コーチング

コーチング、いいよな

 

目の前に

人がいる。

 

会った瞬間、

私は彼から

あらゆるものを

受け取る。

 

要するにそれは

彼の「実在」

であるが、

 

そこには

すべてがある。

 

目の前の彼は

「現象」に

過ぎない。

 

「現象」に

過ぎないのだが、

 

しかし

それこそが

 

今ここ

 

における

彼のすべて

でもある。

 

実在のすべて

現象のすべて。

 

その両方の

「すべて」

と対峙することで

 

私のコーチングは

始まる。

 

やはり

私は

「コーチング」

が好きである。

 

「コーチング」という

一つのカタチが

好きなのだと

思う。

 

1対1で

その人の「すべて」

向き合い続ける

時間。

 

真正面から

向き合い続ける

時間。

 

その時間中、

私は彼の「すべて」を

感じ続けることが

できる。

 

それは悦びであり

苦しみであり。

 

しかし紛れもなく、

それは

「人間」

である。

 

きっと私は

「人間」が

好きなんだな、と

思う。

 

昔は

嫌いだったのにね。

 

なんでこんなんに

好きになったの

だろう?

 

いつから

好きになった

のだろう?

 

まぁそれは

ともかく、

 

「コーチング」には

時間制限が

あるのも

実にいい。

 

1時間なら1時間と、

限られた

時間を

 

「コーチング」という

カタチとして

向き合う。

 

私はその時間内は

完全に

「コーチ」という

在り方に

集中できる。

 

つまりは、

目の前のその人に

私の意識の

「すべて」を

向け続けられる。

 

100%その人の

ための

時間だ。

 

よくよく考えたら、

人生において

このようなカタチの

時間というのは

なかなか

手に入れらない

よな。

 

「コーチング」によって

その人が

本来のその人を

取り戻し、

 

本来のその人の

「行動」を

取り戻していくのは、

 

そういう意味では

当たり前と言えば

当たり前だよな。

 

その人も

私も

「実在」のすべてと

「現象」のすべてを

向き合わせながら、

 

その人だけの

ための

限られた時間。

 

いいよなぁ。

 

・・・と思う。

 

改めてふと

今日は

そう思ったよ。

 

つづく

 

はい、ここで終わり

 

コーチングを

していると、

 

ふと、

 

あぁ、ここまでだな。

 

と思う

瞬間が来る。

 

私がよく言う

 

『完了感』

 

というヤツだ。

 

その時その場に

おける「目的」を

ちゃんと果たした

という

独特の感覚。

 

逆に言えば、

「これ以上はもう

何もするな」

という合図。

 

99%でもなく

101%でもない、

ちょうど100%の

達成感。

 

・・・その「完了感」が

来たら、

私はコーチングセッションの

途中でも、

その瞬間にすぐに

セッションを終える。

 

クライアントさんには

あらかじめ

「完了感」については

お伝えしてある。

 

で、

「今、完了感出ました」

ということで

「ここまでにしましょう」

と、

突然にセッションを

終えるのだ。

 

これをすると、

クライアントさんも

「そうですね!

そうしましょう!」

となるケースが

ほとんどなのだが、

 

時折、

そうでない場合もある。

 

「え?

私、まだとても

モヤモヤしてるんですが」

 

と言われることも。

 

しかしそれでも私は

セッションを終える。

 

クライアントさん、

ブーブー言われるのだが、

それでも

終える。

 

するとそのモヤモヤが

「種」

になるのだ。

 

そのモヤモヤを

持ちながら

日常に戻ると、

 

それが種になり、

次の重要な展開が

始まる。

 

モヤモヤが

あったからこその

展開。

 

それがなかったら

到底、起こり得なかった

展開。

 

それが起こり、

その後に

真の気づきが来る。

 

結果として、

「スッキリしました!」

と。

 

モヤモヤが

悪いわけではない。

 

モヤモヤは

大切だ。

 

ただし、

その人にとっての

良いモヤモヤで

あることが重要で、

 

それを教えてくれるのが

「完了感」

だ。

 

コーチングセッション

だけでなく、

あらゆる物事に対して

この「完了感」を

大事にすれば、

人生も仕事もかなり

調和していく。

 

まずは、

「完了感」というものが

あるんだ、

という視点を

持つこと。

 

そしてそこに

意識を向けながら

日々を過ごすことで、

それだけで

「完了感」への感覚は

養われていく。

 

ぜひ

試してみてください。

 

つづく

 

手に負えない、という喜び

 

人に励ましてもらいながら、

勇み足で進むよりも、

 

着実に一歩ずつ

自力で進んだ方が

よい。

 

その方が結果的には

超加速になってゆく。

 

ということを

最近はつくづく

感じる。

 

私のクライアントさんで

自力で進もう

という意志を持った

人達の成長ぶりが

 

なかなかに

凄い。

 

面白いことに

自力で進もう

という意志を持つ人にこそ

サポートは

意味を成す。

 

自力で進む人にこそ

コーチングは

効果を発揮する。

 

そういった意味では、

この人は

コーチングなんぞ

必要ないだろうな、

思える人ほど

コーチングを受けた方がいい、

とも言える。

 

・・・・・・

 

私のコーチングを

受けたクライアントさんの

多くは、

 

私の手に負えなく

なる。(笑)

 

そうなる状態を

私はとても強く

望んでいる。

 

私の範疇には

収まらず、

 

いったいこの人を

どうサポートしたら

よいのだろうか?と

 

まったくもって

わからなくなる。

 

実は、

ここからが本当の

コーチングのスタートだ。

 

ここからが

コーチングの醍醐味

だ。

 

手に負えない人を

どうサポートするか?

 

これこそが

コーチングスキルの

本質なのだと

私は思う。

 

・・・・・・

 

私の仕事は

本当に

幸せな仕事だ。

 

この仕事のおかげで

私の人生は

想像以上に充実した

ものになっている。

 

クライアントさんは

手に負えない人達

ばかりなので、

 

毎日、何が起こるのか

本当にわからない。

 

でも何が起きても

ちゃんと対応できるように

しておかねばならない。

 

だから

毎日、緊張の連続だ。

 

が、しかし

その分、

毎日、喜びの連続だ。

 

今、

 

私と同じ仕事を

目指してくれる人が

何人かいる。

 

私はその人達と共に

現場に入っている。

 

やはりコーチは

現場の中でしか

育成できないということが

わかったからだ。

 

おかげで

今、一緒にがんばっている

彼らは、

メキメキと力を

つけている。

 

そして

私の手に負えなく

なりつつある。

 

これも私の

喜びの一つだ。

 

そんな、

コーチを目指す人達を

一人、また一人、と

着実に増やしていきたいと

思っている。

 

つづく

 

願いとは、未来を良くするためのもの?

 

私達はどうしても、

 

・目の前にある「現実」

 

 

・自分の中にある「願い」

 

 

分離して

捉えてしまいがちだ。

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

「願い」と「現実」には

当然

ギャップがあるわけで、

 

そのギャップが

いやだ、

と感じるし、

ギャップがあるからこそ、

 

まぁ所詮、

「願い」なんて叶うわけ

ないし、

どこかでついつい

思ってしまう。

 

ギャップを埋めることが

生きがいだ!

前向きに考えることの

できる人もいるが、

残念ながら

稀だ。

 

だから人によっては

「願い」を持つこと

自体が

意味がない、

ともなる。

 

そこまでいかなくとも、

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

所詮それらは

別々のものだ、

 

となりやすい。

 

そして

「願い」とは分離された

「現実」に向かう。

 

「現実」のための

「現実」に向かう。

 

それはそれで

大事なんだけどね。

 

・・・・・・

 

コーチングの醍醐味

の一つは、

 

「願いと現実をつなぐ」

 

ところにあると

私は思っている。

 

しかもこれは

「ギャップを埋める」

という

意味ではない。

 

将来、「願い」を実現しよう、

という意味ではない。

(もちろん、それはそれで

大事だが。)

 

今、ここで、

 

そう、

今、この瞬間に

 

「願いと現実をつなぐ」

 

のだ。

 

もっと言えば、

 

「願いと現実を

つなぎ続ける」

 

のだし、

ちょっと言葉を換えれば、

 

「今この瞬間の現実に

願いを込める」

 

ともなる。

 

「願い」とは

「願い」であること自体が

素晴らしいし、

意味がある。

 

もちろんその「願い」を

叶えることができれば

尚、素晴らしいが、

 

叶っても叶わなくても

人は

「願い」を持っていること

自体で

エネルギーが湧く

生き物であり、

 

「願い」を持っていること

自体で

幸せになるし

満たされる生き物だ。

 

ただしそこには

一つ重要な条件があって、

 

「願い」であれば

何でもいい、

というわけではない。

 

一言で言えば、

 

「真本音の願い」

 

であることが重要だ。

 

しかも

「真本音の願い」

とは、

私達が新たに創り出す

ものではない。

 

もともと

私達の心の中心に、

(魂に、と言ってもいい)

最初から

あり続けるものだ。

 

それを見つけ、

それを常に自覚し、

 

今この瞬間に

 

大切にし続けること。

 

常に「願い」を

思い出し続けながら、

「現実」に向かうこと。

 

これができると、

その人は

本来の魅力を

パァーーーッと

発揮するようになるし、

 

先天的な能力も

開花し始めるし、

 

先ほども書いた通り

常に

「満たされた状態」

になれる。

 

この状態にまで

サポートするのが

コーチングの

「第一段階」

だ。

 

だから私は

この仕事が大好きだし、

 

でも本当は

コーチングなんぞなくても

みんなが自然に

その状態になれる

社会にしたいな、

 

願うのである。

 

つづく

 

なんだ、つまらないな

 

私の仕事は

人の苦しみを受け取る

仕事である。

 

と書くと、

自己犠牲のように

思われるかもしれないな。

 

でも、

自己犠牲ではない。

 

自己犠牲ではないが、

確かに

苦しい。

 

今日も、ある人の

コーチングをしていたが、

その人の持つ苦しみを

そのまますべて受け取り、

私は

あまりの苦しみに

意識を失いそうになった。

 

しかしおかげで

そのコーチングで

何をすべきか?を

知ることができ、

 

その通りのことを

することで

その人は苦しみから

解放され、

同時に私も解放された。

 

しかも面白いことに、

その苦しみは

その人本人には

自覚のなかったものだ。

 

自覚がないのに

確かに苦しんでいる。

 

多くの人が

その状態だ。

 

自分の苦しみを

そのまま

苦しめるようになるというのは

なんと健康的なことか、

ということを

私はこの仕事を通じて

知った。

 

潜在的にせよ、

その人は確かに

苦しんでおり、

その同じ苦しみを

私はそのまま感じ取る。

 

それだけを見れば

なんと苦しい仕事か、

とも思うが、

しかしその後の「解放」も

共に感じ合うことが

できる。

 

それはその人にとっては

「本来の自分」に戻る

大切なステップであり、

「本来の自分」に

一歩戻ることが

人としての「最大の幸せ感」の

一つでもある。

 

その「最大の幸せ感」を

私もそのまま

感じることができる、

ということで言えば、

この仕事は

なんと幸せな仕事か、

とも言える。

 

・・・・・・

 

ところで、

「本来の自分」に戻る、

と私達は

どうなるだろうか。

 

今日の別のクライアントさんは

まさしく「本来の自分」に

戻れた直後の状態だった。

 

どんな感じですか?

 

と私が問うと、

 

「それがまったく

普通なんですよね。

ただ淡々としています」

 

というお答えだった。

 

そう、

そうなのだ。

 

私達は「本来」を

取り戻すと、

まったくもって

「普通」

となる。

 

これを

 

『凡』

 

という。

 

平凡の「凡」である。

 

辞書を引けば、

「すぐれ劣りのないこと。

目立つ点のないこと。

ありふれていること。」

などとある。

 

一般的には

つまらない

というイメージがあるだろう。

 

実際に

当の本人は「本来の自分」に

戻ると、

かなりその「つまらない」という

感覚に近いものとなる。

 

しかし実は

その本質は

一般的な「つまらない」とは

まったく異なるものだ。

 

その「つまらない」とは、

言葉を換えれば、

 

「やろうと思えば

何でもできてつまらない」

 

という意味での

「つまらない」なのだ。

 

実はこれも言葉にすると

ちょっと違和感があるが、

これに近い。

 

不安も恐れもあるし、

実際に自分の能力だって

変わっていないが、

しかし

「やろうと思えば

何でもできるし、

自分が望むことは

すべてその通りに叶っていくな」

ということを

「思い出している」のだ。

 

「自然の摂理」を

理屈ではなく「実感」として

思い出している。

 

だから、

「なんだ、つまらないな」

となる。

 

自分の中に

喜びもある。

悲しみもある。

苦しみもある。

嘆きもある。

怒りもある。

憤りもある。

望みもある。

願いもある。

祈りもある。

 

すべてが

ただ、

ある。

 

そのまま、

ある。

 

なんだ。

すべて「そのまま」では

ないか。

 

ということが

そのままわかるのだ。

 

この状態は

さらに言葉を換えれば、

 

「完全に自由になれた」

 

状態でもある。

 

私達は

完全なる自由を手に入れると

「つまらないな」

となるのだ。

 

さらに

実感としてわかるのは、

自分の中にある

無限のエネルギーの

存在だ。

 

正確に言えば、

宇宙全てのエネルギーが

自分と共にある

という実感だ。

 

なんだ。

いつでも無限のエネルギーが

ここにあるじゃないか。

「つまらないな」

という感じだ。

 

これらを一言で

表現すれば

 

『凡』

 

となる。

 

そしてこれが

「本来の自分を取り戻した」

状態であり、

 

私のサポートの目的の

第一段階は

これである。

 

すべてのクライアントさんが

まずはこの状態にまで

戻ること。

 

それが

「第一段階」

だ。

 

つまり、

これができて初めて

私達は

「スタートラインに立てた」

ということになる。

 

・・・・・・

 

なんだ、自分は

何でもできるじゃないか。

 

思い出した時点が

スタートライン。

 

人生の本番は

ここからだ。

 

何でもできるのだから、

何をするか?

自ら決める必要が

ある。

 

何でもできることが

わかっている状態で

道を決める。

 

実はこれこそが

最も難しいことの一つ

だ。

 

本当は

ここからこそが

「コーチング」の

スタートだ。

 

ちょいと

長くなったな。

 

この話、

続けようと思えば

永遠に書き続けられるけど、

 

この続きは、

またその気になったらね。

 

つづく

 

慣れないねぇ

 

これまでいつも見ていた

景色達が

まるで初めて見るかのように

新鮮に映ることは

誰もが一度は体験したことが

あるだろう。

 

あの感覚は

とても大事だね。

 

「あるのが当たり前」

だと私達はついつい

思ってしまう。

 

「慣れる」という

やつ。

 

しかし「慣れる」というのは

人が持つ大事な能力の

一つでもある。

 

「慣れる」からこそ

適応ができる。

 

これがなければ

我々は大変

生きづらいだろう。

 

・・・・・・

 

人が人に

慣れる。

 

これも日常で

起きていること。

 

今日、あるクライアントさんから

「ようやく、たけうちさんの

コーチングに慣れてきました」

と言われた。(苦笑)

 

でもそれを言われた瞬間に

私は一つ

気づいのだ。

 

「私は全然、慣れていない」

と。

 

この仕事を始めて

もう23年以上になる。

 

これだけ経っているにも

関わらず、

 

私は相も変わらず

コーチングの毎セッション、

緊張しまくっている。

 

緊張しやすいのは

私の性質なのだが、

なんでいつもこんなに

緊張するのだろう?と

不思議に思う。

 

私をご存知の人は

「えっ? あれで緊張

してるんですか?」

と言われるかも

しれない。

 

外面的雰囲気がどうかは

私にはわからないが、

内面的には

 

誰とでも

どんなときも

どんな場面でも

 

私は

緊張しまくっている。

 

まるで

コーチングのデビュー戦

のような感覚だ。

 

その感覚で

いつも全力で

セッションに向かっている。

 

・・・・・・

 

私の大好きな

ジャズミュージシャンに

マイルス・デイヴィス

という人がいる。

(もう30年近く前に

亡くなっている。)

 

私は彼の生み出した

音楽も大好きだが、

人としての彼も

大好きで、

随分と彼にまつわる本を

読み漁った。

 

彼のことをよく知る人に

よると、

彼は、ジャズのセッション

(そういえば、ジャズも

「セッション」と言うんだよね)

において

一度も手を抜いたことが

ない、と言う。

 

どんなに体がボロボロでも

彼は自分のその時持っている

命のエネルギーのすべてを

セッションに込めていたらしい。

 

だから

ステージを降りた瞬間に

倒れ込むこともあり、

それが毎晩続くことも

あったようだ。

 

私は彼と会ったことは

もちろんないが、

何となく彼の生き様や

セッションの取り組み方には

共感を覚える。

 

まぁ結構、破天荒な人

だったらしいので、

私にはその破天荒さは

ないが、

 

でも、命のぶつけ方が

ちょっと似ているような

気もする。

 

彼のトランペットの音を

聴いていると、

それが伝わってくるんだ。

 

一度でもいいから、

彼と直接向き合って

みたかったな、

よく思うのだ。

 

彼もきっと

「慣れる」ということは

あまりなかったのではないか。

 

・・・・・・

 

「慣れる」のが

いけないわけじゃない。

 

むしろ

「慣れた」方がいいと

私は思う。

 

が、「慣れる」ことで

失ってしまうものが

ある。

 

それを失わない「努力」は

必要ではないか。

 

私は今の仕事の引退を

27年後と決めている。

 

きっと27年後の

最後の日も、

私は緊張で

ガチガチなんだろうな。

 

つづく

 

意図的に直観は起こせるか?

 

心がざわめいて

いる時は、

 

私は一切の

決断をやめる。

 

止まる。

 

何もしない。

 

決めている。

 

何もしない、

というのは

現状のまま行く、

ということだ。

 

何も変えない。

 

と同義語だ。

 

極端に言えば、

惰性のままでも

いい、

ということだ。

 

私達は

特に重要な決断の

前では、

 

あーだこーだ、と

考えてしまう。

 

当たり前だ。

 

考えること自体は

良いことだし、

しっかりじっくり

考え尽くさねば

ならないが、

 

考えの中から答えを出す、

ということを

私は

一切、しない。

 

考えの中から答えを出す、

というのは、

根拠を求めて、

最も点数の高い根拠に

基づいた答えを出す、

ということに

なってしまうからだ。

 

企業でもビジネスでも

そういったやり方を

している人は

多いだろう。

 

しかし私は

それをしない。

 

何故ならば、

そこに最善の答えは

ない。

 

からだ。

 

ちょっと極端に

聴こえるかもしれないが、

実は、

そんなに極端なことは

言っていない。

 

私は、

すべての考えを

自分が

手放せるくらいまで

考えて考えて

考え尽くす。

 

人間、面白いもので、

そこまで考え続けると、

途中で

どうでもよくなる

瞬間が来る。

 

ある意味、

答えが出ないことへの

あきらめでもある。

 

開き直り、

とも言える。

 

本当にそうなると、

そこまで続けた

あらゆる思考を

私達は手放してしまう。

 

するとその直後に

やすらぎ

静寂

が来る。

 

その状態に

入って初めて、

 

「直観」

 

が来る。

 

その直観こそが

最善の答えを

運んできてくれる。

 

その多くは、

根拠のない答え

だ。

 

が、

根拠のない自信

付与されている。

 

つまりそれこそが

 

「確信」

 

というものだ。

 

多くの場合、

確信には最初

根拠がない。

 

根拠はだいたい

後付けだ。

人に説明するために。

 

根拠のない確信を

人に説明し

納得していただくために

思考を働かす。

 

そこでこそ、

考える

という行為は

本当に生きて来るのでは

ないかと

私は思っている。

 

それはともかく、

そういった確信は

私達に

パワーとエネルギーと

モチベーションを

与えてくれる。

 

そうしたら

それに素直に

動くといい。

 

だから私は

確信に基づいた

決断しかしない。

 

・・・・・・

 

以前は、

この過程に

随分と時間をかけて

いた。

 

例えば、

一つの答えを出すのに

1週間も2週間も

考え続けた。

 

長い時間をかけて

直観を待った。

 

しかし残念ながら

直観は

意図的に起こすことは

極めて難しかった。

 

しかし。

 

今は私はこれを

数分単位、

時には

数秒単位で

意図的に行なうことが

できる。

 

つまりは、

意図的に

直観を呼び起こすことが

できる。

 

私のコーチングは

すべてこれを

主体としている。

 

では、

それは私だけの力か?

と言うと

とんでもない。

 

これこそ、

私達人間の

誰もが持っている力

の一つだ。

 

その本来の力を

呼び起こすための

最短の道が

 

セルフコーチング

 

である。

 

正しく自分と

向き合い続け、

 

自分の心の中にある

ものを

あるがままに

見つめることが

できるようになると、

 

直観も確信も

 

毎日のように

浮上する。

 

むしろそれが

当たり前と

なる。

 

しかしそれが

ゴールでは

ない。

 

そんな自分になれて

初めて、

 

私達は

人生の目的にも

気づけるし、

 

そこに向かう

道を見出すことも

できる。

 

本来の人生が

スタートするのだ。

 

直観なくして

道はなし。

 

ただし、

直観と言っても

ただの思いつきでは

ない。

 

ただの思いつきと

直観を

区別できるように

なる必要もある。

 

そのためにも

セルフコーチング力が

必要だ。

 

つづく

 

情に流されるな

 

私はかつて、

情にもろい

人間だった。

 

情に揺らされ、

情に流された。

 

私達は人間なので、

もちろん

情はある。

 

それは

大切にすべきもの

だし、

自然に大切にしようと

している人も

多いだろう。

 

しかし、

情を大切にする

ことと

情に流される

ことは

根本的に違う。

 

昔の私は

情に流されることで

随分と

人生の遠回りを

してしまった。

 

恐らく

「コーチ」をする

ということに関して、

ここが

最大の難関の一つ

かもしれない。

 

「コーチ」が

情に流されると、

コーチングそのものが

「根本的に」

おかしくなる。

 

コーチングを

すればするほど、

クライアントさんの

真本音度合いが

激減していく

結果となるのだ。

 

・・・・・・

 

私は

よく泣く。

 

年齢を重ねるごとに

その傾向が

高くなっている。

 

とはいえ、

人前で泣くことは

ほとんどない。

 

でも

一人になった時に

クライアントさんの

苦しみや感情と

「一つ」となってしまい、

さめざめと

泣き続ける。

 

なんて

可哀想なんだろう、

と泣くこともあれば、

 

なんでこの人はこんなに

苦しい目に遭わねば

ならないんだろう、

と泣くこともある。

 

もちろん

嬉しくて泣くことも

多いが、

苦しみはさらに

多い。

 

私は夜中に

一人で

いつも泣き、

 

そして、

その上で

毅然と

クライアントさん達と

向かい合う。

 

そして私は

一切、

情には流されない。

 

一切、

である。

 

・・・・・・

 

私が人として

願うのは、

 

(「祈るのは」

と言った方が

よいかもしれないが)

 

一人ひとりが

真本音で生きる

ことである。

 

情に流される

ということは、

反応本音に流される

ということと

イコールの場合が

多い。

 

だから言葉を

換えれば、

 

私は一切、

その人の反応本音

には

流されない。

 

恐らく、

死んでも

流されないだろう。

 

それは

コーチングの場

だけではない。

 

プライベートでも

すべて同じ。

 

両親だろうが、

妻でだろうが、

子供にだろうが、

 

その人が

真本音で生きる

ことを阻害するもので

あれば、

一切そこには

流されない。

 

例えば、

その人が

苦しみの状況を

「自力で」

乗り越えようと

真本音で決めている

のであれば、

 

私はその

真本音を尊重し、

一切の

援助もヘルプも

しない。

 

だから

私のことを

とてつもなく

冷たい人間だと

思っている人は

多いのではないか。

 

しかしどう思われようが、

私がこの部分で

揺らぐことは

死ぬまでないだろう。

 

・・・・・・

 

以上を

私が本当に覚悟

してからである。

 

私自身の

人生も、

 

私のする

コーチングも、

 

すべてが

調和を始めたのは。

 

特に

コーチングにおいての

クライアントさん達の

道を開く度合いは

次元を変えた。

 

だから私は

「コーチ」になろうと

している人に

 

これを求める。

 

情に流されるな。

 

情に流された

サポートを

するな、

と。

 

情に流される

ことと、

 

愛を注ぐ、

 

ということは

根本的に異なる

どころか、

真逆の行為に

なることが多い。

 

「コーチ」に

なろうとする人は

 

ここに逃げずに

立ち向かってほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

進む人と進めない人の違いは

 

「進む人」

ぜひ、

自分を癒して

ほしい。

 

「進む」とは

常に全力を出し続ける

ことでは

ない。

 

本当の「進む」

とは

「永続的に進む」

ということ。

 

であれば、

・どこで全力を尽くし

・どこで休むか

しっかり決めること。

 

それを

見極めること。

 

それができて

初めて

「進む」

ことができる。

 

・・・・・・

 

「進もうとしない」

人は、

私は基本的には

コーチングしない。

 

もちろん、

組織の場合は

別であるが。

 

ほとんどの組織には

「進もうとしない」人が

いる。

 

そういった人達も

「進む」状態に

しなければならないのが

私の仕事だ。

 

だが、

そんな場合でも

まずは私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

「進もうとする人」が

実際に

ぐんぐん進み始める

ことで、

「進もうとしない人」が

「進んでみようかな」

に変化することを

知っているからだ。

 

そういった意味では

やはり、

私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

・・・・・・

 

「進もうとする」が

進めない、

 

という人にとっては、

恐らく私のコーチングは

かなり厳しいもの

だろう。

 

ある時は

「コーチング」を超えて

「指導」したりも

する。

 

まるで上司にように

「やれ!」

とやるときもある。

 

私のコーチングは

ある意味、

「怖い時間」

かもしれない。

 

しかし反対に、

「進む人」

にとっては、

私のコーチングは

「癒しの時間」

になっているようだ。

 

私との

コーチングの時間で

自分を癒し、

 

自分を

リセットし、

 

自分のエネルギーの

源を取り戻し、

 

そして、

「現場」へと

戻っていく。

 

私のコーチングを

受けることで、

「現場」での

気づきが

何十倍にも深まり、

 

そして、

「現場」における

自分の指針が

何十倍にも

明確になる。

 

こういうコーチングは

コーチである私も

実に楽しい。

 

いつも

クライアントさんと

笑い合いながら、

真本音の

コミュニケーションが

取れるからだ。

 

こういった

コーチングのできる

クライアントさんを

増やしていくのも

私の目標の

一つだ。

 

・・・・・・

 

「たけうちさんと

一緒にいると、

何か見透かされている

気がして

怖いんです」

 

と、

よく言われる。

 

それを言う

ということは、

その人は何かを

「誤魔化している」

証拠だ。

 

人生の現場において

何かを

誤魔化しながら

生きているのだ。

 

ただし、

人間誰しも

「誤魔化し」は

あるもんだ。

 

誤魔化している

ことを、

「誤魔化しているんだ」

と自ら認めること

が、

スタートかな。

 

何を

誤魔化しているか?

 

は、

その人の今の

最大のテーマと

なる。

 

誤魔化している人を

私が嫌う

ことはない。

 

それよりも、

その「誤魔化し」を

しっかりと

見つめ、

向き合うことを

するとよい。

 

そのための

サポートを、

といつも思っているので、

そういった人にとっては

私のコーチングは

「怖い時間」

なのだろう。

 

自分と向き合う

ことを

恐れる人は、

いつも私に対して

逃げ腰だし、

 

実際に

逃げて行ってしまう

人もいる。

 

私が

大きな悲しみを

感じる瞬間だ。

 

・・・・・・

 

そりゃ、

人はみんな

誤魔化しがあるよ。

 

でも、

その誤魔化しに

思い切って

目を向けよう。

 

誤魔化しと

向き合うことが、

自分と向き合う

第一歩だ。

 

もし本気で

「進もう」

とするならば、

まずは

自分の誤魔化しを

自分で

受け入れることかな。

 

そこからが

スタートだ。

 

つづく

 

想いは行動に移しなさい

 

セルフコーチングや

コーチングの

本質は、

 

「現実を変える」

 

ことにあると

私は思っている。

 

現実を変える

ために、

まずは自分の

「本当の想い」

を知る。

 

本当の想いに

基づいた行動を

することでしか、

本当に望む方向に

現実を変えることは

できないからだ。

 

当たり前の

ことであるが。

 

そして、

「本当の想い」

を知るために、

自分自身の心の

状態を

整える。

 

心を自ら

スッキリとさせ、

晴れやかな状態で

いるための術を

身につける。

 

それをまた

セルフコーチングと

言うのだが。

 

しかしそれは

あくまでも、

①心の状態を整え、

②本当の想いを知り、

③現実を変える

というステップの

最初の段階に

過ぎない。

 

ところが。

 

①を手に入れる

ことで、

満足をしてしまう人が

いる。

 

もしくは、

②までは行くのだが、

③を行わない

人がいる。

 

残念ながら、

③を行わなければ、

すべて

「自己満足」

である、

と私は考える。

 

人生は、

行動してなんぼ、

である。

 

行動に移し、

想いを形にし、

現実を変えて行くのが

人生だ。

 

①ができないが故に

③ができない人が

いるが、

それは当たり前だと

私は思うし、

それはしょうがないな、と

私は思う。

 

しかし、

①と②ができるように

なった上で、

③を拒否・拒絶し、

①と②の気持ち良さの

中で

浸り続ける人がいる。

 

私は

そういった人を

見ると、

どうしても

無性に

腹が立つ。

 

・・・・・・

 

できないから

できない、

のはしょうがない。

 

どうすれば

できるようになるか?

を考え、

一歩ずつ進めばいい。

 

しかし、

本当はできるにも

関わらず、

できないふりをして

やらないのは

本当に腹が立つ。

 

そして、

①と②ができるように

なり、

しかし③をしない人は

 

本人が気づかない

うちに、

心の麻痺が

始まる。

 

心の麻痺によって、

自分自身の

真本音と反応本音の

区別が

つかなくなる。

 

せっかく

①と②ができるように

なり、

自分の真本音が

わかるようになっても、

 

③をしないことで、

真本音が

見えなくなってしまうのだ。

 

ところが、

麻痺が起きているために、

本当は

真本音が見えなくなって

いるにも関わらず、

「見えているつもり」に

なる。

 

そういった人の

多くは、

 

「これが私の真本音だ」

 

と、周りに主張

するようになる。

 

「私の真本音が

こう言っているから

私はこうするのだ」

 

という主張が

多くなる。

 

なぜ「主張」になるかと

言えば、

それは自分自身に対して

「言い訳」

をしているからだ。

 

本当はそれは

真本音でも何でも

ない。

 

③から逃れるための

ていのいい

言い訳に過ぎない。

 

本来すべきこととは

別のことに向かい、

ただただ

気持ちの良いことしか

しないための、

単なる

言い訳に過ぎない。

 

「私の真本音が

こう言っているから

私はこうするのだ」

 

・・・ばかりを

言い出したら

かなり要注意だ。

 

すでに

その人は

真本音度合いを

下げている。

 

本当に

真本音で生きている

人は、

そんな言い方は

しない。

 

私はこの状態に

入ってしまっている人を

「真本音に依存している」

と表現している。

 

本当は

真本音に依存は

できないし、

本当の真本音は

依存などはさせない

のだが、

「真本音」という言葉を

使いながら、

その人は

自分の意志(意思)を

放棄しているのだ。

 

こういった人を

見ると、

私はとても

腹立たしくなるし、

悲しくなる。

 

・・・・・・

 

もし、

10の想いがあれば、

100行動する、

 

くらいが

ちょうど良いのでは

ないかと

私は思っている。

 

行動すれば、

いろんな壁に

当たる。

 

たとえ

真本音で決めて

行動しても、

そこには必ず

壁がある。

 

しかしその壁に

当たることで

私達は

学ぶことができる。

 

真本音で生きる

とは、

壁を回避して上手く

生きることではない。

 

本当に必要な

壁に当たり、

 

本当に必要な

体験・経験をし、

 

本当に必要な

試行錯誤を

繰り返し、

 

本当に必要な

進化成長をし、

 

結果として、

本当に望む現実を

手に入れる。

 

これが

真本音で生きる

ということ。

 

この、

最も大切な部分を

決して

間違えないでほしいと、

私は

切に願っている。

 

つづく

 

人は激しいよ

 

人と向き合う

ということは、

人の反応本音と

向き合うという

ことだ。

 

反応本音は

激しい。

 

反応している本音

なのだから

当然だ。

 

しかし多くの人は

その激しさに

フタをしている。

 

自らの激しさに

フタをし、

自ら気づかないままに

生きている。

 

そして

何かの拍子に

そのフタが取れてしまう

ことがある。

 

その時に

驚くのだ。

 

自分自身の

反応の激しさ、

心の揺れの大きさ

に。

 

「コーチ」がしっかりと

向き合えば、

フタが取れてしまう前に

自分で自分の激しさを

垣間見ることが

できるし、

 

徐々にではあるが、

その激しさを

理解しながらも、

そのさらに奥に

あるものを

自ら感じられるように

なる。

 

激しければ

激しいほど、

そして、

それを感じれば

感じるほど、

 

それと

向き合えば

向き合うほど、

 

そのさらに奥にある

「静寂」と

「安定」に

人は気づくことが

できる。

 

それが

「真本音」

である。

 

・・・・・・

 

その状態に

なるためには、

まずは「コーチ」が

その人の激しさと

向き合う必要がある。

 

実は、

残念なことであるが、

この段階で

「コーチ」の厳しさを

知り、

「コーチ」という役割から

逃げてしまう人が

多い。

 

「人をサポートするのは

好きだけど、

人の激しさと

向き合うのはいや。」

 

という意識では

残念ながら

「コーチ」には

なれない。

 

もちろん

自己満足のコーチ

にはなれるだろうが、

それは

自己満足のサポート

でしかない。

 

よく私は

「人の真本音と

向き合う」

という言い方をするが、

 

その前提として

どうしても必要なのが、

「人の反応本音と

向き合い、

そのすべてを

あるがままに

受け止める」

という段階だ。

 

ここを逃げずに

やり続けることで、

初めてその「コーチ」は

目の前のその人の

「静寂」と「安定」を

感じることが

できる。

 

つまりは

「真本音」を感じとる

ことができる。

 

ここが

「コーチング」の

スタート地点である。

 

・・・・・・

 

私はこのお仕事を

させていただいて

本当によかった。

 

このお仕事のおかげで、

人間というものの

あらゆる面と

対峙することが

できた。

 

よく、

「たけうちさんは

性善説ですか?

性悪説ですか?」

初対面の人に

問われることがあるが、

 

人間とは

そんなにも単純な

ものではない。

 

あらゆるものを

包含しているのが

私達人間であり、

 

そのすべてと

対峙できるのが

「コーチ」であり、

 

ただただ

対峙するだけでなく、

 

何を観ても、

何を聴いても、

何を感じても、

 

自分自身が

毅然とそこに

立ち続けられる

必要がある。

 

だからこそ、

「コーチ」自らが

自分自身の

激しさと対峙

しなければならないし、

その奥にある

自分自身の

「静寂」と「安定」を

知っていなければ

ならない。

 

つまり。

 

「コーチ」になるために、

自分を強くしよう。

 

ではない。

 

これを言っているうちは

「コーチ」ではない。

 

「コーチ」になるために、

大事なのは、

 

あらゆる自分を

知ること。

 

特に

自分の弱さを

知ること。

 

その弱さと対峙し、

弱さを変えるのではなく、

そっくりそのまま

受け止めること。

 

自分の

あまりの弱さを

最後まで

実感し尽くすこと。

 

そしてそれを

直そうと

しないこと。

 

永遠に

その弱さの中に

いても大丈夫

という自分になる

こと。

 

それができて

初めて、

私達は

自分自身の心の大地に

しっかりと

足を踏みしめることが

できるし、

 

その状態になるからこそ、

すべての人と

向き合い、

 

すべての人の

激しさを

受け止めることができ、

 

「コーチング」を

始めることが

できるのだ。

 

厳しいお仕事だと

思うかな?

 

確かに

厳しい。

 

でも、

それを「使命」として

生まれてきた

あなたが

いるのではないか?

 

つづく

 

育成者は、育成し過ぎだ

 

コーチングが

なぜ必要か?

 

問われたら、

いろんな

答えはあるだろうが、

私が真っ先に

答えたいのは、

 

想定外を

生み出すため

 

ということかな。

 

はっきり言って、

すべてのクライアントさんに

言えることだが、

自分自身の本来の

魅力や能力を

ちゃんと知っている人は

いない。

 

これは

断言できる。

 

私はコーチとして

その

「本来持っているもの」

を掘り起こそうとする。

 

クライアントさんと

向かい合っていると、

ある瞬間に

その人の「未来」が

観えることが多い。

 

例えばその人が

2〜3年後に

どのように活躍されているか

が映像として

まざまざと

浮かび上がってくる。

 

私はコーチとして

その映像が

実現する方向に

サポートをする。

 

しかし、

である。

 

コーチングによる

サポートをしていると、

私の当初の

その未来像は

ことごとく

打ち砕かれる。

 

想定外の

展開となるのだ。

 

もちろん、

良い意味で

である。

 

つまりは

ほとんどのクライアントさんは、

私のイメージの

上を行く。

 

この人、

こんなことも

やっちゃうの!?

 

この人、

こんな現実を

創っちゃうの!?

 

この人、

こんなすごい人

だったの!?

 

と、

まずは私が

驚くことになる。

 

つまり、

クライアントさんは

私の「範疇」を

超える。

 

そして、

私の

手に負えなくなる。

 

それが

実に楽しい。

 

これがコーチングの

一番の醍醐味であり、

魅力であると

私は

思っている。

 

・・・・・・

 

このような

コーチングの展開と

なるために、

絶対的に必要なことが

ある。

 

それを一言で

言えば、

 

『何もしない』

 

となる。

 

私は

思うのだ。

 

コーチは

何もしない

に限る。

 

コーチが

何かをしては

ならない。

 

と。

 

変な表現であるが、

それくらいの

「覚悟」

を持って

コーチングに臨むのが

真のコーチであると

思う。

 

だいたい、

コーチのみならず、

人の育成に

関わる立場の人は

例えば、

会社で言えば

管理職の立場の人も

含めて、

 

やり過ぎ

 

である。

 

育成のために

余分なことを

 

やり過ぎ

 

なのだ。

 

やり過ぎによって

不調和が

起こる。

 

やり過ぎによって

育むべき

成長の芽を

潰してしまっている。

 

人の育成で

最も重要で

かつ

最も難しいのは

 

「何をしないか?」

 

を見極めることだ

私は思う。

 

・・・・・・

 

何をするか?

 

ではなく、

 

何をしないか?

 

をきちんと判断

できるコーチを

私は

増やしたい。

 

実は私は

人から助言を

求められても、

一切何も答えない

ことが

多い。

 

大袈裟ではなく、

ほぼ毎日、

そんな展開がある。

 

私が

何を言っても、

「何も言わない」

以上の効果を

発揮しないと

わかるからだ。

 

だから、

「お願いします。

アドバイスを一つでも

いいのでください」

どれだけ求められても、

頑として

答えないことにしている。

 

そういったことを

毅然とし続ける

コーチが

ほしい。

 

人は

アドバイスを求められれば、

喜んで

相談に乗ってしまう。

 

相談に

乗られている自分って

すごいなぁ、という

喜びで

乗る人もいれば、

 

純粋に、

何か力になってあげたい

という気持ちから

乗る人もいるだろう。

 

しかし

真のコーチの

基本スタンスは、

「何もしない」

である。

 

このスタンスの上で、

「ここだけは

一言、伝えた方が良い」

と、

真本音で直観し、

その最低限のみを

行なうコーチを

私は

育成したいのだ。

 

そうすれば、

コーチの「範疇」を超えた

想定外のコーチングが

もっと

増えるだろう。

 

世の中が

求めていることは

これではないだろうか。

 

つづく

 

「指示」できるコーチが必要だ

 

私は夜、22時以降に

スカイプなどを使った

コーチングをすることが

多い。

 

夜中にしか

コーチングできない人も

いるからだ。

 

スカイプは基本的に

声のみで行なう。

 

声のみに

集中する。

 

そういったコーチングも

それはそれで

独特の良さがある。

 

クライアントさんの

姿は見えないのに、

あまりにも

まばゆい光を

感じることが

実は、よくある。

 

今も、お一人のコーチングが

終わったところであるが、

私はその人の光に

ずっと包まれていた。

 

その人は

今日のコーチングで

大きく開放された。

 

もはや、

「脱皮」という次元

ではない。

 

あえて言えば、

「羽化」

と言えるものだろうか。

 

サナギだったその人が

まるで突然変異のように

成虫へと

姿を変えた。

 

そして、

これまでいた地中から

抜け出て、

一気に大空に

高く飛び上がった。

 

果てしなく

上昇を続けていく。

 

そんな姿が

ありありと観えるような

コーチングだった。

 

・・・・・・

 

こういう時、

私は

やっぱり人の可能性は

無限なんだなぁ、

と、いやでも

思ってしまう。

 

と同時に、

なんでこんなコーチングが

できたのだろうか、と

自分でも

わからなくなる。

 

恐らく、

意図がないからこそ

できることなのだろう。

 

本当に私には

まったくの

意図がない。

 

その人を

開放させてやろう、

とか、

気づきを与えてやろう、

とか。

 

それどころか、

その人が

成長するといいな、

という意図すら

ないかもしれない。

 

もっと言えば、

コーチングによって

良い成果が出れば

いいな、

という意図すら

ない。

 

何も、

ない。

 

その状態で

向き合うからこそ、

恐らく私は

その人の真本音の

「鏡」

となれるのだろう。

 

人は

本当の「鏡」を

観れば、

わかるものなのだ。

 

自分が何者で、

本当は

何を為すべきか?

ということを。

 

それは

他者が教えることでも

指導することでも

ない。

 

すべての人が

自分と向き合い、

自分自身と語り合う

ことでしか、

見つけられない

ものなのだ。

 

・・・・・・

 

意図を

手放す。

 

これができる

コーチが

ほしい。

 

そんなコーチが

増えると

本当に

よいだろう。

 

一般的には

コーチとは、

答えを与えない人

のことを言う。

 

あくまでも、

クライアントさん自身が

答えを見つけ出すのを

サポートするのが

コーチだ。

一般的には。

 

しかし、

完全に意図を

手放すことが

もしできたとしたら、

 

そのコーチは

「教える」

ことができるのだ。

 

「答えは

こうですよ」

と。

 

「あなたは今、

こうすべきですよ」

と。

 

はっきり明確に

断定的に

教えることや、

指示することすら

できる。

 

意図のない

状態での

指示。

 

これほど

強烈なものは

ない。

 

そんなことができる

コーチを

私は育成したい。

 

つづく

 

ヘナチョコのおかげかな

 

コーチングの魅力を

一言で言うと

何ですか?

 

と問われたら、

私だったら、

 

「想定外」です。

 

と答えるだろう。

 

私自身が

コーチングと出会って

想定外の人生に

なったし、

 

私のクライアントさんの

ほとんどは、

私の想定外の

道を歩み始める。

 

これが実に、

実に、

嬉しいし、

幸せである。

 

人の育成というのは

とても難しく、

どうしても、

育成される人は

育成する人の

範疇に留まってしまう。

 

ところが

コーチングと出会って、

私はその

枠の外し方を

知ることができた。

 

私が

クライアントさんを

コーチングしていると、

 

「ちょ、ちょ、ちょっと

待った!」

 

と言いたくなる場面が

頻発する。

 

「それはちょっと

行き過ぎでない?」

 

とか、

 

「ちょっとそこまでやるのは

どうだろうか?」

 

とか、

 

そんな一言を

思わず口走ってしまう

ような

場面が頻発する。

 

実は以前の私は

それを実際に

口走ってしまっていた。

 

しかしそれにより

起こることは、

クライアントさんは

私の範疇に

留まってしまうという

事実だけだった。

 

今は、

どれだけ私の心の中で

「ちょっと待った!」

と言いたくなっても、

今は言わないように

している。

 

それにより、

私は

信じられないような

展開を

多く拝見できた。

 

その度に

本当に思うのだ。

 

人というのは、

やっぱすげーな、

と。

 

私は、

自分について言えば、

 

コーチング力は

確かにある、

 

と思うが、

 

人としては

ヘナチョコだ、

 

と思っている。

 

だって、

クライアントさんの方が

全然すごい。

 

私には到底

できないことを

どんどんやっちゃう。

 

その度に

私は自分の

ヘナチョコさに

溜息が出るのだが、

 

でも

ひょっとすると、

人間としてヘナチョコで

あるからこそ、

自分の範疇に留めない

コーチングができるのかな、

 

とも思う。

 

・・・・・・

 

私には

5歳の息子がいるが、

 

彼なんかは

生まれた時から

真本音の人生を

生きているから、

 

すげーなぁ、

 

と毎日思っている。

 

第一、

人生がとても

楽しそうだ。

 

彼を見ていると、

 

人生って

こんなにも楽しい

もんなんだ、

 

と感嘆する。

 

もちろん、

子どもには子どもの

悩みがあるはずだ。

 

しかし彼は

そんな悩みもすべて

味わっている。

 

「今日ねぇ、

○○君がパンチして

きたんだ。

すごい痛かった。

○○君の力って

すごいんだよ!」

 

と彼は

くったくなく笑う。

 

子ども園というところに

通っているのだが、

先生から聴くと、

外に散歩に行くときに

みんなが彼と

手をつなぎたくなり、

いつも取り合いになるらしい。

 

妻が朝、

彼を子ども園に連れて

行くのだが、

園内に入った途端に

何人もの子達が

彼に

突進してくるらしい。

 

「一緒に遊ぼう!」

と。

 

まぁ、

こういうことを書くことを

「親バカ」

と言うのだろうが、

 

彼が本気になって、

私の妻に、

「もっと子ども園に

いられる時間を

伸ばしてほしい」

と直談判している姿を

見ると、

 

どうやら彼は

私とはまったく別の

人生を歩んでいるのだ

と実感する。

 

私は

子どもの頃から

「できれば、

誰とも接したくない。

一人で生きていけるのなら、

一生、一人でいたい」

と思っていたので、

彼のあのオープンな

神経がわからない。

 

とても

羨ましいと

思う。

 

恐らくであるが、

私は

彼のことを100%

信じている。

 

そして、100%

尊敬している。

 

ひょっとすると

だからこそ、

彼は生き生きと

しているのかも

しれない。

 

そう思うと、

ヘナチョコの私で

よかったな、とも

思う。

 

・・・・・・

 

人には人の

個性がある。

 

私はずっと

自分のヘナチョコぶりが

我慢ならなかったので、

ある意味、

ずっとそこにフタを

して生きてきた。

 

しかし、

それをあるがままに

見つめ、

受け入れ、

むしろヘナチョコぶりを

楽しめるようになったのは、

 

自分自身の

真本音と出会って

からだ。

 

だから私は

今日も明日も明後日も、

真本音コーチングを

続ける。

 

すべての人が

自分の「あるがまま」を

受け入れ、

 

そして

「あるがままの自分」を

活かせるように。

 

そして私はやはり、

そんなサポートのできる

コーチを

たくさん育成したい。

 

つづく

 

私は何もしなくてよかった

 

二人の素敵な

経営者と

一緒に食事をした。

 

二人は

ハイボールを、

 

私はいつものように

ウィスキーの

ストレートを

飲みながら。

 

二人は

議論をしていた。

 

努力型と

天才型についての

議論。

 

それを中心に

話は様々な方向に

進んだ。

 

私は二人の会話を

聴きながら、

 

やっぱ

ウィスキーは

美味いよなぁ、

 

やっぱ

素敵な人達と

一緒に飲むと、

さらに美味いよなぁ、

 

と、

心の中で

呟いていた。

 

二人の意見は

なかなか

合わなかったのだが、

 

それでも

二人とも

とても楽しそう

だった。

 

時折、

引き込まれるように

自然に私は

口を開いていた。

 

たけうちさん、

真本音と反応本音の

割合は

どれくらいが一番

適切なんですか?

 

と一人が

問うと、

 

もう一人が、

 

いやいや、

真本音100%が

一番いいに

決まってるでしょ。

 

と、口を挟んだ。

 

私は何も答えず、

 

もっとお二人の会話を

聴いてたいなぁ。

 

と笑った。

 

またそういうことを

言う。

 

と、二人も

笑い、

会話はさらに

進んだ。

 

二人とも

私と同世代の

経営者。

 

もう随分長いこと、

組織のトップとして

がんばってきた。

 

ある意味、

二人は真逆の人生

を進み、

 

そして今

ここで

交わっている。

 

笑い合いながら

議論を

している。

 

いつものように

私は

「コーチ」としての

言葉を発しては

いたけれど、

 

今日の私は

「コーチ」では

なかった。

 

なぜなら、

今日の私は

まったくコーチングを

していない。

 

コーチングを

していたのは

二人だ。

 

二人は

議論という

形を取りながら、

とても美しい

コーチングを

し合っていた。

 

私はその

美しさに

見とれていた。

 

もちろん二人に

自分達が

コーチングをし合っている

なんて

自覚はない。

 

でもそれはそれは

見事な

コーチングで、

 

それを見ていた

私の真本音は

私がコーチングするのを

止めたのだ。

 

今日は私は

何もしない。

 

と、

私は決めた。

 

口は挟むし、

それらしいことは

言うのであるが、

 

今日の私は

本当に

何もしなかった。

 

ただ、

ウィスキーを

飲みながら、

 

二人のコーチングを

眺めながら、

 

その時間を

楽しんだ。

 

食事が

終わる頃になると、

二人の顔からは、

 

これまで

人生で培ってきた

一切の険しさが

 

取り除かれて

いた。

 

二人ともまるで

少年のようだった。

 

酔っ払って

いたのもあるが、

駅まで行く道すがら、

二人は

肩を組んで

笑い合っていた。

 

どう見ても

3歳と4歳の

ガキだ。

 

私は

自分の顔が

壊れるのではないかと

思えるくらいに

笑った。

 

二人のうちの

一人とは、

駅前で別れた。

 

残った一人と

私は一緒に

電車に乗った。

 

電車の中で

私は彼に

伝えた。

 

見事な

コーチングでしたね。

 

彼は

1歳の子どものように

笑った。

 

つづく

 

コーチングを超えたコーチになろう

 

真のコーチとは

真のコーディネイター

でもある、と

私は思っています。

 

例えば、

Aさんが何かに悩んで

いたとします。

 

Aさんの悩みの

解決策を

見つけようとする場合、

「答えはAさんの中に

あるから」

ということで、

Aさんに様々な問いを

投げることを、

一般的にはコーチングと

言われています。

 

もちろん必要に応じて、

コーチが何らかの

アドバイスや提案も

するでしょう。

 

しかし私は

そういったことをする

以前に、

次のことがとても

重要であると思っています。

 

すなわち、

 

Aさんの悩みの

解決策は、

誰と一緒に考えれば

よいだろうか?

 

もしくは、

 

誰がAさんに

アドバイスをすると

よいだろうか?

 

もしくは

 

Aさんのその悩みを

誰にぶつけると

よいだろうか?

 

という視点です。

 

特に組織においては

これはとても大切で、

 

一人の悩みを

一人の中だけで

解決するのは

もったいないと

私は思うのです。

 

これは別に

「悩み」だけに言える

ことではなく、

例えば、

「目標」についても

同様のことが言えます。

 

Aさんの目標を

達成するために、

誰が関われば

よいだろうか?

 

ということです。

 

人と人との

関わり。

 

そして、

人と人との

相乗効果。

 

そして、

相乗効果の上での

一人では到底

実現できないであろう

「現実」の創造。

 

そういったことを

促すサポート役が

コーチであると

私は考えます。

 

ですから

真のコーチとは

真のコーディネイター

である必要があります。

 

・・・・・・

 

AさんとBさんが

タッグを組んだら

100のパワーが出た。

 

でも、

AさんとCさんが

タッグを組んだら、

10000くらいのパワーが

生まれた。

 

ということは、

日常茶飯事のように

あります。

 

ですからその意味でも、

今、このAさんと

誰が組めばよいのか?

 

これを見極める力は

コーチには必須です。

 

しかしその見極めの

力をつけるためには

かなりの経験が

必要である。

 

・・・と、

ちょっと前までの私は

思っていました。

 

しかしどうやら、

そうでもないようです。

 

実は、

経験値の低い

若い人達の感性で、

この見極めができてしまう

という場面に

最近、多く遭遇しました。

 

最近の若い人達の

感性は凄い、

です。

 

しかしそれは

「若い」から凄い

のではありません。

 

次元の高い人達が

どうやら、

今の若い人達には

多いようなのです。

 

誰と誰を

組み合わせれば

よいか?

を見極める力は、この

次元の高さが

直接影響します。

 

・・・・・・

 

今の若い人達、

つまりは

10代や20代、そして

30代前半くらいまで

でしょうか、

 

これらの人達には

次元の高い人が

多いようです。

 

しかしもちろん

そういったことを

彼らは自覚していません。

 

天然で

やっています。

 

そういった彼らに

対して、

彼らをどのように

育成するか?

ということについては、

これまで私達の世代が

培ったやり方では

まったく通用しません。

 

次元の高低によって

育成の仕方は

根本的に変わるからです。

 

そういったことも踏まえ、

そろそろ私は

「次元」について

真剣に語らねばならないかな

と思い始めています。

 

物事には

「区別」が必要です。

 

区別すべきをしっかりと

区別することによって

次の一歩が

初めて観えてきます。

 

人の成長という視点では

最も基本的な区別は

「真本音と反応本音」

でした。

 

そして、次の区別が

「次元」

なのだと思います。

 

ですから「次元」について

多くの方々が

知る必要のある

時代になったのだな、と

今、強く思います。

 

このブログでも

いよいよ「次元」について

ダイレクトに

切り込んで行こうかな、と

思っています。

 

つづく

 

伸びやかな発想をしてみましょう

 

伸びやかな発想が

必要な時って

ありますね。

 

仕事においても、

仕事以外においても。

 

コーチングでも

よく行なうのですが、

まずは

何物にも縛られない

自由な発想をした上で、

その発想を

現実的な行動へと

結びつけたりすると、

 

これまで開かなかった

道が

突然、開かれることが

あります。

 

「枠」に

捕らわれない発想。

 

今回は、

とても簡単で手軽な

その発想法の一つを

ご紹介します。

 

・・・・・・

 

やり方は実に

単純です。

 

まずは、

目をつぶります。

 

そして等身大の

自分を感じます。

 

自分の体の大きさと

同じ大きさの自分を

感じるということです。

 

それができましたら、

今度は

そんな自分が

グングンと大きくなる

イメージをしてください。

 

ただし

「イメージ」と表現しましたが、

実はちょっと

違いまして、

 

自分の体が

大きくなっていく姿を

頭の中でイメージする

わけではありません。

 

ではなく、

「感覚」で

自分を大きくしていくのです。

 

自分自身が

どんどん大きくなっていく

「感覚」を

創り出していただき

たいのです。

 

ですから

頭の中で映像を創り出し

それを見る

というようなことは

しなくてもよいです。

 

というよりも、

むしろしない方が

よいです。

 

感覚だけに意識を向け、

ただただ

感覚的に大きくなって

いけばよいのです。

 

これをずっとずっと

続けます。

 

すると、

途中で

何かの「枠」を感じると

思います。

 

ずっと

大きくなり続けていたのに、

急に壁に当たる感じがしたり、

何かに閉じ込められている

感覚を得たり、

ギュギュウに縛られている

感じがしたり。

 

ほぼ必ずどこかの段階で

そういった「感覚」が

くると思います。

 

もしまったく来ないなぁ、

ということでしたら、

まだ「巨大化」が

足りないということですね。

その場合は、

もっともっと自分を大きくして

いきましょう。

 

で、その閉じ込められた

ような感覚が

「枠」

です。

 

セルフコーチング力が

高まれば、

その「枠」が何かを

言葉ですぐに表現できる

ようになりますが、

慣れていないうちは、

まだそこまでしなくても

結構です。

 

で。

 

その「枠」を

内側から

壊してしまってください。

 

壊し方は簡単。

 

エイヤッと

自分を強引に大きくさせ

内側から「枠」を

破ってしまうのです。

 

卵の殻を破る

感じです。

 

もちろんこれも

「感覚」で行ないます。

 

すると途端に

自由になれた感覚や

解放された感覚を

得ると思います。

 

そうしたらさらに

自分を巨大化させて

いきます。

 

するとまたどこかで

「枠」を感じます。

 

で、そこでまたその「枠」を

同じようにして

内側から壊します。

 

そしてさらに

自分を大きくしていきます。

 

これをどんどん続け、

「もうこれで充分だな」

と自分が思えたところで

終了です。

 

その時点では

かなり「感覚的な自由」を

感じていると

思います。

 

その状態で、

様々な物事の発想を

してみてください。

 

例えば、

仕事のことや

自分の悩みごと、

自分の目標設定や、

目の前のやらねば

ならないこと、

など。

 

伸びやかな発想を

してみよう

ということであれば、

何でもOKです。

 

普段の自分とは

だいぶ異なった

自由な発想が

生まれます。

 

一度、遊び感覚で

お試しくださいね。

 

つづく

 

 

<ご案内>

発想力や直観力は

100倍くらいに高めることが

できます。

 

「100倍」と言うと

大袈裟な感じがしますが、

決してそうではありません。

 

例えば、

これまで一週間考え続けて

出なかった答えが、

たったの5分で

出るようになったりします。

 

その結果として

生産性は格段に

アップします。

 

ただしそのためには

的確な練習が必要です。

自分と向き合う力が

必要なんです。

 

そういった

発想力や直観力を高める

セルフコーチング法に

ご興味ありましたら、

以下の無料動画をどうぞ。

↓↓↓

『人生を真剣に生きたいあなたへ』

 

本来の力を思い出そう

 

昔の私は

ずっと孤独でした。

 

いえ、

楽しい友人もいましたし、

楽しめる趣味も

ありましたし、

仕事も充実して

いました。

 

でも、

自分のことは

結局は

誰一人として理解して

くれていない、

 

理解できる

はずがない。

 

それが真実であり、

それが人生であり、

それがこの世の中である、

と、ある意味

まったく疑いなく

信じていました。

 

恐らくここが、

私の苦しみの人生の

原点だったような

気がします。

 

しかしそんな私が

本当に今から考えると

なぜ?

と思えますが、

人と向き合うお仕事に

就くことになりました。

 

もちろん

そこに至るまでのストーリーは

あるのですが、

そのストーリーがどうこう

よりも、

やはりこれは、

私がもともと真本音で

決めていた道だったのだなと

思います。

 

孤独感という根底を

持った私が

毎日、必死に

私以外の人々、つまり他人と

向き合い続けました。

 

その結果、私は

向き合い続けた

すべての人達から

どんどんパワーをいただけ、

自らの真本音度合いを高め、

そして次元を

高めることができました。

 

そしてある時に、

本当は自分は孤独では

なかったと、

あまりに強烈に

知ることになりました。

 

しかしそこに至るまでには

本当のことを言えば、

13、4年かかったのです。

 

つまり、

私が自分が孤独ではない、

と本当の意味で

実感できたのは

ほんの8年前です。

 

・・・・・・

 

それは忘れもしない

2010年のある企業様での

研修の最中。

 

私は自分が講義をしている

その中で、

突如として

『実在』

を感じ取れるように

なりました。

 

恐らくその時、その研修では

20数名の方が

いらっしゃったと思いますが、

その瞬間、

私はまるでそこに

何千人もの人がいるような

感覚を得たのです。

 

しかもそれは

「気のせいかも」

というレベルのものではなく、

あまりにも

鮮烈で、

目の前にあるこの「現実」

の方が、

淡く儚く、まるで幻影のように

観えるくらいでした。

 

私が今、

「実在」と「現象」という

言葉を使い、

「現実」のことを「現象」と

表現するのは、

この時の体験からです。

 

・・・・・・

 

今、私は

仕事部屋で一人で仕事を

していますが、

 

私は一人では

ありません。

 

それはそういった

イメージをしているのでは

ありません。

 

本当に一人では

ないのです。

 

それは

「実在」です。

 

例えば、

明日コーチングをする予定の

人達。

 

その人達は、

今、ここにいます。

 

私は、

その人達を感じ取り、

その人たちと対話をしながら、

明日のコーチングの準備を

進めます。

 

何度も言いますが、

それはイメージでも

仮説でも、解釈でも

ありません。

 

「実在」です。

 

このように書くと

危ない世界だな、と

思われるかもしれませんし、

それはたけうちさんの

特殊能力でしょ、

と思われるかもしれません。

 

いえいえ、

決してそうでは

ありません。

 

ちょっと

心のチャンネルの変えれば、

誰もが「実在」は

そのまま感じ取れます。

 

これは

特殊能力ではなく、

私達人間がもともと

持っている力であり、

「得意分野」です。

 

でも忘れて

しまっています、

この現代時社会においては。

 

忘れざるを得ない

毎日を

皆さんは送ってしまって

いるのですね。

 

・・・・・・

 

私達が

当たり前のように

発揮してもよい能力。

 

その一つが、

「実在」を感知する力

であると

私は思っています。

 

そしてその力を

思い出すことは、

そんなに難しいことではない、

ということも

わかるようになりました。

 

例えばもし、

「実在」を感知しながら

ビジネスができたら、

そのビジネスは

どれだけ世の中を

幸せにできるでしょうか。

 

私の周りでは

それがどんどん

実現していますが、

私はそれを

もっともっと

私の周り以外にも

広げていきたいですね。

 

つづく

 

私のコーチングの隠れテーマ

母親の胎内から

自分がこの世に生まれる

その瞬間のことを

記憶している人は

そうそういないと思います。

 

もちろん私も

覚えていませんが、

でも、

生まれるその瞬間の

自分の

「決意」

のようなものは

明確に記憶しています。

 

と言ってもそれは

もともと覚えていたものではなく、

ある時、

セルフコーチングをしていた

最中に、ふと

思い出したのです。

 

それは、

強烈な決意

でした。

 

「覚悟」

と言ってもよいでしょうね。

 

あぁ私は

これだけの決意と

覚悟をもって

人生を始めたんだな、と

感動しました。

 

しかし当然ながら

これは私だけのことではなく、

恐らくすべての人が

同様の

決意と覚悟をもって

この世に誕生したのでしょう。

 

しかし

それを覚えている人は

ほとんどいない。

 

のみならず、

自分は生まれなければ

よかった、

と思ってしまっている人が

多いのも事実です。

 

・・・・・・

 

自分は

生まれなければ

よかった。

 

自分は、

自分であることが

いやだ。

 

自分を

なくしたい。

 

自分が

嫌いだ。

 

このような言い方で書くと

「そんなことを思っている

人は可哀想だなぁ」

という印象を持たれると

思うのですが、

 

実は、

ほぼすべての人の

心の中には

この気持ち達が

多かれ少なかれ

存在しています。

 

「いやいや、私の中には

ありませんよ」

と言う人ほど

大きかったりします。

 

ちょっと怖い言い方

ですが、

私はこの気持ちのことを

 

「殺(さつ)」

 

と呼んでいます。

 

「自分で自分を殺そう」

とする意識だからです。

 

もちろんこれは

反応本音の一種です。

 

しかし、

私達の心の奥底にある

最も大きな

反応本音であり、

反応本音の「ラスボス」

と言ってもよいものです。

 

私がコーチングなどの

サポートをさせていただく場合、

まずはこの「殺」を

いかにその人自身が

浄化できるか?が

最初のテーマとなります。

 

最初のテーマと言っても

それをクライアントさんに

お伝えするわけでは

ありません。

 

私の中にのみ留めておく

隠れテーマ

です。

 

で、コーチングなどを

続けていますと、

ある時ある瞬間に

明確に

「あっ、今この人は

自分の殺を浄化できたな」

とわかります。

 

ここからが

ある意味、

その人の本当の

真本音人生のスタート

だと言えます。

 

この状態になるまでは、

どうしても

その人の「殺」が

その人の歩みを

妨害します。

 

でもこの話は

クライアントさんには

まずしません。

だって、

怖いでしょ?

 

怖いし、

「自分を殺そうとする気持ちがある」

なんて言ったら、

そこを意識しすぎてしまい、

余計にそこに執着してしまう

可能性の方が

高いからです。

 

しかしなぜ

こういったことを今ここで

公表しているかと

言いますと、

もはやこういったことを

隠している場合ではない、

という想いの方が

強まったからです。

 

こういった少し怖いことも

すべて引き受けて、

セルフコーチングしながら

自分の真本音の道を

自ら進む術を

お伝えすることこそが、

これからの時代には

必要であると

思うようになったからです。

 

「殺」だろうが何だろうが、

反応本音は

反応本音です。

 

反応本音とは

真本音に比べれば

圧倒的に弱いものです。

 

かと言って、

真本音vs反応本音

ということでもありません。

 

真本音は

すべての反応本音を

愛します。

 

それはつまり、

自分が自分を

愛する、

ということです。

 

当然それは

自己満足でも

ナルシストでも

ありません。

 

自分の心を根底から

満たす

真実の愛です。

 

やはり、

すべての人の

真本音度合いが高まるといいな、

と思います。

 

つづく

 

シンプルなコミュニケーションを楽しもう

泉からトツトツと

水が湧き続けるように、

自分の中からトツトツと

言葉が湧き続けることが

あります。

 

頭で考えている

わけではなく。

 

何かを説明しようと

しているわけではなく。

 

何かを理解してもらおうと

思っているわけではなく。

 

何らかの意図を

持っているわけではなく。

 

ただ、

トツトツと

ゆっくりと

湧き続ける言葉達が

あります。

 

それを私は一つずつ

宝物のように

抱き、愛でながら、

何の解釈も色もつけずに

そのまま

口に出します。

 

それはまるで

自分がただの

スピーカーになったような

感覚です。

 

自分で言葉を

口にしながらも、

自分自身も

それを聴いて

楽しんでいます。

 

次の一言を

自分の口は

何を語るのか?

 

を楽しみながら、

私は目の前のAさんに

向かって、

トツトツと言葉の一つ一つを

プレゼントします。

 

やはりそれは

何をどう観ても

私自身の言葉だとは

思えません。

 

どう観ても、

それは、Aさん自身の

言葉です。

 

Aさんの

真本音の言葉。

 

本当はAさん自身が

自力で気づきたい

答え達。

 

それを私は

Aさんの代わりに

Aさん自身に

お伝えしている。

 

それだけのこと

のようです。

 

研修でもコーチングでも

よく皆さんから

おっしゃっていただく

嬉しいお声があります。

 

「たけうちさんの言葉は

どうしてこんなに

スーッと心の中に

入ってくるんだろう?」

 

それは

私の言葉では

ないからです。

 

あなた自身の

真本音の

言葉達だからです。

 

・・・・・・

 

皆さんの中にも

「泉」

があるはずです。

 

その泉は、

地下水脈に

つながっています。

 

その地下水脈は

目の前のAさんと

共有している

地下水脈です。

 

地下水脈から

トツトツと

湧き出される

泉を

一つ一つ言葉にする。

 

そんなコミュニケーションは

本当は

誰もが取れるはずです。

 

私はこれを

『真本音コミュニケーション』

と呼んでいます。

 

本当にいつも私は

お会いする人達に

伝え続けています。

 

真本音コミュニケーションは

私特有の力では

ありません。

 

人類すべての人が

もともと持っている

普通の力です、と。

 

ただ、私達は

頭で考え過ぎて

しまうのです。

 

意図を持ち過ぎて

しまうのです。

 

自分の考えを

わかってもらおうと

欲し過ぎてしまうのです。

 

そういった気持ちも

もちろん人間ですから

ありますし、

そういった気持ちは

そういった気持ちとして

大事にすれば

よいでしょう。

 

しかしちょっとだけ

それらを横に置き、

ただ、

目の前のAさんにのみ

意識を向けて

みてください。

 

意識を

向け続けて

みてください。

 

すると、

すぐに「泉」に

気づくはずです。

 

あとはただ、

その「泉」の言葉だけを

語るようにして、

ただ、

静かに黙っていれば

よいのです。

 

それだけで

すべての事は

済んでしまいます。

 

何の説明も

言い合いも

必要なく、

ただ、

泉の言葉をそこに

残せば

よいのです。

 

それですべては

調和して

行きます。

 

そんなシンプルな

コミュニケーションライフを

あなたも

楽しんでみませんか?

 

つづく

 

本当はここに二人いる

1対1の会話や、

複数人のミーティングの場で

皆が沈黙してしまう瞬間が

ありますね。

 

沈黙の時、

いつもどうしていますか?

 

沈黙の時間は

ちょっと居心地が悪く

なりますね。

 

緊張感が高まってしまう

こともあります。

 

それが何となく嫌なので、

沈黙を避けるように

その場を盛り上げたり、

何か話題を提供する人が

出たりします。

 

1対1の場合は、

沈黙が怖くて

延々と喋り続ける人も

いますね。

 

沈黙。

 

確かに、

ちょっと怖いかも

しれません。

 

でも私はこの

沈黙の時間こそを

大切にしています。

 

沈黙の間に

「実在」が大きく活性化する

場合が多いからです。

 

・・・・・・

 

これまでの傾向として、

実在を感じ取ることが

できるようになればなるほど、

口数が減る人が

多いようです。

 

無駄な一言が

なくなっていくのです。

 

場を取り繕うための

言葉が

ほぼ、なくなります。

 

建前もなくなります。

 

おべっかも迎合も

なくなっていきます。

 

結果、

その人は沈黙することが

多くなります。

 

沈黙しても

不安はありません。

 

実在を感じ取って

いるからです。

 

実在を感じ取るということは

目の前の人との

つながりを感じ取るという

ことです。

 

さらに、

目の前の人との

エネルギーの交換や循環も

感じ取れます。

 

その安心感が土台にあるため、

表面上の言葉のやりとりが

どのようなものであったとしても、

それに揺らされることは

ありません。

 

例えば、少し極端に言えば、

目の前の人が自分に

何か批判的な言葉を投げて

きたとしても、

実在レベルでその人との

エネルギーの循環が

とても気持ちよく、

その人と自分との

あたたかなつながりを

感じ取れていたとしたら、

表面上において

どのような批判をされたとしても、

その場はとても

居心地のよいものとなります。

 

表面上のやりとりだけが

コミュニケーションでは

ありません。

 

実在レベルでの

コミュニケーションを

私達は誰とでもいつも

とっており、

実はそちらの方が

圧倒的に影響力が

大きかったりします。

 

端的に言えば、

実在レベルでは

「好き」

と言いながらも、

現実レベルでは

「嫌い」

と言うこともあります。

 

そこでもし

実在レベルを感じ取れて

いれば、

「何言ってるんだよ」

と笑いながら受け止める

ことができるのです。

 

その余裕とゆとりが

人生の展開を

大きく変えていきますね。

 

・・・・・・

 

私達の人生は、

一つ一つの

人とのコミュニケーションによって

大きく変わります。

 

実在コミュニケーション力を

持つことは、

人生を非常に

豊かにしてくれます。

 

誤解とか齟齬が

激減します。

 

人に裏切られる怖さよりも、

人との本質的なつながりの

深さに驚く悦びの経験が

圧倒的に増えていくでしょう。

 

・・・・・・

 

以下は、

話をわかりやすくするための

喩え話だと受け取ってください。

 

私は、

Aさんと向き合う時、

現象(現実)のAさんと

実在のAさんを

同時に感じ取ることができます。

 

それは、

現実のAさんの隣に

実在のAさんが立っている

ような感覚です。

 

ですから私はいつも

二人のAさんと会話をします。

 

もちろん

私の口から出る言葉は

現実のAさんに向けたものです。

しかしその一方で、

実在のAさんにも私は

心の中で常に言葉を

投げかけ、

実在のAさんとも会話を

しています。

 

私のコーチングは、

まずは実在のAさんに

訊くのです。

「次、どんな質問を

投げたらいいですか?」

 

すると、

実在のAさんが答えます。

「では、〜〜という質問を

私に投げてください。」

 

私はその通りの質問を

現実のAさんに投げます。

 

それに対して

現実のAさんが

お答えになります。

 

「どう?この答えは?」

と私は実在のAさんに

問います。

 

実在のAさんは例えば、

「う〜ん、まだまだだねぇ。

全然素直な答えじゃないねぇ・・・。

では、こんなメッセージを

私に伝えてください」

と、

次に私が投げるべき言葉を

教えてくれます。

 

私はその通りのメッセージを

現実のAさんに

投げます。

 

そして現実のAさんから

返ってきた言葉を

実在のAさんに確認し、

さらに次に

何をすればよいかを

相談します。

 

時々、実在のAさんにも

次はどうすればよいかが

わからなくなることもあり、

二人でう〜む、と悩むことも

あります。

 

でもこのように

実在のAさんと相談しながら

現実のAさんに関われば、

現実のAさんは

自分自身の真本音に

非常にたどり着きやすく

なるのです。

 

これがいつもの

私のコーチング。

 

つまり、

現実のAさんを

実在のAさんと私の二人が

コーチングしている。

 

実在のAさんとの

協業作業なのです。

 

しかしこれは

私だけの特有の力では

ありません。

 

こういったコミュニケーションを

すべての人が

本当は取れるのです。

 

それが私達人間が

もともと持っている

コミュニケーション力の本領です。

 

その本領を

取り戻していただくことが

私のあらゆるサポートの柱の一つに

なっています。

 

これは

1対1のコミュニケーションだけでなく、

チームによるミーティングでも

同様です。

 

私がある組織の

チームコーチングに入ると、

そこにもし10名の人がいたとしたら、

10名の皆さんの実在とも

会話をしながら進めます。

 

つまりそこには

20名の皆さんがいるような

ものです。

 

そして、

実在の10名と私が、

現実の10名をチームコーチング

するのです。

 

ですから、

話をもどすと

沈黙。・・・

これがいかに

大切なことか。

 

皆さんが、沈黙したその瞬間に

いかに皆さんの「実在」が

活性化するかを

私はいつも実感しています。

 

実在の活性化を

現実の活性化に

つなげる。

 

私は、こういった

実在コミュニケーションを

駆使できるコーチが

増えるといいなぁと

願っています。

 

そしてできれば、

企業の経営者や

組織のリーダーとなる人が

実在コミュニケーションできると

いいなぁ、と

願っています。

 

いえ、本当は

すべての人に

早く、実在コミュニケーション力を

取り戻してほしいのです。

 

そのために私にできることは

何か?

 

それが私の今後の活動の

基本テーマです。

 

つづく

 

真の静寂は、激しさの中でこそ

学生時代、私は

山登りに明け暮れて

いました。

 

山登りといっても

縦走をするだけです。

とはいえ、夏山の場合、

いったん山に入ると3週間も

縦走を続けますので、

荷物は一人50kgを

超えていました。

 

今はもうないと思いますが、

キスリングという

横長の黄色いザックを

背負っていました。

 

今から考えると

人間工学とか全く関係のない

非常に体に悪そうな

ザックでした。

あの頃の体のダメージが

今の私の体に残っていないのが

奇跡のように感じられます。

 

初めてその体験をした

大学一年の時、

私のいたパーティー(登山チーム)は

台風に直撃されました。

 

凄まじい暴風雨。

 

重いザックを担いでいても

踏ん張らないと

飛ばされそうです。

 

その中を延々と

歩かなければなりませんでした。

 

その時の私には

精神的な余裕は

ゼロだったでしょう。

 

とにかく、

一歩を踏み出すこと

だけで精一杯。

 

生きるとか死ぬとか

そういうことではなく、

とにかく

今ここで次の一歩を

踏み出すだけの存在。

 

そんな自分に

なっていました。

 

そんな時、私は、

とてつもない

「静寂」

を感じたのです。

 

それは

忘れることができない

体験です。

 

今から思えば、

それは

魂の静寂でした。

 

ひょっとすると私は

その時の体験を

もう一度繰り返したくて、

山登りを続けたのかも

しれません。

 

私は大学の部活を

終えてからも、

社会人になってからも

一人で山登りを

続けました。

 

ある冬。

 

一人で冬山に

向かいました。

 

北アルプスです。

 

車で入れるギリギリまで

入り、

そこからは歩いて

登るつもりでした。

 

ところが、

車を止めて

外に出ようとしたところ、

突然の大雪に

見舞われました。

 

あっという間に

雪は降り積もり、

車は雪に埋もれ、

外に出ることもできなく

なりました。

 

私は車の中で

2日間、

閉じ込められることに

なりました。

 

ガソリンは余裕がなく、

暖房をつけることが

できなくなりました。

しかし、

冬山の装備がありましたので

それで凍死を

免れました。

 

その時にも

魂の静寂がやってきました。

 

その時私は初めて、

未来の自分と

対話をしました。

 

今となっては

当たり前のことなのですが、

私達は実在を

感じ取れるようになれば、

未来の自分と

対話もできるようになります。

 

セルフコーチングの

一つの形です。

 

その初めての体験が

その時でした。

 

当時の私は20代前半で

そこから20年後くらいの

自分と対話をしました。

 

もちろん20代前半の頃は

今の私のお仕事を

するようになるとは思いもよらず、

その後の人生展開も

まったく展望もなく、

真っ白な状態でした。

 

その時の

未来の自分からのメッセージは

「君には道がある。

やりたいことがある。

いつかそれを見つけることが

できるだろう。

そのためにも、

今わかる、やろう!と思えることを

徹底的にやりなさい。

そうすれば、

私のところに来れるだろう」

というものでした。

 

その後、私は

サラリーマンを辞めて

海外の放浪の旅に1年半ほど

出ることになるのですが、

その時のメッセージが

かなり影響を及ぼしたと

思います。

 

未来の自分と対話をした

その時は、

車の外は大吹雪。

しかし、

私の中には

言いようのない静寂がありました。

 

外は激しく、

内は静寂。

 

その後の人生で、私は

こういった経験を無数に

繰り返してきました。

 

外が激しくなればなるほど、

内の静寂度合いは

より深まる感じがしました。

 

今・・・。

 

暴風雨に見舞われている

人が増えています。

 

厳しい現実に

さらされている人達。

 

しかし私は

思うのです。

 

そんな時だからこそ、

得られる静寂が

あるはずだと。

 

自分の中のその静寂に

気づけるといいな、

と。

 

今の私のコーチングは

ひょっとすると

そのためのサポート

なのかもしれません。

 

つづく

 

人生を変えるかもしれない発想

私がここ最近、

とても強く感じることなのですが、

真本音で生きる

という実にシンプルな生き方を

するために、

多くの方に足りないものが

あります。

 

それは、

 

「自分の最初の発想を

信じるという意志」

 

です。

 

最初の発想を

もっと信じて

進んでみればいいのに。

 

・・・と、

最近、頻繁に思いました。

 

最初の発想、

つまりは、

一番初めに浮かんできた

発想。

 

一番に初めに

顕在化した発想です。

 

私達の真本音は、

時々、

まったく関係のない

発想を顕在化します。

 

それは、

前回の記事で

書かせていただいた通りです。

(→前回記事)

 

AかBか?

で迷っているのに、

まったく関係のない

Cという発想が浮かんだりします。

 

その場合、

多くの人がその発想を

「つまらないもの」

「関係のないもの」

「意味のないもの」

として、浮かんだその瞬間に

捨ててしまいます。

 

しかも、

それを無意識にしている人も

多いです。

 

ですからコーチングの場では

私はよく、次のように

クライアントさんに言うのです。

 

「今、何か

発想が浮かびませんでした?」

・・・と。

 

すると、最初は

「いえ、何も・・・。」

と返ってきます。

 

でも、

「いやいや、今何か

考えましたでしょ?」

と問うと、

初めて、

 

「すみません。

まったく関係ないことが

一瞬よぎりまして。」

と返ってくるのです。

 

「それそれ、それですよ!

どんな発想がよぎったんですか?」

 

と言って、半ば強引に

それを教えていただくのですが、

その発想がきっかけとなり、

コーチングが思わぬ

すごい展開になることは

日常茶飯事なのです。

 

例えば私の場合、以前に

次のようなことがありました。

 

ある年末の話ですが、

私は、クライアント Aさんの

コーチングをしていました。

 

Aさんは若い経営者で、

次年度の方針を

明確化する内容だったのですが、

それが出来上がり、

スッキリと完了感も覚え、

コーチングを終えようとしました。

 

で、

席を立とうとした瞬間、

Aさんが私に

「たまには今から忘年会でも

いかがですか?」

と言われたのです。

 

「おぉ、いいですねぇ」

と私は答えようとしたのですが、

その時、ふと一つの言葉が

頭をよぎったのです。

 

私はそれを

そのまま口に出しました。

 

「Aさんって、

子供好きですよね。」

 

Aさんは、キョトンと

されました。

 

それはそうです。

 

「忘年会いかがですか?」

と問うたら、

「子供好きですよね」

と返ってきたんです。

 

しばらくAさんは

目を白黒されていましたが、

「ええ、好きです。

なんでわかるんですか?」

と返してきました。

 

実はAさんは独身です。

もちろんお子さんも

いません。

私もなぜそんな一言を

Aさんに言ったのか

自分でもわかりません。

 

私は答えました。

 

「いえ、なんとなく、

子供が好きかな?と

思って。

Aさんにお子さんができたら

きっとすごく個性的な子に

なりそうですね。」

 

と私が笑ったら、

 

「たけうちさん、

やっぱり忘年会は

後日でもいいですか?」

 

とAさんが言うのです。

 

「もちろん、いいですよ。

では、今日は帰りましょうか」

ということで、

私達は別れました。

 

そして、年明け。

 

私はAさんから

驚くべき報告を聴きました。

 

実はAさん、

お付き合いしていた彼女さんが

いました。

その彼女さんに

プロポーズしようと

決めていたそうです。

で、婚約指輪も密かに

購入されていたそうです。

 

Aさんは私から

「子供が好きですよね」

と言われた瞬間に、

無性にその彼女さんに

会いたくなったそうです。

 

で、Aさん、

プロポーズするなら今日だ!

と直観したそうなのです。

 

あの日、

Aさんは私と別れた後、

すぐに彼女さんを呼び出し、

プロポーズされたそうです。

 

もちろん結果はOK。

 

「最高の正月でした」

とAさん。

 

しかも、

「年末年始で彼女と一緒に

旅行をしました。

二人で今後の家族計画の

話をしてたんです。

その時、気づいたんです。

私は、もっと私のやりたい

経営の仕方があるんじゃないか?

って。

で、たけうちさんには申し訳

ないのですが、

年末に決めた計画を

もう一度根底から考え直しました。

その結果、凄い発想が

出てきましたよ。」

 

そう言われながらも

Aさんは発想された内容を

私に教えてくださいました。

 

それはかなり

ぶっ飛んだ内容でしたが、

とてもとても魅力的でした。

 

もともとAさんは

ぶっ飛んだところがありましたから、

Aさんらしいな、

と思えました。

もちろん、

すべてAさんの真本音でした。

 

そこで私はわかったのです。

 

プロポーズすることで、

Aさんは

ご自分の次元を一つ

上がったのだな、と。

 

そして、

次元の上がった意識で

経営計画を立て直したのだな、

と。

 

そう考えると、

あの時、私が発した

「子供好きですよね」

の一言が

いかに重要だったか。

 

あれで、ある意味、

Aさんの人生が変わりました。

 

しかしこれは

私がAさんの人生を変えた

わけではありません。

 

私はただ、

Aさんと真本音コミュニケーション

しただけのこと。

つまり、

Aさんの真本音をキャッチし、

Aさんが言ってほしい一言を

その時お伝えしただけの

ことなのです。

 

Aさんの真本音は

私を活用して、

自分の人生を進めたのです。

 

面白いでしょ?

 

実はこういったことが

本当に日常茶飯事で

起きています。

 

ですから私は思うのです。

 

まったく関係のない発想でも、

何かの問いを受けて、

最初に浮かんだ答えは

宝物かもしれない、と。

 

真本音度合いの

高い人であればあるほど、

それを大切にしてほしい、と。

 

本当に、

人のコミュニケーションというのは

面白いですね。

 

つづく

 

自己変革のフリをする人達・・・

私達の描く未来像には

二つの種類があります。

 

それは、

・実在の未来

・イメージの未来

です。

 

それは、

・真本音で描く未来

・反応本音で描く未来

とも言い換えることができます。

 

しかし、

反応本音で描く「イメージの未来」が

いけないわけではありません。

 

それをきっかけに

「真本音で生きる」ことに

つなげることができます。

 

そんなお話を

今は書かせていただいています。

(→前回記事)

 

今回は、

「イメージの未来」を活かす

3つ目のケースをご紹介します。

 

その目的は、

「これまでの自分を手放す」

です。

 

世の中には、

これまでの自分

今の自分

のことが大好きな人がいます。

 

ただしそれは、

反応本音のレベルでの

「大好き!」です。

 

自分のことを「大好き」で

あること自体はもちろん

悪いことではありません。

 

しかし反応本音レベルの

「大好き!」には

ごまかしが含まれます。

 

本当は、自分の中に

絶対に観たくない部分があり、

それにフタをし、

自分で自分をごまかすために

自分を「大好き!」に

させています。

 

もちろんその「大好き!」な自分は

本来の自分の姿とは

異なります。

自分自身の真本音の望む姿

とも異なります。

 

異なっているにも関わらず、

今のこの自分を「大好き!」と

思いながら、

決して自分を変えようとしません。

 

実は・・・。

 

そういう人ほど、

表面上は

「自分を変えます!」宣言を

します。

 

そして誰よりも高い意欲を見せ、

自己変革をしようとします。

 

しかしそれは、

自己変革をしている「フリ」

でしかありません。

 

頑張っている「フリ」でしか

ありません。

 

結局は、ああだこうだと理由をつけて

これまでの自分、

今の自分でいいや、

という結論に自分の中で至ります。

 

結局、

何も変わりません。

 

本人は

「私はここが変わりました!」

と自己アピールするのですが・・・。

 

しかし側から観れば、

何も変わっていないのです。

 

それどころか、

自己変革の自己アピールを

すればするほど、

これまでの自分への執着が

よりひどく増していきます。

 

実は、こういうタイプの方の

サポートが

最も難しいかも知れません。

 

でも、

このタイプの人がそのままで

いてもらっては

周りが迷惑です。

 

このタイプの人は、

周りにどれだけ迷惑をかけているか

まるでわかっていない場合が

多いのです。

 

そこで私がよく取る方法が、

「自己満足でもいいから

未来のイメージをする」

ということです。

 

今の自分の延長線上でも

よいのです。

とにかく

理想の未来像を描いて

いただきます。

 

もちろんそれは

真本音の未来像(実在の未来像)とは

まったく異なるものです。

 

しかしそれでも

「未来の視点」に立つことは

できます。

 

「未来の視点」から

今の自分を見て、

どう感じるか?

何を変えなければならないか?

 

それを発想し、

動いてみます。

 

実際に動けば、

必ずその人は、止まります。

 

それはそうです。

 

真本音とは異なる未来に

向かうわけですから。

 

自分の中に

言いようのない気持ち悪さが

発生します。

 

もしコーチングのサポートがなければ、

その人はその未来に向かって

ゆっくりと進んで行くでしょう。

気持ち悪さを感じないくらいに

ゆっくりと。

それをすることで自己満足感が

消えることはないからです。

 

ところが、

コーチングサポートを受ければ、

その人はその未来に

全力で向かうことになります。

 

すると、気持ち悪さを

ごまかすことができません。

 

必ず、止まります。

 

必ず、挫折します。

 

それをわかっていて

サポートするのはこちらが

とても辛いのですが、

しかしそれも大切な一歩です。

 

その人に湧き上がる

気持ち悪さ。

そして、挫折。

 

いったい、どうしてこんなにも

気持ち悪いのだろうか?

 

どうして、

挫折をしてしまうのだろうか?

 

そういった「?」がその人の中に

湧いてきたらしめたものです。

 

その人はそれを機に

変わり始める可能性があります。

 

これはちょっと意地悪な

サポート法かも知れません。

 

でも、残念ながら

このタイプの人へのサポート法で

これよりよい方法が

今のところ、私には思いつきません。

 

このタイプの人に

どれだけ

「あなたはこれまでの自分に執着している」

と厳しくフィードバックしても、

その場は神妙に捉えますが、

それもやはり「フリ」で、

何も変わらないのです。

 

自分に執着する度合いが凄く、

まったく人の声を

取り入れません。

取り入れる「フリ」はしますが。

 

ですから、

自ら望む(と思い込んでいる)未来に

全力で向かい、

自ら「何かが違うのではないか?」と

気づいていただくことしか

ないのではないかと

今の私は思っています。

 

かつて私も

自己満足や自己愛の人生を

送っていました。

 

そこから抜け出るのは

相当に大変でした。

 

よほど痛い目に合わないと

抜け出ることはできないのだと

思います。

私はそうでした。

 

ですから、

致命的な痛い目に合わずに

できるだけ早い段階で

その「気持ち悪さ」に気づいていただく、

そのきっかけを与えることが

他者ができる最大のサポートかな、

と現時点では思っています。

 

つづく

 

個人も組織も、内側からなら変わっていける

この3次元の世界では、

3次元の現実を生きている

私達の顕在意識が

自分の選択と行動を

牛耳っています。

 

もちろん、

無意識に動いてしまうことも

ありますし、

顕在意識レベルの判断を

潜在意識が大きく左右するという

事実もあります。

 

しかし多くの場合、

最後は

顕在意識の自分、

つまり今ここにいる自分自身の心が

自分の選択と行動を決めています。

 

ですから、

次のようなケースが

起こり得ます。

 

せっかく真本音度合いが高まり

自分の真本音の発想や想いが

わかるようになっても、

その通りに行動することができない、

というケースです。

 

なぜなら真本音による発想は

顕在意識の私達からすると

一見、突拍子もない場合が

あるからです。

 

これまでの自分の行動パターンからすると

信じられないような選択を

しようとする時があるのです。

 

そういった場合、

それでも素直に真本音通りに

行動する人と、

そこで、行動を躊躇し

止めてしまう人に分かれます。

 

真本音で望む選択を

行動する直前で止めてしまうのは

紛れもなく

私達の顕在意識です。

 

つまり、

真本音 対 顕在意識

という構図となります。

 

その場合、

私は思い切って真本音の通りに

動いてみることを

いつもお勧めしています。

 

それは一見、怖いことかも

知れません。

しかしその行動は

自分自身の真本音の望むもの。

ですから、その行動をとることで

私達は、明らかに何かから開放された

清々しさを感じます。

 

なぜ清々しいかと言いますと、

それがその時点での

自分自身の最高次元の選択

だからです。

 

最高次元の自分の選択を

大切にするということは、

自分の進化への最短の道を行く

ということです。

 

私達人間の本能の中心にあるのは

進化への欲求

ですので、それに即した選択は

私達の魂と心を著しく

元気にしてくれます。

 

しかしその元気というのは

気合いを入れるような元気ではなく、

あくまで自然体で

あくまで淡々と

あくまで力の抜けた

元気であり、

しかし確かに内側から

深いエネルギーが湧き続ける

元気です。

 

それを私達は

清々しさとして

自覚します。

 

そういった瞬間を

いかに毎日の中で

増やして行くか、です。

 

そして、

次元が高まれば高まるほど

すべては一つ、

ということになっていきますので、

(→前回記事参照)

高い次元の私達の選択は

私達の周りの人達の幸せにも

直結します。

 

自分も周りも

清々しくなる、

という状態が起きやすく

なるのです。

 

私のコーチングサポートの基本は

ここにあります。

 

・まずはその人の真本音度合いを高め、

・真本音の想いと実際の行動を結ぶ

ということです。

 

これをまずは個人個人で行ない、

そして最善のタイミングで

チーム(組織)全体に広げます。

 

そうすることで

チーム(組織)は

内側から変化を始めます。

 

それは、そこにいる人達自身にとっては

あまりに自然な変化の場合が

多いです。

しかし、側から見ていますと、

かなり劇的な変化に見えます。

 

チーム(組織)というのは本来、

そこにいる人達が

より魅力を増し元気になり、

結果として一人では成し得ない成果を

上げるものです。

 

チーム(組織)となることで、

そこにいる人達が疲弊するのであれば、

何かが不自然なはずです。

 

その不自然さを解消していくのは、

外部からの圧力では

到底不可能です。

 

自らが内側から

変えていく。

 

それが最も自然であり、

そのためのきっかけ創りこそが

私が最も大切にしているものです。

 

つづく

 

その場にいなくとも、感じ取ることができる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

 

私は今、お二人から

新規事業プロジェクトチームメンバー

お一人一人についての印象を

お聴きしようとしています。

(→前回記事)

 

「まずは木村さんにお訊きしますね。

木村さんが今、直観的にお顔の浮かぶ

チーム員はどなたですか?」

 

すぐさま木村さんは答えました。

 

「日下部です。」

 

「年齢は?」

 

「29歳の男性です。」

 

「彼についての印象をざっくばらんに

お話しください。

詳しい情報は要りません。

本当に、印象だけで結構です。」

 

「・・・そうですね。

真面目な人間です。

でもちょっと真面目過ぎるというか・・・。

物事をきっちりとやろうとし過ぎているところが

あります。」

 

「弓江さんは、いかがですか?」

 

「確かに真面目ですね。

ただ、私から見ますと、真面目さよりも

ちょっとこだわりが強過ぎる気がします。

言われたことをそのまま行なうよりも、

自分なりの考え方に歪曲してしまうというか。

頭の良い人だと思いますが、

時々、かなりずれたことを言ったりやったりします。」

 

「良いところはありませんか?」

 

「妥協しないところですね。

サボろうとか、適当にやろうとか、

そういったところがありません。

実にコツコツと、決めたことをやり続ける

というところがあります。」

 

「彼との仕事はやりやすいですか?」

 

木村さんが答えます。

 

「やりやすい時と、そうでない時の差が

大きいかも知れません。

私の意図と、彼の意図が合致する場合は

とてもやりやすいですが、

そうでない場合は、そこを修正するのに

かなりの時間がかかります。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「仕事のやりやすさは、何とも言えませんが、

彼としゃべるのは、結構楽しいです。

時々、意見がぶつかることもありますが、

彼は彼なりに考えて、しっかり意見を言うので、

有意義な時間になります。」

 

「彼の仕事における悩みは何だと思いますか?」

 

そこで、二人とも「えっ?」という表情に

なりました。

あまりそういった視点で考えたことが

なかったのでしょう。

 

やはり木村さんから答えました。

 

「う〜ん、そうですね。

どちらかと言えば、彼は自分の考えを

押し通すことが多いですから、

いかに周りを説得させるか?という

悩みが多いのではないでしょうか。」

 

弓江さんが言います。

 

「あまり彼が悩んでいる感じは

私はしません。

悩むことよりも、突き進むことの方を

彼は大事にしているように思いますね。」

 

この辺りから、私は

日下部さんの「実在」を強烈に感じ始めました。

まるで彼が

この場にいるかのような存在感を

覚えるようになりました。

 

これも、いつものことです。

ここからが、「実在コミュニケーション」の

スタートです。

 

私は、日下部さんの「実在」から、

すごく重いものを感じ取りました。

 

そこに意識を向けると、

あえて言葉にすれば

「助けてください」

と言われているような気がしたのです。

 

「弓江さん、

実は、今私が直観的に感じたことなのですが、

今、日下部さんは何か助けを求めていませんか?

そのような気配を感じたことはありませんか?」

 

その瞬間、弓江さんの顔が

驚きの表情となりました。

 

つづく

 

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく

 

目標は、達成するのが当たり前

木村さんと弓江さんの二人コーチングに

話を戻しましょう。

(→【本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む】)

 

弓江さんは、

脱皮を果たしました。

 

弓江さんが脱ぎ捨てた古い皮は、

「正義」

でした。

 

そしてそれを手放した直後に彼女は

「私が皆を引っ張る」

という覚悟を持ちました。

 

彼女は言いました。

「私にしかできないことが

ある気がします」と。

 

その一言を聴いた瞬間に、

今度は木村さんの脱皮が

一気に進んだのを私は感じ取りました。

 

「木村さんも今、

もうほぼ脱皮を完了したようですね。」

 

「あぁ、そうですよね。

何となくわかります。」

 

「木村さんが脱ぎ捨てようとしている

古い皮は、今、実在レベルでは

どのような状態だと思いますか?」

 

「ほとんど脱げましたが、

私の右腕に脱いだ皮がまだ

こびり付いています。

右腕がとても重いです。」

 

「木村さん、よく観察してください。

その右腕についている皮は

いったい何でしょうか?」

 

木村さんは目を閉じて

右腕に集中しました。

 

そして、

「あの、・・・これでしょうか。

“我が想い”という言葉が浮かんできますが。」

 

「へぇ、面白いですね。

“我が想い”を脱ぎ捨てるのですか。

“我が想い”というと、真っ先に思い出すことは

何ですか?」

 

「売上を当初の目標の1.5倍上げてやろう、

という私の気持ちを思い出します。」

 

「木村さんは今、

それを手放そうとしているんですね。」

 

「いや、・・・それはまずいと思います。

それを手放してしまったら、

目標達成できなくなる気がします。

今のモチベーションも消えてしまう気がします。」

 

「本当にそうですか?

一度、手放してみてはいかがですか?」

 

「いや、しかし・・・」と、

しばらくの時間、

木村さんは拒んでいました。

 

しかしどうにも右腕が

重くなってきました。

 

「いやぁ、もう右腕が不快で

しょうがないです。」

 

「やはり木村さんは、その“我が想い”を

手放したいのでしょ?」

 

「そうなんでしょうか。

・・・いやぁ。でも、もう嫌だなこの感じ。」

 

「思い切って手放してしまっては?」

 

「ちょっと怖いですが、

どうもそうするしかないようです。

わかりました、手放します。」

 

「どのように手放します?」

 

「・・・自分でやります。」

 

そう言って木村さんは、

自身の左手で、右腕にこびり付いているものを

ベリッと引き剥がすようにしました。

 

その瞬間、

フッと私も、体が軽くなった感覚を得ました。

 

「できたような気がします。」

 

「そうですね。できましたね。

どうですか?

“我が想い”を手放した感じは?」

 

「いや、なんか、いたって普通です。」

 

「売上1.5倍については、

いかがです?

どう思いますか?」

 

「あぁ・・・、不思議です。

さっきまで、結構、自分は自然体で

売上1.5倍をやろう、と思えていたつもりでした。

でも今、さらに力が抜けました。

いや、力が抜けるというよりも

力を入れようが入れまいが、どうでもいいような・・・。

だって、達成するのは当たり前のような

気がするんです。

やることをやるだけ。

達成するのが普通のこと。

そんな感じがします。」

 

その時私は感じました。

 

木村さんはニュートラルに淡々とした

表情になっていたのですが、

その奥に、とてつもないパワーが

宿っていることを。

 

あぁこれは、

本当に物事を成し遂げる人の空気感だ

と思いました。

 

何の気負いもなく

淡々と凄いことを成し遂げていく

深いパワー。

 

これこそが、

木村さん本来の空気感であると

私は確信しました。

 

つづく

 

問いと向き合わずして、人生の喜びはない

「自問自答」について

もう少しお話しします。

(→前回記事)

 

通常の「思考」によって導き出すよりも

「自問自答」によって得られる答えの方が

自分自身の真本音に

より近い答えが出やすいです。

 

それはなぜか?と言いますと、

私達の真本音の中には

たくさんの「問い」が詰まっているからです。

 

私達人間の本質とは、

「問いを持った存在」

であると、という言い方もできます。

 

「問い」とは

「願い」です。

 

「願い」とは

「問い」です。

 

一つの強烈な「願い」を持つということは

その願いに近づくための「問い」が

必須となります。

 

その「問い」を大切にし続けることが

「願い」への道を開きます。

 

真本音とは、

「揺るがぬ願い」の結晶体です。

ということは、

そこには様々な「問い」が

セットで存在しているのです。

 

そういう視点で言えば、

真本音で生きるとは、

「自らの問いに素直に生きる」

ということになりますし、

「自らの問いの答えを、

生きることを通じて得ようとする」

ということにもなります。

 

「問いへの探求」。

 

これが私達の根本欲求の一つですし、

それこそが

「進化への道」

でもある、ということです。

 

ですから私はコーチングをする時に

必ず、

「このクライアントさんは

真本音でどのような問いを抱きながら、

生きている人だろうか?」

という見方をします。

 

そして、その問いを

必死にキャッチしようとします。

 

真本音の問いに常に結びつくような

問いを投げるようにします。

 

すると、

そういった問いを投げること自体が

そのクライアントさんの真本音度合いを

著しく高めます。

 

その問いを受けることで、

真本音が喜ぶからです。

 

皆さんの中にも必ず

あるはずです。

 

自分自身がどうしても渇望して止まない、

根源的な問いがあるはずです。

 

あぁ私は、この問いの答えを見つけるために

生きているのではないか?

 

というものがあるはずです。

 

例えば、私の場合、

真本音の問いの一つは

 

『自由とは何か?』

 

というものです。

 

この問いを初めて意識したのは、

19歳の時です。

 

当時、私は登山に夢中になっており、

登山のパーティーのリーダーをした時に、

メンバーの心がバラバラになってしまった

という経験をしました。

 

その原因はリーダーである私自身に

あったのですが、

その時、私が感じたのは、

そこにいる誰もが「自由ではない」

ということでした。

 

全員が好きで登山をしているにも

関わらず、

そして、自らの意志でパーティーに

参加しているにも関わらず、

誰も、自由ではなかったのです。

私自身も含めて。

 

その現実の中で自然に湧いてきたのが

 

『自由とは何か?』

 

という問いでした。

 

あれからすでに30年経っていますが、

今もその問いは

私の探求テーマです。

 

この問いとずっと向き合い続けることで、

私の人生は形創られてきた

とも言えます。

 

そしてそういった問いに素直に

向き合ったからこそ、

紆余曲折の多い人生でしたが、

私は後悔なく、ここにいます。

 

この問いは、

私が人生を終えるまで、

絶えることはないでしょう。

 

問いに向き合うことそれ自体が

私の喜びであり、

内側から自然にパワーが湧いてくる

私のエネルギーの源です。

 

もちろん、

私の真本音の問いはそれだけでは

ありません。

 

人生を進むうちに、

たくさんの問いが明確になってきました。

 

不思議なことに、

真本音の問いは、

増えれば増えるほど、

喜びが大きくなります。

 

問いが増えるということは、

迷いが増えるというようなイメージが

ありますが、全く逆で、

問いが増えれば増えるほど、

私には、「確信」が増えました。

迷いがなくなりました。

 

問いが増えれば増えるほど、

人生が明確になり、

すべきことが明確になり、

ビジョンが明確になりました。

 

それが

「真本音の問い」

です。

 

ですから私が、多くの方々にメッセージしたいのは、

問いから逃げないでください、

ということです。

 

自分の中にある問いから

目を背けずに、

問いに対して真摯に向き合ってください、

ということです。

 

残念ながら、

初対面でお会いする人々の内、何割かは、

私がキャッチしたその人自身の真本音の問いを

そのままダイレクトに投げると、

その瞬間に、拒絶反応をされたり、

「そんな難しいことは、私にはわかりませんから」

と逃げ腰になってしまいます。

 

ですから、

その人の真本音の問いをこちらがキャッチできても

すぐにその問いをご本人にお伝えするわけには

行かないケースが多いです。

 

その場合は、

その人の真本音度合いを上げることによって

その人の「準備」を整え、

その上で初めて、その人自身の真本音の問いを

投げる、ということをします。

 

それでようやく、ご自身の問いと向き合うことに

なるのですが、

その時点が、その人の真本音の人生の

スタートとなります。

ようやくの、スタートです。

 

すぐに問いを投げられない人の割合は、

私の経験で言えば、

約8割です。

 

つまり8割の人が、

自分自身の人生の探求テーマと

向き合っていないということです。

 

真本音の道とは別の道を

進んでいるということです。

 

これが今の世の中の現状です。

 

これを何とかしたいと、

私は思っています。

 

これも私の探求テーマの

一つです。

 

つづく

 

すべては、自問自答から始まる

自問自答。

 

私達現代人にとって

今最も必要なのは、これかもしれないと

最近、私は強く思います。

 

「自問自答」とは、

「思考」とは異なります。

 

まず、「自問」とは

自らに問いかけることです。

 

まるで自分自身を他人のような感覚で

自らに問いを投げます。

 

それが難しいようであれば、

鏡を見ながら、鏡の中の自分に

問いかけるとよいでしょう。

 

そして、「自答」とは、

問いを受けた自分の中から

自然に湧き上がってくる答えを

「待つこと」です。

 

決して、

頭で答えを形作ってははいけません。

 

私達の本当の答え、

つまり、真本音の答えは、

頭の中にはありません。

 

とは言え、

思考は大事です。

 

私は、思考とは

「思考を超えた答えを見つけ出すための

有効な手段である」

と思っています。

 

懸命に思考することで、

思考を超えた答えが見つかります。

 

思考をしながら、

思考の範疇の答えを見つけ出しても

私達人間は本当の意味では

納得できません。

 

確信を伴った直観的な答えに

たどり着いた時に、

初めて納得します。

 

確信とは、

迷いのない答え。

淀みがゼロの答えです。

 

それは、

思考の範疇からは決して

出て来ません。

 

しかし、とことん思考をすることで

思考以外のところからやって来ます。

 

そういった意味で、

思考は大事ですが、

思考に捕らわれてはいけません。

 

そして、

自問自答を毎日のように繰り返すことで、

その、思考そのものもいつしか

必要なくなります。

いえ、正確に言えば、

思考はするのですが、

最低限の思考だけで大丈夫になります。

 

要するに、

確信的な直観を

意図的に引き起こすことができるように

なります。

 

直観力とは、

物事をよく考えない(思考しない)人からは

生まれません。

 

しかし、とことん思考をする人は

思考をそれほどしなくてもよいくらいの

直観力が養われます。

 

そしてそのためには、

自問自答を繰り返すのが

最適・最速です。

 

これまで、頭の中でグルグルと

考えていたことがあれば、

自分をまるでクライアントのように捉え、

自分自身に問いを投げてみましょう。

 

今の自分には

どのような問いを投げることが最善か?

を考えてみましょう。

 

すると、

問いを投げることがいかに重要か?

そして、

最適な問いを見つけることがいかに重要か?

をお分かりいただけると思います。

 

コーチングとは、

その、問いの部分をサポートすることですが、

コーチングを受けることで

自問自答力を増すこともできます。

 

それはつまり、

直観力を増すことです。

 

自らの進化のための自問自答。

 

自らの真本音の答えを

見つけ出す自問自答。

 

そういった力を養うことが

私のコーチングの目的の一つです。

 

そして、

自問自答力のついた人達が集まり、

お互いに問いを投げ合うことで

一人一人の自問自答の範疇を超えた

発想を掘り起こし合う。

これが、チームコーチングの本質です。

 

つまり、

自問自答できるチーム(組織)を創る。

 

これが私が大切にしている

組織サポートの本質です。

 

まずは。

 

答えがすぐに見つからなくてもよいので、

自分自身に問いを投げること。

 

投げ続けること。

 

そのためには、

どのような問いを投げることが

今は最善なのか?を

それこそ、必死に考えること、ですね。

 

つづく