チームパフォーマンスコーチ

古い皮を脱ぎ捨てずして、真の成長はあり得ない

「脱皮」とは、

「実在」と「現象」の一致度合い、

つまりは「一貫性」が

一気に高まること。

それはイコール、

「真本音度合い」が一気に高まること

でもあります。

 

その「脱皮」をサポートするためには

あえて、

「実在」と「現象」の不一致部分を見つけ、

そこに刺激を入れ、

より「不安定」にさせることです。

 

不安定は「自然崩壊」を生み、

これまでの自分が崩壊するからこそ

「脱皮」は成されます。

 

それを、チームとして起こすための

戦略を見出そう、というのが

今回の木村さんと弓江さんの二人コーチングの

目的です。

(→前回記事)

 

その目的を果たすために、

まずは私は木村さんと弓江さんの

悪い意味での不安定さを

抜きました。

二人の自己満足的な「気合い」を

抜いたのです。

(→【自己満足の気合いでは、何も見えなくなる】)

 

話は、そこからの続きとなります。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「弓江さん、

今、改めて思うことを教えていただきたいのですが、

今の木村リーダーの状態はいかがですか?」

 

「はい。

木村リーダーご自身がすでにほぼ

脱皮しかかっていると思います。」

 

「何%くらい脱皮できていると

思いますか? 直観的に。」

 

「80%くらいでしょうか。」

 

弓江さんの言葉は

スッと私の中に入ってきますから、

その通りなのでしょう。

 

「では、木村さん。

木村さんからご覧になって、

今の弓江さんの状態はいかがですか?」

 

「弓江も私と同じく、

80%くらい脱皮しかかっていると

思います。」

 

この言葉も

スッと伝わってきます。

 

「わかりました。

では、お二人にお訊きしますが、

お二人の脱皮は、チーム全体の脱皮と

同時並行で行われるべきものですか?

それとも、

まずはお二人が脱皮することで、

それがチームの脱皮につながるという

順番ですか?」

 

「それは後者ですね。」

とすぐさま木村さんが答え、

弓江さんが大きく頷きました。

 

「では、

お二人の脱皮は、

今この場で行なわれるべきですか?

それともこの場では、刺激のみを与え、

今後の日常業務の中で

行なわれるべきですか?」

 

「今もうここで

脱皮しちゃいたいですね。

そのための今日のこの場だと思います。」

と木村さん。

 

私が抱いていたもともとの順番と

一致しています。

 

「わかりました。

では、まずはそれを最初の目的として

この二人コーチングを進めましょう。」

 

私がそう宣言したその瞬間に、

私は弓江さんの脱皮が

一気に進んだ感覚を得ました。

 

ほぼ99%、

脱皮が完了したのだと

直観しました。

 

「おっ、弓江さん、

もうほぼ脱皮が完了しそうですね。

わかります?」

 

「はい、何となくわかります。」

 

「弓江さんの今回の脱皮は

何からの脱皮でしょうね?

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている古い皮とは、

何でしょう?」

 

「う〜ん、何でしょうか?」

 

「まず、今脱ぎ捨てようとしている

古い皮の実在はわかります?」

 

「あっ、わかります!

なんか、ほとんど脱ぎ捨てることが

できているのですが、

左足に脱ぎ捨てた皮がまだ

引っかかっているようです。」

 

これは単なる弓江さんのイメージ

ではありません。

あくまでも彼女は、

実在を感じ取っているのです。

 

ですから、彼女の言うことは

私にもよく「実感」できます。

 

私も弓江さんの左足に

違和感と重さを感じ取っていたのです。

 

これが「イメージ」と「実在」の

違いです。

 

「実在」とはあくまでも、

本当にそこに実在しているものです。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが当たり前のようにそれを

感知することができるようになります。

 

「弓江さん、

その左足に引っかかっているその皮は

何でしょう?」

 

彼女はじっと自分の左足に

意識を向けていました。

 

そしておもむろにつぶやきました。

 

「あぁこれは、

私の“正義”ですね。」

 

つづく

 

融通の効かない人には一貫性がない

前回の記事で

「実在」と「現象」について

述べました。

(→前回記事)

 

私達人間が真の意味で

「自由である」

と感じられるのは、

この「実在」と「現象」が一致している時

です。

 

現実レベルで見て、

どれだけ自由な環境で

自由に動いていたとしても、

それが自分自身の「実在」の想いと

一致していなければ、

その人は決して自分のことを

「自由である」

とは感じません。

 

私はよく、

「実在の自分」

「現象の自分」

という言い方をします。

 

その表現を使えば、

「実在の自分に素直に生きている」

状態にあれば、

私達は「自由」を感じるのです。

たとえ、

どのような環境においても。

 

そして、

「実在の自分」と「現象の自分」が

一致していることを

「一貫性が取れている」

と言います。

 

ですからシンプルに言えば、

一貫性が取れている人は自由

です。

 

私はこの「一貫性」を

コーチングにおいては非常に

大事にしています。

 

ちなみに。

 

「一貫性」と「頑固」は

本質的に異なります。

 

「頑固」とは

一貫性の取れていない人の

振る舞いです。

 

一貫性の取れていない人が

自分を守ろうとするために、

融通が効かなくなり、

「頑固」になります。

 

「自我」と「自己」という視点から言えば、

(→【自我による発想など、たかが知れている】)

「頑固」とは、自分だけを守ることですから

「自我」によるものです。

周りとは分離しています。

だから、

周りに迷惑が及びます。

 

それに対して、「一貫性」とは

柔軟です。

 

「一貫性」の取れている人ほど、

周りの意見をよく聴き、

取り入れ、自分のものとすることが

できます。

 

「一貫性」の取れている人は、

何を大事にすれば良いか?

何を変えてはいけないか?を

本質的によくわかっています。

 

変えてはいけないものを

わかっているからこそ、

それ以外に関しては非常に柔軟に

なるのです。

 

「変えてはいけないもの」を

大事にするために、

あらゆるものを変え続けるのです。

 

そこに執着はありません。

 

組織やチームで言えば、

頑固な組織(チーム)か?

一貫性のある組織(チーム)か?

の見極めが非常に重要です。

 

さて。

 

そろそろ木村さんと弓江さんに

戻りましょう。

 

私は、

新規事業プロジェクトチームが

脱皮をするための、

戦略を見出そうとしています。

 

そのための二人コーチングです。

 

チームメンバーは

半分に減らされました。

しかしそれにより、

チームとしての調和性は上がっています。

 

きちんとした脱皮が成されれば、

チームの生産性は何倍にも

アップするでしょう。

 

脱皮段階は、

個人もチームも非常に不安定に

なります。

 

しかしその不安定こそが

大事です。

 

不安定を助長するくらいの方が

良い脱皮ができます。

 

そのためには、

不安定をさらに不安定にするための

刺激を入れる必要があります。

 

どこにどのような刺激を入れることが

最も効果的か?

・・・それが戦略です。

 

そしてその、刺激の入れ所とは、

チームとしての「実在」と「現象」の不一致点

であることが望ましいです。

 

「実在」と「現象」の不一致点を見出し、

そこを突くことで、

個人にとってもチームにとっても

良い意味での「崩壊」が起こります。

 

脱皮とはある意味、

これまでの自分を壊すこと。

 

壊すべきをちゃんと壊すことで、

これまで以上の「一貫性」を

手に入れることができるのです。

 

そして、

より「自由」になれます。

 

そういった意味で、

コーチとは時には「破壊者」であることが

必要です。

 

私は今、

「破壊者」であろうとしています。

 

つづく

 

虚構の中でどれだけ頑張っても、それは虚構だ

この後の二人コーチングの展開を

語るためには、どうしても

次のご説明をしておかなければなりません。

(→前回記事)

 

「実在」と「現象」、

についてです。

 

以前にこのブログでも書かせて

いただきましたが、

さらに詳しいお話をしなければなりません。

 

簡単に言えば、

「実在」とは、

私達の心の中の世界で起きていること

です。

 

「現象」とは、

私達の現実世界で起きていること

です。

 

「実在」と「現象」とは

本来、繫がっています。

 

「実在」で起きたことが

「現象」で起こります。

 

例えば、心の中で

「こんな家を建てたい」と思うから

現実世界で、

そのような家が建ちます。

 

「実在」で起こらないことは

「現象」化しません。

 

それが原則です。

 

ところが、

今の世の中はそうとも

限りません。

 

「実在」では存在しないことが

「現象」化することが

往々にしてあります。

 

つまりは、

心の中で本当には思っていないことが

現実化します。

 

例えば、

実在では「こんな家を建てたい」と

思っている家とは全く異なる家が

建ったりします。

 

もしくは、

本当は実在では「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていないにも関わらず、

現実では、家を建てることもあります。

 

なぜならそれは

外からの影響を受けるからです。

 

例えば、自分の知り合いが

家を建てた。

その家に遊びに行った。

その時に、「あぁこんな家を建てないな」と

思った。

その通りに、建てた。

・・・しかし、その人の心の中では

本当は「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていなかった。

なのに、たまたま知り合いの家を見たがために

それをきっかけとして家を

建ててしまった。

・・・そんなケースです。

 

それはそれでいいではないか、

と思う人も多いかも知れません。

 

しかし、

そう単純な話ではないのです。

 

「実在」で、

・・・つまりは、心の中で、

本当に望んでいるのとは別のことを

「現象」化する、

・・・つまりは、実現することにより、

私達の中では、

「実在」と「現象」の不一致が

起こります。

 

「実在」と「現象」の不一致が起こることで

私達には、多大なるストレスが

発生してしまうのです。

 

もちろんストレスが一概に

悪いわけではありません。

 

私達にとって「必要なストレス」というのも

あります。

 

しかし、

「実在」と「現象」が不一致を起こすことで

発生するストレスは、

私達の人生にとっては

百害あって一利なし、・・・なのです。

 

「実在」と「現象」の不一致によるストレスは

私達自身を混乱させます。

自分を見失う、ということになります。

 

こういった人は、

自分は何のために生きてるのか?

自分は何のために生きていきたいのか?

自分は何のために生きることで

幸せを感じるのか?

などが、わからなくなります。

 

本質的な「幸せ」と「不幸せ」の区別が

つかなくなるのです。

 

すると、良かれと思ってやっていることが

自分にとっても周りにとっても

苦しみしか与えない、ということが

非常にたくさん起こり得ますし、

しかも、自分が苦しんでいることに

自分が気づいていないということも

起こります。

 

麻痺している状態です。

 

一生、麻痺しながら

幸せだと思い込みながら生きる人生も

それはそれでよし、

と考える人もいるかも知れません。

 

しかし、残念ながら

自分が苦しんでいることに自分が

気づいていなくても、

それでも、自分が苦しんでいることは

結局は自分が一番よくわかっているのが

私達人間です。

 

自分の人生は

自分のものだからです。

 

自分の人生を良くしたい、

と願うのも私達の本能です。

 

ですから、頭では自覚していなくても

本能的には、自分の苦しみを

自分が一番理解しています。

 

そして、苦しんでいるにも関わらず

それを改善しない自分自身を

自分は「嫌い」になっていきます。

 

自分で自分を嫌う。

 

言葉で言うのは簡単ですが、

それは想像以上に辛いことです。

 

自分を嫌う人は、

目の前に幸せがあったとしても、

それを「幸せである」とは感知しなくなります。

なぜなら、

自分が嫌いだから。

自分に幸せを与えたくないから、です。

 

それを続けることで、

私達の心と魂は、どんどん疲弊し、

傷ついていきます。

 

実は、

そういった人がとてつもなく多いのが

今の世の中です。

 

心と魂が傷ついた人同士が

チームを組んだとしても、

そのチームで「本当の喜び」を得られるはずが

ありません。

 

「実在」と「現象」の繋がりのないままで

「無理矢理のその場しのぎの喜び」を

作り出すのが、関の山です。

 

そういった組織やチームが

非常に多いです。

 

ですから私がまずはいの一番に

手をつけるのは

「実在」と「現象」の一致

です。

 

つまり、

本当に自分が心の中で思っていることと

現実で起こることを

一致させていくのです。

 

それをせずして、

本質的な人の進化も組織の進化も

あり得ません。

 

非常に残念なことですが、

今の世の中においては、

「実在」のない「現象」で生きている、

つまりは、

虚構の中で生きている人が

多いです。

そんな組織も多いです。

 

足元がないのです。

 

足元がない状態で、

いくら表面だけを取り繕っても

それは、虚構のままです。

 

下半身の弱い力士が

上半身だけを鍛えているのと

同じことです。

 

たまたまの成果には繋がるでしょうが、

本当の、必然的な成果は

あり得ないでしょう。

 

もっと私達人間は

強くなれるはずです。

 

組織ももっと

強くなれるはずです。

 

そのためには

下半身を鍛えるのです。

 

「実在」と「現象」を

一致させるのです。

 

つづく

 

自我による発想など、たかが知れている

「自我」と「自己」の違いって、

わかります?

 

「自我」とは、

自分と他者、

自分と社会、

つまりは、自分と自分以外のすべてのもの

が分離しています。

すべてと分離した上での自分。

自分だけの自分、です。

 

「自己」とは、

他者との繋がり、

社会との繋がり、

あらゆるものとの繋がりの中における自分

です。

すべてとの繋がりを実感した上での自分。

全体の中の自分、です。

 

「自己実現」とは

ここからきている言葉です。

 

私達人間とは、

社会的生き物です。

 

繋がりを前提として

存在しています。

 

繋がりがなければ生きていけない

ということを前提として

生まれた存在です。

 

逆に言えば、

繋がりを通じて進化をしていこう

ということを前提として

生まれた存在です。

 

ところが、

繋がりを無視したり、

すべてから自分を分離させ、

自分だけが幸せになればいい

という想いのもとに行動を続けるケースが

あります。

 

ビジネスにおいても

それ以外においても。

 

概して、そういった人は

疲弊しています。

なぜなら、私達人間の本能や

存在意義に逆行した生き方だからです。

 

自分一人が幸せになるよりも、

自分も家族も幸せになる方が

私達からはパワーが生まれます。

 

大切な人を大切にしたいという気持ちは

私達の、繋がりを求める本能から

来るものです。

 

その本能を、

ビジネスの場でもそのまま発揮すればよい

と私は思っています。

 

その方が明らかに、

皆のエネルギーは高まります。

心の内側からパワーが自然発生するのです。

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチング。

(→前回記事)

 

お二人ともかなりの気合いが入って

いました。

しかしその気合いから私が感じ取ったのは

「周りとの分離感」でした。

 

つまり、自分だけの自分、

「自我」としての気合いだったのです。

 

これでは、いずれ必ず二人は疲弊します。

しかも、分離感の中では

不調和の発想しか生まれません。

 

これは実は

非常によくある現象です。

 

ひょっとすると、コーチによっては

この「気合いの入った状態」を

非常に良い状態である、

と認識し、コーチングを進めてしまうかも

知れません。

 

しかしそれでは、

一時的に良い結果は出せるかも知れませんが、

間違いなくそれは一過性のものとなります。

 

それは、不安定の始まりです。

 

不安定とは、

一時的に良くて、

その後に間違いなく「反動」が来る状態です。

そして一度、落ちて、

そこでまた「気合い」を入れて復活し、

結果を出すけれども

またその後、反動により落ちて、・・・

を繰り返します。

 

つまりそれこそが

反応本音レベルの人生、であり

反応本音レベルの仕事、です。

 

「それが人生だ」と

思っている人も多いようなのですが、

そこから私達は脱け出し

自由になることができるのです。

 

気合いの入った二人から

私が感じ取ったのは、分離感です。

私と二人も繋がっていませんし、

二人同士も繋がっていませんでした。

 

その状態で出て来る発想も行動も

たかが知れています。

 

彼らはもっと

素晴らしい現実を

生み出したいはずです。

 

ですから私は

彼らの「気合い」を

彼らから抜きました。

 

その「気合い」とは、

反応本音レベルの気合い。

 

それを抜けば、

真本音状態となります。

真本音状態となれば、

繋がりは自然発生します。

というよりも、

もともと私達は繋がっているのですから、

もともとある繋がりを、

あるがままに感じ取ることが

できるようになります。

 

その状態で物事を進めることこそが、

チームの、組織の、

本来の意味であると

私は思うのです。

 

つづく

 

自己満足の気合いでは、何も見えなくなる

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチングの冒頭で、

私はそのようにお伝えしました。

(→前回記事)

 

二人にとっては

予想外の一言だったようです。

 

少しの間、二人は無言でした。

私の言葉に戸惑っていたのでしょう。

 

冷静な口調で弓江さんが

言いました。

「私達は今、不安定ですか?

私にはその自覚がありませんでした。」

 

木村さんも口を開きました。

「むしろ、いい状態だと

思っていましたが・・・。」

 

「いい状態、だと感じていた

理由はわかります?」

 

「すごくエネルギーが湧いてきています。

モチベーションが高いです。

集中力もあります。

前向きですし、絶対にやってやろうという

意志が高いです。

今日のこのコーチングも楽しみで

しょうがなかったです。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「そうですね。木村リーダーとほぼ同じです。

これまでとは少し違うレイヤーの意識に

自分はいるという気がしていました。」

 

「なるほど。

では、一つ今から問いをお二人に投げますので、

直観的にお答えいただけますか?」

 

「はい。」

 

「お二人の真本音は今、

どこにいますか?」

 

最初に弓江さんが答えました。

 

「あっ、なんか、私から離れている

気がします。

私の後ろの上の方、3mくらいの

ところにいるような気がします。」

 

「木村さんはいかがですか?」

 

「私も離れている気がします。

私は50mくらい後ろの方にいます。」

 

「では、その真本音の位置から、

今ここにいるご自分自身を

観察してみてください。」

 

二人は言われた通りにしました。

 

「どうです?

どのように見えますか?」

 

最初に木村さんが

言いました。

 

「なんか、自分の全身から炎が

上がっています。

その炎の中にいます。

でも、炎の中なので、外の世界がきちんと

見えていない気がします。

自己満足的な・・・。」

 

次に弓江さん。

 

「何でしょうか。

自分は、自分の内側のみを見ている

ような気がします。

外に意識を向けていません。

自分のエネルギーを楽しんでいますが、

それだけのようです。

私も自己満足しているのでしょうか。」

 

「お二人は、

新規事業プロジェクトのメンバーが

減ったことが、本当に嬉しいのですね。

なぜなら、直観的に

これで調和性の高いチームになると

思えたから。

そして、これで実績も上がるはずだと

思えたから。

さらに、人数が減らされたのに、

計画以上の実績を上げることができれば、

我ながら凄い!と思えたのではないですか?」

 

「その通りです。」

と木村さん。

 

「それはそれで、問題はありません。

でも、その直観が嬉しくて、

逆に意識が自己満足的な方向に

向かってしまった。

と同時に、

言った以上は、必ず実績を上げなければ!

と気合いを入れた。

気合いを入れること自体は大事ですが、

それは自己満足的な気合いですね。」

 

二人の心がギュギュッと

固くこわばったのがわかりました。

 

「まぁでもそれも人間でね。

そういった心になることをやめてください、

と言う話ではないのですよ。

大事なのは、

そういったご自分を真本音の視点から

客観的に見て、どうしたいか?ですね。」

 

「いやぁ、自己満足は嫌ですね。」

と木村さん。

 

「私は自己満足をするような人間ではないと

これまで思っていましたが、

結構しちゃうのですね。」

と弓江さん。

 

「自己満足するご自分を責める必要もありませんし、

否定することもありません。

それをあるがままに見つめることが大事です。

では、そういった自己満足的な自分に対して

どうしてあげたいですか?」

 

木村さんが言いました。

「私は自己満足な自分も可愛らしいと

思います。

ただ、その自分の中に閉じこもっているのは

嫌ですね。

そこから出たいです。」

 

次に弓江さん。

「私もなんか、こういう自分がいたのだと

思うと、ちょっと自分を可愛らしく思います。

でも、その中にはいたくないですね。」

 

「じゃあ、どうしましょうか?

その真本音の視点から、今の自分自身に

声をかけてあげてください。」

 

「まぁそんなに力まずに。

やるべきことをしっかりと見出して、

一歩ずつ着実に進もうよ。」

と木村さんが自分自身にメッセージしました。

 

弓江さんは、

「気合い入れ過ぎじゃない?

そんなことでは、本質を外してしまうよ。

もっと楽に力を抜いて進もうよ。」

とメッセージ。

 

その瞬間、お二人から一気に

肩の力が抜けた感覚が伝わってきました。

 

「気合い」が抜けたのです。

 

「では、お二人とも、

真本音を自分の体の中に

戻してあげてください。」

 

二人がそうすると、

その瞬間に、場の空気感が

一変しました。

 

二人の目が「自然体」に

戻りました。

 

そして、まっすぐに私を

見つめてきました。

 

見つめていますが、それは

とても軽やかです。

心地よい風が吹いてくるようです。

 

この瞬間、前回の二人コーチングと同じく、

私達は、「一つ」になっていました。

 

「ようやく元に戻れましたね。

では、コーチングを始めましょう。」

 

つづく

 

人の性は、時として気合となって現れる

「進化」には

「揺らぎ」がつきものです。

 

太陽に黒点があるように、

あらゆる物事に「完成」はありません。

 

なぜなら

「完成」とは

「衰退」の始まりだからです。

 

「完成」した途端に、

それは「進むこと」を止めます。

「完成」なので、

当然そうなります。

 

しかし私達人間の本能は、

止まることを極度に嫌がります。

「進むこと」こそが人間の本質であり、

人間の存在する意味なのですから

当然です。

 

ですから私達は本能的に

「完成」を最も嫌います。

 

必ずどこかに「綻び」を残しておき、

その綻びの不安定さを原動力に

次の進化へとつなげます。

 

それが私達人間のみならず、

すべての自然の摂理です。

 

ところが、その一方で

私達は「完成」を望みますから、

(「完成」を望まなければ「進化」はしませんから)

ある時ある瞬間に、

「完成できた」

と思い込むことがあります。

 

それにより、

これまでの歩みが一気に止まり、

急速に「停滞」から「衰退」に向かう、

ということが頻繁に起きてしまいます。

 

「完成した」と思い込むことを私は

「傲慢」

と表現することがありますが、

急速に「進化」することで逆に

「傲慢」になってしまうというものも、

私達人間の性の一つであると思っています。

 

ですから、コーチの役割の一つは、

「傲慢」からの開放です。

「傲慢」ではなく、「真摯」に進化に向かうこと。

それこそが、私達人間の本能レベルでの

喜びであるということ。

それを日常の取り組みにおいて

実感していただくこと。

そのためのサポートが

コーチングであると私は考えています。

 

木村さんと弓江さんの

二人コーチングを私は再び

行ないました。

(→前回記事)

 

それは、

私の側から見れば、

「チームの活性化戦略を見出す」

という目的がありましたが、

お二人から見れば、

「さらなる進化のための

綻び(揺らぎ)を見出す」

という目的もありました。

 

お二人は今、

急速な「進化」を望んでいます。

今こそ、大きくブレイクスルーする時。

今こそ、脱皮する時。

・・・そうお考えです。

 

ですから、その脱皮の端緒としての

二人コーチングでもありました。

 

前回の二人コーチングから

約1ヶ月ぶり。

 

お二人はかなり、

気合いが入っていました。

 

それはとても

素晴らしいことです。

 

しかし、気合いが入っている場合、

私はそれを「抜く」ことを

大切にしています。

 

気合いは大切ですが、

気合いは時には

「脱皮」を妨げます。

 

気合いとは

「意図」だからです。

 

私達は「意図」を持つことで、

自分の「意図」の範疇でしか

成長できなくなります。

 

私達の「進化」とはもっと

ドラスティックです。

 

意図を超えたところで、

真の「進化」は行われます。

 

まずは二人を

二人の「気合」から解放

しなければなりません。

 

私はあえて、お二人に

二人コーチングの冒頭で

強烈な一言をお伝えしました。

 

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

嘘ではありません。

本当にそうだったので、

その通りに申し上げたのです。

 

つづく

 

直観とは、準備があってこそのもの

私は木村さんからの依頼で、

新規事業プロジェクトチームに

もう一歩深く関わることになりました。

 

そして弓江さんとの面談によって

弓江さんという社内コーチを育成しながら

チームに関わる、という方向性を

見出しました。

(→前回記事)

 

目的は、

チームの「脱皮」を果たすことで、

当初の売上目標の1.5倍を達成する

こと。

それを、木村さんと弓江さん中心に

推進するサポートをすること。

 

そのために私は

具体的に何をすればよいでしょうか?

 

私は、組織(チーム)を活性化したり

育成する上で、必ず

戦略を立てます。

 

戦略とは、

最も楽な道を見出す

ことであると私は考えています。

 

つまり、

目的を果たすための

最も楽で効果的なサポートの道筋は何か?

を、私はあらかじめ見出します。

 

私はそれを、

「組織(チーム)活性化戦略」とか

「組織(チーム)育成戦略」

と呼んでいます。

 

それを基本的な道筋として実行に移しますが、

もちろん戦略通りに物事が進むかどうかは

わかりません。

しかし、

物事に柔軟に対応するためには、

その基本線となる道筋が必要です。

 

基本があるからこそ、

応用が効き、

柔軟性が発揮できるのです。

 

それは一回一回のコーチングにおいても

言えることです。

 

私は仕事柄、

私以外のコーチやコンサルタントの方に

お会いする機会がありますが、

彼らのあまりの準備の少なさに

びっくりすることが、正直あります。

 

彼らは「その場のアドリブや臨機応変さが

大事である」と言うのですが、

本質的なアドリブとか、臨機応変さと言うのは

しっかりとした準備があってこそのものであると

私は思います。

 

最も楽な道は何か?

その答えを、自分の中で確信を持てるまで

準備をする。

その上で、現場に入る。

だからこそ、現場では

自由になれる。

直観も大いに働く。

・・・それは、当たり前のことであると

私は思っています。

 

私は、

木村さんの新規事業プロジェクトチームの

活性化戦略を自分なりに明確にしたかったので、

再び、木村さんと弓江さんの

二人コーチングをすることにしました。

 

正確に言えば、

木村さんと弓江さんが

もう一歩、「脱皮」することが、

真の活性化戦略を立てる上では、

重要だと思ったのです。

 

言葉を換えれば、

もう一歩「脱皮」した木村さんと弓江さんと共に

活性化戦略を見出したいと

思ったのです。

 

これ自体も、

活性化戦略の一端と言えますが。

 

木村さんと弓江さんの

真本音レベルの相性は

実にいい。

一人一人を個別でコーチングするよりも

二人同時にコーチングした方が

恐らく数倍の効果が上がるでしょう。

 

お二人もそれを自覚されていたようで、

なかなかに凄い気合いで、

二人とも私の前に現れました。

 

つづく

 

コーチングより、指導してください

木村さんとお話しした後、

(→前回記事)

私は少し弓江さんともお話をしたく

なりました。

 

あえて1対1で

お話ししたいと思いました。

 

弓江さんはすぐに時間を

取ってくださいました。

 

さっそく私は本題に入りました。

 

「弓江さん、突然の展開でしたね。

プロジェクトメンバーが半分に縮小されることになり、

今はどんなことを感じていらっしゃいますか?」

 

「木村とも話していたのですが、

実はそれほど驚いたわけではありません。

何となくこうなることは

わかっていたような気がします。」

 

「特に気負いもなさそうですね。」

 

「はい。

むしろ、スッキリした気分です。

今の縮小されたメンバーだけの方が

正直言いまして、やりやすいです。」

 

「木村さんは、これで生産性が

上がるのではないか、と言われてました。」

 

「私もそう思います。

もちろん、残されたメンバーは未熟です。

能力も経験も高めなればいけませんが、

それはさほど難しいことのように

思えません。」

 

やはり弓江さんは

今回のこの展開をニュートラルに

受け止めているようです。

 

しかも私は彼女から

一種の覚悟のようなものを感じました。

 

「何となくですが、

今の弓江さんからは覚悟のようなものを

感じるのですが、自覚ありますか?」

 

「覚悟ですか・・・。

それほど大仰なことではないと思いますが、

私は、たけうちさんがおっしゃったように

チームにおけるコーチとしての在り方を

貫こうと思っています。」

 

「具体的にはどういったことに

注力されるのですか?」

 

「まずは、木村リーダーのサポートです。

彼が、これまで以上に本来の彼を出せるように、

私は彼の隣で寄り添います。

そして、メンバー一人一人の育成です。

私自身が前線に立つというよりも、

前線に立つ彼らを育成するということが

私の役割だと思っています。

彼らの成長が、すべてを決めますね。

そう思っています。」

 

一言一言が

とても腑に落ちる感覚がありました。

すべて真本音で語っているようです。

 

「私は木村さんから、

もう一歩深くプロジェクトに関わってほしい

という依頼をいただきました。

チームメンバーにも直接関わってほしい、と。

弓江さんはどう思いますか?」

 

「ぜひお願いします。

私はコーチとしての在り方をしたいと

言いましたが、

そんな私自身がまだまだ未熟です。

たけうちさんにお願いしたいのは、

私を指導してほしいということです。

私をコーチングするというよりも、

私のメンバーへの対し方を現場でご覧いただき、

私を厳しく指導してほしいのです。」

 

なるほど。

 

この一言を聴くために、

私は弓江さんとお会いしたのだなと

思いました。

 

「弓江さん、直観でお答えください。

今のチームの力を数字で表すと

いくつになると思いますか?」

 

「・・・。 7、です。」

 

「では、チームの本来の力を

数値で表すと?」

 

「・・・。 あぁ、大きいですね。

2,470という数字が浮かびます。」

 

「面白い数字ですね。

しかし、7 と 2,470 ですか。

まだ今のチームは、まったく本来の力を

発揮していないのですね。」

 

「そうですね。

確かに、彼らの力はまだほとんど

眠ったままです。

脱皮しなきゃ、ですね。」

 

「その脱皮、弓江さんが起こしますか?」

 

「えっ? 私にできますか?」

 

「はい。

当初は私が直接皆さんの脱皮のサポートをしようと

思っていましたが、

弓江さんが彼らの脱皮をサポートする、

ということを大切にしていこうかな。」

 

「もしそれが可能であれば、

ぜひお願いします!」

 

大事な方向性が

見つかりました。

 

つづく

 

今のあなたに、大地はありますか?

あなたの心の中には

「大地」が存在していますか?

 

一度、心の中をしっかりと

確認してみてください。

 

その「大地」は

どれくらいの広がりをもっていますか?

 

無限ですか?

それとも、有限ですか?

 

その「大地」には

何が存在していますか?

 

その「大地」は

生命力に溢れていますか?

 

もし「大地」そのものがない場合、

今は、どのような場所に

あなたはいますか?

 

どのような不安定さを

感じていますか?

 

真本音で生きている人は

無限の「大地」を感じるはずです。

 

人によっては

「大地」よりもさらに安定した何かの存在を

感じるかもしれません。

 

もし「大地」の安定感を得られないのであれば、

現時点で言えば、

あなたの真本音の度合いは

それほど高くはありません。

 

その状態のまま先に進もうとすれば、

不安定さから生まれる恐怖感によって

物事の判断をしてしまうでしょう。

 

恐怖感による判断は、

不調和を生みます。

 

後悔を生みやすいです。

 

まずは「大地」を得ることが

大切です。

・・・いえ、正確に言えば、

すべての人にすでに「大地」は存在していますから、

その「大地」を見つけることが

肝要です。

 

そして。

 

人と同じく、組織やチームにも

「大地」が必要です。

 

「大地」が存在しているチームであるかどうか?

によって、

そのチームの生み出す成果は

雲泥の差となります。

 

面白いことに、

例えば、3人のチームがあったとして、

その時点では確固たる「大地」が

存在していたのにも関わらず、

そこに、新たなメンバーが一人加わるだけで、

その「大地」が一瞬で失われる。

・・・そんなことも日常茶飯事です。

 

つまりチーム(組織)とは

人数が揃っていれば良い、というものでは

決してありません。

 

「大地」を持ったチームであるのか否か?

「大地」を持つためには、

誰をチームに入れて、

誰を入れてはならないか?

ということが重要なのです。

 

そういった意味から言えば、

木村さんの新規事業プロジェクトチームは

人数を半分に減らされたことにより、

「大地」を手に入れることができたのです。

 

木村さんは直観的に言われました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。」

(→前回記事)

 

この木村さんの直観を、

私は何の淀みもなく

受け取ることができました。

 

そういう時は、

本当にその通りになります。

 

新規事業プロジェクトチームは、

ここにきてようやく、

「本来のカタチ」になったのです。

 

そしてその「本来のカタチ」に見合った

ペア編成を、

木村さんと弓江さんはあらかじめ1ヶ月前に確定し

実行に移していた、ということになります。

 

こういったことは

すべて後でわかることです。

 

あぁなるほど、そういうことだったのか、と。

後で、わかります。

 

現在進行形のその場では、

決してわかりません。

 

その場でわかったとしたら、

それは単なる「解釈」です。

 

私達にできることは、

自分自身の真本音度合いを高めることで

自分の中に「大地」を見出し、

その「大地」を感じながら進むこと。

 

今この瞬間を

進むこと。

 

それのみです。

 

つづく

 

自力でできることを、サポートしてはならない

新規事業プロジェクトチームの

縮小が正式決定しました。

(→前回記事)

 

そして間もなく・・・。

 

私は木村さんに呼ばれました。

 

「一つお願いしたいことが

あるのです。」

 

「なんですか?」

 

「もう一歩深く、

私達をサポートいただけませんか?」

 

「もう一歩深く、ですか?」

 

「はい。

ここまでは、私や弓江をサポートして

いただきましたが、

これからは、私のチームそのものを

サポートしていただきたいのです。」

 

「そう思われた理由を

教えていただけますか?」

 

「私はこのプロジェクトを必ず

目標達成させたいのです。

しかし残念ながら、メンバーは半分に

縮小することになりました。

しかし私は残されたメンバーが

ポテンシャルをしっかりと発揮できれば

必ず達成できると思っています。

そのためのサポートをお願いしたいのです。」

 

私は木村さんの中に、

わずかですが、淀みを感じました。

 

「今、木村さんがおっしゃったのは、

確かに木村さんの望んでいることだ思いますが、

それは私がいなくても、

自力でできるのではありませんか?

もしくは、これまでと同じように

木村さんのみへのサポートでも

可能ではありませんか?」

 

少し木村さんの目が揺れました。

 

「木村さん、

真本音でお答えください。

新規事業プロジェクトは、

木村さんの自力で目標達成は難しいですか?」

 

直観的に木村さんは答えました。

 

「弓江とも協力しながら行けば、

大丈夫だと思います。」

 

今度は、スッキリ伝わってきました。

 

「ですよね。

では、私に対するご要望が、

他にあるのでは?」

 

木村さんはじっと私の目を

見つめてきました。

 

こういう時の木村さんは、

間違いなく真本音度合いが

高まっています。

 

フッと、心地よい風が

吹いた気がしました。

 

「あっそうか。

たけうちさんにご要望があります。」

 

「何です?」

 

彼はニッコリと笑いました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。

でもそのためには、

全員がもっと加速的に成長する必要があります。

私も含めて。

たけうちさんの言われている脱皮は、

これから始まるんだと思います。

全員が、一人一人が、きちんと脱皮しなければ

このチームの脱皮は完成しません。

たけうちさん、至急、我々の脱皮を

サポートしてください。

一刻も早く、脱皮した我々として、

私は、1.5倍の数値を達成します。

それが、我社の未来にとってとても大事だと

思いますし、

私の人生にも、皆の人生にも大事な

転換点です。」

 

要約すると、そのような内容を

彼は呟くように私に伝えました。

 

その一言一言が、

私の胸に沁み渡りました。

 

「いいでしょう。

そういうことでしたら、やりましょう。

平井さんはご存知ですか?」

 

「はい、平井からはすでに

たけうちさんがもう一歩深く関わることについては

了解を取っています。」

 

「では、今からすぐに

二人で平井さんのところに行きましょう。」

 

私は木村さんと共に、

すぐに平井さんにお会いしました。

 

そしてその場で、

今、木村さんが宣言されたことを

そのまま木村さんの口から

平井さんに伝えてもらいました。

 

平井さんは真剣な表情で、

「わかった。任せるよ。」

と言われました。

 

「たけうちさん、お願いします。」

と平井さんは神妙な顔で言われましたが、

私は彼が今にも

笑い出しそうなのを必死でこらえているのが

よくわかり、

私も、つい笑い出しそうになりました。

 

つづく

 

人は、未来とも調和する判断ができる

木村さんと弓江さんの二人コーチングから

約1ヶ月経ったある日。

(→前回記事)

 

私は、平井さんに

「ご相談があります」

と呼ばれました。

 

平井さんは言われました。

 

「実は、

新規事業プロジェクトチームの

大幅縮小を考えています。」

 

「えっ?」

と私は驚きました。

 

「どうしても、

新規事業プロジェクトの主要メンバーを

もとの部署に戻す必要が生じました。」

 

話を聴けば、

何か問題が起きたということではなく、

これまでの既存事業の業績が

予想以上に伸びている、とのこと。

 

お客様のご要望にお応えするために、

どうしても人員の補強をしたい、

そのために、新規事業プロジェクトを

大幅縮小することは可能か?

というご相談でした。

 

ただし、平井さんとしては、

新規事業プロジェクトも成功させたい、

という気持ちも強く、

プロジェクトの人数を半分に減らしても

プロジェクトを続行することは可能だろうか?

そして、人員半分でも、

プロジェクトの当初の計画(目標)を

達成することは可能だろうか?

ということについて、私の見立てを聴きたい

ということでした。

 

「木村さんにはこのお話はされたのですか?」

 

「はい、もちろんしました。」

 

「彼はなんと?」

 

「実は驚いているのですが、

大丈夫です、と。

当初の目標も計画も変えずに行きます、と。

そう言うのです。

だから、逆に心配になりまして。

実際のところどうなのか?と

たけうちさんにお訊きしよう思ったのです。」

 

なるほど、そういうことか。

 

「弓江さんもご存知ですか?」

 

「はい。

弓江も木村とまったく同じことを

申しました。

正直、私は少しびっくりしています。」

 

「ちなみに、

実際には、どのメンバーをプロジェクトから

外すのですか?」

 

そのメンバーを聴いて、

私は合点がいきました。

 

この時、私は初めて、

1ヶ月前に、木村さんと弓江さんの二人が

なぜチームのペア編成を組み替えたのか?の

真の意味を知りました。

 

あの時の編成の組み替えが、

ここで生きてきたのです。

 

実は、あの二人コーチングの後、

木村さんは早速、ペアの組み替えを

しました。

 

すると、当初、不調和を起こすのではないか

と予測していたペアが

想定外の調和を見せ、みるみるチームの

調和性も上がりました。

 

チームメンバーも

「非常に仕事がやりやすくなった」と

喜び、チーム全体の活気は明らかに

高まりました。

 

しかもたった1ヶ月ですが、

その中で若手社員が急成長し始めました。

これまでどちらかと言えば、

先輩社員についていくだけ、という人が

主体的に動くようになったのです。

 

木村さんが懸念されていた

「真剣な人とそうでない人の差が開いている」

という問題。

その「真剣でない」と思われていた人達が

主体的になったのです。

 

ペアを組み替えただけで、どうしてこうなるのか?と

「まるで魔法を見ているようです」

と木村さんも弓江さんもおっしゃっていました。

 

でもそれは紛れもなく、

二人で決めた編成だったのです。

 

直観で決めた編成です。

 

ただ、私には

こうなることは何となく予測がついていました。

 

なぜなら、「相性」とは

反応本音レベルの相性と

真本音レベルの相性が

あるからです。

 

二人コーチングの場で、

木村さんと弓江さんが発想したペアは、

思考レベルではNGだったのですが、

それは二人が、

反応本音レベルでの相性を見ていたから

でした。

直観レベルでOKと思えるということは、

恐らく、真本音レベルでの相性が

良いのだろうな、と

私は予測していました。

 

そして、本当に

そうだったのです。

 

真本音レベルの相性の度合いのことを

私は

『調和性』

と呼んでおり、

二人が新たに編成し直したペアは

その調和性に富んでいました。

 

そして、

真本音レベルでの発想は、

その後の「想定外の現実」に対しても

調和をしていきます。

 

平井さんの話によると、

新規事業プロジェクトチームからは

主要メンバーが抜けるということ。

ということは、これまで「真剣でなかった」

若手社員中心のチームになるということです。

 

しかし、この1ヶ月の若手社員の成長ぶりを

見ていますと、

確かに、木村さんが「大丈夫です」というのも

私は理解できました。

 

1ヶ月前の二人コーチングによる

新たなペア編成が成されていなければ、

この事態に対応することは

難しかったでしょう。

 

私は平井さんに申しました。

 

「私も、木村さんと弓江さんの意見と

同じです。

彼らはきっと、やりますよ。」

 

それを聴いた平井さんの表情を

私は忘れることができません。

 

本当に嬉しそうな彼のお顔を拝見して、

ますます、

「これはいけるな」と

私は確信しました。

 

そしてその後、

新規事業プロジェクトは、

若手中心のチームとして本当に

目標達成を遂げることになります。

 

つづく

 

悩まない人は、自由になれない

私は、

「自由になる」

とは、

「直観に素直になる」

ということだと思っています。

 

もちろん、

「思考」を否定しているわけでは

ありません。

 

しかし「思考」とは

「直観力」を高めるための

一つの手段である、

と思っています。

 

何も「思考」しない人からは

「直観」は生まれません。

 

なぜなら私達の真本音は

「試行錯誤」を非常に

重要視しているからです。

 

結果のみならず、

結果に至るまでの過程(プロセス)の

一歩一歩を大切にしています。

 

ただ単に望む結果を出すのではなく、

その道のりの中で得られるものこそを

大切にしています。

 

そこで必要なのが、

「思考」すること。

言葉を換えれば、

「悩む」こと。

そして、

「迷う」ことです。

 

悩むべきことに

100%しっかりと悩み、

迷うべきことに、

100%しっかりと迷い、

考えるべきことを

100%しっかりと考えることで、

初めて、本当の「直観」は

働くようになります。

 

そしてそこで得られた

「経験」は、

次の似たような傾向の「経験」や

応用的な「経験」において

力を発揮するようになります。

つまりは、

「悩まなくても一瞬で決断ができる」

状態となるのです。

 

私が企業現場でいつも実感するのは、

本来悩むべきことから

逃げている人が実に多い、

という事実です。

 

悩みから逃げるからこそ、

直観が働かなくなります。

そしていつまで経っても

その悩みを解決できない、という

悪循環に陥ります。

 

人生が、仕事が、

ストップしてしまうのです。

 

それは、

進化のストップ、ということでもあります。

 

冒頭の言葉に戻りますと、

「自由になる」とは

「直観に素直になる」ということ。

そのためには、

悩みや迷いから逃げないことです。

 

きちんと「直観」の働く状態に

自分を持っていくということです。

 

さて。

 

木村さん、弓江さんの二人コーチングの

場面に戻ります。

 

二人が「直観的」に決めた

チーム員のペアの組み合わせは、

思考レベルで考えると、

とても納得のいくものではありませんでした。

(→前回記事)

 

「直観」ではOK。

「思考」ではNG。

 

こうした場合、

私はコーチとしてあえて

「断定」することにしています。

 

一般的に、コーチは

クライアントの意見を尊重して、

自分からは答えは言ってはならない

というのが原則だそうです。

しかし、私は時と場合で、

思いっきり結論を言いますし、

断定もします。

時には、「指示」に近いこともします。

 

クライアントが

「直観」か「思考」かで迷った場合、

多くの場合、私は断定します。

 

「ここは直観で行ってください」

と。

 

有無を言わせない空気感を

出します。わざと。

 

それでも抵抗するようなら、逆に

直観に従うことは

やめた方がよいでしょう。

 

しかし、木村さんと弓江さんは

私のその断定を聴いて、

とてもホッとした表情をされました。

 

「わかりました。

これでやってみます」と

木村さんは言いました。

 

そこに、理由や理屈はありません。

それを探してもしょうがない、

という場面です。

 

それをまた木村さんと弓江さんは

直観的に悟ったようです。

 

今から思えば、

この時の二人コーチングが

本当に運命の分かれ道でした。

 

つづく

 

思考を信じる? 直観を信じる?

「直観」というのは

本当に馬鹿になりません。

 

ちなみに、私は

「直感」と「直観」

を区別しています。

 

「直感」とは、広い意味でのひらめきです。

浅いひらめきから深いひらめきまで

すべてを含んでいます。

ですので、単なる思いつきレベルのひらめき

も含みます。

要するに、反応本音レベルのひらめきも

含みます。

 

それに対して「直観」とは、

真本音レベルのひらめきです。

それは思いつきレベルのものではなく、

「こうすればいいんだ!」という確信に

満ちています。

 

真本音度合いが高まるということは、

単純に、

この「直観力」が高まるということでも

あります。

 

ただ、どれだけ「直観」が出たとしても

自らその発想を捨ててしまう人も

多いです。

 

どうしても、これまでの経験則や

一般常識に捕らわれた

「思考的」「理論的」な発想の方を

優先してしまうのです。

 

「思考」ではなく「直観」に素直に

動いてみる。

 

それを私はお勧めします。

 

ただし、あくまでもそれは

真本音度合いが高まっている人に

対してのみ言えることです。

 

真本音度合いが低い状態では、

単なる思いつきレベルの「直感」が出やすく、

それに素直になることで

酷い目に遭うこともあるでしょう。

 

クライアントさんのその発想が、

「直感」か「直観」か?

その区別がつくのも、

コーチの必要な力の一つです。

 

「富士山が噴火する」イメージを

共有した木村さんと弓江さん。

 

二人がそのイメージを大切にしながら

直観的に発想した

チーム員のペア分けを、

私はまさしく「直観」であると

感じ取りました。

 

ところが、そのペアの組み合わせは、

通常では考えられないものと

なったのです。

(→前回記事)

 

まず第一に、

「バランスが悪いですねぇ」

と木村さん。

 

各ペアによって能力の差が著しく、

明らかに活躍できるペアと、

そうでないペアが

明確にわかるそうです。

 

能力の偏りが激しい、ということです。

 

そして第二に、

「明らかに相性の悪いペアがあります」

と弓江さん。

 

どう見ても、その二人が上手くいくはずがない

というペアがあるそうです。

 

さらに第三に、

「チームリーダーである私との

調和性の低そうなペアもあります」

と木村さん。

 

以上のような悪い印象が出てくる場合、

本当はやめておいた方が良いでしょう。

しかしその一方で、

「どうしてもこの組み合わせが

ベストである」

という確信に満ちたような感覚も

二人の中にはあり続けました。

 

「思考」ではNO。

「直観」ではYES。

 

・・・という状態です。

 

こういった場合、

どうすれば良いか?

 

私の答えは明確です。

 

先ほど書きました通り、

「直観」に従うのです。

 

つづく

 

あえて思考ゼロのまま、発想を進めてみる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

脱皮時の原理原則に則り、

新規事業プロジェクトチームのペアの組み合わせを

改めて考え直そう、ということになりました。

 

では、どのような基準で

ペアを組み直すか?

 

その私の問いに対して、木村さんは

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

・・・と答えました。

 

そのイメージは恐らく、

木村さんの真本音発想がカタチとなって

現れたもの。

であれば、それを

大切にすべきだと私は直観しました。

(→前回記事)

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

私はその木村さんの質問には

直接答えず、逆に弓江さんに

訊きました。

 

「弓江さんは、

木村さんのそのイメージ、

共感できますか?」

 

「はい。

私も意味はよくわからないのですが、

すごく共感できます。」

 

「では、弓江さんの心の中で

富士山が噴火しているイメージを

描くことはできます?」

 

「はい。

さっきからもうイメージが

私の中で出来上がっています。」

 

「では、お二人とも

そのイメージをしっかりと今、

心の中に浮かべてみてください。」

 

二人がそうしているのを

私は二人同時に観察しました。

 

これは私の「感覚」になってしまうのですが、

二人同時に観察すると、

二人がまるで「一つ」のように

深い絆で繋がっているような

そんな「感覚」を覚えました。

 

「ありがとうございます。

これは大丈夫ですね。

では、そのイメージを使いながら

ペアの組み合わせを発想してみましょうか。」

 

ここで私は付箋を用意していただき、

一枚一枚の付箋に、一人ずつ

新規事業プロジェクトメンバーの名前を

書き込んでもらいました。

 

「ではまずは弓江さんから

いきましょうか。

弓江さん、先ほどの富士山の噴火のイメージを

しっかりとしながら、

この付箋を使って直観で

二人一組のペアを作ってください。」

 

最初、弓江さんは「えぇ〜?」と

戸惑っていましたが、

ふと、「あっ、なんかわかりました!」と

言いながら、

あっという間に付箋を並べ替え、

ペアを決めてしまいました。

1分もかかりませんでした。

 

「では、木村さん、

富士山の噴火のイメージをしながら、

今、弓江さんに作っていただいたペアを

ご覧ください。

どこか、違和感のあるペアはありますか?」

 

「・・・あぁ、ないですね。

これでOKだと思えます。」

 

と木村さんは言いながらも、

 

「いや、でも、・・・これ、本当に

良いのでしょうか?」

 

・・・と戸惑いの表情。

 

弓江さん自身も

やはり戸惑いの表情。

 

そこには、普通で考えれば

あり得ない組み合わせが

並んでいたからです。

 

つづく

 

これまでの最善が、これからも最善とは限らない

人やチームが脱皮する時に

大切にすべき原理原則の3つ目は、

 

『物事を深く考えない。

表面上のことだけに目を向ける』

 

・・・ということでした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに問いました。

 

「その原理原則を大切にすると、

これから新規事業プロジェクトが脱皮を

きちんと完了するために、

何が必要だと思いますか?

表面上のことで良いですよ。」

 

う〜ん、と弓江さんは考え込みました。

すると、木村さんが口を挟みました。

 

「そういうことで言えば、

さっき弓江が言っていた、

ペアが良くない、

ペアを変えるべき、

ということのような気がします。」

 

「あぁ、なるほど!」

 

もともと、新規事業プロジェクトチームが

脱皮をしようとしていることに

気づけたきっかけは、

「ペアを変えるべきではないか」

という検討課題が出されたからでした。

(→【一つになることで、すべてがどんどん晴れ渡っていく】)

 

新規事業プロジェクトチームは

基本的には二人一組で活動をするそうです。

そのペアの組み合わせが良くないと

弓江さんが直観的に指摘しました。

 

しかし、二人ともこれまでは

今のペアの組み合わせが最善であると

思っていたのです。

しかしこの二人コーチングの場で考えると、

今のペアに違和感ばかりが出る、

ということでした。

 

私はその二人の話を聴いて、

なるほど、今のこのプロジェクトチームは

脱皮をしようとしているのだ、

これまで最善だと思っていたことが、

最善ではなくなるんだ、

だから、脱皮のために必要な変化を

ここで起こさなければならないんだ、

ということに気づいたのでした。

 

そうするとやはり、

「ペアの組み合わせを変える」

というのは、

脱皮のためにも必要なことのように

思えます。

 

「では、一度、

ペアの組み方を発想してみましょうか。」

 

「はい、まずは。

それをしないと次の発想が出ない気が

します。」

 

「これまでのペアというのは、

・お互いの能力が補完できること

・相性がいいこと

を基準にして組んでいたのでしたね?」

 

「はい。」

 

「では、これからの基準はどうします?」

 

しばらく木村さんは

無言でいました。

そして私に何とも言えない不思議な

目を向けてきました。

 

「たけうちさん、・・・

ちょっとわけがわからないのですが・・・。」

 

「どうしました?」

 

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

 

それを聴いて、

弓江さんの目が、

キラッと楽しそうに輝きました。

 

その二人の様子を見て、

あぁこれは「実在」だな、と私は思いました。

 

「木村さん、いい傾向ですね。

それは単なるイメージではなく、

木村さんの真本音発想がカタチになった

ものですよ、きっと。

私の言うところの、実在、というやつです。

だいぶ、発想が柔らかくなりましたね。」

 

木村さんは少し

照れ臭そうに笑いながら言いました。

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

つづく

 

刹那的に生きることがベストの時もある

人や組織が「脱皮」をする時、

平常時とは真逆の原理原則が

働くことがあります。

 

その一つが、

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をするとよい』

ということでした。

(→前回記事)

 

さらに、原理原則をご紹介しましょう。

 

それは、

 

『未来のことは考えない。

刹那的になるとよい。』

 

ということです。

 

脱皮時に、未来のことを発想をしても、

真本音の発想は、

一つも出てきません。

 

一つも、です。

 

たとえその時に「これは良いアイデアだ」と

思ったとしても、

脱皮を終えた後で振り返れば、

ほぼ間違いなく、

「どうでもいいこと」に思えてきます。

 

脱皮の時というのは、

私達は、脱皮そのものに対して

必死になります。

それ以外のことには、

エネルギーをかけないようになります。

ある意味の、省エネです。

 

特に、未来の発想に関してのエネルギーは

ほぼ、ゼロになります。

 

そんな状態での発想は、

それこそ悪い意味での刹那的な発想に

過ぎなくなります。

 

むしろ私は、

脱皮時における未来発想は、

すべて「捨てるべき発想です」と

断言してしまうことも多いです。

 

ですので、そういったことはやめて、

「今この場をこなすこと」

のみを考えればよいのです。

 

前回、私は

「脱皮時こそ、自由発想しよう」

ということを書かせていただきましたが、

その自由発想とはあくまでも、

「今、どうするか?」

ということに関する自由発想である

ということになります。

 

要するに、

「今」

に集中するのですね。

「今のみ」

に集中するのです。

 

これが、脱皮時における原理原則の

二つ目です。

 

さて、

原理原則の3つ目をご紹介します。

 

これについては、

木村さんと弓江さんの二人コーチングの場面に

戻りましょう。

 

私はお二人に脱皮についての解説を

しました。

その上で、次のように問いました。

 

「この二人コーチングの真の目的は、

これから脱皮を迎えようとしている

新規事業プロジェクトチームに対して、

何ができるか?

何をしてはならないか?

を発想することだとわかりました。

そんな視点で、

お二人から何かアイデアはありますか?」

 

二人はじーっと考えていましたが、

弓江さんが口を開きました。

 

「せっかくですので、

私は脱皮をするならとことん脱皮をした方が

よいと思うのです。

ですので、新規事業プロジェクトの理念とか

方向性とか、改めてゼロベースで考え直すというのも

面白いと思います。」

 

これは非常に素晴らしい意見ですが、

実は、

「ゼロベースで考え直す」

というのは、平常時にこそすべきことだと

私は思っています。

 

私は、本当のリーダーとは、

常に、あらゆることをゼロベースで発想し直す人である

と思っています。

ゼロベースからの発想は

非常に意義深いものが多いです。

しかしそれは

平常時にこそ、毎日続けることです。

 

では、脱皮時はどうでしょう?

 

脱皮時の原理原則の3つ目は、

 

『物事を深く考えない。

表面上のことだけに目を向ける』

 

ということなのです。

 

つづく

 

地に足をつけようとしてはならない時がある

人も組織も

『脱皮』

をする時があります。

 

そして脱皮の段階においては

平常時とは真逆の選択をしなければ

ならないことがあります。

 

平常時の原理原則が

まったく役に立たなくなるのです。

 

例えば、

「自分にどんどん不安定を与える」

ことが大事になります。

(→前回記事)

 

さらに、次のことも

大事です。

それは、

 

「無茶をする」

 

ということです。

 

平常時においては、地に足のついた選択と行動が

大切です。

 

しかし、脱皮をしている間は、

地に足をつけようとしても、

その、「地」そのものがありません。

それはまるで、

空中に浮かんでいるかのようです。

 

足元がないので、

いつでも「落ちる恐怖」に苛まれます。

そこで多くの人は、

バタバタと足を空回りさせ、

悪あがきをします。

 

しかし「地」そのものがないので

どうしようもありません。

 

ですので、脱皮の時は、

地に足をつけること自体を

あきらめます。

 

空中に漂うままにします。

落ちる恐怖や、実際に落ちる感覚もありますが、

そこは、あきらめてしまうのです。

 

そして、

どうせ地面がないのですから、

無茶をしてしまうのです。

 

こんな時こそ、

自由発想です。

 

ただし。

 

わざと「無茶をしよう」と考えることも

厳禁です。

「無茶をしよう」という意図そのものが、

すでに自分に「無茶」という枠を

はめるからです。

 

ただただ純粋な、

自由発想をします。

 

どうせ、何をしても怖いのだから、

怖さは変わらないのだから、

思い切って心を自由にするのです。

 

すると、

本当にとんでもない発想が

出ることがあります。

 

とんでもない発想が出た場合には

そこに、

立ち向かっていくのです。

 

それを実行に移そうとするのです。

 

大丈夫です。

 

脱皮とは、

私達の真本音の意図に

基づいています。

 

行動に移そうとして、

もしそれが本当に行動できたとすれば、

それは、真本音の行動です。

 

行動に移そうとして、

もしそこで体が止まってしまうのであれば、

それは、私達自身の真本音が

止めている、ということになります。

 

ですので、本当に危険なことは

行動に移すことができません。

 

何をどうしても不安定なまま。

・・・という状況の中だからこそ、

私達は、

「開き直る」

ということができます。

 

開き直った人は

強いです。

 

開き直ることで、

これまで体験したことがないくらいに

真本音度合いを高めることが

できるのです。

 

脱皮とは、

そういった自己革新のチャンスである

とも言えます。

 

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をする』

 

それが、脱皮時における

原理原則の一つです。

 

脱皮時に

きちんとそれができる人は、

脱皮そのものの頻度も

上がっていきます。

 

すると、人生が加速します。

 

私たちは、

脱皮そのものに楽しさを

見出すこともできるようになるのです。

 

それが、

人間の凄さであると

私は思います。

 

つづく

 

不安定や絶望感があるからこそ、脱皮できる

人の成長も、組織の成長も、

比例直線的ではなく、

階段状に上がっていきまます。

(→前回記事)

 

階段の段差を登るということは、

これまでの自分(もしくは組織)とは

まったく異なるステージに上がる

ということです。

 

これまで見えていなかったものが

見えるようになり、

これまでできなかったことが

できるようになります。

これまで、考えもしなかったことを

考えるようになり、

これまで、実行に移さなかったことを

どんどん実行するようになります。

 

これを私は

 

『脱皮』

 

と呼んでいます。

 

人に『脱皮』があるように

組織にも『脱皮』があります。

 

段差を越える時、

つまり、脱皮の時は、

平常時とは真逆な原理原則が

必要となります。

 

その一つが、

「自分にどんどん不安定を与える」

ということです。

 

脱皮の時は、

平常時では考えられないくらいに

不安定になります。

 

個人の場合は、

心が非常に不安定になり、

不安や恐怖や絶望や、

・・・様々な濃い反応本音達が自分を

襲います。

 

これまで順調に成長してきた人も

そんな自分を体感することで、

自分は以前の自分に、・・・いや、

以前よりもさらに弱い自分に

なってしまったのではないか、と

自己不信に陥ります。

 

組織も同じです。

 

脱皮の段階にある組織には

ほぼ間違いなく、不調和が

連続して起こります。

 

これまで体験したことのないような

望まない現実が次々に

起こります。

 

もうこの組織はダメではないか、と

絶望感が湧いてきます。

 

そんな時に私はいつも

強調します。

 

「今は、思いっきり不安定でいてください。

絶望したままでいてください」

と。

 

「その不安定さに対策を打たないでください。

絶望のままでいてください」

と。

 

そのままでいると、

その不安定さと絶望感は

どんどん増殖します。

 

不安定と絶望感に

自分が飲み込まれそうになります。

 

でも、飲み込まれれば良いのです。

抗わずに、そのままでいるのです。

 

すると、

その不安定さと絶望感を完全に

「味わい尽くす」ことで、

これまでの自分からは想像もできないような

自分が(組織が)

何かをベリっと破いて、

現れるのです。

 

それは突然、

訪れます。

 

脱皮が成された瞬間です。

 

私は、

コーチの役割とは、

こういった脱皮を貫徹するために

見守り続けることだと思っています。

 

脱皮の最中、

コーチは何も手を出しません。

 

脱皮とは、

その人本人にしかできないことだからです。

ここで、

他人が干渉するとその瞬間に

脱皮は失敗に終わります。

 

脱皮が上手くいかないと、

その人(組織)は、

殻の中に閉じこもったままになります。

しかし、

体は大きくなっていますから、

その殻が窮屈でしょうがなく、

これまでの自分として生きることそのものに

苦痛を感じ続けます。

 

つまり、

これまで通りの自分(組織)でいること自体が

苦痛となるのです。

 

恐らく、

企業がきちんとそういった脱皮を

繰り返せば、

その企業は、永続的に発展し続けるでしょう。

 

その脱皮を放棄してしまうので、

企業は衰退していきます。

 

木村さんと弓江さんの

新規事業プロジェクトチームは、

最初の脱皮に取り掛かろうと

していたのです。

 

その脱皮をきちんと貫徹するために

この二人コーチングの場が

必然的に設定されたということです。

 

これが、今回の二人コーチングの

真の意味であると

明確にわかったのです。

 

つづく

 

試行錯誤のない「順調」はない

「物事が順調に進む」

とは、私は

「順調に試行錯誤ができている状態」

であると考えています。

 

試行錯誤には、

・意味のある試行錯誤と

・無意味な試行錯誤

があります。

 

無意味な試行錯誤とは、ほとんどの場合

その人が自己満足で繰り返している

試行錯誤です。

それを繰り返したところで、

何の進化も発展もありません。

 

進化発展があったと、

本人が自己満足するだけです。

 

逆に言えば、

物事の進化と発展のためには、必ず

意味のある試行錯誤が

存在しています。

 

よく、

「真本音で進めば物事がスムーズに進む」

と、私は書かせていただいていますが、

その真の意味は、

「意味のある試行錯誤を続けることができる」

ということです。

 

つまり、結果だけでなく

そこに至るまでの過程(プロセス)も

私達の真本音は大事にしているということです。

 

そういった意味で、

木村さんと弓江さんの新規事業プロジェクトは

意味のある試行錯誤を続けた

と言えます。

 

それを私は確信したのです。

ですから、

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

・・・と申しました。

(→前回記事)

 

特に木村さんは、失敗もありましたが、

順調にここまで進んできたということです。

その失敗こそが、必要な試行錯誤だった

ということです。

 

まぁ、そういう「失敗」は

「失敗」とは言いませんが。

 

そして・・・。

 

新規事業プロジェクトは順調にきたからこそ、

壁にぶち当たったのです。

 

順調に来なければ決して遭遇しない

壁まで来たのです。

 

その壁を、一言で表現すれば、

 

『脱皮の壁』

 

となります。

 

人も組織も、

比例直線的には成長(進化)しません。

 

人や組織の成長(進化)とは、

階段状に進みます。

つまり、

緩やかな勾配で進み、

ある時に、階段をステップアップするための

段差にぶち当たります。

 

段差にぶち当たったら、

それを乗り越えなければなりません。

しかし、

それを乗り越えることができれば、

1ランク、ステージがアップします。

 

これまでの延長線上にはない、

新たな次元と視界と能力が

開けます。

 

この段差にたどり着くためには、

しっかりと意味のある試行錯誤を

繰り返さなければなりません。

 

これをちゃんとして来たので、

新規事業プロジェクトは今、

「段差」の下にいるのです。

 

そして、これから「段差」を乗り越えるのですが、

「段差」とは非常に怖いものです。

怖いが故に、人も組織も

この時点では、非常に不安定になるのです。

 

今、新規事業プロジェクトチームは

その不安定さが出始めている状態なのです。

 

以上のことを、

私は木村さんと弓江さんに

ご説明しました。

 

木村さんが言われました。

 

「では、その不安定さを

なくすための方策が必要なのですね?」

 

「いえ、逆なんです。

こういう時は、もっともっと不安定さを

自らに与えた方が良いのです。」

 

つづく

 

完全に意図を手放せば、素晴らしい展開が待っている

私はいつも、かなり綿密に

コーチングの準備をします。

 

今回のコーチングは、何の目的のために

何をすればよいか?

 

私は、どのような問いを投げ、

どのようなメッセージをプレゼントするか?

 

Aさんのコーチングがある前の日に、

私は以上のことを頭だけで考えるのではなく、

実際にシミュレーションします。

 

まるで目の前にAさんがいるかのようにして

前の日にAさんのコーチングを自分の中で

完了させてしまうのです。

 

それはイメージトレーニングに近いものが

あるかもしれませんが、

実はこれは、イメージトレーニングとは

本質的には異なります。

私はそれを、『実在コミュニケーション』と

呼んでいますが、

これについてはいずれ詳しく書かせていただくことに

なると思います。

 

なぜ、これほどまでに綿密な準備を

するのか?

 

その理由はたった一つです。

 

私の中から、すべての意図を手放すため

です。

 

これだけ綿密な準備をして行なったことを

私は、実際のAさんのコーチング時には

すべて手放します。

 

実は、準備をしっかりすればするほど、

簡単に、そして完全に、

手放すことができるのです。

 

意図を手放すために

準備するのです。

 

すると、実際のコーチングの場は

必ずと言ってよいほど、

私の意図を超えた、想像を超えた

素晴らしい展開になります。

 

意図を手放すということは、

完全に自由な状態になります。

 

私は、何物にも捕らわれない

完全に自由な状態として

クライアントさんと向き合うのです。

 

ですから、様々なことをキャッチしたり

クライアントさんと「一つ」になることも

できます。

 

これは私だけが持っている能力ではなく、

すべての人が私と同じようにすれば

同じ能力を発揮することができるでしょう。

 

木村さんと弓江さんの二人コーチングは、

そういった意味で、

完全に私の想定外の展開になっています。

しかしそれはつまり、

私が望んでいた展開です。

(→前回記事)

 

コーチングは、想定外になってこそ

コーチングです。

 

コーチの意図の範疇でのやりとりは、

コーチングとは言いません。

 

自分の意図の範疇でコーチングする人のことを

コーチとは言いません。

 

想定外の展開の中でようやく私は、

今回の木村さんと弓江さんの二人コーチングの

本当の目的に気づくことができました。

 

すべての雲が晴れた

感覚でした。

 

で、またもや思ったのです。

ここからが、この二人コーチングの

本番の始まりだ、と。

 

私はお二人に申しました。

 

「このままでは、新規事業プロジェクトが

成功しない、と3人ともが思っている

真の理由がわかりましたよ。」

 

「何ですか?」

弓江さんと木村さんの目が輝きました。

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

「・・・???」

 

つづく

 

一つになることで、すべてがどんどん晴れ渡っていく

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

このままでは新規事業プロジェクトはダメになる、

という二人の危機感が

実は、根底にあることが明らかになりました。

そして、それを打開するためには、

根本的改革よりも、もっと簡単な何かを変えることが

重要である、

ということがわかりました。

(→前回記事)

 

「で、その方策は、

そろそろ弓江さんの中から

出てきそうですよ。」

 

「えぇ? 私からですか?」

 

私達は「一つ」になっていました。

そうなるともう、次に誰から発想が出るか?が

手に取るようにわかるのです。

 

私は弓江さんから、

「答えがわかりました」という空気感を

受け取っていました。

だから弓江さんに振ったのです。

 

「弓江さん、まずは表面的なことでよいです。

新規事業プロジェクトチームに関して、

何に違和感がありますか?」

 

「そういうことでしたら、

さっき木村リーダーが言われたことが

とてもしっくりきます。

つまり、真剣な人とそうでない人の差が

出始めているということです。」

 

「それは、弓江さんも感じるのですね。」

 

「はい、感じます。

さきほど木村リーダーがそう言われて

その通りだ、と思ったんです。」

 

「ではなぜ、真剣な人とそうでない人の差が

広がっているのでしょうか?

木村リーダーのリーダーシップに問題あり、

ということではなく、もっと表面的な問題は

ありませんか?」

 

しばらく弓江さんはじっと考えていました。

そして、ハッと頭を上げました。

 

「ペアが良くないです。」

 

弓江さんの説明によると、

新規事業プロジェクトは多くの場合、

二人ずつのペアを組んで

仕事に取り組んでいるようです。

 

その組み合わせが良くない、と

弓江さんは言っているわけです。

 

「今のペアは木村さんが

お考えになったのですか?」

 

「はい、そうです。」

 

「どのような視点から考えられたのですか?」

 

「2点から考えました。

一つは、能力面でお互いに補完し合えるかどうか?

ということ。

もう一つは、お互いに気が合いそうかどうか?

ということです。

私は、ベストの組み合わせだと思っていたのですが・・・。」

 

すると弓江さんが言いました。

「確かに私も、いい組み合わせだなと

思っていました。

でも、今ふと、違和感が出たんです。

なぜでしょうか。」

 

私は問いました。

「木村さん、今ここで改めてペアの組み方について

考えると、どんな感覚がします?」

 

「不思議なことに、

私も違和感しか出てきません。

なんででしょう?

理由がわかりません。」

 

この一言で私は

合点がいきました。

 

すべての意味がわかった気が

したのです。

そして、今回のこの二人コーチングの

真の意味もわかりました。

 

ようやく私の心の中が

スッキリと晴れ渡りました。

 

「なるほど、そういうことなんですね!」

 

と、今度は私が叫びました。

 

二人はキョトンとしました。

 

つづく

 

自分の反省点をとても嬉しそうに喋るようになる

「弓江さん、

これまでの木村さんは、リーダーとして

何をし続けてきたと思いますか?」

 

この私の問いかけに、弓江さんは

 

「あぁそうか。

木村リーダーは必死に、

火消しをし続けていたのですね。

大火事にならないように。」

 

と答えました。

(→前回記事)

 

それを聴いた瞬間に、

「なるほど!!」

と木村さんは叫んだのです。

 

弓江さんがびっくりして

木村さんを見つめます。

 

木村さんは、目を爛々とさせ

私を見つめました。

そして言いました。

 

「たけうちさん、

私は何かとんでもない勘違いを

していたようです。」

 

「どういうことですか?」

 

「私はチームのメンバーに成長してほしいと

心から思っています。」

 

「はい。」

 

「そのために、私なりに考えて

あらゆることをしてきました。

もちろん、間違ったこともしちゃいました。

良かったこともありました。

しかし、成果が出たかどうかは別として、

根元がおかしかったということに

今気づきました。」

 

「根元? それは何ですか?」

 

「はい。私は、

私が皆を育ててやる!

と思っていたんです。」

 

「あぁ、なるほど!」

と、今度は弓江さんが言いました。

「それ、すごくわかります。

そこです。私が違和感を感じてたのは。」

 

「そうなんです。

先ほどこのコーチングの場で、

プロジェクトのミーティングの司会を弓江にしてもらう、

ということを決めたじゃないですか。」

 

「はい。」

 

「実は、あの瞬間から、私の頭のどこかでは、

では、どのように弓江を司会者として育てようか?

という思考が始まっていたのです。」

 

「なるほど。それは疲れますね。」

 

「その通りです。

私がすべての人を育てなければならないと

思っていた。

そして私なりにそれをしていた。

そして私なりに、その責任を負おうとしていた。

責任感そのものは大事だと思いますけどね。

で、皆がまずい行動をすると、

・・・いや、まずい行動をとる前から、

火消しに走っていた。

それが私のリーダーシップだったんです。」

 

「なるほど、そういうことですか。」

 

ここで弓江さんが入ります。

「一見、木村リーダーは

みんなを引っ張って行っているように見えますが、

私から見ると、全然進んでいる感じがしなかったんです。

なんか、火消しばっかりしているようで。

問題が起こる前に問題を消す。

それ自体はいいんですけど。

でも、それって本当に木村リーダーのやりたい

チームなのかな?って。

私の知っている、ロックバンドの木村リーダーは

火消しどころか、みんなに油を注いでいる、

というか。笑」

 

「確かに、ロックバンドの時とは

真逆の私ですね。

さっき弓江は、チームメンバーが活きていない理由は

私のリーダーシップとは別の原因があるのでは、

と言ってくれましたが、

やはり私が原因のようですね。」

 

「いや、でも木村さん。

その件に関しては、そうでもないかもしれませんよ。」

 

「どういうことですか?」

 

「木村さんのリーダーシップを根本的に変える

ということよりも、もっと単純で現実的なことを

ちょっとだけ変えるだけで、

一気に好転するような感覚がありますが、

弓江さん、どう思います?」

 

「私も、なんかそう思えます。

答えはわかりませんけど。」

 

「何となく今回のこの二人コーチングは

弓江さんが責め、木村さんが反省する、

みたいな流れが多いですが(笑)、

そんなに深刻にならなくてもいいような

気がしてきましたよ。

木村さんは、メンバーを育てたいのでしょ?」

 

「はい。」

 

「それは大事にしましょうよ。

ただの手法の問題だと思いますよ。」

 

「そういうものですか。」

 

「チームの真本音は、

『全員がチームの代表として

お客様と向き合う』

でしょ?」

 

「はい。」

 

「そういった木村さんの想いを

もっともっと成果として結びつけるために

何をどう変えるか?を見つけるだけでは

ありませんか?」

 

「なるほど。」

 

「で、その方策は、

そろそろ弓江さんの中から

出てきそうですよ。」

 

「えぇ? 私からですか?」

 

つづく

 

自律のないところに、調和は生まれない

弓江さんの直観的な問い、

「新規事業プロジェクトチームは、

このまま行けば、成功すると思われますか?」

 

これに私は直観的に

「成功しないですね。」

と答えました。

 

その答えを聴いて、弓江さんも木村さんも

何かが腑に落ちました。

(→前回記事)

 

この瞬間、私達3人は

本当に「一つ」になったと

私は実感しました。

 

実はこういった実感は

よくあることです。

こんな時私はいつも、

「すべては自分である」

という言葉に、とても納得します。

 

これは人数の問題ではありません。

 

クライアントさんが一人であろうと二人であろうと、

10人であろうと、100人であろうと、

「一つ」になるときには、本当に「一つ」になれます。

 

しかし、「一つ」になることで

皆がまったく同じ思考や意見を言うようになる

わけではありません。

 

「一つ」だからこそ、

各々の個性がさらに際立ちます。

そして、様々な意見が出ます。

 

しかしそれらの意見が「反発」や「争い」を生み出すことは

ありません。

すべてが「調和」という結果に繋がるための

意見です。

 

「調和」には、「迎合」や「妥協」は

一切ありません。

 

「強制」も「独裁」もありません。

 

本当に皆が納得する、「最善の答え」が

そこにあります。

 

個人個人から「最善の答え」が生み出されるのと同様に

チームにも「最善の答え」が必ずあります。

 

その答えに行き着くための、

最善の「試行錯誤」と「意見交換」が

「一つ」になることで行われます。

 

これは、各々の真本音度合いが高くないと

決して起きない現象です。

 

私はこの状態を

『自律調和』

と呼んでいます。

 

私がチームコーチングをする目的の一つが

この『自律調和』の状態を創ること

です。

 

そしてこの状態に入ると、

物事はさらに加速して進んでいきます。

しかもその時間は各々にとって

幸福感に満ち足りたものとなります。

 

それは例えば、オーケストラが

「一つ」になって最高の演奏をするときの状態と

本質的には同じでしょう。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「なぜこのままでは、

新規事業プロジェクトは成功しないのでしょう?」

 

すぐに答えが返ってきました。

 

「今のチームは、

チームとしてまとまっていますが、

悪いまとまり方をしているからだと思います。」

 

「それは、どういうことですか?」

 

と問うと、今度は木村さんが答えました。

 

「人が活きていない。

誰も、最大のパフォーマンスを発揮していません。

というよりもむしろ、

みんな、死んでます。

お互いの力を打ち消し合っています。」

 

「その原因は?」

 

すると弓江さんが、ハッとしたような表情をされ、

次のように言われました。

 

「私はこれまで、原因をすべて木村リーダーの

リーダーシップにあると決めつけていました。

もちろん広義の意味ではそうだと思いますが、

もっと別の原因がありますね。」

 

その一言は、

私にとても伝わってきました。

 

すると、私の中に、別の視点からの問いが

浮かんできました。

私はそれを投げてみました。

 

「弓江さん、

これまでの木村さんは、リーダーとして

何をし続けてきたと思いますか?」

 

弓江さんは少し考えてから

言いました。

 

「あぁそうか。

木村リーダーは必死に、

火消しをし続けていたのですね。

大火事にならないように。」

 

つづく

 

一つになるからこそ、生まれる展開がある

木村さんは、

西畑さんのエンティティを

簡単に浄化できました。

(→前回記事)

 

それにより木村さんの真本音度合いは

さらにアップし、場の次元も高まったのを

私は感じ取りました。

 

であれば、この場を

さらに活用しよう、と思いました。

 

ただし、

私はもう、二人には何も具体的な問いは

投げません。

その必要はないからです。

 

「西畑さんのエンティティの件が完了したところで、

いかがですか、また何か喋りたくなっていることは

ありませんか?」

 

またしても、

弓江さんから「喋りたい空気感」が

伝わって来ました。

 

「弓江さん、まだ喋りたいことが

ありそうですね。」

 

弓江さんは笑いました。

 

「まだあります?

ちょっと待ってください。」

・・・と、心の中を探っています。

 

「喋りたいこと、というよりも、

たけうちさんにお訊きしたいことがあります。」

 

「何です?」

 

「新規事業プロジェクトチームは、

このまま行けば、成功すると思われますか?」

 

その瞬間、私に直観がありました。

私はそれをそのまま口に出しました。

 

「成功しないですね。」

 

その答えを受けて弓江さんは

言われました。

 

「なぜかすごく納得します。」

 

「弓江さん自身も、まずい、と

思ってるんでしょ?」

 

「はい。どうやら思っているようです。」

 

そこで、木村さんも入って来ました。

 

「実は私も、何となくそう思っていた、

ということに今、気がつきました。」

 

「恐らく、3人ともが本当はそう感じていて、

そのために、今日のこの場があるのでは

ありませんか?

今、自覚しましたけど。」

と私が言うと、

二人とも、大きく頷きました。

 

どうやら、ここまでが準備段階だった

ようです。

 

ここからが本当の本題だったようです。

 

しかし、このような展開になることは

二人はおろか、私も想定していたわけでは

ありません。

 

しかし、このような展開は

よくあることです。

 

お互いがしっかりと向き合い、

真本音度合いを高め合うことによって初めて

「ここにいる」本当の意味がわかるのです。

 

「どうやらここからの話こそが、

今日の目的のようですね。」

 

二人はまた大きく

頷きました。

 

私達はこの時、

完全に「一つ」になっていました。

 

コーチングやチームコーチングの場において

よく私が感じることなのですが、

目の前の二人は、

私そのものでした。

 

姿と個性と人生経験と能力の違う

私そのものでした。

 

3人の私がこれから

対話をするのです。

 

つづく

 

なぜ苦しい? その答えは、進まない、から

「進む人」と「進まない人」。

 

今、私達人間の傾向は、

この二つにクッキリと分かれています。

 

どれだけ意識の次元が高くても、

進まなくなってしまった人がいます。

 

逆に、どれだけ意識の次元が低く未熟でも

前に進もうとする人もいます。

 

今の自分がどのレベルにいるか?

ではなく、

進むか? 進まないか?

それこそが、とてつもなく重要であると

私は最近、強く実感しています。

 

人は、進む生き物です。

 

「進む」ということを一つの形として

現したものが、人であるとも言えます。

 

逆に言えば、

進まなくなった人は、もう人ではない、

人としての本質を捨ててしまっている、

と言っても、本当は言い過ぎではありません。

 

それを最もよく理解しているのが

私達の「本能」です。

 

私達の「本能」は、進むために存在しています。

ところが、

進むことを放棄してしまうことで、

私達は、本能的に、自分自身のことを

嫌います。

 

自分のことを嫌うことで

大量発生するのが

エンティティです。

 

「進む」と言ってもそれは

苦しいことではありません。

 

私達人間は、

川の流れに身を委ねているような

存在です。

 

流れに身を委ねれば、

自然に進んで行くのです。

 

むしろ、進むのを放棄するということは、

川の流れに逆らいながら、

その場に必死に留まろうとする行為です。

その方が間違いなく不自然ですし、

苦しいのです。

 

しかし、にも関わらず

止まってしまう人がいます。

 

本当は、進むことこそが気持ちが良いのに、

今の自分に執着しすぎてしまっているのです。

 

流れに逆らうことによって

大量発生するのが

エンティティです。

 

エンティティを大量発生させてしまった人は

そのエンティティが気持ち悪く、

エンティティを消そうとします。

 

自らのエンティティと戦うのです。

 

しかしエンティティとは、

消そうとしたり、戦おうとすることで

逆に反発するかのように増大します。

 

その負の循環から

抜け出せなくなります。

 

西畑さんはその状態にあり、

その西畑さんのエンティティを

木村さんは受け取ってしまっていました。

 

エンティティから解放されるための手段は

ただ一つ。

そのエンティティを、愛することです。

 

それにより、

エンティティは浄化されます。

 

以前にこのブログでも書かせていただきましたが、

「愛」とは行為ではありません。

 

「愛」とは、エネルギーそのものです。

 

分離しているものが、

一つになろうとするときに自然発生する

エネルギーです。

 

そのエネルギーは誰もが

持ち合わせています。

 

しかしそのエネルギーを実際に

発揮できるかどうかは、

その人が「進む」かどうか?によります。

 

進むのを放棄している人からは

愛というエネルギーは発せられません。

 

進む人は、それだけで

愛のエネルギーは出ます。

そして、

次元を高めれば高めるほど、

そのパワーは2次曲線的に増大します。

 

私は木村さんに、

「木村さん、

その西畑さんのエンティティを

愛せますか?」

と問いました。

(→前々回記事)

 

恐らく、二人コーチングの開始直後の木村さんなら

嫌がっていたでしょう。

 

しかし、弓江さんとの二人コーチングの時間を

過ごすことにより、

木村さんの真本音度合いは一気に

高まっていました。

 

ですから木村さんは何の躊躇もなく

言われました。

「愛せますよ」と。

 

であれば、あとは簡単です。

 

「木村さん、

木村さんの愛は、どこから出やすいと

思いますか?」

 

「・・・そうですね。

右手かな?」

 

「であれば、右手を背中か肩か、

最も苦しい部分に当てることはできますか?」

 

木村さんは左肩の辺りに右手を

当てました。

 

「ここだと思います。」

 

「では、右手から

愛のエネルギーをエンティティに

注いであげてください。」

 

「はい。」

 

ほんの20秒くらいでしょうか、

ふっと、木村さんの全身が軽くなった感覚が

私に伝わって来ました。

と同時に、

「もう終わった気がします」

と木村さん。

 

これでもう、エンティティは

浄化されました。

 

「木村さん、

気分はいかがですか?」

 

「なんか、

すごく全身が軽くなりました。

自由になれた感じがします。」

 

これにより、

木村さんの真本音度合いは

さらにアップしました。

 

つづく

 

今、生まれ変わろうとしている人が、実に多いのです

人生には節目があります。

 

生まれ変わる、という言葉がありますが、

実は私達の人生には、何度も

その「生まれ変わり」の瞬間が訪れます。

 

一度、これまでの自分をすべて「リセット」し、

まったく新たな自分として、

人生を再スタートさせる。

 

そのように、自分自身の真本音が決めている

瞬間であり、

それは人生において、何度もあることではないのですが、

何度かは、必ず訪れます。

 

その節目において、

しっかりと、生まれ変わることができるかどうか?

 

つまりは、

これまでの自分を一度、リセットできるかどうか?

 

それがその後の人生の展開を

大きく左右します。

 

ただしリセットと言っても、

それは現象レベル(現実レベル)の話では

ありません。

 

今の職を辞めなさいとか、

離婚しなさいとか、

友達付き合いを変えなさいとか、

そういった現実レベルのことではありません。

 

あくまでも、心の問題です。

私の言葉で言えば、

「心の中の実在を変える」

ということです。

 

ところが、この生まれ変わる瞬間を

逃してしまう人が多いのです。

 

これまでの自分に執着してしまうのです。

 

これまでの私はこうだった。

このようにすれば上手くいった。

だから、これからもその通りでいたい。

・・・と。

 

せっかく、生まれ変わるチャンスが来ているのに、

それを自覚しないどころか、

執着をすることで、何も変わらない、

という人が多いのです。

 

そうなると、どうなるか?

 

人生の「苦しみ」の度合いが

一気に深まります。

 

そしてそれが、現象化(現実化)します。

 

これまで、何となく上手くいっていたことが、

突然、上手くいかなくなった。

 

これまで、誤魔化し誤魔化しできたことが

まったく通用しなくなった。

 

これまで、後回し後回しにしてきたことが

どうにも逃げ道がなくなった。

 

そのような現実が目の前に現れる場合は、

自分がこれまでの自分に執着してしまい、

生まれ変わりのチャンスを逸しようとしている

わかりやすい合図です。

 

もしそういった現実が目の前に

あるのであれば、

今からでも遅くはありません。

「生まれ変わろう」と決めることが

とても重要です。

 

なぜこのようなことを書くかと言いますと、

今その「生まれ変わり」のチャンスに

恵まれている人が、

かつて私が経験したことのないくらいに

多いからです。

 

みんなが同時に生まれ変わろうとしているのかな、

と強く実感します。

 

恐らくですが、

この2017年の内に生まれ変わり、

2018年から、新たな自分として再出発しようと

真本音レベルで決めている人が

多いのではないでしょうか。

 

ですから、ここのところの私のコーチングは、

生まれ変わろうとしている人が、

きちんとこれまでの自分を手放せるように

サポートすることが主になっています。

 

これまでの自分を

手放すのです。

 

これまでの自分のパターンを

手放すということです。

 

心の中で強く

決めるだけでも良いのです。

 

「私は生まれ変わる」と。

 

そして、

これまでの自分の経験やパターンに捕らわれず、

ただただ、目の前に展開する「現実」に

ありのままに向かい合ってみてください。

 

自分の思考によって

物事の判断をすれば、これまでの自分に

捕らわれてしまいます。

 

そうではなく、

「現実」と向かい合おうと決めた上で、

自分の中から生まれる直観を大事にしてください。

 

その直観は、

「え〜っ? そんなことできないよ」

と思われるものかもしれません。

 

これまでの自分のパターンからは

考えられない行動の取り方かもしれません。

 

でも、その直観に素直に

なってください。

 

それが、生まれ変わる、ということです。

 

今回はちょっと

木村さん、弓江さんの二人コーチングのお話は

お休みです。

 

どうしても今、書かねばと思いましたので、

生まれ変わりについて

書かせていただきました。

 

明日からまた、

木村さんストーリーに戻ります。

 

つづく

 

無理に夢は描かない方がいい

「夢を持つといい」

とよく言われます。

 

「夢を持ち、それに向かう人生が

素晴らしい」と。

 

確かにそうかも知れません。

 

しかしその「夢」とは

真本音であることが重要です。

 

反応本音レベルの「夢」であれば、

それを大事にし、

それに向かう努力をすればするほど、

ストレスが発生します。

 

そして、「夢」に生真面目に

向かう人であればあるほど、

そのストレスは密度を増し、

いつの間にか、エンティティが発生します。

 

つまりその場合、

夢を持つことで、その人は

苦しみの人生を歩むことになるのです。

 

ですから私はいつも

申し上げます。

 

「無理な夢は描かない方がいい」と。

 

「夢」というものは、

真本音で「今日を生きる」ことの連続により、

自然に「顕在化」します。

 

「顕在化」と書いたのには

理由があります。

 

「夢」とは、もともと私達の中に

私達の真本音の中に、

確かに存在しているものだからです。

 

存在しているのに、自分で気づいていない。

・・・それが多くの人の状態です。

 

逆に言えば、

存在しているのだから、

それを掘り起こせばいい、

ということになります。

 

そして、掘り起こすためには、

今この瞬間を、

今日というこの一日を

真本音で生きることです。

 

これをする人は、

普通に、当たり前に、自然に

夢がわかります。

夢に向かう人生となります。

 

それは決して

力こぶを入れるような

「がんばり」を必要とするものではなく、

ただただ単純に、純粋に、淡々と

そこに向かっていくだけのことです。

 

ただし、

そんな毎日に入れば、

人の心は、常に満たされた状態となります。

 

本当の夢とは、

それを実現できたかどうかよりも、

それに向かう一歩一歩こそが

幸せだからです。

 

しかしそれが真本音の夢であるならば、

それは必ず実現しますけどね。

 

真本音で今を生きれば、

真本音の夢が見つかり、

真本音の夢が見つかれば、

今を、満ち足りた自分として

自然に生きることができる。

 

要するに、そういうことになります。

 

私は、

それこそが「普通の人生」であると

思います。

 

「普通の人間の姿」であると

思います。

 

その「普通」を

すべての人がすればいいのに、

と思うのです。

 

そんな「普通」を取り戻すことが

私のコーチングの目的の

重要な一つです。

 

さて、

エンティティのお話に戻りますが、

エンティティとは、

そういった「普通」ではない状態の時に

発生します。

 

ほとんどの人から私はエンティティを

受け取るのですが、

ということは、ほとんどの人が

「普通の人生」を生きていない

ということでもありますね。

 

西畑さんという人は、

そういった意味で、

「普通の人生」の真逆を行っている

のかも知れません。

(→前回記事)

 

そして木村さんも、

真本音度合いが下がってしまう時は、

「普通の人生」の真逆を

行ってしまう傾向にあります。

 

しかもその二人の「傾向」が

似通っていたために、

悪い意味での「共感」をしてしまい、

西畑さんのエンティティが

木村さんに乗り移る、ということが

どうやら起きているようです。

 

以前に西畑さんと面談した時、

彼は木村さんのことを

「同志です」

と言いました。

 

しかし、木村さんに張り付いた

西畑さんのエンティティに意識を向けると、

木村さんは、

「お前を引きずり落としてやる。

そう西畑のエンティティは言っています。」

と言われました。

 

西畑さんが嘘を言っているわけでは

ありません。

彼は、顕在意識では本当に

「同志である」

と思っているのです。

 

しかし、彼自身が「普通ではない生き方」を

してしまっているために、

「普通の生き方をしよう」としている木村さん、

・・・つまりは、真本音度合いを高めている木村さんに対して

「羨ましい」というところから、

「引きずり落としてやる」

というエンティティを生んでしまっているのでしょう。

 

実はこのパターン、

非常に多いです。

 

組織においては、

このパターンのエンティティを除去するだけで、

チームの雰囲気が大きく変わる、

ということが、これまでは何度もありました。

 

さぁ、ではまずは、

木村さんを西畑さんのエンティティから

解放させてあげなければなりません。

 

私は木村さんに言いました。

 

「木村さん、

その西畑さんのエンティティを

愛せますか?」

 

つづく

 

自分のことは決してわからない、・・・それが人間かも

人は、

自分のことを理解していません。

 

それは、本当に多くの人達と向き合い続けた中での

私の現場での実感です。

 

いえ、私だって、自分のことを

理解できていません。

 

私は、「セルフコーチング」というものについて

本当に探究をし続けてきました。

ある意味、毎日24時間、セルフコーチングについて

考え、探究し続けている、と言っても

決して言い過ぎではありません。

 

セルフコーチングとは

自分と向き合うことです。

 

自分としっかり向き合うことによって

自分の中にある「本当の答え」を

見出します。

 

そのセルフコーチング力を、

いかにすれば高めることができるか?

を探究し続けてきました。

 

そんな私でも、

何日も答えの見出せなかったことを、

私以外の別の人と5分くらい話すだけで

えっ?とびっくりするくらい意外な答えを

見つけることが、今だにあります。

 

私自身が見つけられなかった答えを

人から指摘されることもあります。

 

その度に思うのです。

 

本当に人っていうのは、

自分のことがわからないのだな、と。

 

いえ、ひょっとすると

「自分のことをわからないように、

わざと創られている」のが

私達人間ではないか、

それは、私達人間にとって、

とても大事な要素なのではないか、

とさえ思います。

 

ですから私はよくお伝えします。

「自分のことをわかったつもりに

ならない方がよいですよ」

と。

 

「自分のことは自分が一番理解できない」

くらいに思っていた方がいいですよ、

と。

 

しかしそれを受け入れた途端に、

人生は、より楽しいものになります。

 

「自分」という理解不能な存在と

ずっと寄り添い続けるのが人生。

その、面白さを実感できるように

なるのではないでしょうか。

 

エンティティとは、

自分のことを理解できない、という意味では

最後まで理解不能のものの一つ

かも知れません。

 

エンティティは

誰にでも、あります。

 

私はコーチングをしていて、

クライアントさんからエンティティを受け取らない

日は、ほぼありません。

 

例えば、

もの凄く、人を大事にされている人の

コーチングをすると、決まって、

人に対する恨みや憎しみや

人を陥れてやろう、という意図に基づいた

エンティティを受け取ります。

 

かと言って、

その人の「人を大事にする」というのが

嘘である、ということではありません。

その人は、本当に

人を大事にされているのです。

 

でも、エンティティは

その真逆のものが発生したりします。

 

これがある意味、

私達人間の面白さなのかも知れません。

 

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

その場で、

木村さんが、西畑さんからもらったエンティティと

向き合っている場面に戻りましょう。

(→前回記事)

 

どうやら、木村さんの肩から背中にかけて

西畑さんのエンティティが

張り付いているようです。

 

そのエンティティに意識を向けた時、

木村さんはそれを

「西畑が私にしがみついている」

と表現しました。

 

「その、しがみついている西畑さんは

何か喋っていますか?」

 

と私が問うと、

木村さんは言われました。

 

「お前を引きずり落としてやる。

そう西畑のエンティティは言っています。」

 

つづく

 

これを「幽霊」と言うのかも知れません

エンティティは、多かれ少なかれ、

必ず誰もが持っています。

まったく持っていないという人は

恐らく1%もいないでしょう。

(→【取り憑いているものとは何か】)

 

しかもエンティティとは、

人から人へ伝染する、まるで

風邪のウィルスのようなものです。

「物質である」と言ってもよいでしょう。

 

霊感の強い人は、

これを「幽霊である」と認識するかもしれません。

 

でもその「幽霊」は、

どこかしこに、存在しています。

あって当たり前のものです。

 

そして、何かの「共鳴」が起こることで、

かなり強烈なエンティティが

人から人に乗り移ります。

 

西畑さんから木村さんには

何か強烈なエンティティが移動しやすい、

という傾向にあるわけです。

(→前回記事)

 

その「共鳴」とは恐らく、

反応本音レベルでの二人の共通の

パターンによって引き起こされています。

 

私は以前に西畑さんと一度、

面談をしました。

(→【この人のことは、あきらめよう】)

 

そこで感じたのは、

西畑さんの心の中にある強烈な

「面倒臭い」という反応本音の塊です。

 

それは、

「人生は面倒臭い」とか

「生きることが面倒臭い」という

かなり根本的な面倒臭さでした。

 

こういった人は、

無意識レベルで、「現実逃避」に入ります。

 

常に、「現実逃避」した状態で

生き続けます。

 

それにより、真本音度合いを著しく

減退させます。

 

西畑さんと面談した時、

私はその傾向があまりに強く感じられたので、

西畑さんそのものを何とかしようという方向性を

あきらめたのです。

それよりも、

木村さんをもっと強くすることで結果として

西畑さんに好影響を与えようと

判断しました。

 

一方の木村さんも、

彼の反応本音レベルのクセが強く出ると、

彼は、イケイケどんどんになるか、

逆に、ウジウジした引きこもり的になるか、

その両極端を行き来していました。

そうなっている時の彼は

「現実逃避」の塊であると言ってもよいでしょう。

 

つまりその「現実逃避」の生き方に関して

西畑さんと木村さんは「共鳴」をしてしまい、

西畑さんの生み出したエンティティは

木村さんに乗り移っていく、

という現実を引き起こしていたのでしょう。

 

私はこういったこともすべて

この二人コーチングの場で、

木村さんにご説明しました。

 

「かなり納得します」

と木村さんは言われました。

 

西畑さんの「現実逃避ぶり」を

ある意味最もよくわかっていたのは、

木村さんだったかも知れません。

 

そして今、

木村さんの背中に、わずかですが

西畑さんから移ってきたエンティティが

張り付いているようです。

 

彼はそこに意識を向けました。

 

「どうですか?

そこに意識を向けると、

何か見えますか?」

 

しばらく木村さんは黙っていましたが、

「なんか、西畑が私に

しがみついている姿が見えます」

と答えました。

 

それはかなり的確な表現でした。

 

実は私にも、

西畑さんが木村さんにしがみついているような

感覚が伝わってきていたからです。

 

「その、しがみついている西畑さんは

何か喋っていますか?」

 

と私が問うと、

木村さんは恐ろしい一言を

言いました。

 

つづく

 

「一つ」になれば、質問すら要らなくなる

これからは弓江さんが

新規事業プロジェクトチームのミーティングの司会を

「コーチ」として行なうことが決まりました。

(→前回記事)

 

木村さんと弓江さんの二人コーチングは

さらに続きます。

 

もうこの頃になると、

私達3人は完全に「一つ」になっています。

 

もちろんそれは感覚的なものです。

 

でも私は、二人の呼吸が

手に取るようにわかるようになっていました。

 

そんな時、私はいつも

あえて私が「問い」を創ることをやめてしまいます。

そして、

次のように言葉をかけたりします。

 

「ここまでの流れとまったく関係なくてもよいので、

何か喋りたいことはありますか?」

 

・・・と、二人に投げます。

 

すると、自然に「喋りたい空気感」が

どちらかから伝わってきます。

 

今回は弓江さんから伝わってきました。

 

「弓江さん、

何か喋りたいことがあるのでは?」

 

そう言われて弓江さんは最初、

「え〜、何か私、喋りたがってます?」

と言いましたが、ふと、思い出したように、

「あっ、あります!」

と答えました。

 

「全然関係のないことなのですが、

それでもいいですか?」

 

「はい、大丈夫ですよ。」

 

「木村リーダーって、西畑さんとお話しすると、

いつも何かおかしくなりません?

何かに取り憑かれたようになる、というか・・・。」

 

そうでした。

 

私が、木村さんと弓江さんの二人コーチングを

しようと思った直接のきっかけは、

西畑さんからの「エンティティ」でした。

(→【取り憑かれるのは普通のこと】)

 

どうやら木村さんが西畑さんから

強烈なエンティティを受け取っているらしい、ということを

弓江さんの「観察」によって私は知ったのです。

 

私は、エンティティについて、

二人に詳しく説明をしました。

 

その話を聴いて木村さんは、

「とてもよくわかります」

と言われました。

 

「西畑と喋った後は、なぜがいつも

すごく疲れるんです。

私は彼とは仲がいいし、気も合うと思っているのですが、

なぜか時々、すごく疲れるんです。

まぁ、何かの偶然なんだろうな、と思っていました。」

 

「いつも、体のどの辺りが

疲れますか?」

 

「・・・そうですね。

肩から背中にかけて、ドーンと重くなると言うか。

鉛が乗っかっていると言うか。」

 

「今はどうですか?

その感覚はあります?」

 

木村さんは、ジーッと肩や背中に

意識を向けているようでした。

 

「何となくですが、

ちょっとだけ重い感じがします。」

 

「あぁじゃあ、今も少しだけ

エンティティが憑いているかも知れませんね。」

 

「ホントですか?」

 

「はい、ちょっと見てみますか?」

 

つづく