぼ

そういうの無しで

生きてきたなぁ、と

思った。

 

恐らくであるが、

私の場合、

「バランスを取ろう」

と思わずに来たのが、

結果的に

私なりのバランスに

なっていたのかも

しれない。

 

そして

他の人も

そうなのでは

ないだろうか。

 

・・・・・・

 

「自分なりのバランス」

 

これが「個性」

というものなのかも

しれない。

 

そしてその「個性」は

本人が最も

気づいてはいない。

 

なぜなら本来の

「個性」とは

あまりにも「自然」なので、

本人の意図とは

別の次元にある。

 

ということでいえば、

本来の個性で

生きる人は

必然的に

バランスが良い、

ということに

なるのかな。

 

であれば

とても私は

納得できる。

 

たくさんの人と

お会いする中で、

「この人

本当にバランスが

いいなぁ」

と思える人って、

みんな個性的

だから。

 

しかも

その個性を

抑えようと

していない。

 

かといって

あえて個性を

出そうとも

していない。

 

ただ、

あるがまま。

 

やはり、

自然体。

 

そういう人こそ、

とても

バランスがいい。

 

「バランスを取ろう」

としている

バランスは、

ちょっと疲れる。

 

でも、そんな意図なく

自然に取られている

バランスは、

一緒にいて

とても居心地が良いし、

こちらも

安心する。

 

落ちないように

バランスばかりを

気にして

進み続ける人よりも、

 

いっそのこと

自分の翼を手に入れて、

自由に伸び伸びと

大空を飛び回っている人

の方が

バランスなんて

気にする必要がないほど

安定している。

 

そんな

違いかな。

 

・・・・・・

 

だから。

 

バランスを取るために

自分の個性を

抑えよう、

とする必要はないし、

 

やっては

ダメだ。

 

それよりも

もっともっと

自分を解放する。

 

中途半端な

解放こそが、

バランスを悪くする

ので、

徹底的に

解放する。

 

そこが大事かな。

 

で、その「解放」を

私の表現で言えば、

 

「真本音度合いを

高める」

 

ということになる。

 

「解放」とは

決して

「反応本音をわがままに

外に出す」

ことではない。

 

それは

「解放」ではなく、

私には逆に

「自縛」

にみえる。

 

真の解放とは、

真の自分を

出すこと。

 

真本音の自分で

生きること。

 

それをすることで、

その人なりの

バランスは

より際立っていくだろう。

 

そういった意味で、

個性の際立つ

バランスの良いコーチ

私はたくさん育成

したい。

 

そういったコーチは

多くの人に

真のバランスを

もたらすことが

できるだろう。

 

来年に入ったら、

そろそろ

本格的なコーチ育成に

入ろうと思う。

 

コーチの募集に

入ろうと

思う。

 

つづく

 

本当に人をサポートしたい?

 

私はよく

「調和」

という言葉を使うが、

 

であるが故に

誤解も

多いようだ。

 

調和とは、

上手く進むこと、

もしくは

物事を上手く進めること、

思われがちだ。

 

が、

実は

「上手く進めよう」と

思えば思うほど、

不調和が起きる

というのが

現実だ。

 

ある企業の

管理職のAさん。

 

Aさんは管理職として

あらゆることを

「上手く進めよう」

とされていた。

 

ある意味

それが彼の

理念とも

言えた。

 

しかしAさんのもとでは

問題ばかりが

日々、起こっていた。

 

上手く進めたいのに、

なぜ、

問題ばかりが

起こるのだ?

という

Aさんの悩み。

 

次々に新たな問題が

起こり、

その対処のための

時間ばかりが

過ぎていく。

 

生産性は

極度に低く、

当然

実績も上がらない。

 

私はこんなに

頑張っているのに。

 

なぜ

こんなにも

部下達は

非協力的なんだ?

 

という

Aさんの悩み。

 

「あなたのその

上手く進めようという

在り方が

すべての元凶です」

 

私ははっきりと

Aさんに伝えなければ

ならなかったのだが、

こういったことは

本当によくある

ことだ。

 

・・・・・・

 

「調和」「調和」と

言いながらも、

本当のことを言えば、

私は普段、

「調和」のことなど

これっぽっちも

考えていない。

 

私が考えているのは

ただ一つ。

 

今ここで

何をするか?

 

である。

 

そしてそれに

集中すると

決まって、

 

「これはどう見ても

波乱しか

起らないだろう」

 

と思われる行動を

私は取ろうと

してしまう。

 

私の顕在意識は

私も人間なので、

その「波乱」を

恐れる。

 

「いやいやいや、

そんなこと

したくないよー!」

いつも心の中で

叫ぶことになる。

 

しかし

私の真本音が

それを望んでいるので

あれば、

やはり私は

真本音通りの行動を

選択する。

 

波乱は

起きてもいいや。

 

何が起きても

最後までしっかり

向き合いきるぞ。

 

私はいつも

覚悟を決める。

 

そして

何の淀みもなく

その行動を

私は取る。

 

すると、

びっくりするくらいに

すべてが

「調和」する。

 

実はこれは

ほとんど毎日の

ことである。

 

しかし、

毎日これを体験

しても、

慣れることがない。

 

常に私は

「波乱」の恐れを

抱いている。

 

しかし

それは単なる

恐れに過ぎず、

私は私の真本音の

通りに動く。

 

毎日、

ヒリヒリする。

 

これがある意味、

「コーチ」の

仕事である。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

サポート役である。

 

しかしよく、

 

「私はリーダーに

向いていないから、

サポート役に

徹します」

 

という声を聴く。

 

正直言って、

サポート役というのは、

そんなに

生易しいものではない。

 

サポート役

だからこそ、

その人の人生の

生き方がそのまま

ダイレクトに

サポートの仕方に

反映される。

 

曖昧な生き方を

している人は

曖昧なサポートに

終始する。

 

すると

サポートを受ける側

にとってみたら

たまったものではない。

 

サポート役とは、

本当の意味で

自分自身を

リードできる人、

つまりは

「自分自身のリーダー」

となれる人でないと

難しい。

 

・・・・・・

 

「サポート役」

人生の目的と

している人がいる。

 

その人へ、

私は今こそ

メッセージしたい。

 

まずは、

自分の中の

その意志に

気づいてほしい。

 

あなたにしか

できない

「サポート」が

ある。

 

それを見つけ出し、

それを発揮する、

という

人生の道に

入る勇気を

持ってほしい。

 

もう始める時だ。

 

私は思う。

 

つづく

 

人のため、と軽々しく言うけれど

 

世の中には、

 

まずは

「自分のために」

を中心に生きると

結果として

「人のために」

なる人と、

 

まずは

「人のために」

を中心に生きると

結果として

「自分のために」

なる人の

 

2種類のタイプが

ある。

 

いや、

すべての人は

何だかんだ言っても

「自分のために」

が中心でしょ。

 

という

意見もある。

 

もちろん

もっともである。

 

ほぼ、

みんなそうである。

 

しかし、

ほんのわずかだけど、

確かに

後者のタイプの

人がいる。

 

「わずか」

というのは

現時点では

1%にも満たない

割合だ。

 

他の

99%以上の人は

前者のタイプであり、

自分を顧みず

人のためだけに

生きることで、

結果として

ただの自己満足になり

結果として

誰も幸せにならない

ということになる。

 

しかし。

 

わずか1%未満であるが、

後者のタイプがいるのは

事実だ。

 

しかも。

 

約30年後には

その割合は

10%くらいまでに

増加するだろう。

 

つまり、

これから生まれてくる

子ども達は

後者のタイプが

多い。

 

後者のタイプを

私は

あえて、

『コーチタイプ』

と呼ぶ。

 

・・・・・・

 

今でも

わずかであるが、

「コーチタイプ」

の人はいる。

 

しかし

そういったタイプで

あるにも関わらず、

 

いや、

そういったタイプで

あるからこそ、・・・かな、

 

今の世の中に

絶望してしまい、

「人のために生きる

ことに何の意味が

あるのだろう?」

と、

無気力になって

しまっている人も

いる。

 

実は、

そういった人との

出会いが

最近、増えている。

 

この人、コーチタイプだな、

とわかったら、

私はできるだけ

それを伝えるように

している。

 

すると

伝えられたその人は

すごく

ホッとした表情と

になる。

 

安堵感に

包まれるのだ。

 

「もっと、自分のために

生きなさい、といつも

周りから言われます。

でも、どうしても

その気持ちが

湧かなかったのです。

私は自分が無気力の

廃人だと思って

いました。」

言われた人も

いる。

 

そういった人に

「利他」

という言葉は

必要ない。

 

実は私は

「利他」という言葉が

いまいちピンと来ない。

 

言葉自体は

大事な意味だと

思うが、

しかし、

本当に「利他」で生きる人には

そんな言葉は

必要なく、

天然でそうなのである。

 

しかも

まずは「自分のために」

生きることが大事

というタイプの人が

「利他」という言葉を

使うと、

大概はおかしなことになる。

 

「私の信条は、

利他です」

と自己アピールするように

なるし、

それによる利他は

当然のことながら

本当の利他ではない。

 

そういう人は私は

もっと徹底的に

「自分のために」

生きた方が良いと

思っている。

 

自分のために生き、

自分の望みを

叶える人生を

徹底的に目指せば、

 

本当に

徹底的に目指せば、

 

その人は間違いなく

自らの真本音に

行き着く。

 

真本音は

他の人の真本音と

つながっている。

 

すると、

「自分のために=人のために」

が自然にできるように

なる。

 

それを私は

次元が上がる

とも表現するが、

それが自然の

道だ。

 

つまり、

本当に天然で

利他で生きる人には

利他という言葉は

必要ないし、

そうでない人は

利他という言葉を

使うことで

利他から遠ざかって

しまうのだ。

 

だから、

利他という言葉を

使うこと自体に

私は違和感がある。

 

・・・・・・

 

いずれにしても

「人のために」

生きることが

自分の力になる

「コーチタイプ」

の人は

これから増えていく。

 

コーチタイプの人は

私は単純に

コーチになればよい

と思っている。

 

もちろん

「コーチ」と名乗る

必要はない。

 

しかし、

人のために

徹底的に生きれば

よい。

 

約30年後、

1割に増えた

コーチタイプの人が

本人の素養の通り、

人のために

人をサポートしながら

生きる世の中に

する。

 

これが私の

ビジョンである。

 

つづく

 

あなたの影響力は計り知れない

 

人が人に与える

影響の大きさは、

私達が想像している以上に

大きいはずだ。

 

例えば。・・・

 

ある企業研修を

するために

私は朝、会場に

向かっていた。

 

通勤ラッシュの

駅。

 

階段を降りる時に、

ふと

すれ違った人と

一瞬だけ

目が合った。

 

ほんの

一瞬だけ。

 

そして、

それだけ。

 

あとは、

何事もなく

その人と私はすれ違い、

私は研修会場に

向かった。

 

一日の研修を終え、

いつものように

一日を振り返っている時、

 

そのすれ違った人との

一瞬の目線の一致

がフラッシュバック

された。

 

と同時に

確信と共に

わかった。

 

今日の研修の

あの展開は、

あのすれ違った人との

あの瞬間がなければ

起こり得なかった

ものだ、

と。

 

あの時あの瞬間、

私は紛れもなく

あの人から影響を

受けた。

 

何だろう

それは?

 

そうか、

私はあの時

あのすれ違った人の

瞳の奥に、

とても深い悲しみを

感じたのだ。

 

それが強く

私の中に

刺激として残っていた。

 

そして今日の

研修の受講生さん達。

 

彼らの中の

あの人とあの人に

私は同じ悲しみを

感じた。

 

なるほど。

 

だから

あの展開になったか。

 

そして、

あの展開がなかったら

今回の研修は、

これほどにも深く

影響を与えられるものには

なってなかった。

 

あの、

すれ違った人に

感謝だ。

 

あれがあったことで、

今日、

人生が変わった人も

いるだろう。

 

とてつもない

感謝だ。

 

・・・というような

こと。

 

程度の差はあれど、

こういったことは

日常茶飯事だ。

 

私はたまたま

一日の振り返りを

丁寧に行なうし、

セルフコーチングの

力もある。

 

だからこういったことに

気づけるが、

多くの人は

知らず知らずに

このように

影響を与え合って

生きているのだ。

 

・・・・・・

 

私は常に、

周りのあらゆる人達に

良い影響を与えられる

自分でいたいと

願っている。

 

ここで言う

「良い影響」

とは、

力を与えるとか、

癒しを与えるとか、

そういった意味では

ない。

 

その人その人に

「調和した影響」

を与えたいと

思うのだ。

 

上記の例で言えば、

私はすれ違った人から

深い悲しみ、という感覚を

得た。

 

それ自体は

私にとってみれば

不快なものと

言えるだろう。

 

特に、研修直前の

私にとっては

普通であれば

感じたくない感覚だ。

 

疲れるし。

 

しかし、

それがあったからこそ、

私は結果的に

より良い研修ができた。

 

調和とは

そういった意味である。

 

単に

力を与えるとか、

気持ちの良さを与えるとか、

その場のみの

影響を言っている

わけではない。

 

実は、

真本音度合いが高まる

ということは、

そういった「調和」を

周りに与え続けることが

できるようになる。

 

仕事でも

家庭でも

街を歩いていても。

 

あらゆる場所、

あらゆる場面で。

 

・・・・・・

 

「コーチ」

という視点から言えば、

 

コーチングの場や

研修の場のみで、

自分の状態を

良い状態にしようと

しているコーチが

多いように思うが、

 

私はそれは

真のコーチとは

言わない。

 

朝から晩まで

24時間、

自分を良い状態に

し続けている人こそが

私はコーチができる

と思っている。

 

ただし「良い状態」とは

先程と同じだ。

 

モチベーションが高い

とか

すがすがしい気持ちでいる

とか

そういったことではなく、

 

周りとの「調和」を

し続けることができる

という意味だ。

 

コーチングの場だけ

真本音度合いを

高める

のではない。

 

というか、

むしろそんな不自然な

ことはできないのだが。

 

毎日、

一日一日、

朝から晩まで、

一刻一刻、

真本音で生き続けることが、

 

人間にとって

最も楽なことであり、

 

それを実践し続けることが

コーチとしての

必須の生き方であると、

私は思う。

 

つまり、

コーチングの場だけ

特別な自分に

なるのではなく、

コーチング以外の場も

コーチングの場も、

24時間同じ自分で

いる人こそが、

コーチと言えるだろう。

 

そしてその

「同じ自分」

とは、

「自然体の自分」

「本来の自分」

だ。

 

つづく

 

根っから固い人なんていない

 

スッゲー

頭の固い人が

いる。

 

これは

こうあるべき。

 

あれは

あああるべき。

 

完璧で

あらねばならない。

 

これは

許されない。

 

・・・そんなことばかりを

言い続ける

人がいる。

 

私は

そういう人ほど

あるがままを

見つめる。

 

じーっと

その人を見つめて

いると、

 

その人が

腰を振りながら

踊っている姿が

浮かんだりする。

 

「そんなこと

どーでもいーじゃ〜ん!」

 

と言いながら、

クネクネと

踊っている姿が

観えたりする。

 

それは

イメージではない。

もちろん、

私の妄想でも

ない。

 

その人の

実在である。

 

それを観たとき、

何だよー、

何、かったるいこと

やってんだよー、

私なんかは思ってしまう。

 

そして多くの場合は、

最善のタイミングで

ダイレクトに

伝える。

 

あなた、

本当は

踊ってるでしょ。

 

って。

 

ほとんどの場合、

その人は

キョトン

とする。

 

そりゃそうだ。

 

でも私は

言い張る。

 

そんなこと

どーでもいー、って

本当は

思ってるでしょ、

と。

 

タイミングさえ

間違えなければ、

多くの場合、

その人は

その瞬間から

壊れ始める。

 

もちろん、

いい意味で。

 

・・・・・・

 

固い。

 

固すぎる。

 

人はどうして

こんなにも

固くなって

しまったんだろう。

 

なんて、

よく思うのだが、

そう言えば、

私も昔はよく師匠から

言われたもんだ。

 

「お前は

固すぎる」

 

と。

 

本当に悩み

ましたよ。

 

どうすれば

柔らかくなるんだぁぁぁーっ!

 

って。

 

頭を抱えましたよ。

 

でもそうやって

頭を抱えている時点でもう

固かったんだけどね。

 

・・・・・・

 

固さ、

とは

防御だ。

 

そう

断定しても

よいのではないか。

 

自分を

守りたい

だけだ。

 

そう

言い切っても

よいのではないか。

 

その固さが

もしなくなれば、

自分が

消えてしまう、

と本人は

どこかで思っているのだ。

 

そんな

わけはないのに。

 

・・・・・・

 

固いヤツを

柔らかくしよう、

なんて

思わない方がいい。

 

そのような

意図を持てば、

ますます

固くなる。

 

私も

意図は持たない。

 

だから突然の

私の行動に

いつも私自身が

驚いている。

 

あなた本当は

踊ってるでしょ。

 

って、

なんて失礼な。

 

と思うのだが、

根っから真剣に

真正面から

私はその人に

フィードバックしている。

 

それにより

一気に壊れる

人もいれば、

 

徐々に

ゆっくり

壊れる人もいる。

 

いずれにしても

みんな

壊れる。笑

 

だって、

固さなんて

実は

脆弱なものだ。

 

真本音の

エネルギーに

比べれば。

 

私は

真本音のエネルギーを

照射している

のだから。

 

・・・・・・

 

恐らく、

「コーチ」という役割は

自己防衛を

少しでもするようなら、

成り立たなくなるだろう。

 

だから、

固さのある人には

はっきり言って

無理だ。

 

しかし、

人間には誰しもに

固さは

ある。

 

かつての私は

固さの権化

だった。

 

だから

誰もが「コーチ」に

なれる可能性は

あるのだが、

 

しかし、

それには覚悟が

必要だ。

 

どんな刃を

向けられても、

裸で向き合う

覚悟だ。

 

それができる人こそが、

人の「固さ」を

壊すことができる。

 

常に

丸腰で

人と向き合えること。

 

「コーチ」には

必要な覚悟だ。

 

つづく

 

わずかな風を大きく育てる

 

風の流れ

がある。

 

それは始めは

ほんのわずかな

そよ風かも

しれない。

 

しかし私は

そのわずかな

空気の動きを

必ずとらえようと

する。

 

風なきところに

本来の流れは

起きない。

 

ほんのわずかでも

風の流れる場所には

風を流す

自然の営みが

働いている。

 

自然の摂理

とも言える。

 

これのないところに

自然ではない摂理を

創造しようと

することは、

単なる傲慢である。

 

多少、傲慢でも

結果が出ればよい、

という考え方も

ある。

 

しかし私は

知っている。

 

それでは

長続きしない。

 

それでは

次世代にまで

脈々と続く

永続的な流れは

決して生まれない、

と。

 

・・・・・・

 

ほんのわずかな

そよ風を見つけたら、

私はそれを

育む。

 

最初は

そ〜っと。

 

繊細に。

 

慎重に。

 

そしてその風が

徐々にたくましくなれば、

私も徐々に

大胆になっていく。

 

そして

ある瞬間に

風の強さの次元が

変わる。

 

その時を逃さず、

私はそこに

本気のエネルギーを

注ぐ。

 

するとその風は

うねりとなって

まるで龍のごとくに

周りを巻き込んでいく。

 

そして気がつけば、

全体が

龍そのものに

なっていく。

 

以上が、

私がいつも大切に

している、

組織活性化サポートの

原理だ。

 

・・・・・・

 

この流れを

成すためには、

意図を

手放すことだ。

 

意図は

自然の摂理を

崩してしまう。

 

ただ真摯に

真剣に、

まずはそよ風を

見つける。

 

見つけたら

育てる。

 

非常に

コツコツとした

仕事である。

 

これは残念ながら、

その組織に

所属している

当事者の皆さんには

不可能なことである。

 

その組織から

少し距離を置いている

第3者だからこそ

できること。

 

これが

コーチの役割

である。

 

これができるためには、

コーチは

自然の摂理に即した

生き方を

自らが実践していなければ

ならない。

 

それが

真本音度合100%の

人生だ。

 

真本音度合100%とは、

人格者になることでも

神になることでも

超能力者になることでも

ない。

 

「自分」

になることだ。

 

本来の自分

だ。

 

だから自分の個性が

なくなってしまうわけでは

ない。

 

むしろ

自分の個性は

際立つ。

 

本来の個性が

芽を出し

伸び、

そして花開くのだ。

 

自らが

それを成すからこそ

人や組織の

サポートができる。

 

そういった意味で

真本音度合100%に

なって初めて、

私はその人を

「コーチ」

と認める。

 

ただし。

 

真本音度合100%

になってから

コーチを始める

のではない。

 

真本音度合100%を

目指しながら

コーチを続けるのだ。

 

真剣に

目指しながら。

 

その真剣さと

進化のスピードによって

コーチの力は

一気に開花し、

開花の途上で

生まれるエネルギーが

人や組織に

力を与える。

 

コーチが

人や組織を

進化させるのではない。

 

コーチとは

人と組織と

共に

進化し続ける

存在だ。

 

つづく

 

そこかしこに種はある

 

このお仕事を

させていただいていて、

私が楽しみにしている

ことの一つは、

 

その人の中に潜む

『種』

を見つけること

である。

 

「種」と言うくらいだから、

まだ、

芽は出ていない。

 

つまりは

本人にその自覚は

ないし、

本人だけでなく、

周りの人達も

よくわかっていない。

 

しかしそれは

確実に存在していて、

その種が

発芽し、

一気に伸びることで

 

「この人には

こんな面があったんだ!」

 

と、皆が

驚くことになる。

本人も含めて。

 

そういった「種」を

見つけることが

私の役割の一つであると

思っている。

 

そして、

そういった「種」こそが、

実は、

その人の真本音の個性

だったりする。

 

つまりは、

本来のその人の魅力

であり、

本来のその人の能力

である。

 

それが「発芽」することで

その人の所属している

組織に

大きなインパクトと

進化をもたらすことは

とても多い。

 

・・・・・・

 

自分の持っている

「種」と

真逆の人生を

生きている人は多い。

 

例えば、

 

「私は人と関わることが

苦手なんです。

本当は、一人で生きて

行けるものなら

一人だけで生きて

行きたい。

できるだけ人と

関わりたくないんです」

 

と言いながら、

私と向き合うと本当に

オドオドしてしまう

人。

 

そんな人にこそ

コーチに向いている人が

多かったりするのだ。

 

その場合、

私は結構いつも

ダイレクトに

フィードバックする。

 

「あなたは私のような

コーチという職業に

向いているんですよ」

 

と。

 

当たり前のことだが、

最初は

ほぼほぼ信じて

もらえない。

 

しかし私は

その人に

「人と向き合う機会」

を創る。

 

時には

半ば強引にでも

創る。

 

すると、

初回からその人の

「コーチとしての能力」

は開花し始める。

 

そして、

「人と向き合うのは

結構楽しいのですね」

と、

かなりの短期間で

なる。

 

それはそうだ。

 

「種」とは

言葉を変えれば

その人の

「天性の才能」

だ。

 

「天性の強み」

だ。

 

才能や強みとは、

現時点で

発揮されているものとは

限らない。

 

しかし

少しのチャンスと

少しの努力で

開花し始めるのが

才能であり強み

である。

 

・・・・・・

 

同じような展開として、

これまで

人と関わることも

嫌い、

ましてや

リーダーシップなどとは

無縁の人生だった人の

中に、

とてつもないリーダーが

いたりする。

 

その場合も

私は結構、ダイレクトに

本人にフィードバック

する。

 

「あなたは本当は

リーダーに向いて

いるんですよ」

 

と。

 

これは本当に

いつも信じて

もらえない。

 

しかしやはり、

リーダー的な活躍の

機会を

半ば強引に

創っていく。

 

すると同様に、

それは開花する。

 

このように、

一人の個人には

眠っている「種」が

必ずある。

 

その「種」を

「発芽」させることは

組織にとっても

重要な「発芽」

となる。

 

・・・・・・

 

少しの刺激を

与えることで

「発芽」しそうな

「種」を持っている人。

 

その人のことを

私は

『要』

と呼んでいる。

 

組織の中ではまずは、

この、「要」を

見つけることが

とても重要な

ステップだ。

 

そして、

「要」に対して、

刺激を与えていく。

 

「発芽」のための

刺激だ。

 

面白いことに、

一人の人の

「発芽」は、

 

次の人の

「発芽」を

誘発する。

 

それにより

「発芽」の連鎖が

組織に起こる。

 

そして、

「発芽」する人が

組織全体の中の

1割を超えると、

 

その組織自体が

「発芽」を始める。

 

つまり、

組織の性質が

変わり始めるのだ。

 

この変質を

「進化」

と言ってもいい。

 

「要」を見つけ、

「発芽」を誘発させ、

組織に「進化」を

もたらす。

 

これが

私の仕事だ。

 

これができる人の

ことを私は

「コーチ」

と呼んでいる。

 

そういった意味での

「コーチ」は

今とても

求められている。

 

だから早々に

育成しなければ

ならない。

 

つづく

 

掴みたいものがあるんだ

 

私は早く

「要なし」

になりたい。

 

「たけうちさんは

もう

必要ないよ」

 

と言われたい。

 

すべての

クライアントさんから

そう言われたいし、

 

世の中からも

そう言われたい。

 

そうすれば

私は

安心して

引退できる。

 

早くその日が

来れるように

今は

がんばっている。

 

・・・・・・

 

私は本当に

多くの人の人生と

触れ合ってきた。

 

その人の人生は

その人のもの。

 

その人の人生は

私の人生では

ない。

 

その区別は

とても大切であり、

区別をすることが、

コーチとしての

必須の

在り方である。

 

だからこそ

「他者だから

できる最大の

サポート」

が可能になる。

 

「あなたの人生は

私の人生だ」

なんて言おうものなら、

何たる傲慢!

となるだろう。

 

人への愛とは

自分と

自分以外の人とを

区別するところから

始まる。

 

そしてコーチという役割は

「その人の人生は

その人のもの」

という

尊重から始まる。

 

・・・という

基本がある。

 

この基本を

わかっていない人は

人をサポートしては

ならない、

ということは重々に

わかっているし、

 

そうしている。

 

しかし、

その上で

あえて言おう。

 

私は

人をコーチングさせて

いただきながら、

その人と

いつも

「一つ」

になる。

 

そして

その人の人生と

「一つ」

になる。

 

その人の喜びとも、

その人の苦しみとも、

「一つ」

になるのだ。

 

ちゃんと

区別はついて

いる。

 

私と

あなたは

違う。

 

現実世界では

そうなっている。

 

しかし、

実在の世界では

私は

確かに

「一つ」

になっている。

 

私は

すべてであり、

すべては

私であり、

あなたは

私であり、

私は

あなたである。

 

という

ことに

なっている。

 

区別は

ついている。笑

 

でも、

そうなってる。

 

・・・・・・

 

例えば今日は、

12名の人と

向き合った。

 

すると

今の私の中には

12名が

まだいる。

 

そして

12名の

人生を

そのままに

ありのままに

感じている、

 

というよりも

やっぱり正確に

表現すれば

「一つ」

となっている。

 

そして今、

12名分の

喜びと苦しみを

感じている。

 

これはいったい

どういうこと

なのだろう?

 

何のために

私は

こんなことを

しているのだろうか?

 

・・・・・・

 

いや、

答えはよく

わかっている。

 

わかってないけど

わかっている。

 

もちろん

自己満足で

やっているわけでは

ない。

 

はっきり言って

これ、

日によっては

とてつもなく

苦しいのだ。

 

自分の生命力の

ほぼすべてを

使い切ってしまう

日もあるし。

 

とてもとても

自己満足のレベルで

できることでは

ない。

 

かと言って

私は

満足している。

 

満足というよりも

悦び

である。

 

何でだろう?

 

恐らくこれは

必要なことが

できている

悦びなのだと

思う。

 

これを私は

約10年、

毎日続けているが、

 

その体験は、

これから

私がすべき

あるゆることにおいて

必要なことだと

わかるからだ。

 

この体験を

通じてしか、

人に伝えられない

ことがあるのだ。

 

私はこれまで

何万人もの人と

向き合ってきたが、

 

その人と自分を

区別して

分離して

向き合うことでは

得られないものを

得ようとしていることは

よくわかっている。

 

もし途中で

自分の生命力が

持たず、

自分が死んでしまっても

それはそれで

しょうがないと

いつも覚悟を

決めてきた。

 

ひょっとして

明日、

死んじゃうかも、

いつも思って

ここまできた。

 

私にだって

守りたいもの、

守るべきものがあるので、

絶対に

死にはしないと

決めているが、

 

でも、

その覚悟は

確かにあった。

 

そうまでしても

私には

掴みたいものが

あるのだ。

 

そのための

人生であると

よく

わかっている。

 

だから明日も

私は

あらゆるものと

「一つ」に

なる。

 

その経験を

日々、

積んでいく。

 

それをしなければ

絶対に

気づけない「何か」を

得るために。

 

私は私のこの

真剣さが

怖いとも思う。

 

でも

しょうがない。

 

最初から

決めている

道だからね。

 

つづく

 

スクスクと育ってほしい

 

私は、

仕事のアポイントを

取るとの同じように、

家族とも

アポイントを

取るようにしている。

 

そして、

仕事も家族も

一度決めたアポイントは

必ず守る。

 

そうしないと

私のクセで、

どうしても仕事優先の

日々にしてしまうからだ。

 

私はできるだけ

平日の18時〜20時の

2時間は、

5歳の息子との時間を

取るようにしている。

 

彼の通う子ども園に

迎えに行き、

歩きながらいろいろ

語り合い、

夕食を一緒に食べ、

家で一緒に遊んだり、

ウルトラマンのDVDを

観たりする。

 

20時前には

息子のセルフコーチングの

時間を創る。

 

私のクライアント企業様の

社長さんから

送っていただいた

神棚がある。

 

その神棚に向かって

まずは手を合わせ、

一日の感謝をする。

 

そして、

どんな一日だったか?

を振り返る。

そして、

明日は

どんな一日にしたいか?

をイメージする。

 

もちろん

5歳の子どもの発想だから

他愛のないことが多いが、

しかしそれでも

これをすることで、

心や魂がスッと

落ち着くことがわかる。

 

20時を過ぎると

彼はもう就寝する。

 

私も少し休み、

そしてまた

仕事に向かう。

 

もちろん毎日

このようにできるわけでは

ないが、

可能な限り

そうしている。

 

・・・・・・

 

子ども園では

様々な子ども達が

いる。

 

彼らを観ていると、

みんなすでに

いろんなものを

抱えていることが

わかる。

 

子どもは純粋だ、

と思う人は多いと

思うが、

いやいや

そんなことはない。

 

子どもにこそ、

ストレスが多い。

 

しかも最近の子は

親のストレスを

肩代わりしている子が

多い。

 

以前にこのブログで

「エンティティ」

について

書いたことがある。

 

エンティティとは、

ストレスがある一定の

濃度以上になることで、

実体化したもの。

 

日本語では

「生き霊」

と訳されることもあるが、

要するに

人の「念」の塊であり、

ストレスの塊だ。

 

それは誰もが持っており、

人から人へと

伝染する。

 

最近は、

エンティティの濃い

大人達が増えている。

 

その大人達の

エンティティを

子ども達が

肩代わりするのだ。

 

それで苦しんでいる

子が多い。

 

・・・・・・

 

大人の人生の

不調和が、

子ども達に

ダイレクトに

影響している。

 

電車で

子どもを抱っこしながら、

自分のエンティティを

子どもに与え続けている

人は多い。

 

電車でもそうなのだから、

家ではもっと

すごいのだろう。

 

よく私は

子ども達と目を

合わすことがある。

 

子ども達は

私をじっと

見てくる。

 

その目から

伝わってくるのは

彼らからの

SOSだ。

 

私はもちろん、

目で励ますしか

できない。

 

これが今の世の

実態である。

 

子ども達が

スクスク育つことの

できない世の中を、

私達大人は

確かに創り上げている。

 

親は親の

人生。

 

子どもは子どもの

人生。

 

と言われたりも

するが、

そんなことはない。

 

親が子に与える

影響は

測り知れない。

 

親の今日の生き様が

そのまま

子どもに影響するのだ。

 

その自覚を

もっと我々は

持つべきではないか。

 

・・・・・・

 

子どもには

覚悟が

ある。

 

覚悟をもって

人生に

向かおうとしている。

 

特に今は、

そういった

真剣な子が

多い。

 

私は彼らの

真本音の想いの強さを

ヒシヒシと

感じる。

 

彼らのその想いを

私は

尊重したい。

 

尊重できる

世の中にしたい。

 

そのためにも

私は

大人達に

向かう。

 

今後の世の中に

こそ、

コーチが必要だ。

 

つづく

 

鏡を見つめよう

 

誰だって

溺れたくない。

 

でも、

人生の海に

溺れてしまう。

 

気がつけば、

足のつかない

深い場所にいて、

 

高い波が

押し寄せて来て、

 

必死にもがく

だけの状態に

なっている。

 

もがくのは

苦しくて、

エネルギーが

必要で、

周りが見えなく

なって、

 

ある意味、

一刻一刻の時間を

過ごすことだけで、

生きることだけで、

精一杯になってしまう。

 

あれ?

私はいったい

何をしにここまで

来たんだっけ?

 

という問い

すらも

忘れてしまう。

 

もがくだけ。

 

生きるだけ

の存在。

 

それが

「自分」

となる。

 

・・・・・・

 

海から出る

唯一の方法は、

 

海から出よう

 

しないことだ。

 

まずは、

ここは海なんだ、

認識すること。

 

深い海にいて

今の自分は

溺れていて、

 

ただただ日々、

必死にもがいている

のだという

自覚をすることだ。

 

そして、

ただただ

もがくだけの自分を

許すこと。

 

もがくのは

ダメだ!

とやってしまうと

ますます

深みにはまることになる。

 

時々、

 

「私は海から

出ることができました」

 

と言う人がいるが、

それはただ

海から出たという

幻想、妄想の

中にいるだけだ。

 

本当は

溺れているのに、

溺れていることを

認めず、

その事実にも

目を伏せ、

 

とてつもない

妄想力を

働かせている。

 

そして、

「こうすれば

海から出られますよ」

と、

他の人にも

妄想を勧める。

 

だから世の中には

妄想魔が

増えてしまった。

 

妄想は、

本人は気持ちいい

かもしれないが、

周りには

とても迷惑だ。

 

しかも

本人の気持ち良さも

ある時に

限界を迎える。

 

妄想から

覚めた時の

その人の絶望ぶりは

半端ではない。

 

・・・・・・

 

あなたは今、

溺れていますよ。

 

ということを

私はこれまで

いったいどれだけ多くの

人達に、

コーチとして

伝えて来ただろう。

 

ほとんどの人は

最初はそれを

認めたがらなかった。

 

何を言おう、

私自身も

昔はそうだったから、

その気持ちは

よくわかる。

 

私は

自分が溺れていることに

気づいた時は、

本当に

人生のすべてが

終わったと

感じた。

 

自分のすべてを

否定した。

 

やはり、

そうなってしまうことを

誰もが恐れるので、

溺れている事実を

認めるのは

難しいのだろう。

 

だからこそ

私は

淀みなく、

100%の純粋さを

持って

伝えることにしている。

 

あなたは今、

溺れているんですよ。

 

と。

 

こちらが

100%の純粋さを持って

伝えることで初めて、

その人には

ちょっとだけ

伝わる。

 

でもその「ちょっと」

こそが大切で、

あとはその人が

自ら

事実に気づいていく。

 

妄想している人に

とって

私はとても怖い存在の

ようで、

妄想を続けようとする

人は、

皆、私の前から

逃げていく。

 

こちらは

何もしていないのに、

ただただ

理由をつけて

逃げていく。

 

それは、

自分の人生から

逃げていくのと

同じことだ。

 

もっと

自分を大切に

してほしい、と

心から思う。

 

私は

何もしない。

 

ただ、

鏡として

一人一人と

向き合うだけ。

 

人は

鏡が怖いのかも

しれない。

 

でも、

今の世の中に

鏡は絶対的に

必要だ。

 

自分の人生から

逃げずに、

そして

鏡としての役割を

担おうと

本気で思う人との出会いを

私は望む。

 

そういったコーチを

私は

育成したいからだ。

 

つづく

 

現場でしか学べないことがある

 

企業様の継続サポート

をさせていただいていると、

ある時ある瞬間から

「風」

が吹き始めるのを

感じることがある。

 

昨日の企業様が

そうだった。

 

関わらせていただいて

そろそろ3ヶ月になろうとする

企業様だが、

研修の最中に

急に「強風」が吹き始めた

のを感じた。

 

それは、まずは

「突風」のように

来た。

 

あくまで

イメージではあるが、

急に吹いた風に

おっとっとと、

足元が揺らいでしまう

感覚だった。

 

少し

想定外だった。

 

嬉しい

想定外だ。

 

この「風」を感じる

ということは、

本質的な変化を始めた

人がいる

ということだ。

 

30名近い方々に

研修を受けて

いただいていたのだが、

私は皆さんお一人お一人に

注意を向けた。

 

すると数名の方に

大きな変化が

起き始めているのを感じた。

 

もちろんそれは

まだ、

表面化していない。

現象化・現実化

していない。

 

だから恐らく

ご本人も

自分の変化を

自覚していないだろう。

 

しかし

人の成長や組織の成長は

こういった

「本人にも気づかない変化」

から始まる。

 

こういったときに

私はいつも

思うのだ。

 

やっぱり

人にも組織にも

「コーチ」が

必要だな、と。

 

第3者の立場で

客観的に

「あるがまま」を

観察できる存在。

 

そういった立場から

でしか、

見つけられない「変化」が

あるのだ。

 

そしてその「変化の芽」

しっかりと育てていく

必要がある。

 

それができれば、

人の組織も

スムーズに成長して

いけるのであるが、

 

残念ながら多くの場合は、

「変化の芽」に

自らが気づかず、

そして

気づかないままに

その芽を自分で

踏んづけてしまう。

 

せっかく芽が出ても、

潰してしまう。

 

その連続を

し続けている。

 

踏んづけられても

それでも逞しく育つ芽も

中にはある。

 

しかし

そういった芽が

自然発生的に生まれるのは

奇跡に近い。

 

ほとんどは、

芽というのはとても

弱く、

小さく、

繊細だ。

 

そんな芽を

繊細に、大切に、誠実に

育てることが、

人や組織の変革の

第一歩だ。

 

しかしそれができるのは

残念ながら、

第3者的存在があって

初めて可能となる、

という事実が

現時点の世の中の

状態(レベル)である。

 

・・・・・・

 

最近の私は

自分一人では

企業のサポート現場には

出ないように

している。

できるだけ。

 

なぜなら私の

今の最大のテーマは

「後継者育成」

だから。

 

私と同じように

人や組織をサポートできる

「コーチ」を

目指している人を

一緒に「現場」に

連れていく。

 

もちろん、

クライアント企業様の

了承をいただいている

場合だけであるが。

 

そして未熟であってもその人に

現場で

コーチングやファシリテーションを

してもらう。

 

もちろん、

私がフォローしながら

であるが。

 

現場でしか

学べないことがある。

 

現場でしか

伸びない力がある。

 

何でもそうであるが、

特に、私の仕事は

その要素が高い。

 

私も、

現場で揉まれて来た。

 

現場にこそ、

あらゆる「答え」が

転がっている。

 

だから私はこれから

もっともっと

コーチの「現場育成」を

増やしていこうと

思っている。

 

・・・・・・

 

私の現場で発見し、

現場で培った

人と組織の活性化サポート

ノウハウを、

まずは講座形式でお伝えし、

講座の中で練習し合い、

 

その上で、

共に現場に出て行き、

現場の中で

本物の力をつけ、

 

そして、

ゆくゆくは

自立して私と同じような

お仕事ができるように

なっていく、

 

という、

現場実践型の講座を

これから

始めようと思う。

 

人数は少なくても

よいから、

 

たとえ

一人でもよいから、

 

本気で

私のようなお仕事を

自分ができるように

なりたい、

という人がいたら

始めようと思っている。

 

まだ

準備に取り掛かった

ところであるが、

早く

始めたいと

思っている。

 

つづく

 

コーチじゃないけどコーチだ

 

自分と向き合う、

ということと、

現実と向き合う、

ということは

完全に一致する。

 

私は

セルフコーチングを

提唱しているが、

 

セルフコーチングと

言うと、

心の内面ばかりに

意識を向ける印象が

どうも一般的には

あるらしい。

 

しかしそれでは

意味がないし、

逆に

内面に意識を向ける

だけでは

セルフコーチングなど

やらない方が

ましだ。

 

セルフコーチングは

自分をオープンに

するために行なう。

現実に対して

オープンになるために。

 

というよりも、

本当は

セルフコーチングを

正しくすればするほど、

人は自然に

現実に向かいたく

なるものだ。

 

9月から

『ザ・セルフ』という

セルフコーチング法を

学んでいただく

新しい講座を始めたが、

ご参加されている皆さんは

どんどん「現実」を

変えている。

 

拝見していて

実にすがすがしい。

 

セルフコーチング法さえ

きちんと教えていけば、

コーチという存在など

要らなくなるのではないか、

という

錯覚さえ抱いてしまう。

 

もちろん、

錯覚である。

 

・・・・・・

 

私には

お気に入りの美容師さん

がいて、

もうかれこれ10年近くは

彼に髪の毛を

カットしていただいている。

 

若い人だ。

 

初めて出会った時は

彼は確か27歳と

言っていた。

 

道端で、

彼の勤める美容室の

リーフレットが

配られていた。

 

それを手にとって

写真を見たら、

彼が小さく写っていた。

 

あっ、この人に

会いたいな。

 

と思い、

さっそくその美容室に

行った。

 

思った通り、

真本音度合いの高い人で、

若いくせに(失礼)

とても真摯な人だった。

 

彼の美容師としての

成長意欲は

とても高く、

私は彼と共に、

私も成長していこうと

決めた。

 

それ以来、

私の髪の毛は

彼の直観にお任せ

である。

 

彼の素敵なところは、

その能力もあるが、

それにプラス、

私の言うところの

「コーチ」としての

力にもある。

 

彼は、

私が話しかけて

ほしくない時は、

決して一言も

話しかけてこない。

 

私がちょっと

会話をしたいなと

思うと、

その瞬間に

気軽に話しかけてくる。

 

しかし

余分なことは

一切、言わない。

 

気軽だけど

シンプル。

 

実に

居心地が良い。

 

私はいつも

カットだけでなく、

彼に頭のマッサージを

依頼しているが、

彼にマッサージしてもらうと

「愛」を感じる。

 

そして、

目を瞑りながら

いつも私は

セルフコーチングをする。

 

すると、

仕事上のひらめきが

次々と

自然に起こってくる。

 

一人でいる時よりも、

彼と共にいる時の方が、

間違いなく

生産性が上がるのだ。

 

私は

こういう人のことを

「コーチ」

と呼んでいる。

 

私は、20年以上、

セルフコーチングを

探究してきたが、

それでも

彼のような「コーチ」が

そばにいると、

より発想が広がるのだ。

 

もちろん、

彼には

私は仕事の話は

ほとんどしない。

ほぼ、

雑談ばかりだ。

 

でもそれで

充分。

 

彼と話すだけで、

発想は広がり、

そして深まる。

 

そういった意味で

「コーチ」は

必須の存在だ。

 

・・・・・・

 

しかし今日、

私は彼に髪を

カットしてもらいながら、

彼に言った。

 

「コーチ」なんて

必要ない世の中に

なればいいと

思ってるよ。

 

・・・と。

 

その言葉に

彼はちょっと

驚いていたようだが、

私は本当に

そのように思っている。

 

「コーチ」の

必要のない世の中に

この世が進化したら、

どれだけ素敵な

ことだろうか、と

思うのだ。

 

それはつまり、

すべての人が

「コーチ」となれる

世の中のことだ。

 

「コーチ」なんて

名乗る必要のない

世の中。

 

人が人の想いや

可能性を

より広げ、高め、

深め合える、

そんなコミュニケーションを

取れる世の中に

なるといいな、と

本当に思う。

 

そのためにも

私は、

「コーチ」として

今日も明日も

がんばるし、

 

そのためにも

本物の「コーチ」を

育成したい。

 

つづく

 

前向き、前向き、って言うけどさぁ・・・

 

誤解を恐れずに

言うならば、

 

私は

「自己肯定」

という言葉がどうも

しっくりこない。

 

もちろん、

その意味は知っているし、

重要さもわかっている。

 

なくてはならないもの

だということも。

 

しかしどうしても

「肯定」

という言葉に

ひっかかる。

 

「肯定」という

言葉の裏には必ず、

「否定」が

セットだからだ。

 

自分を否定し続けていた

人が、

 

それではいけない。

自分をもっと

肯定しなければ。

 

と、決意して、

自己イメージを変え、

人生を新たに

歩み始める姿は

何度も目にしてきた。

 

しかし私は

「自己肯定」を

唱える人達には

どうしても

不安定さを感じてしまう。

 

「否定」を

「肯定」に

変えただけだからだ。

 

それは

「解釈」の変化

「視点」の変化

に過ぎない。

 

次元が

同じなのだ。

 

同様に、

「物事を肯定的に

捉えよう」

という人にも私は

不安定さを感じてしまう。

 

「物事を

肯定的に捉える」

のと

「物事を

否定的に捉える」

のは、

同じ次元だからだ。

 

同じ次元に

いるうちは、

「どっちが正しいか?」

という

闘いに過ぎない。

 

だから、

自己肯定に

努力している人が、

それでも

大きな失敗をしてしまうと、

途端に

自己否定に戻ってしまう。

 

「私には

素晴らしいところが

あるんだ」

と、努力して

思っていても、

それを覆す出来事が

あれば、

「やっぱり私は

ダメだった」

となるのだ。

 

「素晴らしいか」

「ダメか」

のせめぎ合い。

 

そこにいるうちは、

本質は

何も変わらないのだ。

 

安定度合いは

何も

変わらないのだ。

 

・・・・・・

 

「私は前向きに

生きることを

信条としています」

 

という人がいれば、

 

「後ろ向きな気持ちが

あるのが

人間の当たり前の

姿ですよ」

 

と私は伝える。

 

すると、

多くの人達が

とてもホッとした

お顔になる。

 

どんな心があっても

いいじゃないか。

それが

人間なんだから。

 

というメッセージを

これまでは私は

何千人、何万人の

人達に

伝え続けて来ただろうか。

 

「前向きか」

「後ろ向きか」

という世界から

解放されて初めて

人は、

自分自身の本当の

人生の道を

歩み始める。

 

どんな自分も

愛せるように

なるからだ。

 

「愛」とは、

「前向きさ」では

ない。

 

「人を愛する」

とは

「前向きに生きる」

ことではないのだ。

 

「前向き」も

「後ろ向き」も

どっちでもいいじゃん、

というところに

愛はある。

 

そこかしこに

すべてに

愛はあり、

それを知るものが

本当に

人を愛せるのだ。

 

・・・・・・

 

そんな話をした時に

ピンと来ない人が

いる。

 

そんな人は

コーチをやっては

ならない。

 

それよりも

もっと自分自身の人生に

真剣になった方が

よい。

 

自分と向き合うことに

真剣になった方が

よい。

 

これも誤解を恐れずに

言ってしまえば、

残念ながら今の日本には

「にわかコーチ」

が多い。

 

自分の人生と

自分自身と、

しっかりと向き合うことも

せずに、

人をサポートする

からだ。

 

それをもって

「私は人を愛する人生を

進んでいる」

と言う人もいるが、

それは残念ながら

「自己愛」

だ。

 

本当の愛

ではない。

 

そして残念ながら、

そういった人ほど、

「前向きに生きる」

ことが大切だ、と

口を酸っぱくして

言い続ける傾向にある。

 

ひどいことを

言うようだが、

なぜこうもはっきり

言えるかと言えば、

かつての私自身が

そうだったからだ。

 

おかげさまで

だから私はよく

叩かれた。

 

どこで叩かれたかと

言うと、

企業様で、だ。

 

自己愛の頃から

私は

企業のコーチを

していた。

 

企業のコーチを

する、というのは

自己満足のレベルでは

済まされない。

 

だから

自己満足、自己愛レベルの

コーチは

叩かれることに

なるだろう。

 

どれだけ叩かれても

どれだけ失敗しても、

それでもくじけずに

進み続ける。

 

私は、

人を、組織を、

サポートし続けるのだ、と

進み続ける。

 

その中でこそ、

自己愛から

本当の愛への

自己変革が

成される。

 

その成長度合いと

加速度合いが

人や組織に、良い影響を

与える。

 

「完璧な私になってから

私はコーチを始めます」

 

とか

 

「もっと成長してから

私は本格的にコーチ活動を

始めます」

 

という人もいるが、

それも自己満足であり

自己愛だ。

 

叩かれて、叩かれて、

それでも真剣に

自分と人に向き合い続ける。

 

その現場でしか

得られないものが

ある。

 

というか、

それしかない。

 

それが人生だ。

 

そんなこともわからず、

そんなところから

逃げてしまう人は、

コーチをやっては

ならない。

 

私はやはり、

本物のコーチを

育成したい。

 

真剣な

コーチを。

 

つづく

 

本物のコーチの育成に入ります

 

「自分らしくあろう」

という意志は

残念ながら、

強く持ち続けないと

消えてしまうことが

多い。

 

私達にはそれぞれ

役割があり、

その役割を真面目に

果たそうとする人ほど、

役割に

埋没する傾向がある。

 

例えば、

わかりやすいところでは、

「リーダー」

という役割。

 

この役割を担った途端に、

「リーダーであろう」

とする。

 

そしてその

「リーダーであろう」

という意志は

「自分らしくあろう」

という意志を

消してしまうことが

多い。

 

「あの人、

リーダーになってから

魅力なくなったよね」

 

という声を

これまでどれだけ多く

聴いたことか。

 

そして、

 

「私、リーダーになってから

仕事が全然

面白くなくなりました」

 

という声も。

 

役割意識が

自分らしさを

凌駕する。

 

どこにも

あることだ。

 

・・・・・・

 

「リーダーらしい自分」

になることよりも、

 

「自分らしいリーダー」

を目指すことの方が

 

圧倒的に

パワーが出るのが

私達だ。

 

その人本来の

魅力を、

リーダーという役割の中で

いかに発揮させるか?

 

ということであるが、

これをするためには

どうしても、

 

「セルフコーチング力」

 

もしくは

 

「コーチの存在」

 

が必須だ。

 

人は

自分のことが

わからない。

ましてや、

「自分らしさ」を

正確に自覚している人は

私は

これまでに一人も

見たことがない。

もちろん、

私自身も含めて。

 

「コーチ」とは

その人の

「鏡」

となる存在だ。

 

ただし、

ただの「鏡」では

ない。

 

その鏡は

ものを言う。

 

現実に映し出されている

もの、

つまりは

顕在化しているもの

だけでなく、

 

まだ、眠っているもの、

潜在しているものすら

映し出すのが

コーチという鏡だ。

 

コーチという鏡を

活用することで、

その人は

自分と向き合う術を

手に入れ、

結果的に

セルフコーチング力を

高めていく。

 

セルフコーチング力を

高めれば高めるほど、

自分理解が進むが、

 

その「自分理解」の

さらに上を行く

「鏡」であり続けることが

コーチには

必要とされる。

 

クライアントの

自分理解を100と

するならば、

常に、120以上を

映し出す鏡であることが

コーチの役割だ。

 

もちろんそのためには、

コーチ自身も

自分らしくあらねば

ならない。

 

誰よりも

自分らしく生きる人

こそが、

コーチという役割を

担うことができる。

 

「鏡」であるからには

自分を消さねばならない、

 

ということではない。

 

自分を極める人

こそが、

鏡になれるのだ。

 

そういうことで言えば、

コーチというのは

難易度の高い

役割であると

言わざるを得ない。

 

が、

自分らしく生きる

とはどういうことか?

の本質を

一度掴んでしまえば、

これほど面白い

職業もない、のだ。

 

私の義理の父は、

囲碁が大好きであるが、

先日、

「囲碁っていうのは、

初心者にとっては

難易度が高く、

非常に取り付きにくい

ものだが、

その代わり一度

その魅力を知ってしまうと、

もう、やめられなくなる」

と言っていた。

 

コーチも

それに近いものが

あるのかもしれない。

 

・・・・・・

 

私は

コーチを育成

する。

 

改めて、

そう決めた。

 

ただし、

本物のコーチしか

育成しない。

 

これまでは

ある意味、

「コーチ的なコミュニケーションを

取れるだけでも

いいですよ」

でやってきたように

思う。

 

しかしこれからは、

「本気でコーチになろう」

という人を

発掘し、

徹底的に育成する

ということを

やろうと思う。

 

本物のコーチ

というのは、

先ほど書いたように、

「鏡になれるかどうか?」

という要素が

必須であるが、

 

もう一つは、

「企業(組織)を

コーチングできるか?」

という要素も

必須であると、

私は考える。

 

つまり極端に言えば、

「企業をコーチングできない人は

コーチとは言えない」

と、私は最近、

考えるようになった。

 

この世は

経済で回っている。

 

その中心は

企業だ。

 

みんな、企業という

ステージで

必死に生きている。

 

そういった、

この世を回している

存在を

コーチングできない人は

コーチを

名乗ってはならない、

思うようになった。

 

それくらいに

シビアに

「コーチ」という存在に

これからは

こだわっていこうと

思う。

 

企業とは、

人間のルツボだ。

 

その企業に

果敢に

分け入っていける。

自分らしく。

 

そして、

そこにいるあらゆる

人達の

「自分らしさ」を

サポートできる。

 

しかも、

その企業の

組織としての課題解決や

求める成果まで

きちんとつなぐことができる。

 

そういった

本物の力を持った

コーチの育成に、

私は

全力を注ぎたい。

 

つづく

 

そんなに苦しまなくていいじゃないか

 

人は皆、

孤独なのだろうか。

 

よく、そう感じる

ことがある。

 

いや、

私はと言えば、

確かにずっと

孤独だった。

 

誰も私のことを

本当には

理解してくれないだろう

と思っていた。

 

多くの人も

そう思っている

のではないか。

 

一日の仕事を

終えて

帰途についている時、

ふと

無性に泣けてくる

ことがある。

 

理由がわからずに

涙が流れるので、

慌てて

人目のつかないところに

逃げ込み、

そこで泣く。

 

よくあることだ。

 

泣きながら、

この涙は

私のものだろうか?

という

問いをいつも

投げる。

 

すると

ほとんどの場合は、

ではない。

 

先ほどお会いした

あの人のものだ、

わかる。

 

とてつもない

悲しみ。

 

それと共に

必ず湧き上がって

くるのが、

言いようのない

孤独感。

 

人はみんな

孤独なんだな、と

そんな時に

いつも思うのだ。

 

・・・・・・

 

これは私の

体質なのだと

随分前にすでに

諦めているのだが、

 

私は

私と向き合った人の

苦しみを

そのまま

受け取ってしまう。

 

そして、

その人が苦しんでいる

まったく同じ強さの

苦しみを

そのまま

感じ取ってしまう。

 

一日に

何人もの人と

向き合えば、

その人数分だけ

苦しみは倍増する。

 

時には、

全身が崩壊するのでは、

と思うくらいの

苦しみに

苛まれてきた。

 

以前は、これは

私の思い込みに

違いない、

と思っていた。

 

人に相談しても

誰もが

そう言った。

 

だからこんな思い込みは

やめよう、と

ずっと試行錯誤

してきた。

 

しかし

ある時から、

どう見ても

思い込みではない

ということが

わかるようになった。

 

その苦しみ達と

いつしか私は

真正面から

向き合えるように

なったのだ。

 

すると、

その人が今、

何に苦しんでいて、

どうすれば

その苦しみから

抜け出ることが

できるのか?

が、わかるように

なった。

 

そして

その通りのサポートを

すれば、

その人は必ず

解放された。

 

そういった経験を

何十人、何百人と

続けてきた。

 

それは私にとっては

時には

地獄のようで

あったが、

 

しかしその経験を

経て、

ようやくわかったのだ。

 

人は

もっと

楽に生きることが

できる、

と。

 

そして、

人は

もっと

楽に生きる

権利がある、

と。

 

みんな、

苦しみ過ぎだ。

 

その苦しみは

不必要だ。

 

もちろん、

進化や成長の

ために

必要な苦しみは

ある。

 

乗り越えるべき

苦しみは

必ず、ある。

 

しかし、それ以上に

不必要な

苦しみもあるのだ。

 

ということが

本当によく

わかった。

 

だから私は

もっと

すべての人が

楽に生きることが

できるとよいと、

祈る。

 

その祈りのために

生きることに

した。

 

それが

約8年前の

ことだ。

 

・・・・・・

 

私は一人の

人間だ。

 

人が人を

救うなんてことは

大変

おこがましいことだ。

 

そんなことは

よくわかっている。

 

でも、

私はその人の

苦しみを

そのままに

感じ取ってしまうのだ。

 

何とかしたい、

と思うのは

人として

当然だろう、

と、今は思えるように

なった。

 

必要な苦しみは

その人自身が

自力で

乗り越えれば

いい。

 

でも、

不必要な苦しみは

早く

手放そう。

 

本当に

そう思う。

 

その術を

私は探究し続けるし、

 

その術を

修得したコーチを

私は

たくさん育成

したいのだ。

 

つづく

 

まずは誰をサポートするか?

 

進もうとする人。

 

進もうとしない人。

 

この二極化が

激しくなって久しい

ですが、

 

恐らく10月からは

さらに激しく

なるでしょう。

 

進もうとしない人は

進もうとする人の

足を引っ張る度合いを

高めるでしょう。

 

進もうとする人は、

これまで以上に

パワーを高め、

足を引っ張られても

ますます平気に

なっていくでしょう。

 

すると、

進もうとしない人は

ますますクサってしまい、

心を閉ざして

しまうでしょう。

 

ますます

進まなくなり、

孤独になって

いくでしょう。

 

そういった人達が

一人もいなくなってほしい

と私は願いますが、

現実はなかなか

そうはいきません。

 

・・・・・・

 

進もうとしない人を

進むようにサポート

することは

極めて困難です。

 

なぜなら

進むかどうかは、

最後は本人が

決めることですから。

 

刺激やきっかけを

他者が与えることは

できても、

最後は本人が

決めます。

 

本人が

「進まない」と

決めたならば、

その人は頑として

動きません。

 

超能力を使っても

無理でしょう。

 

人間は

そのようにできています。

 

ただ・・・、

 

本人に進む意志が

あるにも関わらず、

進めない人も多いです。

 

本当は

ほとんどがこの

パターンです。

 

今は進んでいなくとも、

本人に

本当の意志があるならば、

何とかなります。

 

そういった人には

他者からのサポートも

効きます。

時間はかかるかも

しれませんが。

 

・・・・・・

 

組織のサポートにおいては、

この

①進もうとして進む人

②進もうと思っても進めない人

③進もうとしない人

の3つの区別をつけることが

重要です。

 

そしてまずは、

①の人を徹底的にサポート

します。

 

一般的には

①にはもうサポートは

必要ない、と

思われがちですが、

まったく逆です。

 

①の人にこそ

サポートが必要です。

特にこれからの時代は。

 

①の人達が

これまで以上に凄いパワーを

持ち、

これまで以上の加速を

始めることで、

組織全体には大きな

インパクトが起こります。

 

それにより

組織そのものが

パワーを高めます。

 

それにより、

②の人達が自然に

進めるようになったり

するのです。

全員ではありませんが。

 

ひょっとすると、

③の人が②に変化する

可能性も出てきます。

 

これが

組織サポートの

基本です。

 

・・・・・・

 

私はまずは

①の人達に、

徹底的に

セルフコーチングの力と

真本音コミュニケーションの

力を

身につけてもらいたいです。

 

すると、

その人自身はもとより、

組織全体の次元が

高まり始めます。

 

①の人が次々に

増え始め、

その人数が全体の

1割を超えると、組織は

脱皮を繰り返すようになり、

変質します。

 

その状態を

引き起こすのが

私の役割です。

 

そしてこれは

組織だけでなく、

社会においても

同様のことが言える

のではないかと

私は思っています。

 

そういった意味で

私は

私と同じことのできる

コーチを

増やしたい。

 

そう強く

願います。

 

それは

「人」だけでなく、

「組織」にも影響を

与えられる

コーチです。

 

そんなコーチ育成の

動きを、

再びとっていこうかなと

考えています。

 

つづく

 

コーチングを超えたコーチになろう

 

真のコーチとは

真のコーディネイター

でもある、と

私は思っています。

 

例えば、

Aさんが何かに悩んで

いたとします。

 

Aさんの悩みの

解決策を

見つけようとする場合、

「答えはAさんの中に

あるから」

ということで、

Aさんに様々な問いを

投げることを、

一般的にはコーチングと

言われています。

 

もちろん必要に応じて、

コーチが何らかの

アドバイスや提案も

するでしょう。

 

しかし私は

そういったことをする

以前に、

次のことがとても

重要であると思っています。

 

すなわち、

 

Aさんの悩みの

解決策は、

誰と一緒に考えれば

よいだろうか?

 

もしくは、

 

誰がAさんに

アドバイスをすると

よいだろうか?

 

もしくは

 

Aさんのその悩みを

誰にぶつけると

よいだろうか?

 

という視点です。

 

特に組織においては

これはとても大切で、

 

一人の悩みを

一人の中だけで

解決するのは

もったいないと

私は思うのです。

 

これは別に

「悩み」だけに言える

ことではなく、

例えば、

「目標」についても

同様のことが言えます。

 

Aさんの目標を

達成するために、

誰が関われば

よいだろうか?

 

ということです。

 

人と人との

関わり。

 

そして、

人と人との

相乗効果。

 

そして、

相乗効果の上での

一人では到底

実現できないであろう

「現実」の創造。

 

そういったことを

促すサポート役が

コーチであると

私は考えます。

 

ですから

真のコーチとは

真のコーディネイター

である必要があります。

 

・・・・・・

 

AさんとBさんが

タッグを組んだら

100のパワーが出た。

 

でも、

AさんとCさんが

タッグを組んだら、

10000くらいのパワーが

生まれた。

 

ということは、

日常茶飯事のように

あります。

 

ですからその意味でも、

今、このAさんと

誰が組めばよいのか?

 

これを見極める力は

コーチには必須です。

 

しかしその見極めの

力をつけるためには

かなりの経験が

必要である。

 

・・・と、

ちょっと前までの私は

思っていました。

 

しかしどうやら、

そうでもないようです。

 

実は、

経験値の低い

若い人達の感性で、

この見極めができてしまう

という場面に

最近、多く遭遇しました。

 

最近の若い人達の

感性は凄い、

です。

 

しかしそれは

「若い」から凄い

のではありません。

 

次元の高い人達が

どうやら、

今の若い人達には

多いようなのです。

 

誰と誰を

組み合わせれば

よいか?

を見極める力は、この

次元の高さが

直接影響します。

 

・・・・・・

 

今の若い人達、

つまりは

10代や20代、そして

30代前半くらいまで

でしょうか、

 

これらの人達には

次元の高い人が

多いようです。

 

しかしもちろん

そういったことを

彼らは自覚していません。

 

天然で

やっています。

 

そういった彼らに

対して、

彼らをどのように

育成するか?

ということについては、

これまで私達の世代が

培ったやり方では

まったく通用しません。

 

次元の高低によって

育成の仕方は

根本的に変わるからです。

 

そういったことも踏まえ、

そろそろ私は

「次元」について

真剣に語らねばならないかな

と思い始めています。

 

物事には

「区別」が必要です。

 

区別すべきをしっかりと

区別することによって

次の一歩が

初めて観えてきます。

 

人の成長という視点では

最も基本的な区別は

「真本音と反応本音」

でした。

 

そして、次の区別が

「次元」

なのだと思います。

 

ですから「次元」について

多くの方々が

知る必要のある

時代になったのだな、と

今、強く思います。

 

このブログでも

いよいよ「次元」について

ダイレクトに

切り込んで行こうかな、と

思っています。

 

つづく

 

その苦しみはそのままに

 

先日、

ある経営幹部さんと

お話ししていた時に、

その方がおっしゃいました。

 

「たけうちさん、

大きくジャンプするためには、

大きく屈伸しないと

いけないですよね。」

 

そして、

 

「屈伸する時って

つらいですよね。

体を思いっきり曲げないと

いけないし、

下の下まで沈まないと

いけないし。

その瞬間は

とても不安定になりますね。」

 

そして、

 

「でも、

その屈伸状態を経ないと

大きくジャンプできない

ですよね。」

 

まさしくそうだな、

思いました。

 

私はよく

「脱皮」という言葉を

使いますが、

 

人が大きく脱皮する

その直前には、

思いっきり屈伸する

状態が来ます。

 

その時その人は

非常に不安定に

なります。

 

そして、

その人の最も

弱い部分が

クローズアップされます。

 

当然その時期は

とても苦しみます。

 

でもその苦しみを

経ることで初めて

大ジャンプが可能に

なります。

 

・・・・・・

 

大ジャンプ(脱皮)の

前の不安定。

 

大ジャンプ(脱皮)の

前に露呈する弱さ。

 

それはとても

苦しいものですが、

しかし、

それは

放っておかなければ

なりません。

 

どれだけ不安定でも

どれだけ弱くなっていても、

そこをサポートしては

絶対に

ならないのです。

 

そのサポートは

大ジャンプ(脱皮)のチャンスを

消し去ってしまうから

です。

 

しかしまぁ・・・、

 

私も人間です。

 

それを放っておくのは

とてつもなく

つらいです。

 

見てられなく

なります。

 

ついつい、

手を差し伸べて

しまいそうになります。

 

そこを

グッとこらえるのが

コーチであると

わかってるんですが。

 

・・・・・・

 

今、

脱皮直前の人が

本当に多くて。

 

その人達の苦しみを

私はダイレクトに

感じてしまうので、

それはもう

毎日、つらいです。

 

だから私は

祈ります。

 

私にできるのは

祈ることのみ。

 

その人が

無事に脱皮できますように。

 

その人が

真の自由を

手に入れられますように。

 

その人の

隠れていた本来の魅力が

開放されますように。

 

私のクライアントさんは

みんな素敵な人達

ばかりで。

 

本当に私は

大好きで。

 

大好きな人達が

次のステージの扉を

開けることを、

今晩も祈り続けています。

 

つづく

 

一つの講座修了、そして新たな展開へ

 

本日(7月22日)ですが、

私が主催しております

『TPC養成塾』

の第2期が修了しました。

 

8ヶ月に渡る長期コースで

少人数制の

非常に濃い講座です。

 

Facebookグループでの

やりとりを含めると、

ほぼ、毎日受講生さん達とは

やりとりを続けました。

 

毎朝、私は彼らに

「問い」を投げ続け、

彼らは毎日その問いと

向き合いながら、

各々の人生を進めました。

 

何度も何度も

「脱皮」を繰り返し、

すべての皆さんが

人生の展開を

大きく変えました。

 

TPCとは、

「チームパフォーマンスコーチ」

の略です。

 

これは、企業のような

法人に対しても

「組織(チーム)そのものを

真本音コーチングできる」

力を持ったコーチ

という意味です。

 

おかげさまで、

第2期を終わり現時点で

私が

「この人はもうTPCと言って

差し支えないな」

と思える力を持った人は

私以外に7名となりました。

 

内、4名はすでに

自ら屋号を持ち、

生計を立てています。

 

ほんの3年前までは

真本音に関する研修や

コーチングは、

私以外にできる人は

一人もいなかったのですが、

今はそれが数名に

増えるという

とても喜ばしい状態に

なっています。

 

もちろん、

現在、私と一緒に企業現場に

入っている人達は

他にもいらっしゃいますし、

修行中の人もいます。

(まぁ、みんな修行中ですが。)

 

3年前に

「後継者を育成しよう」

と思い立ってから

こんなに早くこの状態に

なれるとは正直

思っていませんでした。

 

いつも私をサポートしてくださる

プロデューサーの方や

私といつも向き合い続けて

くださる方々に

本当に心より

感謝いたします。

 

ただ、

まだまだ道は

始まったばかりです。

 

まずは私の第一の

目標としては、

2021年8月までに、

現時点での私以上の

力を持ったTPCを

6名養成する

というものがあります。

 

それが成されれば、

私は次の展開に

大きく飛躍することが

できます。

 

TPC養成塾の第3期は

2019年の初頭に

開講予定ですが、

その前に

どうしてもやりたいことが

あります。

 

それは、

セルフコーチング系の

新しい講座です。

 

もうそろそろ

名前を出しても

いいかな。

 

『ザ・セルフ』

 

という名の講座を

スタートします。

 

約半年のコースです。

 

この講座で

セルフコーチング力を

一気に高めていただき、

その中で

「私はTPCになりたい」

という志を持った人が

もしいらっしゃれば、

その方に

TPC養成塾に進んでいただく、

という流れを創ろうと

思っています。

 

ただし、

『ザ・セルフ』は

まずは無料動画を

配信しようと思っています。

 

この動画では、

過去の私の真本音研修の

映像を

そのままお見せしたりも

します。

 

それをご覧いただくだけで

セルフコーチングや

真本音の最も基本的な

部分は

ご理解いただけると

思います。

 

まずはそれを観て、

ご自分なりに

セルフコーチングを

楽しんでいただき、

その上で、

もっとしっかり学びたい、

たけうちのサポートを

直接受けたい、

という人のみが

講座にご参加いただく

という仕組みにしようかと

思っています。

 

今月中には

動画配信できるかな。

 

真本音。

そして

セルフコーチング。

 

本当にまずは

これだけは

できるだけ多くの方々に

知っていただきたいかな。

 

つづく

 

真剣に人間を学びませんか?

 

苦しい体験をすることで

成長ができる

わけではありません。

 

苦しみを抱き続ける

からこそ、

私達は成長できるのです。

 

心が激しく

揺さぶられる過去と

対峙しながらも

「今」を進む人。

 

そんな人は、

揺れ動く心が

そこにあるにも関わらず、

とてつもなく

静謐です。

 

心は嗚咽しても

魂が

静かなのです。

 

そんな人と

向かい合うと、

こちらも

静かになっていきますね。

 

私は

そんな人を

どこまでも

応援したいなぁ。

 

・・・・・・

 

心と魂の

区別のつく

コーチが

増えるといいなと

思います。

 

心は

揺れて

いいんだよ。

 

揺れるままで

いいんだよ。

 

でも、

魂が揺れ、

魂が傷つくことは

やめようよ。

 

・・・そんな

ちょっとした助言の

できるコーチが

今の世には

必要です。

 

心は

そのままでいい。

 

たったその一言を

聴くだけで、

どれだけ私達は

救われることか。

 

・・・・・・

 

魂を大切にできる

コーチとは、

命を大切にできる

コーチです。

 

心の痛みから

逃れることで、

命を傷つけてしまう人が

います。

 

それを

止めるのは

残念ながら

本人には難しいのです。

 

そこは

ちょっとお節介でも、

傍にいる人が

止めなければいけません。

 

しかしそれができる人は

多くはありません。

 

私達はもっと

「人間」を学ぶべきでは

ないでしょうか。

 

「人間」を真剣に

学ぼうとする人に

私は

コーチになって

もらいたいな。

 

つづく

 

少しずつでも進むことに価値がある

人は着実に

成長します。

 

本当の成長とは

次元を高める

ことです。

 

次元の高まらない

成長を

「膨張」

と言います。

 

そして

次元の高まる成長を

「進化」

と言います。

 

膨張と進化の区別こそが

人や組織のサポートの

真髄であると

私は思っています。

 

膨張には

必ず終わりがきます。

 

破裂

の瞬間が来ます。

 

しかし

進化には終わりが

ありません。

 

よく、

「次元」というのは

何次元まであるのですか?

というご質問を

いただきます。

 

次元は

無限にあります。

 

本当に無限です。

 

3次元の世界における

「規模」を表す手段として

「数字」というものが

ありますが、

最高次元を

「数字」で表すことは

できないのです。

 

それくらいに

無限です。

 

・・・・・・

 

数字で表せられない

くらいの最高次元から

今の私達を観れば、

それは

赤子のような未熟さ

でしょう。

 

いえ、

赤子までもいかない

でしょう。

 

しかしそれでも

私達人間の本当の価値は

次元の高低に

あるのではありません。

 

私達の価値は

「成長」(進化)

にこそあります。

 

昨日よりも今日、

今日よりも明日、

・・・と、

わずかずつでも

進化を続けていること。

 

そこにこそ

価値があります。

 

私は

コーチを目指している人に

必ずいつも

お伝えしています。

 

「コーチは

クライアントさん以上の

成長(進化)をしなさい」

と。

 

なぜなら

進化し続ける人にしか

進化のサポートは

できないからです。

 

自分の経験に

満足したり、

自分の能力に

満足したり、

自分の功績に

満足し、

「俺のようになりなさい」

となった瞬間に

その人のサポートは

まったく

意味を成さなくなります。

 

進化を放棄しているにも

関わらず、

他者に影響を与えようと

する行為を私は

「傲慢」

と呼んでいます。

 

私は

傲慢な人を見ると

とても腹が立ちます。

 

きっと

以前の私が

傲慢の塊だったから

でしょうね。

 

・・・・・・

 

人は

着実に

成長(進化)

します。

 

その進化は

無限に続きます。

 

よく

人の可能性は無限大

と言われますが、

本当にそうです。

 

私は

人と向き合う時、

いつもその人の目の奥に

無限の深さを

感じ取ります。

 

誰とお会いしても、

この人は

無限の可能性を

持っているんだな、と

実感します。

 

人間とは

無限の可能性

なんです、

やっぱり。

 

ですから、

私達はもっともっと

胸を張って

進化していきましょう。

 

今の自分のレベルがどうか?

ではありません。

 

昨日よりも

ほんのわずかでも

前に進んでいれば、

そこに価値があるのです。

 

進み続けることで

私達は

安心し、安定し、

幸せ感や満足感を

高めます。

 

人間とは

そういうものです。

 

それが

人間の本質です。

 

進化の楽しさを

知る者が

コーチになるといいなぁと

思います。

 

つづく